4 非左
「聞いてもいい」
あたしが問う。
「何を聞きたいの」
あの男が答える。
「ここはどこ」
「家だよ」
「ううん、違うの」
「部屋だよ」
「だから、そうじゃなくて」
「瑠璃さんの部屋だよ」
「あたしの部屋じゃないわ」
「じゃあ、誰の部屋なんだい」
「あなたの部屋でしょう」
「あなたじゃ、わからないな。あなたって誰のこと」
「森さんの」
「森さん、それから……」
「森一男さん」
「漢字は……」
「木が三本の森に、一つに、男……」
「良くできました」
「ねえ」
「では、瑠璃さんのフルネームは……」
「それはあなたが……森一男さんがつけた名前は鴻上瑠璃だけど」
「それがあなたの本名なんだよ」
「あたしの本名は池田京子よ」
「それは、もういない人の名前だよ」
「いないって何よ、ここにいるじゃないの」
「ここにいるのは鴻上瑠璃さんだよ。他の人じゃない」
「嘘つき」
「嘘じゃないさ」
「どうしても、そうしたいのね」
「そうしたいも何も、それが事実だから」
「ねえ、外が見たい」
「あなたの記憶が戻ったらね」
「あたしの記憶は正常よ」
「……とあなたが勘違いをしているだけ」
「お母さんとお父さんが心配してる」
「していないよ」
「どうして、あなたに……森さんにそんなことがわかるのよ」
「心配していれば、ここに現れるはずだからさ。どんな手段を使ってもね」
「今は探している最中なのよ」
「ねえ瑠璃さん、あなたには人がひとり、そんなに簡単にいなくなれると思う。これまで瑠璃さんの知り合いでいなくなった人がいたわけ」
「ううん。それは、いないけど……」
「……でしょう」
「でも」
「そんなことができるのは、すべてのお金をまだ失っていない破産したお金持ちくらいだと思うけどな」
「そうなのかな」
「ぼくの言うことが信じられないのかな」
「わかんない。あたしにはもう何にもわかんない」
「ならば信じればいいんだ。ぼくのことは嫌いじゃないだろう」
「それは今では……、でも、あたしが聞きたいのはそんなことじゃ」
「では何……」
「ねえ、あたしって誰……」
「あなたは鴻上瑠璃さんだよ」
「嘘。いったい誰、その鴻上瑠璃って……」
「わからない人だね。それがあなたなんだよ」
「嘘……」
「嘘じゃない。それが本当のことなんだよ。あなたが疲れて少し可笑しくなっているだけなんだ」
「あたしは可笑しくなんかないわよ」
「そうやって剥きになるところが、すでに可笑しいんだよ」
「剥きになんかなってないわ」
「ならば声を潜めようか。もう夜だし」
「そんなの、あたしにはわからないわ。ねえ、外に出して」
「いずれね。あなたの病気が治ったら」
「あたしは病気なんかじゃないわ」
「精神が病んでいる人はみな、そう言うんだ」
「あたしは精神の病気なの」
「大丈夫。軽いし、すぐに治るから」
「誰が治してくれるの」
「今のところは、ぼくだな。いずれ他の人の助けも必要になると思けど……」
「そうなの」
「そうだよ」
「本当にそうなの」
「本当にそうだよ」
「本当の本当にそうなの」
「本当の本当にそうだよ」
「わかった。じゃあ、寝る」
「それなら歯を磨きに行こう」
「……」
「ん、どうしたの」
「えっとさ、森さん今日は、その、アレを……しないで……いい……の」
「あなたの精神が不安定なときにそんなことはできないよ」
「だから、そうじゃなくて」
「瑠璃さん、言いたいことがあるならはっきりと言いなさい」
「だから……あの、ありません」
「本当に……」
「……」
「ええと、もしかして瑠璃さん、したいのかな。アレを……」
「だから……その、違います。でも、その、違いません」
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