電脳フロントライン
花野咲真
第1話 001 ハジマリ
「今や二人に一人が高齢者です。超の付くほどの高齢化にこの国は何の手も打たずに来てしまった」
演壇に立ち、学生達に向けてそう語りかけるこの男は
細身で整った顔立ちをしていて、黒髪をきちんと撫で付けている。彼がちらりと腕時計を確認すると、時間は十時三十五分だった。
始まってから大体五分。いいペースだ。
「もちろん、僕自身が高齢者の方を相手にしたビジネスをしているわけだから、この状況に助けられている部分はあります。けれど、これほどまでの高齢化は他の先進国にも類がない」
有川の放つ言葉を、彼の左側に立つ介護ロボットが手話で同時通訳していく。
「だが、皮肉なことに私達日本人はこの前人未到の領域を、それ自体が生み出した技術によって生き抜き、今や日本は世界一のロボット大国となりました」
演壇の垂れ幕や扇状に何列も並べられた椅子の生地は、才葉大学のスクールカラーでもある縹色で、天窓から差す光が有川の話に耳を傾ける約五百人の学生と教授の頭を照らしている。
才葉大学は、東京の特別行政区渋谷にでんとキャンパスを構える私立の総合大学だ。歴史は浅いが、今や在学生は三万人を越え、世界大学ランキングではここ十年以上トップ10入りを果たし続けている。
そんな大学の大講堂で熱弁を振るう有川も、ここの卒業生だ。彼は国内の介護ロボットシェアの7割を占める四葉電機のプログラマーであり、今日は母校で後輩達に向けての講演会を頼まれていた。
「皆さんご存知かもしれませんが、僕の仕事は、ロボットのプログラムを組むことです。この時代に人間がプログラムを組むの? と思われるかもしれませんが、僕は言わばプログラマーAIの先生みたいなことをして、AIが組んでいくプログラムの道筋を示したり、こういったプログラムが欲しいとAIに作ってもらったりします」
そう言いながらふと手のひらで額の汗を拭おうとしてしまった。汗を掻くはずもないのにと自分にツッコミを入れながら、有川は再び話し出す。
「それに、AIには法律による規制などもありますから、彼らがやり難い場合は僕自身がプログラムを書くこともあります」
淡々と手話をこなすロボットの腕の動きは詰まることが無く、少し早口な有川の喋りにしっかりとついていけている。恐らくここにいる学生や職員の中で耳が聞こえない者はいないだろうが、これはある種の宣伝だ。お金がなく耳を治すことができない老人にも配慮している製品であることをアピールしている。
「フロンティア戦争からこっち、日本はもちろん世界規模で大きな変革がありましたが、ロボットやAIの発達は目覚ましいです。この国はもうロボットなしでは回らなくなっている、そうでしょう?」
有川の問いかけに学生は無言のまま同意する。講堂の隅に立つ警備ロボが得意げに辺りを見回した。
「ほら、警備ロボットも同意している」
講堂内に少し笑いが起きた。
「僕が子どもの頃、人工知能が人類を滅ぼすという話をよく耳にしました。……、今笑った人、これは冗談じゃないよ。そういうSF映画や都市伝説が流行っていたせいもあるでしょうが、なにより当時の人は自分たち以上に頭の良い存在が現れるのが怖かったんだと思います。コンピュータやAIができるまでは、人類が地球上で一番頭が良かったのですから」
この身体になってからも、第六感のような感性が働くことがたまにあるが、今日はどうも嫌な予感がする。今は、十時三十七分だった。原稿にアドリブで文章を足したにしては予定通りのペースなのにどうして……。
「でも、実際この2055年になっても、人類はこうして生きていますし、ロボットはターミネーターにはなっていません。今の子達にターミネーターって言って通じるかな?」
今度は講堂の端の方から笑いが聞こえた。
「先生方は知ってらっしゃるみたいだ。話を戻して、人間とロボットは日々協力して生きている。僕が作っている介護ロボットもそうです。ロボットができる前、介護の必要なお年寄りは、家族が面倒を見るか、介護士を雇ったり、施設に入れなくてはならなかった。でも、介護ロボットができたおかげで、家族は少ない費用で家の中でお年寄りの面倒を見ることができるようになった」
大学は社内よりもセキュリティが甘いだろうと、朝にワクチンまで打ったのだ。そんな偶然あるわけない。有川は不安を押しつぶすように拳を握りしめた。
「今の時代は、人類がかろうじてAIを道具として扱えている時代と形容されることもありますが、仮にそうだとして、人間とロボットは、協力はできていても、共存はできているのでしょうか」
有川は今日の講演会のテーマを口にした。
「機械を人間に協力させることは認めても、人間と同等の存在として共存していくことは認めたくない。そんな気持ちが皆さんの中にありませんか?」
有川はここで一度口をつぐみ、学生達を見渡した。
有川の次の言葉を期待して前を見つめる者、何かを確かめるかのように隣の友達に話しかける者、首を傾げる者、目を逸らす者。
どんな反応をしていたって、大抵の人間はこんなことには興味がない。関係がないと思っているからだ。ロボットはあくまで人間の道具であり、そのままでいいし、そのままであってくれと思っている。なぜなら自分は人間だから。血の通った肉体を持ち、言葉を話せ、人権だってある。ロボットは犬や猫と同じだ。人間と同じような権利を与えてもいいが、そういった主張をしてこないから、放っておく。
それで本当にいいのか。
次の時代を背負う学生達にそれを考えてもらうため、感染のリスクを負ってまで今日の講演会のオファーを引き受けたのだ。
「少し実際上の話からしていくと、電子機巧取締法ではロボット又はAIには必ず人間の所有者や占有者がいないといけないとなっています。これにより、導入以前から問題となっていた自動運転の車の事故などに一応の対応ができるようになっています」
左右の隅に配置されている警備ロボットが必要以上に首を動かしているのが目に入った。なんだあれは……?
「えー、ですが、その法律があることにより、この社会で今一番問題となっている…………」
講堂を切り裂くような悲鳴と目の前で起きた状況に、有川もスピーチを中断せざるを得なかった。
講堂の右端に立っていた警備ロボットがおもむろにその場を離れて、ダンベルのようなその腕で最前列に座っていた女子学生の頭を殴り飛ばしたのだ。
なにも彼女が演壇に火炎瓶を投げ込もうとしていたわけではない。ただ熱心に有川の話を聞いていた真面目な学生の頭を突然ロボットが殴ったのだ。
講堂内は一瞬にしてパニックに陥り、殴られた学生の周囲は蜂の子を散らすようにその場から逃げるか、固まったように椅子に座り込んでいる。
講堂の半数以上の人間が後方の二つの出口へと殺到したが、その先頭の人間が扉に着くより先に、別の警備ロボット二台が出口に立ち塞がっていた。
前方の人達は危険を感じて後戻りしようとしたが、状況が見えていない後方の人間たちが押し寄せ続け、それに挟まれた人々が上へと押し出されて、群衆から顔を出した。
この時点で、ここにいる人間の全員が今、何が起こっているかを把握していた。
ロボットの暴走だ――
出口付近に固まる人の群れに、後方から最初に女子学生を殴ったロボットとそれとは別のロボットの計二台が迫っていく。それに気付いた数十人が悲鳴を上げ、人々は元居た方へ戻ろうと、四方八方に瞬時に散らばる。
だが大量の人間が利己的な心理で逃げようとすれば、当然将棋倒しが起こる。倒れ込んだ人々をロボット達が見下ろし、腕を振り下ろす。
男の教授が、暴走するロボットに止まるよう命令するが、奴らがそれを聞き入れるはずもなく、彼は吹っ飛ばされた。その様子を見て、別の男性教授が消化器と一緒に常備されていた電磁パルスグレネードを手に取る。
どうせ効きはしない。
このパニックを文字通り一つ高いところから見ていた有川はそれを見て思った。
案の定、警備ロボットの足元で爆発したそれは、周囲の人々の携帯電話を壊しただけで、ロボットの動きを鈍らせることはなかった。
五年前の太陽フレア以来、大抵のロボットには電磁パルス対策が組み込まれている。市販のグレネードで対抗できるわけはない。むしろ人が密集している場所での使用は、携帯電話を故障させ、警察などへの通報が遅れる原因となる。
有川はそう冷静に分析しながら、しかし一向に携帯を手に取ろうとはしなかった。この事態が自然と収まるのを待つように状況を見つめていた。
演壇の上が安全だと気付いた人々がぞろぞろと上ってきた。そうして束の間の安息を手に入れた人々は、慌てて携帯を手に取り、警察へと通報し始めた。
僕は大丈夫だ。僕だけは大丈夫だ。
神を信じてもいないのに、有川は祈るようにそう心の中で呟いた。
その瞬間、ガンッという鈍い金属音と共に、殴られたような痛みが左顎に走った。有川はボウリングのピンのように演壇の左端まで吹っ飛んだ。倒れた有川が見上げると、さっきまで従順に彼の通訳をしていた介護ロボットが、その優しそうな表情はそのままに彼を見下ろしていた。
「お、お前が殴ったのか……?」
介護ロボットは何も答えない。ただ当たり前のように有川に近づいてくる。
安全地帯を一瞬で壊された人々はまた次の逃げ場を見つけるため、講堂内を走り回ることとなった。
介護ロボットは、お年寄りを抱きかかえるなどの力作業を求められるため、成人男性の二倍ほどのパワーを持っている。ひょっとすると、あの警備ロボより屈強かもしれなかった。
介護ロボットは有川に馬乗りになると、拳を握りしめ、腕を大きく振り上げた。
「やめろ……やめてくれ」
有川は涙の出ない目で訴えかけた。しかし、介護ロボットは高く振り上げたその拳を有川の顔面にめがけて一気に振り下ろした――
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