第9話 ……これは、下心じゃねえっ!

「もう、いいよ」


 寄りかかった扉の向こうから、小さくラオンの声が聞こえた。

 出鱈目でたらめに夜空に星座をなぞっていたソモルは、その指を止めて眼を瞑り、ゆっくり息を吸い込む。そして吸い込んだ空気の倍の息を吐き出すと、なんだか遠慮勝ちに扉を開いた。

 意識が高揚している。自分が生活する小屋の開け馴れた扉なのに、馬鹿みたいに緊張する。


 薄明かりの小屋の中、さっきと同じようにベッドに腰かけたラオンが見えた。ソモルが貸した、真新しいグレーのTシャツと紺のスエットを着て。

 ソモルのサイズのTシャツとスエットは、小柄なラオンの体にはやはり大きく、そのダボつき加減がラオンの小ささを更に際立たせている。それが堪らなく可愛らしく、ソモルの体温がまた上昇した。

 ソモルも15歳の少年の平均からは小柄な方だが、ラオンはそれに輪をかけて小さい。包み込んで、守ってやりたい。そんな本能をくすぐるような、愛らしさ。


 ベッドに腰かけたラオンの横には、さっきまで身につけていた服が丁寧にたたんで置いてあった。何となく、それからは目を逸らす。今余計な事を考えたら、止まらなくなる。ただでさえ、こんなにドキドキしているのに。


 ラオンと、ひとつ屋根の下で、二人きり。


 今この情況が、ソモルの意識をいけない程に直撃してくる。現実を噛み締めれば噛み締める程、緊張が加速していく。

 しかも裸電球の仄赤い照明が、雰囲気を更に演出している。ソモルの手のひらや腋に、汗が滲み出る。


 ……下心とか、そんなんじゃねえ! そんなんじゃねえけど……。


 ラオンの顔がまともに見れず、ソモルは視線を落とす。と、その下げた眼が、無意識にラオンの胸元に止まった。慌てて、視線を無理矢理剥がす。


 スケベっ! 俺のスケベっ!


 嫌という程意識してしまい、心臓が喉元まで跳ね上がる。たった今垣間見た、うっすらと柔らかな丸みを描くラオンの胸元が、ソモルの頭を悪戯にちらつき離れてくれない。


 黙ったまま俯き加減で挙動不審気味なソモルを、ラオンは不思議そうに見詰めていた。その仕草も、ソモルのドキドキに更なる拍車をかける。


 落ち着け! 落ち着け、俺! 

 忘れろ! 二人きりとかそういうの、いったん全部忘れろ!


 ソモルは自身に暗示をかけて、平常心を取り戻しにかかる。


「……あ~、俺床で寝るから、ラオン、お前ベッドに寝ろ」


 いろんな事を誤魔化ごまかすように頭をわしゃわしゃと掻きながら、ソモルが云う。そうだ、もう何も考えずに、寝てしまえばいい。

 平常心よ、戻ってこい。


 けれど、そんなソモルの努力は、ラオンのたった一言で全て流れた。



「ソモルも、ベッドで一緒に寝よう」 


 ソモルの思考は、一瞬で真っ白になった。



 うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉい、ラオンっ‼

 お前、何云い出してんだあっ‼


 ホワイトアウトののち、ソモルが心で絶叫した。


「んなの、無理に決まってんだろっ!」

「何で?」


 きょとん、とラオン。それを、訊ねるのか。

 ラオンの眼は、ソモルの事情を一切理解していない。いくら庶民を知らないやんごとなき姫君とはいえ、無防備過ぎる。

 15歳の少年の胸の内を、僅かばかりでも察してほしい。この純真な眼差しが、今のソモルに対してどれ程酷なものか、ラオンには全く自覚がない。

 ソモルは一人、己の中で悶絶した。


 ラオンからしたらただ単に、ソモルを床に寝かすのは申し訳ない。それだけの理由で云い出している事なのだと思う。けれどソモルとしては、ほんのちょっとでもいいから年頃男子の気持ちを汲んでほしい。


「なら、僕が床で寝る」 


 答えようとしないソモルに、ラオンはぽつっとそう云った。


 二年前と同じパターン。そう来たか。

 あの時は、同じ事を云い出したラオンにソモルが折れて、一緒に寝る事になった。

 けれどそれは、お互い子供だったからできた事。今は違う。というか、絶対に無理なのだ。何が何でも、折れるわけにはいかない。

 折れれば、自分に負けてしまう。


「お前が床なら、俺は外で寝る!」

「え~っ!」


 ソモルからそんな返答が来るとは、ラオンは予想していなかったのだろう。ラオンは渋々、一人でベッドに寝る事を了解した。

 一難去り、ソモルはふーっと息を吐く。ちょっともったいなかったかも。僅かに後悔はあるが、そこからはあえて目を逸らす。


 ラオンは、本当に何も考えていない。あの頃から、そうなのだ。あの時だって、ラオンと二人で同じベッドに寝るという行為がどれ程ソモルをドキドキさせたのか、きっといまだに判っていないのだ。


 ……今そんな事したら俺、何の保証もできねえぞ……。


 理性が飛ぶ。そんな事になったら、どうするつもりだ。寝ているラオンにこっそりキスとか、間違いなくしてしまうだけの確信はある。

 それ以上は……。


 ソモルは、焦って思考を吹っ飛ばす。


 とりあえず板張りの床に毛布を敷いて、今夜の寝床をこしらえる。ラオンはベッドの毛布に足を突っ込んで、ソモルの動作を黙って見詰めていた。


「電気、消すぞ」

「うん」


 返事をしながらラオンは、結んでいた長い髪をゆっくりとほどく。その仕草が妙に艶かしく異性を感じさせ、ソモルの脈拍がまだ飽き足らんとばかりに速度を上げた。

 これ以上心拍数を上げたら、安眠の妨げになりかねない。判ってはいても、眼を逸らす事ができない。


 ラオンが横になったのを見届けると、ソモルは手を伸ばして天井からぶら下がる裸電球を切った。カチッと乾いた音が合図のように、狭い小屋の中に闇が覆い被さる。この丘にひとつだけ灯る外灯の光が、僅かに窓から忍び込むばかり。

 指に残る電球の熱が消え失せる頃には、すっかり暗さに眼が慣れてくる。

 

「ねえ、ソモル」


 ソモルも横になろうとした時、ラオンの囁きがそれを止めさせた。


 ドキン!

 ソモルの心臓が跳ね上がるのは、今夜これで何度目か。


「どうした?」

   

 動揺をひた隠し、ソモルが尋ねる。


「何だか、このまま眠っちゃうの、もったいないね」

「えっ」


 ラオンの言葉に、深い意味などない。そんな事は判っていても、淡い期待がもたげてしまう。


「だって、ソモルとまだ話足りないもん」


 荒い夜の粒子の中に、ソモルとラオンの形がほんのり浮かび上がる。


「けど、明日朝っぱらからでかけるんだろ? そん時いくらでも話せるじゃん」


 云いながら、ソモルは即席でこしらえた寝床にわざと乱暴に横になる。


「ん」


 短い、ラオンの返答。

 夜の粒子が、二人を呑み込んでいく。


 横になると、静けさだけが耳についた。当たり前に訪れた夜の静寂が、眠りに就こうとするソモルの神経を刺激する。


 毛布が擦れる音がした。


「ず~っとね、ソモルに会いたかったの。もう一度……」


 数秒の無言の後、思わせ振りにラオンが囁いた。


        

      to be continue


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る