第7話

「えー! なになに、謙心兄さんも何かあったの?」

「確かに一心と一緒に帰ってきてたよね。怪我とか無かったから何もなかったと思ったんだけど、何かあったの?」


話すつもりは無かったのだろう、謙心は舌打ちをして、布団を上にあげて口元を隠した。そんな謙心に優磨は優しく笑いかける。


「だって何か謙心兄さん嬉しそうだったから! 何があったの?」

「教えてよー! 僕たちだけしかいないんだからー!」

「一心はいないから、いいんじゃない?」


この自慢大会は、確かに二人には絶対に聞かせたくない内容だ。ずっと行われていた為に、最初は素直に二人の兄を褒める事に抵抗していたが、最近はそれも無くなってスラスラと話せるようになってきた。

ただ謙心は、一心に対してはまだ素直になりきれていない。話すのが嫌なのか、恥ずかしいのか、話すことでもないと思ったのか分からないが、どんな事でも聞きたいのが彼等の本音だ。

しつこく聞いてくる兄弟に、もうこれは無理だ、と諦めがついたのか、謙心はため息をついて、別に助けてくれたとかじゃないけど、わざわざ言い訳をしてから、ぼそりぼそりと今日の出来事を話し出した。














謙心は猫を探していた。

つい数日前に、怪我をしていて道端で倒れているところを見つけ、手当てをし、最近お世話していた、とても人懐こくて白い毛並みが目立つ猫だった。

まだ怪我が完全に治った訳ではないので、いつもの裏路地に行けば大体いたはずなのに、今日見に来たらいなくなっていた。遠くへ行けないはずなのにその近辺探しても何処にもいないのだ。

一体何処へ、と探していた途中だった。


「どうした、謙心」


自分の服の、一心が声を掛けてきた。あの無駄に変な恰好ではない為、彼女との約束ではないのだろう。

何してるの、というのが顔に出ていたのだろう、一心はふっと笑って言った。


「母さんの買い物に頼まれて、さっき終えて、散歩に来てたんだけど。そしたら謙心が何か探し物してるみたいだったから」


春のふわふわニットとやらも着ていないし、隣に彼女も居ないため、普段の変な言動も言葉もない。その方が絶対彼女ちゃんも、もっと好きになるのに、と何回も思うが、絶対に言ってやらない。一人だけ、彼女持ちでムカつくから。

探し物? と首を傾げる一心に、謙心は、一人で探すからいい、と断れば、


「探し物なら二人のが早い。何か焦ってるから急ぎの物でしょ? 何を探してんの?」


焦っている様子は出してなかった筈なのに、何で分かるの、とは口に出さなかった。でも確かに二人の方が早いし、猫の事が心配だ。

謙心は舌打ちをして言った。


「……猫」

「猫?」

「怪我してるから最近世話してたんだけど、今日来たらいなかった。……遠くに行けないはずだけど、見つからなくって」


このまま見つからずに、あの怪我が酷くなったりしたら可哀想だ。せめて怪我が治るまでお世話したかったのに、あの猫は自分の元から逃げてしまったのだろうか、それとも誰かに拾われたのだろうか、それならいいけれど何処かで泣いてたらどうしよう。

下を向いて、悶々と考えていたら、ぽんっ、と頭に手を乗せられた。上を見てみれば、それは兄の顔で。安心して、とでも言うように、次男はにこりと笑った。


「謙心、どんな猫ちゃん?」

「……白」

「大きさは?」

「子供だけど、結構大きい」

「首輪とかついてるか?」

「つけてない」

「何か特徴あるか?」

「……白いけど、足の先が四本とも黒い」

「ん、分かった」


それだけを聞くと、一心は裏路地の奥に入っていき、人目がつかない場所へと行く。それに謙心は着いて行き、なにするの、と聞いた。

すると一心は、壁にもたれ掛かって、息を吐き、左目に隠すように手を当てる。


「あまり遠くに行かないんだったら、片方だけでいいかな……」


そう呟いて、右目を閉じた。

え、何、なにするの、おい、無視すんなよと謙心は言うが、一心はそれに答えない。

そして、ゆっくりと目を開けた先の色を見て、口を閉じた。


深海のように深く光る青色。


話を聞いただけで、見たのは初めてだった。

最近一心に新しい能力が発症された。それが、いまきっと使っているであろう、千里眼。

大輝から聞いていただけで、見たことなかったからどんなものだろうと思っていたが、こんな色になるのか、とはただその目を見ることしか出来なかった。

やがて、何かに集中していた一心が、ふと、呟く。


「……見つけた」


そして閉じて、次に開いたときには、いつもの黒い目に戻っていた。こんなすぐに戻るものなのか、と謙心はじっと見ていたが、一心の見つけたよ謙心! という声にはっ、と我に返って、また更に奥に進んでいく一心の後ろを着いていった。


着いた場所は、先ほどの路地裏から少し進んだ先の、ビルとビルの小さな隙間。その前はごみ置き場となっており、見ることは出来ない。

一心が何の躊躇もなくそのごみを退かすものだから、謙心も一緒にごみを退かす。

そして隙間が見え始めた頃、にゃーん、と小さな声が聞こえた。それは聞き覚えのある声で、謙心は一気にごみを退かす。

そこにいたのは。


「いた!」


隙間に挟まって、出られなくなっていた、あの白い猫だった。どうやって挟まったのだろう、足が地面へと着いてなく、宙に浮いた状態で挟まっていたため、自力では抜け出さなかったみたいだ。

謙心は猫が痛がらないようにそこから抜いて、そして優しく抱き締めた。怪我している部分も何も無くて、ただ挟まっていただけの様だ。

それでも見つかって良かった、このまま見つからなかったら餓死していたのかもしれない。ほっと息を吐いて猫を撫でると、人懐こい猫はにゃーんと謙心に擦り寄った。


「よかったな、謙心」


一心はそう笑って、退かした為に散らばったごみ達を元の場所に戻す。その背中は、まだ兄の姿が残っていて、謙心は呟いた。


「……ありがと」

「ん?」

「……って、猫が言ってる」


照れ臭くてそう言えば、一心は、猫にお礼言われたから今日は良い事あるかもなー、なんて笑っていた。

ムカつく。猫の言うことなんて分かるはずもないから、そう言ったなんて嘘に決まっているのに。普段お礼を言い慣れていないって分かっているから、そう言ったのだろう。分かってる、と言いたげな言葉がムカつく。でも、この時々見せる兄の姿を、謙心は嫌いではないのだ。




その場を綺麗にして、裏路地から出て、ごみ裏に挟まっていた為、大分汚れてしまった猫を一回綺麗にしようと、家に帰宅するために歩いている時だった。


「シャーロット!」


前からそんな声が聞こえた。その声の主は40歳くらいの女性と、小さな女の子で、一松が抱いている猫を見ていた。そこから走って来て、もう一度よく見てみると、やっぱり! と顔を明るくして、言った。


「その子、数日前に家からいなくなってしまって……ずっと探していたんです!」


更に話を聞けば、この猫はシャーロットという名前で、生まれたときからずっと一緒に暮らしてたという。数日前に家を掃除していて、空気の入れ換えの為に窓を開けていたら、そこから出ていってしまったという。我が子もいなくなってしまったのをとても悲しんでいて、戻ってくるか待っていたが、戻ってこないために、今日は迷い猫探しています、というビラを町に貼りに来たらしい。

これがそのビラです、と手提げ袋から出された一枚の紙には、足の先が四本黒く、真っ白で、この猫の特徴をよく捉えている猫の絵が描かれていた。

上には、迷い猫探しています、という文字が書かれている。


「シャーロット・・・!」


小さな女の子は、謙心が抱いている猫に向かって両手を伸ばして、ぴょんぴょんと跳ねている。その女の子を見て、猫……シャーロットもにゃーんと鳴いた。


「シャーロット、探してくださったんですか?」

「あー……というより、この猫、俺の弟が、」

「一心」


俺の弟が怪我してるとこを見付けて、手当てしてお世話してたんです、という言葉は、謙心の言葉に遮られた。

謙心はしゃがみこんで、抱いていたシャーロットを女の子に渡す。その時に、猫が謙心の服に爪を立てたが、それでも謙心は気にせずに渡した。受け取った女の子は、ぎゅっとシャーロットを抱き締めた。


「今度は逃がすなよ?」

「うん! ありがとう、おにーちゃん!」


シャーロット!シャーロット! と喜んでいる女の子にふ、と笑うと、謙心は立ち上がって今度は母親であろう、女性に、


「……この猫、さっきビルの隙間に挟まってたんです。で、誰が手当てしたか分からないですけど、包帯も巻いてあったんで怪我してると思います」

「そうなんですか!? じゃあすぐに病院連れていかないと……!」


ご丁寧にありがとうございます、と深々と頭を下げられて、女の子にもありがとう!とお礼を言われて、謙心はぺこりと頭を下げた。

すぐに病院に行くのだろう、女の子と手を繋ぎ、女性はその場から去っていったのだ。


「……良かったのか、謙心」

「別に。あの猫だって、飼い主のところの方がいいでしょ。俺もそこまで酷くないし。探してくれたお前には悪いけど」


女性と女の子の背中を見ながら、謙心はそう答えた。


別にあの猫と会ったのだって数日前で、少し世話してやっただけだ。それに猫はたくさんいるし、その内の友達一人が離れていっただけで、別に悲しくもなんともない。そうさ、だって、あの猫は毛並みが綺麗で、こんな路地裏で育てるより、綺麗な家でちゃんと育てた方が、綺麗に育つであろう。こんな人に育てられるよりちゃんと……。


「謙心、ちょっと時間あるか?」


無意識に下を向いていたようだ、地面を見ていた目を隣の次男へと向けると、彼はまだあの猫が歩いていった道の先を見ていた。

質問の内容に、謙心は頷くと、一心はよし! と笑って、謙心の手を取って走り出した。


「ちょ、おい、お前なにを、」

「良いから少し時間もらうよ!」


睨み付けても止まらない足に、謙心は文句を言いながら、それに引っ張られながら着いていく。

やがて着いた場所は、人目のつかなさそうな広場だった。敷地内には使われていないビルが建っていて、周りは住宅街だが、今は誰もいない。それに少し茂みや木があるお陰で、住宅街からだとあまり目立たない。

何故こんな所に連れてこられたのか分からずに、若干息を切らした謙心は、もう一度おい、と呼べば、一心は謙心と向かい合わせになるようにこちらを向き、謙心の両手を掴む。

は、なに、この状況。

目をぱちくりとしながら、捕まれた手と一心の顔を交互に見れば、一心はふわりと笑って、謙心の手をぎゅっと握る。


「しっかり捕まっとけよ!」

「は、なに、って、え、ちょっ、まっ……!」


途端に、軽くなる体。ふわりと浮かんだ体に驚いて、謙心は思わず一心の手を握り返した。

そして、一心は地面を思いっきり蹴れば、一気に体は宙へと浮かび、上へとあがっていく。


「ぅわっ、ちょ、おい一心! お前、誰かに見られたら……!」

「大丈夫! 結構上にあがれば、鳥とかだと思うさ!」


なんて適当な。

一心はどんどん上へとあがっていき、やがて人が米粒くらい小さく見えるところで、上へあがるのを止めた。

本当に浮いている、飛んでいる。今まで起こされる為に少し浮かしてもらったりは体験があるが、こんなにも上にあがったのは初めてだった。

ふわりふわりと風が吹くなか、飛ばされずに常にその場にいれるのが変な感覚がして、一心の手を離せずにいる。というより離したら落ちる気がする。それは本当に嫌だ。


「どうだ謙心! すごいでしょ!」

「いやすごいとかの前に……! 絶対落とすなよ!」

「ふっ、可愛い弟を落とす訳ないだろう。落ちる時は共にいこう・・・」

「落ちるなら一人で落ちろバカ!」


これが浮いていなくて、地面だったら蹴りを一発いれているのに、それが出来なくて謙心は舌打ちをする。

というよりも、何故本当にここに来たのかが意味が分からない。意味もなくここへ来たというのなら、これは一発ではなく、五発十発程度殴らなきゃ気が済まない。


「おい、なんでここに……!」

「ああ、あともうちょっとなんだけど……」

「何があとちょっとなんだよ! 一体何が……!」

「あ、ほら、見ろ! 謙心!」


一心は急に叫びだし、謙心の後ろを指差す。

おいばか急に手離すなボケ、と片方の手にすがり付いて、一心があまりにもキラキラと子供のように目を後ろに向けているために、謙心も恐る恐る後ろを向


「……夕陽……」


まるで絵の中にダイブしたかのような夕陽。

茜色、オレンジ、赤、様々な暖色系の色が混ざり合った夕陽に、それに染め上げた雲達が周りへと散っている。

そんな幻想的な夕陽を、こんな間近で見るのは初めてだった。思わず、体の力が抜けて、今まで変な格好で浮いていたのが、一心の様に空に立っているような格好になった。


「……綺麗だ」


それは、無意識に出た言葉で。先ほどまで冷えきった心に一気に暖かい空気が流れてきた。


「謙心」


隣に並んだ一心が、夕陽を見ながら、兄の顔で言った。


「やっぱり良い事が起きた。謙心のお陰!」

「………」


……ああ、この兄の。こういうところが。

この何も考えてなさそうで、考えているところが。

この時々見せる兄の姿が。

この誰よりも他の人の事を考えているところが。

堪らなく好き……いや、嫌いではないのだ。

いつもなら、蹴ったり殴ったり暴言を吐いたりするが、今はそんな気分ではない。

隣で笑っている次男から目を外し、そうだね、と小さく答え、まだ綺麗な姿のままでいる夕陽を見続けるのであった。

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