第01話 か弱い乙女に何するの!

 人の本質は善なのか、悪なのか。果たして尋ねられた時にどう答えるべきだろうか。

 多くの研究者が追求し、論戦を交わしてきたがいまだに答えは出ていない。果たしてどちらが答えなのかは人間にとって永遠の命題なのだろう。


「あのう……見逃してもらえません?」


 だが、この場においては悪であると断言したい。そう、旅の少女スピカは男たちに取り囲まれながら思っていた。


「それが無理だってことは分かっているだろ、嬢ちゃん」

「そうそう。大人しく身ぐるみ置いて行ってもらおうか」


 盗賊達は、体格差と数的な有利を背景に下衆な笑いを彼女に向けていた。旅を続けている中で、いつかこんな日が来るとは思っていたが、あまりに典型的とも言える盗賊たちに襲われてスピカはため息をついた。


「へへへ、まさかこんな森の中で獲物を見つけられるとは、俺たちは運がいいぜ」

「もちろん、身ぐるみ剥いだ後は……うへへ」


 自分を足元から舐めるように見る視線にスピカは怖気おぞけが走った。一応年頃の女の子としてスタイルや見た目に気を使ってはいるし、容姿が悪い方ではないことに自信はあった。今着ている服も旅をする身とは言え、上は白、スカートは赤を基調にして自分の金色の髪の色が映えるよう、精一杯のオシャレを心掛けた。だがこんな輩によこしまな目を向けられるのは彼女にとってはなはだ不本意と言える。


「ほらほら嬢ちゃん、泣いて叫んでもいいんだぞ」

「むしろ泣き叫んでくれた方が興奮するぜ!」


 欲望を露わにする姿はまるで獣だと、高らかに笑う男たちを前にして心の中で悪態をつきながら、スピカは昔読んだ本の一説を思い出していた。人は誰もがその内に獣を飼っている。それを抑えている時は善人に、獣性に負ければその性質は倫理道徳を無視し、欲望に忠実な悪人へと変わるのだと。


「……なるほど、一理あるかも」

「あ? 何をブツブツと言ってやがる」

「助けを求めようにも、こんな人気のない森の中じゃ誰も来やしないぜ!」


 いい加減、この気分の悪い状況から脱したい。そう思いスピカは呆れ顔で言葉を返した。


「……今なら許してあげるから、痛い目を見る前に帰ってくれない?」


 その一言に、盗賊たちは水を打ったように静まり返った。そして直後、一斉に、先程とは比にならないほどの勢いで彼らは笑い出した。


「おい、聞いたか! 『今なら許してあげるから』だってよ!」

「嬢ちゃん、この状況分かって行ってるのか?」

「痛い目を見る? どうやって!」


 腹を抱える盗賊の一人がスピカの腕を取った。平均的な身長の彼女と、屈強な男の体格差はあまりにも大きい。


「手を放して」

「ほらほら、この細い腕でどう痛い目を見せてくれるって言うんだ?」

「警告はしたからね」

「は――?」


 何が起きたかわからなかった。

 スピカが掴まれていた腕を振るった瞬間、男の視界の中で天地が逆転したのだ。


「うぎゃっ!?」


 技や術の類ではない、単純な力任せの動作。少女の細腕の一振りで男は軽々と宙に投げ出され、回転して混乱する中地面に墜落した。


「手加減はしたわよ」

「こ、この女!」


 仲間が突然打ち上げられた事実に驚きながらも、やられたままで我慢ができない盗賊たちは彼女を取り押さえるべく動き出す。だが、左右からのびた手をスピカは易々と掴んだ。


「え?」

「は?」

「飛ーんーでーけーっ!」

「どわあーっ!?」


 そして、腕を交差させてそれぞれを逆方向へ放り投げた。男たちは驚きの表情のまま飛ばされ、反対側の男たちを巻き込んで飛んで行く。


「どう、思い知った?」

「い、痛え……」

「……力任せに放り投げられたなんて初めてだ」

「もっと大怪我する前に帰った方がいいんじゃない?」


 振り回した際に乱れた髪をかき上げてスピカは得意そうに鼻を鳴らす。盗賊たちは自分たちを軽々と放り投げた少女を前に目を丸くしていた。


「な、何だこの女」

「トロル並みの馬鹿力だ」

「トっ……!?」


 驚きのあまり発した比喩にスピカが絶句する。もう少しいい例えはないのだろうかと。凶暴で醜悪な容姿を持ち、怪力を誇る巨漢で半裸の魔物に例えられた彼女の自尊心が傷つく。


「よ、よりにもよって……」


 そして、彼女に「馬鹿力」という言葉は禁句だった。年頃の女の子として、らしからぬこの怪力を気にしていない訳がない。


「トロルって何よっ!」


 青筋を立てて近くの樹を抱え、スピカはありったけの力を込める。どこからそんな力が出ているのか、あっさりと引き抜いて地面から根が現れる。


「ちょっ!?」

「ひえええっ!?」


 身の丈の三倍はある長さの木を軽々と掲げる姿に盗賊たちが目を丸くする。


「か弱い女の子に向かって酷いじゃない!」

「どわあああっ!?」


 涙目でスピカが樹木を放り投げる。直撃は何とか避けられたが一味は大混乱に陥り、腰を抜かす者も出ていた。


「こ、この女……」

「どこが『か弱い』んだ、この怪力女!」

「また言った!?」

「こんな物騒な女、早くやっちまえ!」


 首領格の一言に、男たちが次々と刃物を抜いていく。殺気立った様子に場の雰囲気も変わった。盗賊たちは屈強な男たちが八人。対処しきれないわけではないが一斉にかかって来られると非常に面倒だとスピカは思った。


「相手は一人だ。これなら――」

「おいおい、女の子一人に何人でかかる気だよ?」

「ぬおっ!?」


 突然の声に首領格の男が振り向いた。いつの間にか、後ろに誰かが立っていたのだ。その人物は額に青いバンダナを巻き、襟や袖に紅い文様の入った黒いジャケットを着た若い男だった。年の頃はスピカと同じくらいだ。


「誰だてめえは!?」

「いや、通りすがりの旅の者なんだけど、見るに見かねて」


 いきなり現れた若者を盗賊たちが囲む。


「しかし、なっちゃいねえな。女の子に声をかけるなら一対一で声をかけるのが女の子を誘う時の鉄則――」

「構わねえ、こいつも一緒にやっちまえ!」

「うおっと!?」


 横から飛んで来た斧の刃に驚き、男は屈んで避ける。赤みがかった茶色の髪の毛が数本宙に舞った。


「危ねえな、殺す気か!?」

「殺す気なんだよ!」


 盗賊たちは次々と飛びかかって行く。しかし若者は剣から身をかわし、ダガーを避け、斧の一撃は体をねじって回避する。


「この野郎!」

「あ、当たらねえ!」

「ほいほい、鬼さんこちらっと!」


 男が縦横無尽に集団の中を駆け回る。躍起になって捕まえようとする男たちを挑発するようにニヤリと笑い、あと少しという所でまた避ける。


「あらよっと」

「うおっ、危ねえ!?」


 後ろから掴みかかろうとした男をいなし、ナイフで切りかかろうとした相手の前に送り込む。危うく同士討ちする寸前で武器を引いたが衝突し、もつれて倒れ込む。彼が剣も抜いていないのに盗賊たちに怪我をする者が次々と現れ始めた。


「くそ……ちょこまかと。たった一人に何してやがる!」


 部下たちの不甲斐ない様子に、苛立つ首領格の男が檄を飛ばす。若者はそれを聞いてニヤリと笑った。


「あれ、いつ俺一人って言った?」

「何だって?」

「うげっ!?」


 訝る首領の視界の端で突然、悲鳴を上げて仲間が倒れ込む。その後ろには口髭を蓄えた大柄な男がロングソードを担いで立っていた。


「げえっ、ジュバ!?」

「おいアルト。いきなり一人で駆け出しやがって、何事かと思ったぜ」

「へへ、悪いねジュバのオッサン。可愛い女の子の声は聞き逃さないもので」

「ったく、まあお陰で面白い所に出くわすことになったわけだが」


 ジュバと呼ばれた男が剣を抜く。殺気が放たれ、盗賊たちに緊張が走る。


「ようバーダン。こんな森の中で会えるなんて思わなかったぜ」

「ちっ……お前ら、山に戻るぞ!」


 バーダンと呼ばれた首領格の号令で盗賊たちは蜘蛛の子を散らすように逃げて行く。さすがに森の中でジュバも深追いをする気はないのだろう。「やれやれ」とため息をつきながら剣を収めた。


「怪我はないか、お嬢さん?」

「あ、あの。ありがとうございました」

「気にするな。むしろ礼を言うならあんたを見つけたこいつだ」


 そう言ってジュバは先程アルトと呼んでいた若者を指す。彼はひらひらと手を振ってスピカにアピールをしていた。


「俺があんたの声を聞きつけたんだ。危ない所だったな」

「……ありがとう」

「どういたしましてー。ところで、格好よく登場して窮地を救った勇者様に感謝のキスとかないの?」


 髪の毛をかき上げ、格好を付けながらにじり寄って頬を指す姿に、スピカは不快な顔を見せる。


「何で?」

「『危ない所をありがとうございました。あなたがいなかったら私は今頃……』的な展開を期待してるんだけど」

「すいませんジュバさん、この人馬鹿ですか?」

「ああ、馬鹿だ」

「二人とも酷えな!?」


 がっくりとアルトが肩を落とした。そしてジュバは周囲の荒れ果てた惨状を見てひとり呟く。


「しかし、ここで随分と凄まじい戦いがあったようだな。この樹木なんて根こそぎ引き抜かれているぞ」

「……う」


 冷汗が流れる。激怒していたとはいえ自分がやったことだとはスピカも言えなかった。


「うわ、ほんとだ。俺が来る前にトロルでも出たのかな?」

「――っ!」


 何の気なしのアルトの一言に思わず足が出ていた。向こうを向いている彼の足を思い切り踏みつける。


「ぎゃあ!?」

「あ、ごめん。間違って踏んじゃった」

「今のは“間違って”の力じゃなかったと思うぞ!?」


 そう言って、右足を抱えて跳ねるアルトからスピカはそっぽを向くのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る