第86話 いへん

「ごめんね… ごめんね…」


 俺と同じ、白い髪をした女性は泣きながら言った、それは母だ。


 今俺の前に泣きながら謝る母がいるのだ。


「母さんどうしたの?なぜ謝るの?」


 俺が尋ねると母は答えた。


「もう、守ってあげられない…」


「なに?守って… ってどうしたの?」


「ごめんね?ママはもう、ダメみたい…」


 もうダメ?ダメってなにが?何を言ってるんだ?


「どういうこと?教えてよ!わかんないよ!」


「せっかく幸せになれたのに… ごめん、ごめんね!でもきっとみんなが助けてくれるから!パパだってきっと助けに来てくれるから!だから!」


 その時母が光となりその場から弾けて消えてしまった。


 同時に、真っ白だった空間が一瞬で黒い空間に飲まれていった。





「ッ!?」ガバッ


 あ、夢?母さんの夢か… 久しぶりだな。


「ん… シロさん?」


「ごめんね、まだ暗いからもう少し寝てていいよ?」


 隣の妻を起こしてしまった、まだウトウトとしているうちに眠るように促すと、いつものように髪を撫でた。


「また怖い夢を見たんですか?」


「ん~… 怖いというか、母さんがずっと謝ってくるんだ?ごめんねって、最後は消えてしまった」


「なんででしょうか?変な夢ですね?」


 もう守ってあげられない?なんだ?あれかな?結婚して家族ができたんだから自立しろってことかな?


 頑張ってるつもりだけど。





 シロの日記


“ 母の夢を見た。

 前と違うのは昔のことを思い出したのではなく、今の俺が母と話してるような感覚の夢だったことだ。

 前にこの感じの“夢”と言っていいかわからないが、このタイプの夢を見たのは死にかけた時。

 さらに違うのは母さんはひたすら俺に謝っていたこと、そして最後は真っ暗になったこと。


 嫌な夢 でも夢は夢 夢は夢に過ぎない”





「シロ、新年とはクリスマスから数日後のことを指すのでしょう?」


「そうだね、そこからちょうど一週間くらいかな」

  

 新年…。


 読んで字のごとく新しい年の始まりを意味する、つまりお正月だ。


 太陽暦とか言うのに基づいた1月1日のことを元旦としている。

 

 先日のクリスマスパーティーのことを12月25日とするなら、まさしく今は正月に当たるだろう。


「新年… 即ちお正月にはモチというのを作るのでしょう?」

「これです、本によるとこのハンマーのようなもので叩きつけているのです」


「それは“餅つき”だよ、やってみようか?みんなでお雑煮でも食べよう?」


 餅つき…。


 餅米を米の形が無くなるまで杵と臼をつかい突きつづけることで餅を作る。

 最後に味を付けて食べる、お雑煮は正月の定番料理だ、寒いこの時期には体が温まり丁度良い。


 「じゅるり」と言った二人は嬉々として材料を用意してくれた、ただ二人は食べるのが目的であり突くのは飽くまで俺達の仕事である。

 

「じゃあかばんちゃん?ペースは任せるよ、俺が突くからひっくり返して?こねるようにね?」


「了解です!」


 夫婦の餅つきが始まる、コンビネーション見せてやるぜ。


「はい!」ドン!

「はい!」ペタ

「はい!」ドン!

「はい!」ペタ


「「おぉ~!」」

「すっごーい!やっぱり二人はスゴいね!」


 見たか夫婦の阿吽の呼吸を?この世で一番大切なことはやっぱりタイミング… だと思うだろ?それを合わせるのが愛なんだよ。


「ウミャミャミャみんみぃ~!わたしもやってみたーい!」


「いいよ?じゃあ突いてみる?」


「わーい!」


 サーバルちゃんにかばんちゃんの仕事をさせると餅がくっついてテンパりそうだし、ここは力いっぱい突いてもらおう、それから。


「かばんちゃんは俺と代わろうか?ほらちょっと、危なそうだし…」


「あはは… でも、シロさんも怪我しないでくださいね?」


「大丈夫だよ?さぁ代わって代わって!」


 それでは天真爛漫の申し子サーバルちゃんが突きますこちらのお餅!お供は私、かばんさんの夫であるシロが勤めさせていただきます!


「サーバルちゃん、交互にやるんだよ?君が突いたら俺が返す、俺が返したら君が突く」


「わかったよシロちゃん!よーっし!見ててねかばんちゃん!」


「二人とも気を付けてね?」


「うん、じゃあいくよ?せーので突いてね?」


「はーい!」


「せーのっ!」


 初めの方はゆっくりと、慣れるにつれてスピードアップ、サーバルちゃんもリズムに乗る頃にはご満悦だ


「たーのしー!」ドン! 

「はい!」ペタ


「やりますね?」

「なかなかのコンビネーションなのです」


「スピードアップしていいよー?」


「OK!いっくよー!」


 ドン!ペタ ドン!ペタ ドン!ペタ ドン!ペタ


 どのくらい早いのか?集中してるとわからないが大分早い気がする、餅突きの達人ほどではないが。


「あわわ… なんだかすごく早くないですか?」


「サーバルはともかく、シロは引き際くらい心得ているのです」

「大丈夫でしょう… 多分」


「多分!?… シロさん気を付けて…?」


 でも慣れた頃というのが一番危険で、そんな時に俺は少しボーッとしていた、最近よくあるのだ、考え事もしてた。


 

 夢で母さんは何を言いたかったのかな?守ってあげられないだって?まるで今まではなにかから守ってくれていたようなそんな言い方だったが… あれはなにかの暗示?例えば空を飛ぶ夢は充実してる証拠だとか。


 だったらあれは…。


 ドン!グシャ…


「ん…?」


「わぁー!?!?!?ごめん!シロちゃんごめんね!?大丈夫!?」


 臼を見ると俺の右手がバーガーにされてるではないか、なんと言うことだピクルス抜きで御願いします。


「シロさん!?大丈夫ですか!?見せてください!」


「ん?大丈夫だよ?痛くないし?へーきへーき」 


 そうだ痛くないんだ、待てよ?痛くないだって?なんで?


「大丈夫じゃないですよ!だって指!指が!?」


「え… あ… あぁー!?」


 やーこりゃひどい… 反対に曲がってら。


 なんだよこれ?こんな初めて見たよ?俺の手がピカソみたいになってる、でも痛くない?なぜ?それに俺はなぜこんなに冷静なのか?衝撃過ぎてリアクション機能がフリーズしたのか?


「てててて手当てするのです!」

「包帯!包帯を用意するのです!」


「おかしい、ちっとも痛くないなんて…」


「強がらなくていいですからぁ!」


「ごめんね!ごめんね…!わたし… 怪我させるつもりなんて!?」


 待て待て、一旦落ち着こう


「みんな落ち着いて!サーバルちゃん?大丈夫だよ?俺がボーッとしてたせいだから、これは事故だ、君は悪くない!」


「でもでもでも…」


「誰も責めたりしないよ?そうでしょ?これは俺が悪い!みんないいね?」


「今はそれより!あれ?本当に痛くないんですか…?」


「と、とにかく手当てです!」

「救急箱を持ってきたのです、すぐにかかるのです!」





 シロの日記


“ おかしなことが起きてる。 


 これは絶対におかしい。


 今日は餅つきをした、博士たちがお正月に興味を持ってお雑煮でも作ろうという話になったからだ。

 初めはかばんちゃんと突いていたがサーバルちゃんがやりたがっていたので突かせてみることにした。

 そのとき考え事をしてボーッとしてた俺は手を引くのが遅れて右手を餅ごと突かれてしまった。


 するとどうだ?


 指はあらぬ方向へ曲がっているにも関わらず痛みが全くない、しかも夕方には完治したのだ、これは明らかにおかしい。


 責任を感じて一日中泣いて謝るサーバルちゃんには大丈夫だと伝えた後完治した手を見せた。

 外傷もない、痛みもない、綺麗に元通りだ、日記をかけるのが証拠。”





「サーバルちゃんはどう?」


「泣きつかれて寝ちゃいました」


「そっか、怒らないであげてね?俺がボーッとしてて手を引くのが遅れたせいだから」


「いえ、怒ってはないです… サーバルちゃんにも大丈夫だよって僕からも言いました、それにシロさんは確かにあのとき少しボーッとしてました」


 そうだ、俺がもっとしっかりしてれば彼女を悲しませることもなかった、こういう事故の為に俺がかばんちゃんと代わったのに。


 しかし…。


「でもなぜ治ったのかな?単に脱臼だった?」


「わかりません、でもどちらにせよ痛くないというのがどうしてなのか…?」


「だよね…」





 薄気味悪い体の異変は続いた。

 


 シロの日記


“ 餅つき事件から数日のこと、痛覚が完全に消失したことに気付いてしまった。


 もうどこになにが当たろうが刺さろうがまったく痛みを感じない。


 最初は右手だけだったのに。


 何が起きてるんだよ俺に。”





“ ボーッとすることが増えたと以前書いた。

 それの正体かどうかわからないが感情の起伏が減った気がする。


 以前は博士たちのワガママにもおかしいことには反論させてもらったが、今はなんとも思わない。

 機械みたいに言われた仕事に「イエス」と答えてはそれを片付ける。


 妻に笑顔が減ったと心配された、そんなに無表情でいることが増えただろうか?

 

 痛みを感じなくなり、感情が消えて、俺は機械にでもなるんだろうか?


 ごめんかばんちゃん、心配かけて。 ”



… 


 

 ある日の朝気付いた。


 今度はなんだ?これは?


 右手の感覚がない、でも動く… まるで自由に動く義手をつけているようだ。


 これでは力加減が難しい、しばらく包丁は左手で使うことになりそうだ、練習しよう。



「あれー?シロさん左利きだっけー?」


「いや、右利きだよ?」


「いつも右手で切っていたのになんで急に左手にしたのだ?」


「なんで… って」


 言うべきか?いや、この子はおしゃべりだからな、適当に誤魔化しておこう、まだ何もわかってないし。


「修行だよ?どっちも自由に使えたら便利かな?って」


「おぉ!さすがはシロさんなのだ!常に高みを目指しているのだ!」


「でも聞いたよー?シロさん怪我したんでしょー?それで右手使いたくないんじゃないのー?」


 情報通だな、話したのは誰?サーバルちゃんかな?それともかばんちゃん?でもそれはいいんだ。


「それはもう治ったよ、ほら?」


 右手をグーパーと、動かし健在であることを伝えるとさすがのフェネックちゃんも引き下がった、だが疑念を抱かれている目をしている… なにか隠してるでしょ?って顔だ。


 でも話すことはできないよ、ハッキリどうなったかなんてわからない。





 シロの日記


“ 感覚がないので慣れるのに時間がかかるが、なんとか日記を書き込んでいる。

 

 スラスラとは書けないが力も入るしちゃんと動くので書けないことはない。


 これは明らかに異常、痛覚も今や全身から消えた今、触覚が全身から消失してもおかしくはない。


 感情の波も穏やかで、嬉しいと強く思わなければ悲しいと酷く落ち込むこともない。

 これは心も消えていっていると言えるのではないだろうか?


 それは嫌だ、いずれ妻に対する愛情も無くしてしまうなんて虚しいだけだ、そんなのは生きているとは言えない。


 このまま俺は本当に機械にでもなるんだろうか?心も体も感じるものが無くなり、空っぽな存在になる。

 

 怖い。


 そう思えるうちに怖いということを書き残しておく、俺は怖い。


 怖くて仕方がない、誰か助けて。 ”





 しばらく地下室で症状を調べることにした。


 とは言え、これがフレンズの病気なのか人間の病気なのか俺にはわからない。

 一瞬脳梗塞かと疑ったが、痺れるというよりは消えているという感じなのでその線は薄いと思う。

 それに頭は機械的な考えがうまくなって逆に作業そのものは捗るというのが皮肉なところだ。


 感受性。


 即ち人間らしさが欠け始めている、わかるんだ、でもそれをおかしいとも感じていないのが恐ろしい。


 これはつまり、一人の命を救うか大勢の命を救うかという質問に対し、以前ならどちらも救ってみせると意気込んでいたはずが今は迷わずローリスクの方を撰ぶ頭になったということだ…。


「わからない、俺に何が起きてるんだ、なにが… クソッ」


 以前同様、その時階段を降りる音が聞こえてきた。


「シロさん?失礼します…」


「かばんちゃん、どうかした?」


「あの… お茶を淹れたんです… 少し、休んだらどうですか?」


「ありがとう、大丈夫だよ?置いといてくれる?」


「はい…」


 なんて態度だ…。


 何してる?彼女落ち込んでるぞ、答えの見つからない調べものより先にやることがあるだろ?頭で動くな、心で動け!


 彼女を抱き締めろ!


「かばんちゃん…」ギュウ


「…キャ!? シロさん?どうしたんですか?」


「ごめんね、最近籠りっきりで… 心配かけてるよね?」


「はい、心配です」ギュウ


 よかった… 温かい…。

 まだ大丈夫、俺はまだ彼女の温もりを感じることができる。


 それだけでまだ安堵する、俺はまだ大丈夫だ、俺はまだ生きてる。


「シロさん、最近無表情でいることが多いです、怒ったり悲しんだりすることもないけど笑うこともありません… 僕と居ても、つまらないですか?」


「そんなことない、感情が静かなだけ… 機械のように静かでまるで死んでいるみたいだけど、かばんちゃんとこうしている時だけはまだ生きてるって実感できる」


「変なこと言わないでください…」


 彼女の声は泣き声が混じり震えていた、ずっと心配かけて寂しい想いさせていたんだろう、そんなのっていい旦那と言えるのか?ダメだ、最低だ…。


「ごめん」


「シロさん、約束してください?」


「…?」


 潤んだ瞳をこちらに向けて、強く願いを込めた言葉を俺に言い放つ。


「いなくならないで?僕のこと、置いていかないで…?お願い…」


 そのまま、彼女は声をあげて泣いた。


 そこまで追い詰めていたことを俺は初めて認識し、罪を感じた。


「約束する、だってどんなに辛くても君がいれば頑張れるもの」


「僕も、同じです」


「それにかばんちゃんは俺が守らないと、世界でたった一人の奥さんだもの?君に手を出すやつは俺が許さない、誰であろうと…」


「お姉ちゃんとケンカしたときも言ってましたね?」


 そう、なにがなんでも守るんだ。

 こんな俺を愛して側にいてくれる彼女を… 彼女だけはぜったいに。


「たとえ家族を敵に回しても守りたい存在なんだよ、俺はそれくらいかばんちゃんが大事だよ?」


「じゃあ僕も、なにがあっても絶対にシロさんの味方でいます!僕がシロさんを守りますから!」


 心が温かい、体も温もりが伝わる… まだ、俺はまだ幸せを感じられる。


 この病… きっとまだ間に合う、絶対突き止めてやる。





 その晩俺は久しぶりに彼女を抱いた。


 体温が伝わるのが嬉しい、肌の感触が嬉しい、キスして舌が触れるのが嬉しい。


 彼女の中に入って、ひとつになって快感を得て。


 そうして愛し合うのが心地好い。


 ずっとこうしていたい…。


 俺は彼女を愛している…。










 シロの日記


“ 昨晩彼女を抱いたのを最後に。


 全身の触覚が消えた。


 まるで存在してないみたいだ、でも目は見える、音が聞こえる、匂いが分かる。


 俺は生きてる、まだ生きてる。


 俺は彼女を愛している。

 

 消えたくない。”





 消えたくない。

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