第3話 恋患いのスパイラル
ラオン。
俺が、生まれて初めて好きになった
長いワインレッドの髪の、肌が真っ白な女の子。
背がちっちゃくて、俺より頭一個分低い。
華奢で走るのも遅くて、何かどっか危なっかしい感じで、守ってやんなきゃって思う。
眼がくりっと大きくて、睫毛も長い。
澄ました顔も可愛いけど、笑った顔は更にすげぇ可愛いくてさ。
そんな可愛い顔して、自分の事を『僕』という。
俺は、いつの間にか、あいつに恋をしていた。
けど。
あいつは俺の事を『一番大切な友達』だと云った。
最高に悪気のない笑顔で、嬉しそうにそう云った。
……結構、ダメージ半端ねぇ。まだ、告白したわけじゃねぇけど。
ラオン。
しかもあいつは、この宇宙を司る巨大惑星ジュピターの姫。
恋愛成就、ほぼ0%に近い相手。
俺は見事に、恋患いのスパイラルにはまっていた。
♡
何だかずっと、ふわふわとした気分が抜けない。
理由は勿論、ラオンの夢を見たから。
昼休みのうたた寝の、夢の中だけの束の間デート。
良くある感じの、ベタデート。
そんな夢を見ただけで、こんなに浮かれた気分になってしまう。自分の単純さがいとおしい。
けれど、今は仕事中。気を引き締めていかなければ。
こんな調子では、ドジをやりかねない。
次の配達先は、パン屋。只今営業中なので、裏口の方へ回る。
店の換気扇の下を通ると、焼き窯で温められた空気と共に甘く芳ばしい匂いがした。ついさっき昼食を済ませたばかりなのに、思わず食欲中枢が刺激される。
体力勝負の仕事であるうえ、成長期なので、なかなか食欲がおとなしくしてくれない。食いしん坊の同僚、オリンク程ではないが。
裏口の扉の前に台車を止めて、荷物の箱に貼られた伝票の宛先を再確認する。
ここのパン屋に届く荷物は、大概二箱。それ程大きくはない箱の中身はパンの中に練り込む木の実やらドライフルーツなので、二箱いっぺんに持ち上げても全く重くはない。宛先を確認しながら、ほぼ同時に片手で扉を叩く。
「こんにちは~! 配達で~す!」
浮かれ気分の自分に渇を入れるように、いつもよりも一割増しの元気多めに呼び掛ける。
待つ事、数秒。
少し微妙な間を置いて、扉が開いた。
そこから恐る恐る様子を伺うように顔を覗かせたのは、いつものおかみさんではなかった。ふたつに分けた、おさげ髪の少女。歳は、ソモルと同じ頃か。
その顔に、見覚えがある気がした。確か、ここのパン屋の娘。
少女は何かおどおどとした仕草で、視線をソモルから少し斜めに逸らしていた。的が定まっていないように瞳が動く。少々、挙動不審にも見える。
「あの、荷物、何処置く?」
埒があかなそうなので、ソモルから訊ねる。
「……あの、何処でも」
声が上擦っていた。非常に、対応しにくい。
ソモルは取り合えず、適当に扉の内側に荷物を重ねてふたつ積んだ。その時も少女は、まるで怯えたように一歩後退した。ソモルが二枚に重ねた伝票を手渡した時も、怖々とそれを受け取った。
まさかこの娘、俺に怯えてんのか?
えっ、何で? 俺、何もしてねぇよ?
確かにソモルは、眼付きが鋭い。その自覚もある。鼻の上に、目立つ傷もある。
けれど、初対面の少女にここまで怯えられる程、外見が恐ろしいわけでもない。
この街に来てからは、一切悪さもしていない。変な噂も立っていない筈。
少女はたどたどしい手付きで伝票にサインをすると、僅かに震えながらそれを差し返す。眼すら、合わせようとしない。
あからさま過ぎる。さすがにこれは、図太いソモルも傷付く。
「ありがと」
ソモルはなるべく、これ以上少女を怖がらせないように気を使いながら、優しく云って無理矢理笑った。そして、ドンマイと心の内で、自分に声援を送る。
「あっ、……あの!」
ソモルが何とか開き直って、伝票をズボンのポケットにねじ込み立ち去ろうとした瞬間、少女の声がそれを止めた。
何だ、苦情とか受け付けねぇよ。だって俺、何もしてねぇし!
『あなた悪のオーラが漂ってるんで、次から別の人に配達チェンジしてもらえませんか?』とか云われたら、さすがに俺だって凹む……。
重い気分で振り向いたソモルの目の前に、いきなり少女が何かを突きつけてきた。今度は、ソモルの方が驚いて後ろに退けぞく。
少女が突き出してきたのは、赤いリボンで結ばれた小さなピンクの袋だった。
「わっ、私が焼いたの! 良かったら、食べて下さい!」
ソモルは、呆気にとられてぽかんとした。
何が、どうなっているのか判らない。だいたい自分は、怖がられていたのではなかったのか。
ソモルは鋭い眼を丸くさせて、突きつけられたピンクの袋と少女を交互に見た。俯いているせいで、少女の
「……ああ、ありがと」
ソモルは、少女の手からピンクの袋を受け取った。ほんのりと温かい。
「じゃあ、またね!」
ソモルが袋を受け取ったのを確かめると、少女は早口でそう云って顔も上げずに逃げ込むように扉を閉めた。
またね。
取り合えず、もう来ないでくれと云われなかった事にほっとする。
次の配達先に向かう道すがら、ソモルは少女に渡されたピンクの袋を開けてみた。中には、形の不揃いな小ぶりの胡桃パンが三っつ入っていた。ふんわりと、甘く芳ばしい匂いがする。不格好で、売り物ではないのは明らか。
「私が焼いたの!」
そういえば、少女はそう云っていた。
中には、パンと一緒に手紙が一枚。
いつも、配達ありがとう。
一言だけ、書き添えてあった。
「ソモル兄ちゃん! 仕事頑張ってる?」
背中から、嫌と云う程良く知った声がした。振り向かなくとも、誰だか判る。なので、敢えて振り向かない。
「あーっ何何? 何食ってんの?」
まだ食べていない。
見慣れた生意気顔の弟分ターサが、まるで餌を見つけた子犬のように、台車の前方に鬱陶しい具合に回り込んでくる。
ソモルよりも二歳下のターサは、一緒に非難船に乗せられてこのマーズに逃がされてきた仲間の一人。付き合いも長い。そこら辺に居る血の繋がりだけで絆の薄い兄弟よりも、ずっと兄弟だと思う。
ターサは、この街に棲む子供の居ない老夫婦の処に引き取られ、今は他の子供と同じように何不自由ない生活をさせてもらっている。他の仲間も、同じように引き取られて、充実した毎日を送っている。
ソモルの事も、面倒を見てくれると云ってくれた大人が居た。けれど、ソモルの方から断った。
知らない大人に引き取られ、一緒に家族として暮らすのは、ソモルの性分に合わない。それは、ソモル自身が充分承知している。そうして暮らす事で、いつかきっと、苦しくなる事も。
「あーっ! パンだ! どうしたんだよ、それ」
ターサが、追及するような眼差しでソモルを覗き込む。
ソモルの手の中の赤いリボン、ピンクの袋、そして
「さっき、配達行ったら貰ったんだよ」
面倒なので、下手に詮索される前に正直に云う。
「えっ、もしかして、アンジェリカからっ⁉」
あの少女の名前らしい。そういえば、店先でパン屋のおじさんにそう呼ばれていたのを、前に聞いた事があるような。
「嘘っ! マジで?」
ターサが、やたら大袈裟に驚く。声がでかい。
「一個、やろうか?」
三っつもあるし、後でケチ呼ばわりされるのも癪なので、取り合えず訊ねる。
「うわ~っ! 最低!」
ターサは、わざとらしく軽蔑するような眼でソモルを見ながら、僅かに身を引いた。その仕草に、少々カチンときたソモルは軽くターサを睨む。
せっかく分けてやろうというのに、どうして最低呼ばわりされなければならないのか。
「本当、兄ちゃんって、そういうとこ鈍いよな。俺よりガキなんじゃない?」
ソモルが、益々ムッとする。
ターサは、ここ最近急にませてきて本当に生意気になった。昔はずいぶん可愛かったのに。
「もう少しさ、女心を勉強した方がいいんじゃない? せっかくモテるのに」
ターサが、大人ぶった口調でソモルをたしなめた。
……モテる? 俺が?
「取り合えずさ、パン一個頂戴」
ターサはこれ以上にない程の生意気な笑顔で、ソモルの目の前に手のひらを差し出した。
結局、貰うのかよっ!
なんだかんだ大人ぶっても結局はまだ食べ盛りの弟分に、ソモルは心の内側で盛大に突っ込んだ。
to be continue
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