第2話 002
――1時間前 東京都千代田区
「これが東京かぁ。やっぱりすごいなー」
東京駅の丸の内中央口を出てすぐの場所で、携帯のカメラを空に向けながら、
「飛んでるドローンの数が地元とは全然違うよ」
格好こそスーツなものの、行動がおのぼりさんのそれである春香は、行き交う人やロボットの視線を集める。
「あれはどこの?」
春香がそれらのうちの一機をカメラの中心で捉えながら言った。
『あれは警視庁の巡視ドローンです』
携帯に内蔵されているAIの返事が、春香の耳に差し込まれたイヤホンを通じて聞こえてくる。
「じゃあこれは?」
別のドローンをカメラで捉えながら、左耳のイヤホンを軽く押し込む。春香の髪は濃い茶色をしたショートで、前髪は左に七割方を流している。首筋から想像される通り、身体は全体的に細く、しかしここ数ヶ月の自主的な筋トレにより華奢な感じはしない。顔つきは少し幼く、瞳は大きくて可愛いらしい。スーツのスカートもよく似合っている。
『あれはテレビ日本のドローンです』
彼はなんでも答えてくれる。明日の天気、街ですれ違った人の着ていた服のブランド、自分が今日何を食べたいか、明日何をしたいか、なんでもだ。インターネットに検索をかけたり、所有者のSNSにアクセスしたり、健康管理のリストバンドと連動することで、彼はなんでも答えることができる。便宜上、彼と呼んでいるが、人によってそれは彼女とも呼ばれる。
ドローンの飛び交う空の写真を一枚撮り、春香はそれをSNSに投稿すると、満足気にもう一度空を見上げた。
四月下旬。皇居の桜の葉が徐々に芽吹きはじめる頃、この超大都市東京に遅めの“春“がやって来た。
「目的地への案内を再開して」
画面に徒歩三十分という文字が表示される。
「うそ、ここからそんなに歩くの……?」
『ですから九段下駅のルートをおすすめしたのですが」
「だって東京駅に来たかったんだもん……。記念すべき初日だし、遠くてもいいよ……」
そう言った時、春香は道路を挟んだ向かいの広場に異変を見つけた。
『では行きましょう』
春香はその場を動かなかった。広場の真ん中で起こっていることを見つめて訝しそうな表情を浮かべる。
なにあれ? 故障かなにか?
春香の視線の先には、すれ違う人とぶつかってばかりいるロボットがいた。
『タクシーを使うルートのご提案を……』
「そうじゃないの」
ロボットは普通センサーで人や物を探知して、それらを優先して避けるようプログラムされているはず。なのに、あのロボットは人にぶつかってばかりいる。何か変だ。
春香は信号を渡り、そのロボットに近づいた。見た目は、一般的な家庭用のアンドロイドのようで、多少傷があるが、運動能力に問題はないようだった。だとすれば問題はソフトにある。
「君、止まって」
ゆっくりと駅へと歩を進めるロボットに春香は声をかけた。
だが、彼は気にせず前に進む。
あきらかに変だ。人間の呼びかけに反応しない。でも人を襲おうとはしないからトゥレラじゃない?
「ねぇ、君、止まってって!」
春香は彼の右肩を掴み、ぐっと力を込めた。ロボットはそれでも前に進もうとしたが、電力が少ないのか振り払うほどのパワーはなく、掴まれた肩を支点にガクンガクンと前後に揺れ始める。
「ちょっと、なんで言うこと聞かないの……」
反抗するロボットを前にしてどうするべきか迷った。もちろん通報するのが普通だけど、この状態で通報すればこのロボットは処分されてしまうかもしれない。でも私が原因を見つけて直せば、彼は家に帰れる。
「これの型番調べて」
春香は右手でロボットを足止めしながら、左手で携帯を持ち、カメラにロボットを満遍なく写した。
『RF-109cbです』
「それって故障とかで自主回収になってない?」
『なってませんね』
「じゃあ、このロボなんで止まんないの?」
『さぁ……』
春香はロボットの右肩をぐっと引き寄せ、耳のマイクに口を近づけた。
「君の家はどこ? 帰る場所はどこなの?」
「あ、ア、いえは、エィは、する……」
CPUの故障? でも外傷があるようには見えない……。これだけちょっかいかけても私を襲わないってことはトゥレラではないはず。発音機能に障害が?
「君、話せる? なんもいいから言って。ここはどこ?」
「駅」
今度はまともな発声だった。
私の言ったことが理解できているってことは、会話機能は正常? じゃあさっき答えられなかったのは……。
春香は左腕に掛けていたバッグを地面に置き、中を開いた。財布、簡単な化粧道具の入ったポーチ、書類などをどかし、目当てのものを探す…………あった。ダイレクトケーブルだ。
今やPoSuシステムが当たり前になってケーブルなんてほとんど必要ないけど、こういった時には役に立つ。
会話が理解できているのに、家の場所を答えられなかったのはなぜか? それは知らないからだ。
帰る場所を持たないロボットなど存在しないから、知らないということは覚えてない、つまりメモリーに問題があるのだ。
春香は自分の携帯にケーブルを挿し、次にロボットの差し込み口を探した。大抵は首筋にあるんだけど……。
「お前はバカ野郎か!」
突然後ろから大声がして、春香は慌てて振り向いた。そこには、黒のスーツ姿の長身の男が立っていた。彼を見て春香は大型犬を想起した。髪は黒色でつんつんと束で存在を主張し、服の上からでも分かるほどたくましい筋肉を全身に持っていた。両手をポケットに突っ込んではいるが、どこか生真面目さを感じさせる。
春香を見ているような気もするが、大声を出した後、男は何も言わない。人違いかと春香が前に向き直ると、また怒鳴られた。
「お前に言ってんだよ!」
「わ、私ですか?」
「そうだよ、お前だよ。そのロボットに変なもんぶっ挿そうとしてるお前だよ」
「変なものって、これはダイレクトケーブルですよ。それにお前、お前って初対面の相手に向かって失礼ではないですか?」
「それが変なものって言ってんだよ。つか、警察だって初対面の相手に年上だろうがタメ口きくだろ。それと同じだよ」
「でもあなた警察じゃないでしょ?」
春香がそう言い返すと、男はジャケットの内ポケットを探った。えっ、警察手帳? と思ったが、「あっ、ちがった」と男は言って、今度は右ポケットにつっこんでいた手から携帯を取り出した。
一瞬手元で操作した後、男は春香に近寄り、顔の前に携帯を突き出した。
そこには、「中央電脳管理局 電子機巧部 監視第一課
「え、あなた電監の人だったんですか?」
「そう。で、お前が捕まえてるそれは、ここ一週間手配中だった保菌者だ。ほら、貸せ」
神崎は春香の腕をロボットから離そうとする。
「ちょっと待ってください!」
その腕を春香は振り払い、彼女も携帯を操作し、彼の眼前に突き付けた。
春香の携帯に表示されていたのは、「中央電脳管理局 電子機巧部 監視第一課 御木春香」と書かれた免許だった。
「はぁ? お前が監視官?」
神崎はバカにしたように言った。
「そうです。私にだって彼を処分する権利があるんです」
「それ偽物だろ。俺はもう働いて五年近くなるが、お前みたいなバカは初めて見た」
「本日付で配属になったんです!」
神崎は首の後ろで手を組み、考え込むような振りをした。
「まあどっちでもいい。学校でも習っただろ。危ないロボットを見かけたら警察か電監に通報。専門性の低いことなら警察で十分だからな。ほら、どけ」
神崎は春香を押しのけ、ロボットの首を押さえた。首筋のポートの蓋を開け、そこにポケットから取り出したネジのようなものを挿し込む。すると、さっきまで決して止まることのなかったロボットが一瞬で動きを止め、その場に静止した。
「そのロボット、どうするんですか?」
「お前がもし本当の監視官なら分かってるだろ。処分だ」
「でも彼はまだ発症してない。今ならまだ救えるかもしれないんですよ」
「あのなぁ、俺らの仕事は代執行だ。所有者がもういらないと言っている以上、お前の気持ちは関係ない。それにな……」
空から一機のドローンが降りてきた。機体の横腹に「中央電監」の文字が刻まれている。神崎はそのドローンに動かなくなったロボットを固定すると、ドローンはロボットを空へと連れ去っていった。
「ロボットは道具だ。壊れたら直すか捨てる。救うなんて考えは、馬鹿げてる」
神崎は春香に背を向けながらそう言った。
「それと、もしお前が本当に監視官なら、あれに乗る権利があるが、どうする?」
そう言って神崎の指差した先には、「中央電監」の文字の入った紺と白のツートンカラーの車が一台停めてあった。
「本日付で電子機巧部 監視第一課に配属になりました、御木春香といいます。よろしくお願いします」
フロアで仕事をする職員全員に聞こえるような声で、春香は挨拶した。
中央官庁の集まる永田町から皇居を挟んだ反対側、そこにそびえ立つ地上25階、地下5階のビルは、総務省の地方支分部局の一つ、首都圏を管轄する中央電脳監理局庁舎である。
庁舎一階のフロントスペースに流れるPRムービーでは、このように説明される。
『中央電脳監理局、略して「電監」とは、総合通信局を前身とし、管轄地域のロボット・通信・放送事業者の監督、無線局の免許・検査、インターネット環境の保護を通じて、高度情報通信社会の安定と維持を推進する組織です。要するに、街中のロボットや皆さまの電子機器、ネットワーク環境の安全を守ることがお仕事です。電監の中には、それぞれの役割に応じていくつかの部や担当官が設けられており、総務部、情報通信部、放送部、無線通信部、電波監理部、電網監理部、電子機巧部の七つの部と総括調整官、信書便管理官の二つの担当官によって構成されています』
そのビルの地上12階、電子機巧部監視第一課の配置フロアに春香はいた。因みに電子機巧というのは、ロボットやAI全般を指す用語である。
彼女の自己紹介が終わっても、拍手する者はほとんどおらず、職員は黙々と作業を続けている。
「すまんねぇ。うちはいつも忙しくて」
気の良さそうな中年の男がそう言った。彼は、電子機巧部監視第一課課長、
「あ、いえ」
春香は短く返事をする。
「君のデスクはその奥の開いてるとこだから。基本的な仕事は徐々に覚えていってよ。……そうだ、おーい神崎」
黒田は突然神崎の名前を呼んだ。彼が席を立ち、こちらに来る。
「彼は神崎翔吾。君と同じ一班だ。さっきは一緒に来たけど、もしかして知り合いかな?」
「いえ、ただ来る時偶然会っただけです」
「通報先でロボットを捕まえてたのがこいつだったんすよ」
神崎はぶっきらぼうに言った。
「じゃあ御木くんはさっそく初仕事をしたわけか」
「こいつのは仕事なんて立派なものじゃないですよ」
神崎の発言に春香はむっとして言い返す。
「あれも立派な仕事です。ちゃんとした装備があれば適切な処置ができました。それに結果的にあなたの役に立ったじゃないですか」
「余計なお世話だっていうんだよ。ロボットの気持ちで考えるな。人間があってのロボットだ」
二人の様子に困惑した様子の黒田が口を挟む。
「まあ威勢がいいのはいいけど、仲良く頼むよ。神崎、お前にはこの子の教育係を頼むんだからさ」
「え、俺がですか?」
神崎が本人を目の前に露骨に嫌な顔をした。
「お前がこの仕事を一番よく知っているし、この部ができた時からここにいる。だから少し新しい風に当ってみるのもいいだろ」
神崎は首の後ろで手を組みながら、渋々同意した。どうやらこれは彼のくせらしい。
「そういうわけだから、御木君、神崎の言うことをよく聞いて、徐々に慣れていって頂戴な。うちは慢性的な人手不足だから、いるだけでありがたいんだから」
黒田はそう言うと、ふらりとフロアを出ていった。
「あ、あの、これからよろしくお願いします」
「あぁ、まあよろしく」
神崎は春香とろくに目も合わせず言った。
フロアは学校の教室二つ分ほどの広さで、デスクが二列で配置されている。そこに二十人ほどの職員が座って作業をしている。電子機巧部は、監視第一課、監視第二課、調査課、分析課の四つの課に分かれていて、それぞれが独立のオフィスを持っている。
「お前は……」
「ちょっと待ってください」
春香は神埼の言葉を遮った。
「もう同じ監視官で、同僚なんですから、お前ってのはやめてください。ちゃんと名前で呼んでください」
「……分かった。御木は、研修は受けてきてるのか?」
「えぇ、試験合格後に二週間、名古屋の方で」
「そうか。じゃあその研修の内容は全部忘れとけ」
「はっ?」
思わず聞き返してしまった。せっかく二週間あれこれ頭に詰め込んで、最終日のテストでは満点まで取ったのに……。
「研修で教えてることは実務で邪魔になるだけだ」
「どうしてですか。代執行の戒告の出し方、令書の書き方、どれも行政行為を行う上で大切なことですよ?」
「つまりそういうことだよ。非常時の場合、事後報告になることも多い。原則にそってばかりでは被害が拡がることもある」
神崎は面倒くさそうに言いながら、更に続けた。
「御木、お前はこの仕事を何か勘違いしてるようだから、初めから説明するぞ。まず、監視第一課の主な仕事である代執行は、行政代執行法、及び電子機巧取締法に基づく行政行為だ。電子機巧取締法により、故障や改造でもなんでもいいが、人間の指示に従わなくなったり、本来の挙動を逸脱した行動をとったロボット・AIは、そのロボット・AIの所有者又は占有者が速やかに処分することになってる。この場合の処分は、文字通り壊して捨てるって意味もあるが、故障部分を直すって意味も含んでる。要するに、自分のロボットがおかしくなったら、自分で責任もってどうにかしろってことだ」
「それは分かってますよ」と春香が言う。
「黙って聞いてろ。だけど、たとえば大型のロボットが暴走して人を殴り始めた時に、それを持ち主でどうにかしろって言われて、できるか?」
「まずは緊急停止信号を試します」
「それでダメなら?」
「サポートセンターに電話します」
「メーカーの対応に時間がかかる場合や対応が不可能な場合は?」
「電監に電話します」
「そう。そこで俺達の出番だ。所有者はほとんどの場合一般人であり、一般人の手には負えない事態が当然出てくる。だが法律では所有者が自分で処分することになってる。そこで、行政代執行だ。市民が課されている義務を行わない時、行政が代わりに義務を執行する。この場合、ロボットを処分する義務を、俺達電監が代わりにやってあげるというわけだ」
「だからそんなのは知ってますって」
春香は不満そうに言った。
「お前はこっからが分かってないんだよ。つまり、俺達の仕事は、ロボットの所有者が技術的にできないことを代わりにやってあげることなんだから、所有者がしたくないことや望まないことは、急迫不正の侵害に関係しない限り、原則してはいけないことになってる。例えば、ロボットが暴走したからって、危険性が少ないのに必要以上に破壊してはいけないってことだ。そのことから言うと、さっきのロボットは、所有者が廃棄を望んでるんだから、俺らがそれを勝手に修理して所有者に返すなんてことは、余計なお世話だってことだ」
神崎は少し屈んで、春香の目をぐっと覗き込んだ。
「分かったな?」
「はい……」
春香は何か言いたげなまま頷いた。
そんなことは私だって分かっている。電監の代執行の基本中の基本だ。けれど、ロボットを完全に人間の道具として扱うのに違和感を覚えるのだ。彼らも私達人間と同じように、話すし、動くし、心だって多分あるはずなのに、人間の都合一つで処分されてしまうのは、やっぱり変だと思う。
言うべきことを言い終え、神崎は自分のデスクへと戻っていった。春香も自分のデスクに置かれたダンボールを荷解きしようと一歩踏み出すと、突然フロア内に警報が鳴り響き、天井に取り付けられている赤色灯が回りだした。
一瞬、床に踏んではいけないスイッチがあったのかと焦ったが、
『警視庁から入電中。警視庁から入電中。才葉大学構内にて、警備ロボットの暴走が発生した模様。繰り返します。才葉大学構内にて、警備ロボットの暴走が発生した模様。在庁員は至急現場に急行して下さい』
とアナウンスが館内に響いた。
「おーい! 一班と二班はすぐに装備を整えて、現場に迎え。あと電網部に近隣のPoSuをすぐに切るよう伝えてくれ」
いつのまに戻っていたのか黒田課長が職員に指示を出した。
PoSuとは、日本の総面積の98%をカバーしている公共無線LAN回線のことである。さらにPoSuには無線給電の機能も備わっており、PoSuのネットワークに繋がっている限り、手持ちの電子機器の充電が切れることはない。
春香が周りを見渡すと、職員達が次々とレイドジャケットを羽織り、必要なものを持ってフロアを出て行っている。
「おい、御木。行くぞ」
神崎に呼ばれ、春香も自分のデスクから丁寧に畳まれたレイドジャケットだけを掴み、彼についていく。
「いきなり仕事ですか?」
ジャケットを着ながら、廊下を早歩きで進む。
「あぁ、そうだ。仕事覚えるには実践が一番だろ。ただな……」
神崎の横顔には緊張感が張り付いていた。
「今日のはちと厄介そうだ」
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