第3話
「おい、一心。目、どうした? 痛いのか?」
真人が一心の前に座り込んで、心配そうに首を傾げ、小声でそう尋ねる。尋ねられた一心は、ふるふると首を振った。
「いや、大丈夫だ。少しぼやけるがただの乾燥だろ」
ふっ、と笑ってぼやける目を擦っていると、こつんと額に何か当たった。痛い。床に転がった物を見ると、目薬だった。透明感のある緑のケースの目薬。飛んできた方向を見てみれば、読書をしていた大輝がこちらを見ていた。
「乾燥ならそれ貸してあげるよ。まだ買ったばかりだから全然あると思う」
「おお……あざーす。兄弟!だがしかし、弟に助けてもらうぐらい弱くはな・・」
「いらないなら返して」
「あ、いります」
若干涙目になった為、これ目薬さす必要ないんじゃないかと思ったが、折角弟が貸してくれたものだ、勿体無い。優しいじゃん大輝ぃ、うるさい、と二人が会話している間に、緑の目薬を目にさして、目をパチパチと瞬けば、若干ぼやけていたのが治った。やはりただの乾燥だったようだ。
うんうん、と自分で納得していると、どうだ?と真人が聞いてきた。声は普通なのに、表情がとても心配そうだ。その理由が分かる一心は、大丈夫治った、と笑顔で伝えるのだ。
真人と一心には、ある力がある。それは超能力だ。
物を浮かせたり止めたりする念力、この力を見られた時の為の記憶操作。それらが使えるのだ。物心ついた時から使えるようになっており、それは真人と一心のみで、他の兄弟には使えない。
そんな力を、他の兄弟、特に大輝や幸に羨ましがられているが、二人は絶対に持ってほしくはないと思っている。
それは先程真人が心配そうにしていた理由と繋がるのだが、力を使いすぎると何かしらの副作用があるからだ。
目眩や頭痛、手足のしびれや視力低下、酷いときには吐き気や吐血などが起こる。じわりじわりと命が削られている感覚が分かるのだ。
弟達にはその事を言っていないため、羨ましがられるが、絶対に発症してほしくない力だ。
この力は、兄弟の為にしか使わない、と決めてある。そんな馬鹿みたいに力を使って、早死にするなんて持っての他だ。
ここのところずっと平和に何事もなく暮らしていて、力を使っていない為、体に異常が出るはずもない。だから、一心がここ数日、目を擦っているところを見ていた真人は心配になったのだ。
いままで視力低下、という副作用を経験した事がある。明らかに視力が落ちたと分かる、視力低下。数ヵ月したら治ったから良かったものの、やはり弟達に気付かれずに生活するのも大変な訳で。
その副作用が来たのではないかと思ったが、 大丈夫と笑う一心に嘘は感じられなかった。
そっか、と安心した真人は、ごろんと転がり先程読んでいた漫画を読み出した。
「あー、大輝ーやっぱ旅行行かない? お前も読書ばっかしてないでもっと気楽にしようぜー?」
「………」
「ちょっと大輝さん。最近スルースキル高めました?」
「もうとっくに昼間過ぎたっていうのに、こんなにゴロゴロしてるのが異常なんだよ」
「えー、平和でいーじゃーん」
「最近平和ボケしすぎじゃない?」
「……平和が一番だよ」
本当に、平和が一番なのだ。最近何も無いから、そう言えるのが本当に良い事なのだ。
そう、思っていた。
急にガラリ、と襖が開けられて、その奥に見えた幸を見るまでは。
「……幸……?」
襖に手をついて乱れている息を整える優斗の服は、ボロボロだった。確か気に入ってる服で大切に着ていたはずで、お洒落を気にする彼からは有り得ない格好だ。
「おい、幸! なにが、」
「大輝兄さんっ、ま、優磨兄さんが……っ!」
今日は謙心、幸で夕飯の買い物に来ていた。本当は兄達に押し付けようとしたが、最近何も起こらず平和そうに暮らしている兄を見ていたら、何故かたまにはいいかと思えてきて、二人で出掛けたのだ。
その帰りに、図書館帰りの優磨とたまたまばったり会い、三人で並んで歩いていた、ところまではよかったのだ。
それが気付いたら、三人の黒い服を着た男たちに追われていた。
人目がつかなさそうな細道を歩いていたら、後ろから上下真っ黒な服、マスク、サングラスと端かも怪しそうな男たちが現れ、
「みーつけた」
なんて、低い声で言われ、懐からナイフやらスタンガンが取り出されたりしたら、そりゃ逃げるしかない。
これまでに喧嘩を売られてきたのは、そこらへんにいる不良などばかりだったが、いま後ろにいる奴等は違う。
見た感じや、雰囲気で、慣れていると分かる。
「な、なんで僕達追われてるの……っ」
「幸、しゃべると舌噛む」
「だって……! あんな、人達に喧嘩売るほど馬鹿じゃないでしょっ、僕らの兄さん達は……! いや、馬鹿だけどさっ!」
「いやー、これ、普通にやばくない!?」
「当たり前のことを言うな、優磨兄さん!」
幸が文句を言いながら走る中、謙心は考えていた。
本当に追い掛けられている理由が分からない。分からないまま、捕まらないように走っているが、走る方向に仲間と思われる新たな人物が現れて、逃げる度に奥へ奥へと行かされている気がする。
もう今は全く人目のつかなさそうな路地裏で走っているため、もうどうする事も出来ないが。
とりあえず捕まる訳にはいかない。謙心は、上の兄達に連絡しようと、スマホを取り出して曲がり角を折れた瞬間だった。
「ぅぐっ……!」
「謙心兄さんっ!」
目の前に仲間であろう男がいて、謙心の頬を殴り付けた。待ち伏せだ。
持っていたスマホは遠くへと飛び、謙心は地面へと叩き付けられた。口内から血の味がする。絶対切れた。頭ぐらぐらする。
幸が謙心へ駆け付け、自分のスマホを取り出して連絡しようとしたが、
「いっ………!」
男はそれをさせない。
手にしていたパイプの様な棒を、幸の手とスマホに目掛けて振った。吹っ飛ばされたスマホから、ぱきり、なんて何かが割れた音が聞こえたことを気にする先に、男が自分に向かって棒を振り落とそうとしている方に目がついた。
あ、駄目だ。
やがてやってくる痛みに耐えようと目を瞑るが、痛みの変わりにふわりと暖かいものに包まれた。
そして、恐らく自分にやってくるだろうと思っていた棒は、容赦なくそれに当たった。
「優磨兄さん……!」
幸を抱き締めて、代わりに当たったのは優磨。頭に当たったのか、どろりと顔に血が流れている。
それに痛がる様子も無く優磨は、大丈夫? なんて首を傾げている。
「優磨兄さんが大丈夫じゃない……っ、はやく、」
「幸」
早く手当てしなきゃ、と、口にする予定が、それは謙心によって遮られた。うつ伏せの状態で腕の力で上体を起こし、口から垂れている血を拭い、小声で幸に伝える。
「……この先の左に狭い道がある」
「え、なに」
「ちょっと道じゃないとこ通るから、幸からしたら嫌かもしんないけど」
「けんしん、兄さん……まって、」
だってその言い草。それはまるで。
「早く行け。あのクズ二人に伝えれば何とかしてくれるでしょ……」
「いやだよ、兄さん達おいて……!」
「早く、他にめんどいやつが来たらどうすんだ」
「僕も、僕ものこる……っ」
「幸」
じわりと涙が浮かんで、首をふるふると振り続けば、優磨が目の前であのいつもの様な、優しい笑顔でにこりと笑った。
「大丈夫。俺らは大丈夫。だから、行って」
「ま、さと……にー……」
「……早く! 幸!」
優磨にぐいっと引っ張られ、強制的に立ち上がらせられ、どんっと背中を押される。一歩足が進んで、また反対側の足が進んで、止まりそうな足を無理矢理動かした。止まって後ろを振り向いて、幸を行かせようと二人の兄が、追い付いた他の奴等に立ち向かっている所に行って参戦したい気持ちをぐっと押し込めて、走って走って走り続けた。
じわりと視界が歪むのを鼻をすすって、目を擦りながら止めて、二人の兄の無事を祈りながら、我が家できっとごろごろしているであろう兄弟の元へと走り続けたのだ。
謙心の言う通り、入った道はとても道とは呼べないところだった。
むしろ左とは行っても、塀の上だったし、やっと地面に足が着いたと思ったら、木がたくさんあってどちらに向かえば分からないしで、ここどこ、って思えるような道で、服は木や建物に引っ掛かってボロボロになるわで散々な道だった。 まるで猫が通る様な道。だからこそ謙心は知っていたのだろう。
やっと人目につくような道に出たと思ったら、そこはもう我が家のすぐ近くで。あのまま路地裏から逃げていたら、また他の奴等に捕まっていたかもしれない。だから謙心はこの道を通る様にと伝えたのだ。
引っ掛かるのも気にせずに走ってきたから、服も若干破れている。だが、そんな事はどうでもいい。ちゃんと我が家に着いたのだから。ちゃんと伝える事が出来たのだから。
でも。
「ぼくっ、ぼく……二人を置いてきちゃった……っ! どおしよ、謙心にいさん、優磨にいさんがっ、死んじゃったら……ぼくのせいだ……!」
伝える事が出来て、あの二人の姿を思い出した瞬間、涙がぼろぼろと溢れだし、幸はその場に蹲った。
どうしよう、どうしよう、どうしよう。自分のやった事は間違いだったのではないか。置いていかずに、まだ何も怪我1つしていない自分があいつ等の相手をしていれば良かったのではないか。二人は怪我している。謙心は頬だけだが、優磨は自分を庇ったせいで頭に怪我している。血も出ていた。何故怪我をしている二人が残って、何もない自分だけがこうして我が家にいるのだろうか。間違いだった、戻ってきたのは間違いだった。あのヤバい奴等に二人を残してきたのは間違いだったのだ。
どうしよう、どうしよう。二人が死んだら、僕のーーー……。
「間違いじゃない」
頭に、ぽん、と手を乗せられた。
ぐるぐると回っていた悪循環がぽん、と消えて、震えながら顔を上げれば、長男が、安心しろ、とでも言っている様に笑っていた。
「大丈夫、間違いじゃない。こんな服ぼろぼろになりながら、伝えに来てくれたんだな。ありがとな」
間違いじゃない。ありがとう。
それだけで、幸の心は一気に救われた気がした。
「まことにいさん……ッ!」
再び涙が溢れだし、声を出して泣き叫んだ。そんな弟の頭をぐしゃぐしゃと撫でて、ぽんぽんと叩き、そのまま立ち上がる。
「大輝、幸の事頼んだ」
「……分かった」
大輝は、泣いている幸に駆け寄り、背中を擦って、長男を見上げた。
そこには、先程の幸に向けた笑顔なんて一ミリも残ってはいなかった。無表情で、冷徹。何を考えているかは分からなかったが、キレているのは確実だった。
真人は考えていた。
場所なんて、分かるはずもない。幸に聞いても、無我夢中で知らない場所を走ってきたのだから覚えているはずもない。
奴等がどんな者なのか知らないが、弟達に手を出したのだ。そんなの自分達に喧嘩売っているのと同じこと。
空から片っ端に探してやる。
「一心、いくぞ……、……一心?」
同じ力を持つ一心に声をかけるが、返事がない。振り向いて、今まで話を聞いていたであろう一心を見て、目を見開いた。
右目を手で覆い、苦しそうに机に突っ伏しているではないか。
「一心!」
副作用。
その言葉が頭に浮かび、一心の傍へ駆け付けて肩に手を置いて、驚愕した。体が燃えるように熱いのだ。
発熱という副作用であろうか。だが、こんなに高い発熱を見たこともない。最近力を使っていなかったから、副作用が出るはずない、なんて考えが浅さかだったのだ。この体はいつ壊れるのか分からないのだ、そう覚悟したつもりだったのに。
とにかくこんな状態の一心を連れていくわけにはいかない。今回は自分だけで行こう。
「一心、お前はここで待ってろ。今回は俺が、」
「……け、た」
「え?」
聞き取れなかった言葉を、もう一度聞き直す。
そうすれば、震える声で、ぼそりと、確かに一心はこう言ったのだ。
「見つけた」
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