第16話 断たれた絆

 湖に叩き付けられる。全身に走る痛み、服にみ込む冷たい水。

 沈んで行く。私の体が冷たい水底へ沈んで行く。

 一刻も早く脱出しなくては。手でかいて、足を動かし、水上に顔を出さなくては。

 でも、満足に体が動かせない。苦しい、息ができない。死に少しずつ近付いているという絶望的な感覚。


 ――ああ、そう言えばあの時もそうだったなあ。


 十年前、故郷を襲ったドラゴン。村の人が皆殺しにされ、私自身も――。


「こふっ……」


 その瞬間は、何が起きたかわからなかった。左胸に走る激痛。突如起こった呼吸の乱れ。

 喉の奥から鉄の味がせり上がった。


「え……?」


 恐る恐る視線を下げた。自分の胸元にあってはならないものが見える。深紅に染まった腕、そしてその先に握られているのは――私の心臓だった。


「ははは……あはははははは!!!」


 狂ったように笑う声が私の後ろから聞こえた。それを耳障りだと思う余力すら、私の中にはもう残されていなかった。


「手に入れた――手に――の――――を!」


 声が遠くなっていく。猛烈な力で腕が引き抜かれ、胸元から心臓が引きずり出された。喉に血があふれて悲鳴を上げることもできない。そして、紅蓮に染まる村の中でなおその色が際立つ赤い血の池の中に私は倒れ込んだ。

 身体が動かせない。苦しい、声が出せない、息ができない。目の前が真っ暗になっていく。自分が死に向かっているのが分かる。


「……いや……だ」


 まだ恋もしていない。大切な人が隣にいて、小さな教会で純白のドレスを着て、みんなに祝福されて。そんな未来を夢見ていたのに。

 まだ見たいものがある。まだ知りたいことがある。心残りがいっぱいある。


 死にたくない……そう、私が心から願ったその瞬間、私を暗い闇の中から引っ張り上げた人がいた――。



 ◆     ◆     ◆



「ぷはっ!」

「おい魔法使い、しっかりしろ!」

「ごほっ……ごほっ」


 水中から引き揚げられ、呼吸ができるようになったスピカはせき込みながら水を吐き出した。見れば誰かが自分を抱えて岸へ向けて泳いでいた。


「……イザールさん?」

「間に合ったか」


 スピカを救ったのはイザールだった。相変わらず不愛想ではあったが、その表情はどこか安堵の色が見えていた。


「泳げるか?」

「……まだ、体が動かないです」

「ちっ……世話が焼ける」

「でも、イザールさんは何で?」


 スピカの顔を水に沈めないように留意しながらイザールは彼女を引っ張るようにして岸へと向かう。


「……気付いた時は手遅れだった」


 その声には悔恨と、怒りが込められていた。イザールがスピカたちと別れた後、周囲があまりに静かであったことに彼は異変を感じ、部下たちを割り振った場所へと向かったのだった。


「既に殺されていたよ。こっちに盗賊たちが来るのが見えて、お前たちと合流しようとしたら俺も襲われた……例の魔法でな」

「例のって……それじゃ盗賊側の魔法使いは!?」

「もう潜り込んでいたか……あるいは、俺たちの中にいたってことだ」


 後者は信じたくなかった。馬車が襲われた時も、自分たちを守るふりをしながら密かに魔法を使っていたというのだ。だが、現実にジュバに襲われたことを考えると最も想定できることだった。


「あの魔法は地面から手を生やすどころじゃない。土で傀儡を作り出して襲うものだ。追い詰められて湖に飛び込み、泳いでいたところにお前が落ちてきたんだ」


 ようやく岸までたどり着く。水を吸って重くなった服を引きずりながらイザールは立ち上がる。スピカの方も持ち前の回復力のお陰で何とか体の機能も取り戻しつつあった。思えばその体質で薬の効き目も弱かったのか、あるいは効果から回復するのも人より早かったのかもしれない。


「話はあとで聞く。急いで依頼人の下へ行くぞ」

「はい、みんなが心配です!」


 まだ少し足下がおぼつかないが、回復するのを待っている場合ではない。見れば元居た場所から火の手が上がっている。胸騒ぎがする。二人は急いで山路を走り、元の場所へと向かった。


「ハマルさん……ポーラちゃん……アルト!」


 息切れを堪えながらスピカは山路を走り、元居た場所へ戻るために急ぐ。


「はあ……はあ……急がないと……」


 赤く染まっている空が不安を掻き立てる。かつて自分が経験した光景を思い出してしまうから。だが、二度とあんな光景を見たくない。少しでも早く、たどり着かなければ――だが、彼女を出迎えたのは最悪の光景だった。


「そん……な」


 スピカはその光景を前に膝から崩れ落ちた。残されていたのは破壊と略奪の跡、抵抗もほとんどできず殺された商人たちや傭兵たちが打ち捨てられていた。


「遅かったか……くそっ!」


 燃えたテントの中には生存者はいない。馬車もどこにも見当たらなかった。


火蜥蜴サラマンダーの死骸もない。全部持っていかれた」

「誰か……誰かいませんか!」


 せめて生き残りはいないのか。かつての記憶がフラッシュバックする中、スピカは自分を奮い立たせて惨劇の跡を歩く。そして、倒れているハマルの姿を見つけてしまった。


「ハマルさん!」


 だが、呼びかけてもピクリとも動くことはなかった。最後まで激しく抵抗したのだろう。ハマルの全身にはおびただしい数の傷痕があった。


「おのれ……盗賊ども!」


 その手には、先日ポーラに作ってあげた花冠が半分千切れた状態で強く握りしめられていた。ハマルがここまで必死になる理由は一つしかない。嬲られながらも、傷つきながらも必死に娘を守ろうと戦ったのだ。そして、互いに花冠を掴み、千切れ、事切れるその時まで娘を取り戻そうとしていたに違いない。


「ハマルさん……これからはポーラちゃんと一緒に暮らして行くって言っていたのに」


 あの時、穏やかにハマルは笑っていた。ようやく重荷を下ろすことができる。そんな嬉しさに満ちていたように思えた。

 妻を亡くし、男手一つで娘をまっすぐに育ててきた。ついさっきまで仲良く笑っていた二人は残酷な形で引き裂かれた。たった二人の親子の、ささやかな幸せは、もう訪れることはないのだ。


「魔法使い……答えろ。お前は誰に湖に落とされた」

「……ジュバさんにです。それに、薬を盛ったのはたぶんエニフさんです」


 ハマルが逃げられなかったのはスピカと同じ薬を盛られていたからだ。そして、いつ盛られたかについては一つだけ思い当たることがあった。寝る前にエニフに渡されたミルクだ。


「やはり、あいつらが裏切り者だったか……だが、腑に落ちん」


 イザールは怒りの中で必死に冷静さを保ちながら、頭を働かせる


「やり方が回りくどい。盗賊たちに内通していたとしても、もっと早く動き出しても良いはずだ。何故今なんだ。どちらかが例の魔法使いであったとしても、わざわざ人喰い火蜥蜴サラマンダーと戦う危険を冒した理由は何だ?」

「それは……」


 わからなかった。スピカの怪力という想定外の要素によって手間取ったことは想像できるが、それでも人喰い火蜥蜴サラマンダーを倒すには不十分だ。むしろ事を荒立てず、生息地を早々と抜けた後に襲撃をかけるべきではなかったのか。


火蜥蜴サラマンダーは高く売れるからか? 欲が出たとしても不思議はないが――誰だ!」


 イザールが気配を察知して剣を抜く。物陰に誰かがいる。スピカも身構えてイザールが睨んだ方向を向いた。


「……はは。誰かと思ったら……あんたらだったのか」

「アルト!?」

「よかった……無事、みたいだな」


 姿を見せたのはアルトだった。安堵の表情を浮かべ、崩れ落ちるようにその場に倒れ込む。スピカとイザールが駆け寄り、体を起こすがその容態を見るなり二人の表情が変わった。


「……酷い怪我」

「ははっ……正直、ここまで持ってくれてよかった」

「アルト、すぐ魔法で治すから」

「……よせ、もう間に合わん」


 腹部を染めている血の量は致死量だった。イザールは長年の経験からすぐにそれが分かった。


「イザールさん、でも!」

「いいんだ……少しでも魔力は残しとけ」


 添えようとするスピカの手をアルトは押し返す。


「悪い……不意…つかれて、やられた……みんなも……守れなかった……ポーラちゃんも、連れていかれた」


 押し返した手でそのままスピカの手を握る。その表情は悔しさを滲ませていた。あとどれだけ喋ることができるのか。ほとんど時間がないことはスピカにもわかった。だから無駄な言葉をかけず、アルトの言葉を一言たりとも聞き逃さないよう泣きそうな自分を奮い立たせて。


「刺したの……は…エニフ姐さんだ。それと……盗賊団は…ジュバオッサンが手引きしてた…」

「どちらが魔法使いかはわかるか?」

「わかんね……腹刺されて、やっとここまで……がはっ」


 せき込むと同時にアルトは血を吐き出した。


「早く行け……オッサンたちは下りの道へ逃げて行った。まだ追いつける」


 アルトが笑う。精一杯の笑顔をそこに張り付けて。


「……っ」

「泣くなよ。俺も……必ず、追いかけるからさ」


 精一杯のいつものような軽口。それが叶わないことをわかっていながら、最期まで彼らしく振る舞うのだった。


「行くぞ」

「はい……絶対に、ポーラちゃんは助け出すから」


 涙をぬぐい、スピカは立ち上がる。イザールとともに走っていくその後姿をアルトはずっと眺めていた。


「あー……痛えな」


 夜が明けていく。眩しく感じるが、それを遮るための手を動かす力も残っていなかった。


「何回泣かしたかな……ったく、女の子泣かせるのは趣味じゃねえのに……」


 薄く笑う。旅の途中で出会った女の子と過ごす時間は彼にとってもいつしかかけがえのないものになっていた。柄にもなく真面目に戦った。笑顔を取り戻すために必死になった。それでも、別れ際に彼女を泣かせてしまった。


「今度会ったら……笑わせて……やら、ね…え、と」


 視界が暗く閉ざされていく。日の光に照らされて鮮やかに映える金色の髪を最後までその目に焼き付けて。


「ああ………奇麗だな」


 それは見た目だけでない。化け物と呼ばれても、人間らしく、女の子らしくありたい。そんな彼女が見せた心の輝き。そんな輝きに彼は魅せられたのだ。


「ははっ……やっぱ……死ぬ、のは……好きに、なれねえ……や」


 その言葉が最後だった。力を失ったその体は静かに地面に崩れ落ちた。

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