第7話 任せて……いいのか?
大黒屋書店の入り口は吹き抜けの空間になっていて、時々イベントが開かれる。イベントがない時には、ベンチが置かれ休憩スペースとなっている。あたりを見回してみたが、彼女は来ていないようだ。そりゃ待ち合わせの三十分前なんだから当たり前か。あれ?でも彼女ってどんな顔してたっけ?全然思い出せない。というより、誰の顔も思い出せない。声なら思い出せるし、顔だって会えば(名前が思い出せないことがあるにせよ)、ああそういう顔のこういう趣味の人いたなと思い出せるのだからいいか。一応名前は思い出さないと。ええと、海に住む少女の話をして、それから日本文学純文学の話をして、あ、国産ミステリーの話もしたな。で、名前が、名前が、確かなんちゃら川さんで、あがわ、かがわ、さがわ、田川さんはウルトラクイズの人で、そうだ中川さんか!中川葉子さんだった。よかった。思い出せて。僕はほっと一息ついてベンチのはじに座った。こんな風に早く行動するのが僕の習慣である以上、よく人を待つということになるのだが、待つのは嫌いだ。というよりも我慢することが嫌いだ。自分でも直さなければならないことだと、重々承知しているつもりなのだが、どうしても誰かとしゃべっていなければならない、というように感じる。確かに、人としゃべるのが苦手というのはそうであるのだが、人としゃべっていたいのだ。これが、僕が嫌われる理由であることもわかっている。それでも……あっ、また興奮してきてしまった。落ち着かなければ。深呼吸してみる。なんとか落ち着けた。スマホの画面を見ると九時五十五分と表示されていた。まだ、五分あるのか。そう思ってベンチから見える店内の本のディスプレイをぼんやり眺めた。なんでこうも有名作家の作品ばかりをプッシュするのだろう。そんなのなんもしなくても勝手に売れるのに。本当にいい本を見つけたいのに。
そんなことを考えていると、誰かが近づいてくる。手を振ってきた。あ、中川さんか。それにしても、彼女もいつも以上におしゃれで可愛い。いや、別に外見はどうでもいいけど、やっぱりかわいいと感動する。こちらも手を挙げる。
「おはよう。早いね。待った?」
こういうときはあれでしょ。早く来たとか、かっこつけようと思って、僕、三十分前行動するようにしてるんだよねとか言っちゃだめなんでしょ。それぐらいのこと、テレビでよく観ているから、僕でもわかる。
「いや、僕もついさっき着いたとこだよ」
「そう。ならよかった。じゃあ入ろうか」
やっぱりこれが正解なんだ。というわけで、店の中に入る。
大黒屋書店は札幌の中でも大きい、特に専門書が多い。だから、ここなら一日中いたとしても飽きることはないと思っている。妹の七海には、書店に一日ってバカじゃないの、と笑われたが、全部の本の背表紙を見るだけでも一日かかるだろうと思っている。
「佐々木くんは、流行りの本はよく読むの?」
あ、そうだった。今日は中川さんと来ているんだった。黙って本を見ていちゃ意味がない。
「そうだなー。あまり本読む時間取らないから。それに時間もかかるからあんまりいろいろな本読めないんだけど、まー人気作家の映像化される原作小説とかは気になって読むかな。それが面白かったらその続編を読んでみたり、同じ作家さんの他の小説を読んでみたり。文学賞を取ったかどうかはあまり気にしないかな。あと、両親がミステリー好きだから、現代ミステリーはたくさん家にあって、それを読んだり、妹が恋愛小説に感動して、読んだ方がいいとか言ってきて、それを読んだり。あとは、サブカルチャー系の雑誌も読むな。クイズの雑誌があって、歴史と現在の動向の両方が載っていたり。あと、いろいろな人が本を紹介している雑誌とか、中学生のときは月刊の文芸誌を読んだりしてたけど、最近毎月読めなくて、最近読んでなくて溜まっちゃっているけど。あとは、高校生の頃に勉強のために新書をたくさん読んでいた流れで、新書もぼちぼち読むな。……あっ、中川さんは何を読むの?」
しまった、自分のことを長々と。彼女の顔を見てあまり気にしていないようだったから安心した。
「私は、文学そのものが好きだから、文学を題材にした小説とか文学についての研究とか解説とかはどんどん読むよ。あと、中世、近世、近代の古典の新訳とか読みやすいから、前話した『海に住む少女』が出ているあのレーベルとかは、いろいろ乱読しているかな。あと、枕草子とか源氏物語の日本の古典は全集集めてたり。あのね、こっち来て」
そう言って彼女は僕の手を引っ張って走り出す。そんな急に手を握られたら男でもドキッとすることぐらい、定型発達なら絶対知っているでしょ、知らないわけないでしょとか思ったけど、そんなことを言う暇もなく天井まで届いている本棚の前で止まった。
「これみて!すごくない?全部同じ雑誌のバックナンバーなんだよ。しかもラップとか短歌とかアニメとかいろいろな分野の評論特集しているんだよ!ほら、表紙もきれいだし」
興奮しているのがよくわかる。確かに北野武や岡本太郎、ヘミングウェイに並んで男の娘、赤塚不二夫といろいろな分野の文化の特集がされている。これは面白そうだ。日本語ラップの特集を手に取りかごに入れた。
「これはすごいねー。日本語ラップとかアニメ監督とか流行りを敏感に取り入れているみたいだし。一冊買っていく」
「今度感想聞かせてね。……あと、漫画見てみない?」
なんだこのグイグイリードされている感じ。こういうのは嫌いだと思っていたはずなのに、全部自分のペースで自分の考えで決めたい人なのに。肩の力が抜けてきた。その代わりこれまでの緊張が疲労に変わり、急に足に疲労感が溜まっている気がしてきた。よく、足に疲労感が溜まったと誰かに言うと、足がだるいのかと聞かれるのだが、だるいわけではないと自分では思う。何というか、言葉にできない何かが発散されている感じがする。まあ、こんなことを言ったところで誰にも理解されないのだろうが。自分でも積極的にならなければ。
「ちょっと二階に行ってみない?」
そんなことを考えている間にも、彼女がどんどん話をしてくれる。うれしいことなのだが……もどかしい。
「二階って専門書とかあるところか。うん、行ってみよう」
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