3 非右

 中学校までは、わたしにも友だちがいる。実を言えば高校や大学にもいたが、いずれ社会人となり、彼らが真の意味で自分の友だちではなかったと悟る。単に行動を共にすることが多かったというだけ。それを己の友だちと勘違いしていたのだ。

 それに対し、中学までの友だちは本当の友だちと言える。中には、どうしてこの男/女はわたしと付き合っているのだろうと首を傾げたくなる相手もいるが、それでも会えば懐かしい。共通の子供時代を持っているからか。それこそが取り換えが利かない点だ。

 昔も今もわたしはイジメられっ子ではない。イジメられっ子が『可哀想』なのは子供時代の取り換えが利かないから、と良く言われる。イジメられた経験が変えられない不幸とでも表現すれば良いか。そう説明されれば、わたしでも、

「なるほど、そういうことを可哀想というのか」

 と理解できる。幸か不幸か、感情の方はまるで伴わないにしろ……。

 今から思えば、わたしの家は世間では貧乏。けれども当時、わたしはそう感じていない。さすがにその日に食べるご飯に困るような家だったら子供だろうと気づいたはずだが、そこまで酷くない。

 わたしには三歳年上の姉がおり、当時わたしが来ていた服はすべて姉のお下がりだ。わたしは子供時代に姉のスカート姿を見たことがない。貧乏な両親の知恵で姉にスカートではなくズボンを履かせたのだと今ではわかるが、当時わたしは姉がスカート姿を見せないことを不思議がる。わたしと違い穏やかな性格の姉が、少なくともわたしのいる場所で両親に文句を言わなかったから、姉が好きでスカートを履かないのだろうと思うようになる。姉に直接スカートのことを聞いたとき、

「お姉ちゃんは、これでいいのよ」

 と答えられたことも、わたしがその思いを強めた一因だろう。実際わたしの姉はスポーツ好きで、いつでも活発に身体を動かす。男子に混じって負けないほどに……。そのことも、わたしが思いを強めた要因のはず。穏やかな性格の姉だが、スポーツをやるときにはそれが変わる。端的に言えば攻撃的になるのだ。無論、無用な暴力は振るわない。けれどもサッカーをやれば打つかった相手を押し撥ねる。時には地面に押し倒す。バスケットをするときも同様で果敢に相手と接触し、隙があれば突破する。バレーボールのような相手チームと互いのコートを仕切られたゲームでもディフェンスやアタックに容赦がない。必要ならばネット上に伸び飛んだ相手選手の顔面を叩(はた)き、あるいは相手コート内の選手自身をボールの落下点とする。

 勝ち負けのあるスポーツだから相手の弱点(下手な選手)を狙い撃ちにするのは理の当然。けれども中には、それがわからない人間もいる。そういう人々の多くは、

「正々堂々と自分より実力のある選手と戦うのだ」

 と世迷言を並べる。横綱相撲のような例外はあるにせよ、勝ち負けがあるどんなスポーツも究極的には卑怯の塊だと知らないのだ(永く場所を張り、記録を残す常勝力士は例外のまた例外だろうか)。

 そんな姉が世間的に嫌われないのはスポーツが終われば忽ち穏やかな性格に戻り、叩いたり、ボールを打つけた相手に屈託なく謝るから。わたしと姉の違いはそこだ。わたしも姉に倣い過去に相手に謝った経験がある。が、そのとき自分が感じた不快感が尋常でなく、それ以来謝らないことに心に決める。わたしと姉の性格がもし似ているなら、姉の心にも不快感が生じるはずだが、その点については姉がわたしに何も明かさないのでわからない。もし姉が不快感を覚えつつ毎回それに耐えているなら驚きだ。わたしは素直に感心してしまう。自分には到底真似ができないことだから。

 性格については不明だが、わたしと姉は容姿が似ている。二人とも両親には似ていない。わたしは自分と姉が姉弟なのは間違いないと思うが、両親が違うのではなかろうかと疑っている。わたしの両親は怒らない人。それでも教育上、必要時には怒るが……。けれども怒ること/自分が腹を立てることが心底好きではない。無論わたしも自分の感情が不快になるような怒りは好きではない。けれども義憤に駆られる類の精神が高揚する怒りは嫌いではない。が、両親はそれさえ好きではないのだ、とわたしには思える。それで、わたしと姉の本当の親ではないと感じてしまう。

 わたしたちの親子関係に秘密があろうがなかろうが、両親が明かさないから、わたしに真実はわからない。もっとも両親が実であろうと違(たが)おうと、わたしにはまるでどうでも良い。物心ついたときから、わたしには両親に対する愛がない。自分を養育してくれる奇特な他人としか思えない。大学に入学し家を出るまでわたしを育て続けた両親だから、わたしの胸中は二親のどちらも察したはず。……にもかかわらず憎しみもせず、わたしの面倒見を放棄しなかったことにわたしは理性的に驚いてしまう。何故その驚きが理性的かと言えば、わたしの心が少しも動かないから。わたしは自分の姉以外の誰にもまったく心を動かされずに青年期を過ごす。もしも、あの少女が現れなければ、おそらくそれが今でも続いていただろう。

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