7 非斜

 わたしが娘を公園に誘ったのは娘の精神疲労が気になったから。自分で娘に精神疲労を仕掛けておき、気になったもないが、事実は事実。わたしが娘を公園に誘ったもう一つの理由は娘の運動不足。娘に必要以上に体力が付けば、わたしから逃げるだろうという危惧はある。けれども体力が付いただけでは逃げだせないだろうとも知っている。精神が健康にならなくては無理だろうと……。

 初めて娘の裸体を見たとき、わたしは驚く。が、それ以上に驚いたのは娘が自分の受けたイジメについてわたしに語り始めたことだ。おそらく娘はそれまで誰にもイジメのことを打ち明けていない。娘は、イジメを受けるくらいだから友だちがいない。両親との不和は決定的ではなさそうだが、あれこれと干渉が絶えない彼と彼女に娘が相談しようと思うわけがない。学校の教師も同じ。娘のイジメを看過できず、または知っても知らぬ振りをする。当然娘に信用されず、相談されない。

 偶然娘を見初めて以来、わたしは半年以上娘の行動を探っている。けれども、わたしは娘がイジメにあっていた事実に気づけない。わたし自身にイジメられた経験がなかったので気づけなかったのか。それとも、わたしの想像を上まわるほど娘が語るイジメが陰湿だったか。わたしが目の当たりにした娘の不健康そうな青白い肌に浮き出た蚯蚓腫れ。

 痛々しい。

 目を覆いたい。

 見たくはない。

 ついで、わたしを襲った激しい憤怒。自分が愛した清く美しいものを台無しにされた想い。そうとでも表現すれば良いか。あのときのわたしの心を表す適切な言葉が、わたしには未だに見つけられない。果たして娘は、わたしの心の動揺に気づいたかどうか。わたしがすぐに自身の憤怒を飲み込んだこともあるが、娘がおそらく自分で思っている以上に狂気の淵に存在したから。

 わたしは医者ではないが、自分が精神病患者だと偽り、医者に薬を処方させる。夫婦でクリニックを経営する中国人の医者はわたしの嘘を見抜いたかもしれない。けれども気にせず、わたしに精神病薬を処方する。薬によっては、ある程度の通院期間が必要だ。だから、わたしは律儀にクリニックに通院する。休日に開いている精神クリニックが家の近くにあったのが幸い。人口が密集する都市の特権だろう。

 当時わたしがアパートを借りていたのは都心のターミナル駅に近いS町。娘を監禁したアパートも、その近く。S町は場所的には都会だが、ケーキ屋が店のドアに『すぐに戻ります』と張り紙をし、出かけられるような下町気質。S町に住む年寄りが死に絶えれば気質も変わるが、少なくともまだ数年はそのままだろう。

 ……というわけでS町に木造モルタル建の旧いアパートが数件残る。これから新しくS町に越そうという人々はお洒落なアパートを探すから木造モルタル建を見向きもしない。旧くて安い住宅物件に好んで集まるのは貧乏学生だが、当時の学生は違ったようだ。必要以上に親の力に頼るのか、あるいは親が甘いのか、分不相応なワンルームマンションに好んで暮らす。あるいは本物の貧乏学生は独自の嗅覚でさらに安い町の部屋を知るのかもしれない。

 ……という事情でわたしが借りたアパートの他の部屋で暮らしていたのは昔からそのアパートにいた住人たち。全員年寄りだから詮索好きだろうが、家族がいないのか、話し相手がいないのか、わたしの部屋の秘密が長く守られる。今どき珍しい中庭付きのアパートというのも、わたしの幸いの一つかもしれない。塀越しに庭を通し、外から中を覗けないという意味で……。

 娘を見初めたという理由があるにせよ、成人前の若い女を拉致監禁しようというのだから、バレれば大事に至るだろう。法律違反は当然として、それ以上に社会的制裁を受けるのだ。もちろん、わたしには覚悟がある。たとえ短い期間だろうが、娘と充実した時を過ごせるならば、その引き換えに制裁を受け入れよう、と。けれども同時に、その期間が一週間や一月では報われないとも感じている。元々わたしには愛(怖れもだが)の感情などなかったはずなのに……。

 結果的に娘が自分の意思でアパートから逃げ出さなければ、木造モルタル建アパートが解体されるその日まで、わたしは娘と共に暮らせたかもしれない。今更後悔はないが、わたしは娘に精神の健康を取り戻させてしまったようだ。仮にそうでなければ、娘が己の誘拐者と一つ屋根の下で暮らすという異常事態に気づけたかどうか。気づけなければ娘はいつまでもわたしと一緒に暮らしただろう。時に反発はしたものの娘とわたしのセックスの相性が良かったから。あるとき娘は自分でも信じられないような表情を浮かべ、完全に逝き、気を失い、ぐったりとする。あれが娘にとって百パーセントの性体験だったのだろう。もしかしたら娘は自分でそれが怖くなり、わたしから逃げ出そうとしたのかもしれない。もしかしたら、ただそれだけが、娘がわたしと暮らすアパートから逃げ出した要因かもしれない。

 けれども、今のわたしに当時の娘の心情を知る術はない。そもそも娘(他人)の心情など、わたしには推し量れない。『可哀想』がわからないわたしなのだ。当然のこと。

 三年以上の長きに渡り、わたしの相手をしてくれた娘に、わたしは感謝の気持ちを捧げねばならない。例え、その気持ちが理解できなくとも……。

 小説を読み、心理学も勉強したから、どのような行為が感謝であるか、わたしは十分に理解している。ただしわたしの場合、それに実感が伴わないのだ。心が動かない。ありがとうの気持ちがわからない。そんな自分だから、わたしは娘を見初めたとき、当然自分の感情に気づけない。それが愛だとわからない。わたしにも生理的欲求があるから商売女を抱くことがある。何故か知らないが、わたしに抱かれたがる女も抱く。けれども、それら女とした行為自体に快感はあれ、女自体に興味を惹かれたことが一度もない。セックスという動物的な行為を通してさえそうなのだから、わたしが娘を初めて見、それまで自分が覚えたことがない心の動きを経験してもわかるはずがない。

 異常な気の昂ぶり。

 例えば、そんなふうに感じただけ。よもやそれが世間で言う恋だとわかるはずがない。

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