第4話 004
座席の下に潜む介護ロボットの右手には電磁パルスグレネードが握られていなかった。というのも、神崎達三人が捜索を初めてすぐ、彼が一発目のグレネードを爆発させたからだ。そのせいで、神崎達のイヤホンはやられ、御木の応援要請は彼らの耳には届いていなかった。当然端末も壊されたため、マップに映る点を頼りに対象を探すこともできなくなくなっていた。
座席の下は人一人がギリギリ通れるくらいの隙間が空いており、介護ロボットは関節のモーター音をできるだけさせないように地面を這いずり回った。神崎達は出口のある北側から演壇のある南側へと一列ずつ確認していったが、介護ロボットは彼らの目を盗み、北側へと移動していた。
そして、すでに開け放たれていた出口から、講堂の外へと逃げ出した。
「いたか?」
「いや」
「こっちも駄目」
最後の列を調べ終え、ステージの前で三人は合流した。
「イヤホンも端末も壊されて、これだけ探していないんなら、外にでも逃げちゃったかな」
鳥居が呑気そうに言う。
「外に出たら、通信組の奴らが処理してくれるだろう」
「だといいけど。無線が使えないんだから、外がどうなってても私達分からないんだからね」
麻倉がそう言い終えた時、演壇の裏口からぞろぞろと人が入ってきた。
「おいおい。どうした、忘れ物? そういったのは後で警察の人に頼んでよ」
鳥居が彼らを呼び止める。
「電監の女の人が、戻れって。有川さんの様子がおかしいんですよ」
一人の男子学生が答えた。
鳥居が「どうする?」といった表情で神崎を見た。
「鳥居と麻倉は彼らの警護を。俺は御木を見てくる」
神崎は二人にそう言い残すと、ステージに登り、裏口へと急いだ。
コンクリートの幅三メートル強の通路で、銃を構えたままの春香と有川が対峙していた。有川は春香の向けるハンドガンに恐れることなく、じりじりと距離を詰めてくる。
「止まりなさい。フリーズ!」
だが有川は警告に従う素振りを見せない。銃を構える手の震えが徐々に大きくなっていく。
春香は動揺を隠しきれなかった。その時こちらに向かってくる足音が聞こえ、振り返ると、そこに神崎がいた。
「神崎さん!」
春香は大声で彼を呼んだ。
神崎は目の前の状況を理解するのに数秒を要した。あきらかに様子のおかしな人間と、それに銃を向ける新人。一体何が原因でこうなっているのか彼にも分からなかった。
「彼は有川葉です。突然学生を襲ったんです」
「御木、足を撃て!」
突然の発砲命令に春香は戸惑った。
「早くしろ!」
神崎からでは春香が射線に入ってしまい撃つことができない。春香は銃口を少し下に向け、左足に向けて一発撃った。
鈍い音が通路中に響き、二、三度壁に物がぶつかる音がした。有川の足は無傷で、春香の撃った弾が地面に当たり跳弾しただけだった。
「すみません!」
春香は思わず謝った。しかし神埼は固まったように前を見つめたままだ。
「あいつ……義体か……」
神崎は思わず呟いた。
「えっ?」
神崎の言葉が聞き取れず聞き返す。
「おい、御木! あいつ義体化してやがる」
神崎がそう叫んだと同時に、有川が素早く春香に突っ込んできた。ほぼ反射的に銃を二発発砲する。しかし有川はそれを避け、春香の胸にタックルを決めた。春香は車に轢かれたかのように後ろに吹っ飛び、背中を地面に打つ。
「完全義体化か……。なるほどな」
神崎は、春香を倒してこちらに走り込んでくる有川を見て、不敵に笑った。
見た目は貧弱そうなプログラマーであるはずの有川だが、彼の素早さは並の人間以上だった。神崎との距離を一気に詰め、瞬時に右拳を突き出した。神崎はそれを銃のグリップエンドで受け止める。右手に痛いほどの振動が伝わる。
その隙を突くように、有川が右足で膝蹴りを繰り出す。一連の動きはまるでキックボクサーのようだ。
神崎はそれを左手で受け止めたのだが、骨の折れるような音と共に彼は悲鳴を上げた。
有川はひるんだ神崎の右手から銃を払い飛ばし、首を両手で掴み、絞め上げた。もはや神崎に声を上げることはできず、足は地面を離れた。
春香が痛む身体を起こすと、有川が神崎の首を締め上げているのが目に写った。
彼女は思わず有川に銃を向けた。
しかし、すぐに撃てなかった。
電監には、捜査権や逮捕権が与えられ、代執行を行うことも許されているが、警察ではない。捜査や逮捕はあくまで機械に関わる犯罪の場合のみ与えられ、仮に目の前の人間が殺人未遂を犯していようとも彼を撃つ権利が自分にあるのかも分からなかった。
春香には、目の前にいる有川が、例え同僚の首を絞めていようとも、例え完全義体化していようとも、人間としか思えなかった。
だが法的には、完全義体化をしている彼は人間ではない。
人権の与えられていない機械でしかない。
そして、ウイルスに感染している今、彼は執行対象でしかないのだ――
一発の銃声が通路に響いた。
銃弾は有川の腹に食い込み、弾頭から電磁パルスが発生すると、彼は痙攣したように仰け反り、首を絞めていた手が緩んで仰向けに倒れた。
神崎もその場に崩れ落ち、彼の後ろには銃を構えた鳥居の姿があった。その脇には麻倉もいる。
春香は呆然としながら冷たい銃を下ろす。
鳥居が倒れ込んだ神崎に駆け寄る。
「おい、翔君。何があった?」
「……、ぉ、ぉせぇよ」
締め上げられた首を擦りながら神崎は言った。
「春香さん、大丈夫?」
麻倉は春香の肩を掴み、その場に座らせる。
『こちら一班九条。校舎外で介護ロボットの処分を完了』
『こちら一班チームブラボ。出口付近の巡視ロボットの停止を完了しました』
全員のイヤホンに通信が入った。春香はか細く笑う。
『各職員に告ぐ。代執行の完了をもって、現場の指揮権を警視庁に移譲する。各員撤退せよ』
心配そうに覗き込む麻倉に、春香は言った。
「私、まだ甘いですね……」
私は彼を撃てなかった。それは私が彼を執行対象であるロボットとしてではなく、人として見てしまったからだ。
彼と私にどれだけの違いがあるというのだろう。
春香は天井を見上げ、思った。
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