12 非風
あの男が殺した相手が嘗てあたしをイジメた者たちだったと知ったときには衝撃が走る。けれども、その衝撃はあたし一人のもの。あたしがあの男に攫われていた期間に心変わりでもしたのか、家に戻って以来あたしに優しい両親はあたしが受けたイジメを知らない。
イジメの当事者主犯格はすでにこの世の者ではない。あたしの名前は裁判以外では伏字またはイニシャルだから小学校または中学校当時のイジメに加担したクラスメイトにあたしと被害者の関係はわからない。それでも一部は気づいただろうが、目立つ書き込みはネットにない。いずれ詮索好きな記者が現れ、ほとぼりが冷めた頃、面白おかしく記事にするかもしれない。あの男に殺された被害者とあたしが同じ学校に通った過去は消せないから。世の中に偶然は多いが、二重三重と重なる偶然を信じるものはいないと思う。
最初にあたしのベッドに訪れた家族や親戚(及び捜査または取材関係者)以外の人物は小学校時代の友だちだ。レベルは高いが普通の大学生で野草好きな……。
「京子ちゃん」
名を呼ばれ、知らない声だなと思いつつ振り向けば、やはり知らない顔。
「そうか、覚えてないんだ」
けれども残念そうに呟いたときの彼女の仕草が記憶にある。しゅんとして長い髪を探る動き。
「もしかしてマオちゃん」
あたしが言うと大島真央が目を輝かせる。
「良かった。覚えていてくれたんだ」
そこまでの会話は母親と看護婦も聞いている。そもそも母親が許可しなければ大島真央は、あたしのいる病室に入ることができない。
「大変だったわね」
「まあね」
それからポツリポツリと話が転がる。やがてマオちゃんが野草好きとわかり、ルリソウについて尋ねてみる。由来は言わない。マオちゃん一人になら言っても良いが、母親の前では言いたくない。いくら母親があの男を裁く法廷で、その事実を知っていたにしても……。
「ルリソウって……」
あたしの問いが唐突だったのでマオちゃんが普通に面喰らう。それでも自分の知っているすべての知識を丁寧に説明してくれる。ほとんどの内容はあたしが家/ベッドの上で調べたことと同じ。それでも昔の友だちから聞けば感慨がある。マオちゃんが素敵なのは、決して詮索しないこと。どうして……、とあたしに理由を問わない。あたしが家に戻った最初の頃、両親でさえ、どうして、や、何故、を繰り返したというのに……。
マオちゃんから得たあたしが知らないルリソウの知識はルリソウが属すムラサキ科の花にワスレナグサ属があるということ。それにムラサキが日本固有種ということ。それがどうという話ではないが、あたしの記憶に鮮明に留まる。
次にあたしのベッドを訪れた人物は、あたしには意外な人。あたしには一目であの男の姉だと見当がつくが、その場にいた母親と看護婦は気づかない。そもそも、あの男を裁く法廷に姿を見せていない。法廷にいたのは見るからに善良そうな、あの男の両親だけ。
「母には何と説明したのですか」
あたしが手招きし、女を近づけ、小声で問う。
「単に学校の知り合いで心配して尋ねた、と」
あたしを見つめ、女がゆっくりと口を動かす。
「少し、話せないかな」
「いいですよ。別にあたし、病人とかじゃないし、そのことを証明するために入院しているだけですし……」
あたしが女に言い、ついで母に、
「息抜きしてくるから」
と声をかけ、女と共に病室を出て屋上に向かう。母はあたしに首肯き、疲れた顔を見せただけ。
「お姉さんですね。鴻上さんの……」
空いているベンチがないので歩きながら、あたしが女に問う。
「はい。あなたにはわかると思ったわ」
「お姉さんも犯罪者なの……」
「わたしと弟の両親は犯罪者でした」
「……でした、ってことは、もういない」
「さあ。わたしたちは両親の顔を知らないから……」
「複雑なご事情なんですね。でも、育てのご両親は可哀想……」
「それなんです」
「えっ」
「弟にも、それにわたしにも『可哀想』という感情がわからないの」
「だけど、お姉さん、普通の人に見えるけど」
「ならば弟だって、少し変わっていただけで……」
「でも、あたしに出会って毀れた」
「……」
「いいんですよ。別に怒りません。鴻上さんのことは愛してはいないけど憎んでもいません。正直言えば、少し感謝しています。あたしを一つの苦しみから解放してくれた人ですから。鴻上さん、あたしになんか、出会わなければ良かったんですよ。……お姉さん、恋人はいますか」
「それが、これから別れるつもり」
「自分が怖いから」
「残念ながら違う。彼が浮気したから」
「ならば殺せばいい」
「そうね」
「あたしも手伝いましょうか」
「他人を巻き込みたくないわ」
「もう他人じゃないですよ」
「いいえ、まだ他人」
「お姉さん、笑うと綺麗……」
「京子さんも笑うと綺麗よ」
「鴻上さん、弟さんのことは……」
「事情があって知ったのが三日前。情報が入りにくい海外勤務なのは言訳にならないけど」
「次の裁判には……」
「マスコミに話題を提供しても仕方がないでしょう」
「そうね」
「京子さんは、まだまだ大変が続くわね」
「あのね、教えてあげる。あたしのもう一つの名前は瑠璃って言うのよ。お姉さん、絶対、心当たりがあるでしょ」(了)
【参考】
奨学金マニア「日本学生支援機構の奨学金を返済免除する3つの方法」
http://shougakukin.com/hensaimenzyo/
非対関係 り(PN) @ritsune_hayasuki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます