第5話 LOVE……再会♡

 ソモルの思考は、まるでブレーカーが落ちたように数秒間完全に停止していた。

 自分の恋患いが、手の施しようがない程に重度に達してしまった……その幻覚……? まず、己の精神状態を疑う。


 ソモルの眼の前には、ラオンが居た。

 ワインレッドの長い髪を後ろに束ねて、大きな翡翠ひすいの眼でソモルを見ている。


「……あ」


 ソモルはようやく、そんな意味のない単語を一言だけ洩らした。

 気が動転していた。

 ラオンが、居る……。

 たった今ミルクを飲んだばかりなのに、急激に喉が渇いていた。唾を呑み込もうにも、喉が張りついていて上手くいかない。


 ラオンはそんなソモルを見て、ちょっと首をかしげ気味にしながらにっこりと笑った。


 うわっ、可愛い……! マジだ、マジで、ラオンが居るっ!


 ようやく覚えたその実感に、ソモルの心臓は踊るように高鳴った。速度を上げた血流に、体が熱を帯びていく。


「な、何だ、どうして、ここに?」


 ソモルの口から、思わずつっけんどんな言葉が突いて出る。はっと言葉を呑み、じわりとした後悔の念に襲われた。


 俺のバカっ! なんてぶっきらぼうな云い方してんだよっ!

 もっと優しく云えよ、優しくさあっ!


 ラオンの方は、そんなソモルの動揺も物云いも全く気にもしていない様子。余裕の欠片もないソモルだけが、どぎまぎと汗をかきながら定まらない視線を彷徨さまよわせる。

 ラオンの顔が、まともに見れない。緊張が高まれば高まる程、尚更なおさら

 そんなソモルとは対称的に、ラオンは大きな翡翠ひすいの綺麗な眼で、真っ直ぐにソモルを見詰めていた。そして、一片ひとひらの言葉を紡ぐ。


「ソモルに会いに来ちゃった」


 ソモルの心臓が跳ね上がる。

 きっと、ソモルが喜ぶような深い意味はない。けれどその一言だけで、ソモルの心は完全にやられてしまっていた。マーズの大気圏を突き抜け、浮かれた心は何処までも舞い上がる。



 二年越しの、ラオンとの再会。

 思春期の頃合いの、二年という時間は長い。多感な、心の成長。それにともない、体や顔の外見も変わっていく。それを今、ソモルはまざまざと実感した。


 あの頃から、ソモル自身も成長した。それは、ソモル自身が一番良く知っている。

 そう、あの頃は二人共、完全に『子供』だった。けれど今目の前に居るラオンは、しっかり女の子に成長していた。


 ラオンは、11歳だったあの頃から非の打ち所のない程に可愛いかった。13歳になったラオンも、もちろんその可愛らしさは相変わらず。けどそれは、可愛いの部類があの頃とは全く違う。ソモルは、本能のようなものでそれを感じた。


 ……女の子って、二年でこんなに成長するんだな……


 カウンターのソモルの隣の席に、ラオンはちょこんと座っていた。

 背が少し伸びていた。けど、年齢のわりに小柄なのは変わらない。華奢なのも。けれどただ細いだけだったその腕は、柔らかさを感じさせる綺麗な形を描いていた。

 ラオンが身につけている服は、二年前に出会った時と同じもの。あの頃はダボダボだった服も、背が伸びた分体の形に密着し、その成長度合いが良く判る。

 胸元にくっきりと現れた、少し丸みを帯びた柔らかそうな曲線。まだ薄い、腰のライン。


 無意識の内に眼を奪われていたソモルは、理性を持って視線を剥がす。そして赤くなった顔を誤魔化ごまかす為にカウンター正面に向き直ると、頭を冷やすべく残りのミルクを一気に呑み干した。

 逆上のぼせ気味の思考が、僅かにビートダウンする。

 腹の底からふーっと長く息を吐き出し、ソモルはもう一度ラオンの方に向き直る。


 頼む、煩悩。少しの間だけ、静かにしててくれ!


「……もしかしてまた、黙ってこっそり城抜け出してきたのか?」

 

 ラオンに心の内を悟られまいと、必死に平静を装って訊ねる。

 ラオンの素性は、巨大惑星ジュピターの姫。そう簡単に、マーズの一般庶民であるソモルの処になど遊びに来れる身分ではない。以前に出会った時も、ラオンは誰にも内緒で城を抜け出してきたのだ。姿を見られぬように宇宙貨物船に忍び込むのもお手のもので、二年前の時もそうやって偶然マーズに辿り着いた。

 今回も多分、同じような方法でやって来たのだろう。


「うん。けど、今度はちゃんと手紙置いてきたから大丈夫」


 余裕の笑み。

 ラオンの中では、それで全て問題ないとばかりに完結しているらしい。けど、そんな手紙の一枚で、城の人間が納得してくれるとも思えない。ソモルの胸に、一抹の不安が過る。

 以前にラオンが城を抜け出してきた時など、姫様捜索に繰り出してきたジイや達ご一行に散々追い回されたあげく、トラウマになりかねない程の酷い目に合わされた。

 同じ目に合わされるのは、さすがのさすがに遠慮したい。


「それに、明後日あさってには父上も母上もマーズに来られる筈だし、僕だけ先に来ちゃったの」


 僕……ラオンは女の子、しかも姫であるくせに、自分の事を『僕』と云う。理由は、大好きな本の物語の主人公の一人称が『僕』だから。ラオンの『僕』は、こんなに美少女に成長した今でも健在だった。なんとなく、ソモルの心の緊張が緩んだ。


「マーズで、なんかあんのか?」

「うん。明後日はマーズ王の聖誕祭だよ。ソモル知らなかった?」


 ソモルは、暦や祭り事に疎い。興味がないから知ろうともしない。云われてみれば、そうだったような気もする。ソモルの仕事場は通常営業なので、すっかり忘れていた。


「マーズ王城での祝賀会にお呼ばれしててね、僕も出席するの」


 いつの間に頼んだのか、カウンターの向こうからマスターがラオンの前に赤ワインを置いた。ジュピターの人間は、子供のうちから酒を嗜むのが普通なのだ。体質的にも、アルコールに非常に強い。成人であれば、浴びるように呑んでもほとんど酔わない。しかも、燃えるような辛口を好む。


 ラオンは早速ワインを一口呑むと、満足そうに上機嫌な笑みを見せた。そんなちょっとした表情に、ソモルの脈拍はいちいち速度を増す。

 また喉が渇いてきた。もう一杯、ミルクを頼もうか。

 頭もだいぶ、逆上せている。まだ思考が、ほんの少し覚束おぼつかない。ワインを呑んでいるラオンよりも、ソモルの方がずっと酔っている。


 無理もねえよな……。だってさ、俺の隣に、ラオンが居るんだぜ……。

 どうにかなっちまいそうなくらい、会いたかったラオンが……。


 手を伸ばせば、触れられる程、すぐ傍に……。

 かと云って、実際にその肩に触れる事など、今のソモルには到底できるわけがないのだけれど。


 ……まだ俺、顔赤いのかな?


 店の薄暗い照明に、ほんの少し救われた気がした。この逆上せて浮わついただらしない顔を、くっきりはっきり晒されたりしたら洒落にならない。


「だから、明日は丸々ソモルと遊べるよ」


「えっ」


 嬉しそうなラオンの声に、ソモルの心と脈拍が大きく跳ね上がった。



           to be continue

 







 

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