百合へのゆるい試み。
大義名分を捨てよ、なめらかに生きよ
「あ、はい、“おなぱい”ですね!」
「
おなぱい、というのは、「おなかいっぱい」の略である。彼女の言語運用能力にははなはだ脱帽、というところなのだけれど、けがれたわたしにはどうしても卑猥な言葉に取れて、聞くたびに恥ずかしくなってしまうのだった。彼女の二重でおおきな目がくるり、ぱちくり、とわたしをみつめる。
「どうしてですか?いいんですよ、自分が話したい言葉で話す、それをわかってくれるひとがいる。
そう言って、彼女は満足げにバニラシェーキをちゅう、っと飲んだ。わたしはなんとか落ち着いて話そうとブラックコーヒーを一口、頭を抱えた。わたしはいわゆる「良い子」であり、「常識人」だった。数ヶ月前までは。芽依が頻繁に遊びに来るようになってから「それは必要なんですか、常識人ってなんですか、花恋さんが守っているそれって、本当に大切なものなんですか、教えてください」ときらきらした目で辛抱強く問いを投げかけてきて、いままで窮屈に信じてきたものがとうとう、わからなくなってしまった。それが自由になってきた、ということなのかなと最近では思う。
芽依はいつも、ニコニコしている。わたしは彼女の余裕に圧倒され、ついていくので精一杯。少し前、近くの大学の文化祭で観た「きゃっちみーいんざらい」だったか、そんな名前の演劇のように、追いかけっこをしているみたいだ。芽依がわたしを追い、わたしが芽依を追う。わたしも負けじと芽依を追い、芽依もわたしを追う。問いを投げかけたり答えたりするのは、同時に追うことであり、追われることでもある。
「それよか、花恋さん、わたしは二週間後の土曜日にディズニーシーに行きたいんです。予定、いかがですか?あ、当日はスターライトパスポートで、夕方の三時から行って、ゆるーく乗りたい乗り物にみっつかよっつ乗って、ルーズヴェルトラウンジで閉園まで優雅にお酒を飲んで、おうちに帰るっていうゆったりプランなんですけど」
ちょっと待って、と言ってわたしは携帯のカレンダーを開く。二週間後なら会社の締め時期もはずしてるし、残業で翌日へとへとになっている可能性も低いだろう。そなことを一分くらいゆっくりと点検してから、わたしは口を開いた。
「いいんじゃないかしら、行きましょう」
途端に、芽依の顔が曇った。わたしは心臓がばくばくと不穏に脈打つのを感じる。気まずい空気がふたりの間に流れはじめ、わたしはさらに焦っていくのを感じた。
「ごめんね、どうかした?」
芽依は視線を下あたりに外し、わずかに眉も下げて両手で持っていたバニラシェーキをテーブルに置いた。
「花恋さんは、芽依とディズニーシー、あんまり行きたくないんですか」
どうしよう。わたしはあわてて自分の落ち度を探しに、意識を空中に漂わせる。どうしてこんな風に思わせてしまったんだろう。
「行きたいよ、行きたいから行きましょう、って言ったんだけど・・・」
芽依はさらに眉を下げて、うつむいた。ああ、やめてくれ。わたしは芽依のためならなんだってするのに。なんだって芽依を嫌な気持ちにさせてしまうのだろうか。
「そしたら、"いいんじゃないかしら"なんて、他人事のような言葉を選ばずに、喜んでくれるんじゃないですか?それとも、その言葉をわざわざ選んだ理由があるんじゃないですか?」
「ごめん・・・」
彼女はかわいい顔をすこし横に向け、目を閉じた。こうなってくると、わたしは焦る、戸惑うに埋もれ、言葉をさらに慎重に、慎重に、選ぶようになっていき、すべらかに話すことができなくなっていく。わたしは、芽依のご機嫌取りで躍起になってしまう。
「花恋さん、」
ちいさなため息をつき、目をとじたまま正面に顔を戻して、彼女は続けた。
「芽依がどうかじゃなくて、花恋さんがどうしたいかなんです。花恋さんがいま一生懸命考えているのって"どうやったら元の笑顔の芽依"に戻ってくれるかってことでしょ?そうじゃないんです。これは芽依が主題なんじゃないんです」
ダーツのスリーポイント、ちいさな的にまっすぐ矢が刺さるように、芽依に確信を突かれ、わたしはうろたえた。20ポイントの3倍、ブルに当てるよりも高得点。60ポイント。わたしは負けを覚悟した。
「わたしは・・・確かに"いいんじゃないかしら"という言葉を使った、これは慎重に言葉を選ばなかった、わたしの落ち度。わたしがどういうふうに芽依に見えているのかを考慮せず使った言葉で、今後期待もがっかりもしないようにと自分を守るための言葉だったの。だから、わたしは・・・芽依と行くなら、どこでも楽しみたい。そのために、わたしは・・・自分が楽しめるように、自分をそこまで持っていく努力をするよ」
おどおどとぎこちなく話したあとすこし沈黙を置いて、芽依は、わかったのなら、それでいいんです。と、溶けてしまっただろう甘ったるい飲み物を飲み切った。
「花恋さんは、極端に考えすぎなんです。いいんですよ、そんなことしなくても」
わたしは膝の上でぎゅっとスカートを握りしめた手を見て、後悔と自責の念にかられた。芽依は、どうしてこんなわたしと一緒にいてくれるのだろう。そしてわたしはその問いを振り切ろうと、目をぎゅっとつむって、ゆるめた。わたしはまた芽依に「なろう」としている。そうじゃなくて、「わたしが」どうしたいかなんだ。後悔も自責も、もうわたしには必要がない。これを手放して、「芽依と一緒にいたい」ことをひたすら考えなきゃ。
「芽依、ありがとう。こういってはなんだけど、わたしはまだうまく伝えられないからストレートにいうんだけど・・・お詫びに、芽依の好きなケーキ、買ってうちで食べない?」
彼女はつかれた顔で、ふんわりとやさしい笑顔を浮かべ、頷いてくれた。わたしはいつもこの笑顔をみると、胸が引き裂かれそうな気持ちになる。どうしてこんな顔ができるんだろう。わたしも、こんなふうに、まだ時間はかかるかもしれないけれど、笑えるようになりたい。
「花恋さんは、不器用ですね」
ひまわりのようににっこりと笑って、彼女は立ち上がって数歩歩き、振り返った。
「んー、
芽依の知性とパワフルさに追いつくまで、追い越すまで、どうか自分が間に合いますように、それに向けてやれることはなんでもしよう、そこで止まらず、できることを挙げていこう、とあれこれ自分の胸に誓いながら、わたしは鞄を肩にかけ、席を立った。
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