第6話 グラスのワインは、まるで俺の心境のように揺れていた……

 ラオンは片手にワイングラスを持ったまま、カウンターに軽く頬杖をついてソモルを見ていた。その様子はまるで現実のものとは遠く、ソモルは刹那息をする事さえ忘れてしまいそうになった。


「ずっとソモルに会いたかったんだよ。だって、約束したから」


 ソモルは、完全に射抜かれていた。

 わずらう程に恋い焦がれていたにそんな台詞を云われて、舞い上がるなという方が無理な話。


 顔中、耳朶みみたぶまで熱い。茹で上げられたように真っ赤に染まっているだろう自分の顔を思い、薄暗い店の照明にソモルはあらためて二度目の感謝をした。


 おい、ラオン! あんまり俺を喜はぜるような事云うなよ。

 俺、期待しちゃうじゃん! 

 完全に片想いのつもりだったから……。

 お前が深い意味もなく云った言葉だとしても、俺単純だから期待しちゃうんだよ……!


 ラオンに真っ直ぐに見詰められただけでソモルは落ち着かず、心拍数だけが悪戯に速さを増していく。体が、益々熱くなる。

 ラオンはまたワインを一口呑んで、ふふっと笑った。


 俺も、ずっと会いたかった。


 照れ臭くて、その一言が素直に口にできない事が酷く悔しい。ソモルはこんな時、自分の性分が無性に憎たらしくなる。なにか一言、気のきいた言葉でも云えればいいのに。


「ソモル、声低くなったね」


 ラオンが、何気ない感じで云った。


「まあ、そりゃあな……」


 ソモルだって、お年頃なだけに色々成長してるわけで。


「背も伸びた」

「そりゃ、お互い様だろ」


 ソモルもラオンも、離れている時間にその歳月分成長した。お互い、そういう年頃だから。感情だって、その分敏感になっている。


「それに、逞しくなったね」

「ラオンだって……」


 ソモルは、途中で言葉を呑み込んでいた。

 

 お前だって、前より綺麗になった。


 そんな事、恥ずかしくって云えるわけがない。ソモルは、歯痒さに唇を苦々しく噛み絞めた。ラオンの純粋な言葉に下心なく返せる程、器用でもない。素直な本音など、白状できるわけがない。


 ソモルは、年下のラオンに完全に翻弄されていた。


 15歳のソモルと、13歳のラオン。思春期のこの年頃は、女の子の方がほんの少し成長が早い。そういうバランスでは、意外と釣り合っているのかもしれない。

 そんな事を考え、ソモルは思わず頬が緩んだ。

 

 やっぱ、俺って単純だ……


 単純なくせに、素直な本音が云えない。

 会えて、凄く嬉しい。その気持ちを白状できたなら、どれだけ良かっただろう。

 不器用だから? 照れ臭いから? あまり浮かれた事を云って、好きだという気持ちがばれるのが恐いから?


 そう。ラオンにとっての自分は、あくまで『一番大切な友達』だから。ラオン自身が、ソモルにそう云った。

 ソモルが13歳、ラオンが11歳の頃に。


 多分それは、今でも変わらない。二人の気持ちは、微妙な処で交差して、そしてすれ違っている。それを知っているから、ソモルは臆病になる。どれだけ強がっていても、恐くなる。だから、踏みとどまってしまう。


 ラオンは出会ったあの頃から、純粋で無邪気だった。ソモルも今よりずっと子供だったから、お互い何も考えずにそれで良かった。

『一番大切な友達』ラオンに貰ったその言葉を、13歳だったソモルは嬉しくて宝物のように思った。けれど今は、その宝物だった筈の言葉がソモルの内側にざわざわとした細波さざなみを立たせる。一方通行なのだと、酷く思い知らされるのだ。


 ラオンは直ぐ隣に座るソモルの心境も知らずに、グラスの赤ワインを指先でもてあそぶように揺らしていた。グラスとワインの表面に映り込んだ照明の光が、優雅な煌めきを滑らせる。


 ラオンの指先の造り出す夢心地な世界に、ソモルの視線はいざなわれ、釘付けられた。


「明日は早起きして、いろんな処に連れてってね」


 ワインの色合いと戯れながら、ラオンが微笑む。


 …………。

 

 ラオンが紡ぎ出した言葉を頭の中で反芻しながら、ふとソモルの思考が立ち止まる。

 ちょっと待て。そういえばラオン、今夜は何処で過ごすつもりだ?


 ソモルの思考が、再びショートした。

 この情況は、もしかしてあの時と同じ? ソモルとラオンが、初めて会ったあの日の夜と……。あの夜ラオンは、ソモルが一人で暮らす小屋に泊まり一晩を過ごした。たった二人きり、ひとつ屋根の下で……。

 その時、ソモルは13歳、ラオン11歳。


 けれど今は、ソモルは15歳。ラオンは13歳。

 明らかに、あの頃の情況とは違う。二人とも、多感で微妙な時期に足を踏み入れている。完全に子供だった、あの頃とは違う。

 特に、ラオンを意識し始めている、ソモルの方が……。


 ひとつ屋根の下で、二人きりで一晩過ごす。思春期の男女が、そんな事していいのだろうか。しかも一緒に過ごすその相手は、散々恋い焦がれた女の子。


 ヤバイかも、しれない……


 いけない事になる。そんなつもりはないけれど、下心が全くないわけではない。手を出すつもりはない。ないけれど……。

 どうしよう。胸の高鳴りが、止まらない。


 ラオンははしゃぐように、また指先でワイングラスを揺らしていた。真っ赤なワインが、ゆらゆらと輪を描いて波打つ。


 あの時と同じだ。こいつは、何も考えてない……

 動揺してるのは、いつも俺だけ……


  

 まるでグラスの中のワインのように、ソモルの心はラオンの指先で転がされていた。


 ……俺、また眠れねえよ……


          

       to be continue

 

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