5 非縦
わたしが国立大学に受かると両親が喜ぶ。学費が私学よりマシという意味ではなく純粋に……。彼と彼女はそういった人たちだ。わたしには未だに信じられないが、そういった人種は存在する。もっとも、わたしは両親から一時的に借りた入学金及び学費を全額返済している。最初は奨学金からまわした金なのでサラ金連鎖のようだが、大学院に進み、そこで実績優秀が認められ、返済免除となり、その枷を外れる。
運も良かったのだろう。わたしが大学で選んだ教授は――わたしが指摘するのもなんだが――頭の可笑しな男で面倒が嫌いな天才。わたしには彼の百分の一の頭脳もないが、何故か気に入られ、学会発表を任される。論文では、実際に実験をしているのがわたしだから共同研究者。特許出願でも同様。アイデアではなく実証部分を担当。それらすべてが幸運だ。
逆に言えば、教授と折り合いが付けられる相手がわたししかいなかったということ。教授は身嗜みに気を遣わないので髪はボサボサだが、風呂好きなので汚くはない。だから、わたしに嫌悪感を抱かせない。服はボロでセンスも悪いが、洗濯はマメにするので臭いはしない。だから誰にも教授を避ける理由がない。けれども一部の女子学生や男子学生に避けられる。わたしには極めて不可解。それで自主的に調べてみると教授に業績がなければ大学側の多くの者たちも出て行ってもらいたいと願っているようだ。白亜の城の人間世界は変化を嫌う。旧態依然が変わらない。少なくとも、わたしが大学に在籍した時期までは……。
奨学金を返済免除にする方法は三つある。一つは『死亡又は精神若しくは身体の障害』だから除外。世間に良く知られているのは二番目の方法『返還特別免除(全額)』で、これは大学院で奨学金を借りた学生が教育又は研究職に就いた場合に適用される。大学院を卒業後、小/中/高校/高等専門学校/大学助手以上の職や常勤講師に就いた場合だ。他に少年院で勉強を教える職や文部科学大臣指定の試験所等で教育又は研究を行う職があるが、わたしの知る限り、それらの職に就いた者はいない。より具体的には大学院に二年以上在学し、修了後二年以内に免除職に就職、さらに通算十五年在職すると返還特別免除が受けられる。けれども、わたしは子供が嫌いなので上記は選択外だ。最後の方法が『特に優れた学業による返済免除(全額/半額)』。一般企業に就職した場合でも適応可。言葉通り、奨学生が学内や学外で優れた実績を残せば奨学金が返済免除される。そのためにはまず大学院を卒業する年末/年度末に募集される返済免除に申請し、推薦文を自作する。最後は教授に推薦者を恃むわけだが、わたしの場合、結局名前を借りただけですべての作業を自分で行う。奨学金返済免除の審査基準は各大学それぞれだが、免除申請者の順位付リストが必ず作成される。各大学から提出されたそれが該機関で審査され、上位の者が選ばれる。選出されれば大学院を修了した年の六月に正式免除書類が手許に届く。わたしの場合、学内での成績優秀は当然として、学外での活動が選考ポイントに寄与したようだ。関連学会での発表や表彰はわたしが教授に代わり、海外ジャーナルの論文にも共同研究者として名前が載る。さらに出願した特許が査定されもしたので全額免除に至ったのだろう。また、わたしが普段から自分記録を作っていたことも幸いする。つまり活動の証。自分の名前が載っている証明資料が奨学金免除審査に必須なのだ。論文や特許の類は後からでも集め易いが、学会発表は原則予稿集が載った冊子しか発行されない。だから厳密に言えば当日発表の証拠にならない。実際にはそこまで厳しくないだろうが、わたしは発表当日の写真を記録として残している。若手の会に参加し、講演をしたときも同様だ。若手の会では冊子が印刷されないこともあり、特に証拠が得難いかもしれない。後に研究系企業に就職して知るが、国や都道府県の補助金/助成金も手続きが同様。基本的に自己申告。
ところで、わたしが大学に残らず一般企業に就職したのは白亜の城が自分に向いていないと思ったから。一般企業でもそれは同じだろうが、大学という場所は異質空間過ぎる。また、わたしは勉強こそできたが発想力に欠ける。そのことを自分で知っている。本に書かれた通りに発想することはできるが、その程度。
わたしが就職したい旨を教授に告げると、
「ああ、そうかい」
と教授が返事。少しは惜しんでくれるかと思ったが(つまりわたしが教授の実質上の手足だったから)、微塵の気配もない。けれども、それに続け、
「ぼくのところにいれば、きみは刑務所に行かないのに」
わたしを驚かせることを言う。
「どういう意味ですか」
空かさず問うと、
「きみは往来犯罪者だろ」
と返す。
「往来犯罪者ですか」
「その何て言ったっけ」
「チェーザレ・ロンブローゾ……」
「ああ、それだ」
「ロンブローゾの『犯罪人論』は今では疑似科学ですよ」
「では別か。ああ、あれだ、あれ……、サなんとか」
「サイコパスですか」
「そう、それ」
「わたしがですか」
「そうだよ」
「どうして教授は、そう思われるのですか」
「そんなの一目見れば、ぼくにはわかるよ。もっとも、きみ自身の方が更に良くわかっていると思うがね」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます