第88話 やくそく
「博士、これはどういうことでしょう?」
「わからないのです、我々がまともに読めるのは最後のここだけ…」
“にっきはこれでおわり” “なまえをらっきーに” “さよなら”
シロのいないジャパリ図書館、博士と助手の二人は手掛かりを探すため地下に降り、シロの日記を発見した。
しかし、まだ識字が十分ではない二人にとって読めるところは限られている。
「これでさえ文字が汚くてやっと読めたとこなのです」
「考えられる仮説として、書くという行為そのものが難しくなった… ということでしょうか?」
「これより前のページはまだ綺麗にかかれているので恐らくそうでしょう、尤も我々には綺麗に書かれたところで難しい文字が多くて読めないものは読めないのです」
そう、読めたのは最後のページだけ。
今図書館で全てを読めるの只一人。
「かばんに読んでもらいますか?」
「今は… そっとしておくのです…」
…
昨日のことです。
彼が姿を消しました。
探しました、すごくすごく探しました。
あんな体ではそう遠くまで行けるはずがない、きっと気晴らしに散歩にでも出掛けたんだろう。
そう思って… いやそう願って僕はしんりんちほー中を走り回りました。
でも彼は見付かりませんでした。
なんで…? どうして…?
約束したじゃないですか?
置いていかないでって言ったじゃないですか?
シロさんも言いました、僕がいればどんなに辛くても頑張れるって。
あれは嘘だったんですか?僕のこと、嫌いになっちゃったんですか?
「シロさん… 会いたいよ…」
あれから夜が明けたのに、涙が溢れて止まらない。
誰かがいなくなってこんなに辛くて苦しくなるのは、一番最初はサーバルちゃんが黒セルリアンに食べられた時でした。
二回目はシロさんの告白を受けたロッジ。
三回目は今…。
内二回は彼のことだけど、それぞれ違った辛さがあります。
でもどれも共通して言えることは、相手が大切なほどその辛さは重くのしかかるということ。
毎晩隣で髪を撫でてくれた彼はいない。
ベッドが広い、一人の夜は寒くて寂しい。
枕には彼の匂いが残っていて、顔を埋めると朝起きた時に隣で見る彼の寝顔を思い出す。
そんな彼に「朝ですよ?」とそっと耳元で囁くと、ゆっくりと目を開けた彼はよく言ってくれました。
「最高…」
なにがですか?と尋ねると「朝起きた時君が隣にいる」と安心した笑顔を向けてくれて、それを見ると僕も安心して彼に甘えることができました。
でももう彼はいない。
これから何回夜が来てその夜が何度明けようとも、彼が隣で笑うことはない。
一人では広すぎるこのベッドで二人が眠ることはない。
出ていったとは、つまりそういうこと…。
「いや… 帰ってきてシロさん…」
甘い記憶を思い出しては辛い現実を前にして泣き続ける。
こんな夜があと何回続くの?
彼のいないこの家に、僕が住み続ける意味はあるの?
「どこにいるの?どうしていなくなってしまったの?」
また声をしゃくりあげ、津波のような涙が押し寄せた。
…
「サーバル、かばんの様子はどうですか?」
「ずっと泣いてるみたい… ご飯も食べないし眠ってもすぐ起きちゃうみたい」
「参りましたね… シロ、よもやかばんを一度ならず二度もここまで傷付けてしまうとは」
「なぜアイツは体に無理をしてまで家出などしたのでしょうか?」
「博士たちはなにかわかった?“にっき?”を見つけたんでしょ?」
博士、助手、サーバルもそれぞれ進展がない状態だった。
二人はかばんとサーバルがシロを探して走り回り帰って来るまでの間に、地下室でシロの日記を見付けていた。
ただ二人では文字を完全に読むことはできず、かろうじて読めたのは無理矢理に書きなぐったような文字の最後のページだけ。
「我々では完全に読むことができないのです」
「ですが、ヒントを見付けました」
「ヒント?」
「日記の最後に“なまえをらっきーに”と書いてありました、我々が思うにあのラッキービーストにあいつの名を出すとなにか起こるはずなのです」
「最後の文字はかなり乱雑に書かれていたので、察するにアイツは読み書きが困難になりメッセージのようなものを残している可能性が高いのです」
「メッセージ?」
日記の要所を集めることで二人にもそれは理解できた。
真相はラッキービーストが知っている。
「あのラッキービーストに向かいシロを呼べば再生されるはずです」
「シロちゃんの声が聞けるってこと?早くかばんちゃんに教えてあげないと!」
サーバルが家のドアまで行こうとしたところで、長の二人はそれを止めた。
「待つのですサーバル」
「もう少し落ち着かせたほうがいいのです」
「でも!でもかばんちゃんが!あんなかばんちゃん見ていられないよ!」
「だからこそ先に我々で確かめるのです」
「もしかしたら、辛い現実を突き付ける内容かもしれないのです…」
「辛い現実って…」
楽天家のサーバルにもことの重大さはわかっている。
シロがここから消えたのにはそれ相応の理由があり、きっとそうするしかなかったのだと。
…
三人が地下室に降りると薄暗い部屋の中にぼんやりと目を光らせるラッキービーストが静かにたたずんでいた。
彼はそこから動かない、そして喋らない。
「ラッキービースト、聞かせるのです!シロはお前に何を残したのですか?」
「シロの最後の言葉を聞かせるのです!」
「…」
長は尋ねた、しかし彼は何も語らない、黙って三人を見つめているだけだ。
「あれ?どうして?ボス!シロちゃんだよ!シロちゃんの声を聞かせてよ!」
「…」
「なんで黙ってるの!教えてよ!なにか言ってよ!」
彼はサーバルの言葉にもただ沈黙を貫いているこれはフレンズ故なのか?
三人は思った、これでは日記の話と違う。
「どうしてなのですしょうか?名前を呼んでもなにも反応がないのです」
「内容を読み違えたのでしょうか?あまり字も綺麗ではないのでもしかしたら別の意味だったのかもしれません」
「何で何で?それじゃあどうしたらいいの?」
「内容云々よりも我々がフレンズだからというのもあるかもしれません… やはり、かばんの力が必要不可欠なようですね?」
「今夜のかばんの様子次第ですが、それを見て話を振ってみるのです」
「そっか… かばんちゃん大丈夫かな?」
…
夜、サーバルちゃんが家まで顔を出してくれました。
「かばんちゃん?辛いと思うけどご飯食べよう?ほんの少しでもいいから?お願い、わたしじゃ心は治してあげられないけど、体は元気でいてほしいから…」
「サーバルちゃん…」
あまり心配はかけられない… けど、元気に振る舞えるほど今の僕は強くない。
サーバルちゃんと過ごして長い時間が経った頃、僕は立ち直ることができるのかな?
でも…。
でもそうして立ち直った時、心の中から彼がいなくなるのが怖い。
辛くて苦しい、逃れられるならそうしたい。
でも、それが彼を忘れるということなら。
それも嫌…。
「かばんちゃん…?」
「うん、すぐ行くね?」
「うん!待ってるね!」
でも今はせめて、サーバルちゃんの笑顔にすがりたい。
…
今日の食事はアライさんとフェネックさんが全て用意してくれました。
二人は彼の良い弟子としてメキメキと成長しています、片方ができないことをもう片方が補い、二人で協力して結果以上の物を出す。
元々の才能か、彼の教え方が良いのか。
いや… 多分両方。
もしかしたら彼は自分がいつかいなくなることを見越して二人に色々教えていたのかもしれない。
「シロさんはどうしたのだ?」
なにも知らないアライさんは食卓にいない彼の名を呼びました。
「少し、出掛けているのです」
「野暮用ですよ」
一瞬の沈黙の後、博士さん達が表情を変えることなくそれを濁していた。
「ん~… じゃあ朝見たのはやっぱりシロさんだったのかな~?」
!?
フェネックさんのその言葉に僕たち四人は反応しました、たまらず僕は尋ねます。
「どこで見たんですか?」
僕がそれを聞いたのを見てサーバルちゃんと博士さん助手さんは少し表情をしかめた
「火山の麓の森で~?それっぽい人を見かけたから声を掛けようとしたのさー?」
「アライさんたちは近道するのによく麓の森を通るのだ!」
「まぁ~アライさん迷っちゃうから一人では行かせられないんだけどねー?」
「うぐ… も、もう大丈夫なのだ!」
二人のよくある会話に少しやきもきとして僕は急かします。
「それで、シロさんはどうしたんですか?」
「かばんさん?どうしたの?なんだか目が怖いよー?」
「ケンカでもしたのだ?」
「続きを聞かせてください」
「あ、うん… それで近寄ってみたらもういなくって、気のせいだったのかなー?って思ったんだけど…」
平静を装い聞いたつもりでした、でも少し表情に素が出てしまい、二人はそれに少し怯えているような顔をしていました。
「そうですか… ありがとうございます」
火山の麓、彼がいるかもしれない。
「ごちそうさまでした」
「かばん、どこへ行くのです?」
「食事中に立つのは無作法なのです」
「お腹いっぱいなんです、少し歩いてきます」
こんなことを言っているが、僕は一口も食べてはいない、そんなことより彼を探したい。
「待ってかばんちゃん!かばんちゃんに見てほしい物があって!」
「ごめんね、あとで見せて?」
「待つのです」
「サーバルの見せたいものは今回の件と関係があることです」
関係あるもの?シロさんに関係がある?
「なんの話なのだ?」
「なんだか穏やかじゃない雰囲気だねぇ…」
「お前たち、今日は一旦帰るのです?」
「事が落ち着いたら全て話してやるのです」
「えー…」
「気になるのだ!」
博士さんたちは強引に事実を隠している、それは隠した方が良い内容ということ?
でもその言い方だとアライさんたちは引き下がらない、気になるものは気になるとハッキリと言うのが二人だから。
でもそんな二人に博士さん達は言いました
「頼むのです…」
「それか、少し席を外すだけでもいいのです?」
頭を下げました。
あの博士さんと助手さんが…。
それなら…。
「アライさん、フェネックさん… 僕からもお願いします?」
「ごめんね二人とも!あとで絶対話すから!今は…」
すこし間を置くとフェネックさんが小さな溜め息を付き答えた。
「アライさぁん?とりあえず洗い物でもしておこうかー?」
「でもフェネック!」
「頭を下げて頼んでる相手のお願いには理由があるんだよー?だから最初から無下にしちゃダメだって習ったでしょー?」
「ぐぬぬぅ… わかったのだ…」
礼儀、礼節… まずは冷静に話を聞くこと、それを教えてくれたのもゴコクのカコさんでした。
頭を下げるほどのお願いには必ず理由と目的があり、まずは話を聞くこと、答えはそれから考えても遅くないと。
「ありがとうございます…」
「あとで話してねー?かばんさーん?」
「約束します」
「では行くのです」
「地下室へ」
「あのね!かばんちゃんじゃなきゃわからないことがあるの!」
僕にしかわからない?それはいったい。
…
地下室の階段。
初めて降りたのはシロさんが修行を終えて図書館に帰ったときで、二度目はシロさんが発情期に苦しんだときでした。
結婚してからは何度か調べものをするシロさんにお茶を運んだり、その時になんだかいい雰囲気になったこともありました。
何かとシロさんとの縁がある地下室…。
そんな地下室、彼のいなくなったこの地下室に降りて彼の残した何かを見ることになる。
博士さんが扉を開けて中に、そして机の上から何か本… いえ、ノートのような物を取り僕に手渡してくれました。
「これは?」
「それは日記です」
「結婚してからたまに書いていたのは知っていたのです」
「シロさんの… 日記?」
シロさん、日記なんて書いていたんだ… 知らなかった。
「なんだか大事なことが書いてあるみたいなんだけど、かばんちゃんじゃないと読めなくて?」
大事なこと… ならばと僕は日記を開き初めのページを読みました。
“ かばんちゃんと結婚した。
とても幸せなので幸せついでに細々と日記を書いていくことにする。
毎日は書かないがまずは今日。
彼女ができたと思ったらいろいろすっ飛ばして結婚することになり、かばんちゃんは俺の奥さんになった。
その日は一晩俺の寝床で過ごし、このまま彼女は図書館に住むんだろうか?とウキウキしていると、流石にキツいと博士たちに出鼻を挫かれた。
ガックシ 新婚なのにもう別居。”
シロさん… このときすごく寂しそうな顔してました、今にも泣き出しそうなそんの表情をしてましたね?
僕の手を握ってなかなか離れなくて博士さん達が引きずっていきました、僕も寂しかったんですよ?
読み進めると大体僕との思い出が綴られていました
“ フリシアンさんの胸を見ていたら妻にお尻をツネられた。
これはあれだ、不可抗力だ、あんな格好だと見るなと言われても勝手に視界に入る。
許してくれ妻よ、でもヤキモチ妬くの可愛い。 ”
だとか…
“ 妻はどんどん綺麗になっている気がする。
髪を伸ばしてみたりお洒落に気を使ってみたりと俺のために色々してくれる。
今日は日頃のお礼と言って料理を代わってくれた。
愛してくれるだけで十分有り余ってるくらいなのだけどどうしてもというので代わった、エプロン姿に見とれてしまう。
裸エプロンを要求したいがそれはさすがに怒られそうなので妄想に留めておこう ”
などなど…。
ほとんどの内容は僕とのあれが楽しかったとか、これが嬉しかったというようなことが書いてあり、僕もそれを見てなんだか嬉しくなりました。
内容が内容だけに僕に内緒だったのもなんとなく頷ける。
だけど後半に進むにつれ影が濃くなっていくのがわかる…。
“野生解放に痛み” “痛覚の消失” “全身から触覚が消えた” などの不調を記すようになっていく。
まさか、全身から感覚が無くなっていたなんて…。
「肌になにも感じなくなっていたと言うことですか?」
「そんな体では歩くのも辛いのは当たり前なのです」
「なにも感じなくなる?想像もつかないよ、触ってもなにもわからないってどんな感覚なの?」
それは誰にもわからない、きっと彼にしかわからない。
そして最後には。
“ にっきはこれでおわり
さいごはらっきーにはなした
もしこれをみて ききたいとおもったら
おれのなまえをらっきーに
さよなら ”
字はグニャグニャとしてとても綺麗とは言えない、それでも何とか必死に書いたのだというのは分かるし、これを見るだけで彼によくないことが起きたということもすぐに理解できる。
シロさん、なにがあったんですか?僕に教えてください?
「かばん、最後はやはり?」
「これで日記は終わりで、ラッキーさんに伝えてあるから聞きたい時は名前をと…」
「え?それじゃあやっぱり博士たちも間違ってなかったってこと?」
「どういうことですか?」
「ラッキービーストにシロの声を聞かせろと言ったのですが」
「黙ったままなのです」
…なぜ?フレンズさんだから?
それじゃあ僕なら…!
「図書館のラッキーさん?シロさんは何て言ってたんですか?」
「ソノメッセージハ ロックサレテイマス」
ロックされてる?なんで?
「カバン 解除スルニハ“パスワード”ガ必要ダヨ」
腕のラッキーさんが教えてくれた、パスワード?それが“シロさん”ではないの?
「パスワード?やはり聞けないのですか?」
「シロは何がしたいのか…」
どうしてわざわざロックなんか…。
名前をラッキーさんに、名前を…。
シロさんの… 名前?
それってつまり?
そういうことなんですか?
「わかりました、パスワード…」
「え!ほんとに!?」
「では、早速試してみるのです!」
「シロのやつ、回りくどい真似を…」
僕は意を決しもう一度ラッキーさんに語りかけました。
…
ここは地下迷宮。
「なんだ?珍しいな一人でくるなんて?」
「いやちょっと… 顔が見たくなったんだよ?」
「酷い面だな?かばんとケンカでもしたのか?まぁ座れよ…?シロ?」
「うん、元気そうだね?ツチノコちゃん…」
ここは地下迷宮、俺は彼女に…。
ツチノコちゃんに会いに来た。
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