第13話 FishとHand

 大きなルーレットを回し、白いボールをそこへ放り込む。ボールは遠心力で端を勢いよく回り、目にも止まらない速度で数字の上を疾走した。ルーレット自体の回転が遅くなってもボールは回り続け、ポケットの上まで下がるのには少し時間がかかった。

 ようやくボールが遅くなり、ポケットの上を跳ねるようになった。そしてついに停止の時がくる。ボールは十一と書かれたすぐ下のポケットに収まった。

「永人、来たよー」

 部屋の扉を開いて、かんなが入ってきた。先輩の家に押しかけた翌日、僕は遊戯室にいた。ルーレット台の上に置いたタブレット(父親のおさがりだ)にさっきの結果を打ち込むと、かんなに向き直った。

「ありがとうかんな。他のみんなはまだだから、もう少し待っててくれ」

「いいけど、何するの?」

「それは全員揃ったら話す。そっちの方が手間が少ないだろ」

 僕はかんなにそう言いながら、もう一度ルーレットを回した。ボールを投げてまた結果が出るまで待つ。

「そう……それにしてもびっくりしたわ。まさか永人が理事長に喧嘩売るなんて」

「売ったのは喧嘩じゃないよ、ギャンブルだ」

「似たようなもんでしょ。愛する先輩を助けるために、よくやるわ」

「愛するが余計だ、変な想像するな。別にそういう気持ちがあったわけじゃ」

「そっか、でも他の人はそう思ってないみたいよ。新聞部とか」

「え? 何のこと?」

 ちょうど、石崎が入ってきているところだった。顔を見せた途端に話題に上がった石崎は、びっくりして目を見開いた。

「ほら、永人と㐂島先輩のことよ。永人が王子様になるって張り切っちゃってるから」

「他に言い方があるだろ。なんだ王子様って」

「ああ、『はちなな』のこと? いま学校中でもちきりの」

「はちななって……」

 同人誌のカップリングみたいに表現しないでほしかった。しかももちきりなのかよ。とはいえ、客観的には女子の先輩の窮地に颯爽と僕が駆け付けた感じになってしまうわけで、そういう見方が出てくるのもある程度仕方がないのかも……。

「見出しに書いたからかな。こんなに盛り上がったの先代の校長が教え子と不倫してたとき以来らしいし……」

「お前らの仕業か!」

 やっぱり仕方なくなかった。僕は石崎が手に持っていた学校新聞を取り上げて回収する。先輩は結局ギャンブル当日まで登校しないことになったのだけど、それでよかったのかもしれない。

「あー、表現規制反対!」

「プライバシーの侵害反対だよこっちは! 根も葉もないこと書いて!」

「なになに? 下世話な話?」

 僕と石崎が騒いでいると、新たな人物が遊戯室に現れた。スー先輩だ。あとに続いて山笠先輩も入ってくる。心なしか、二人とも昨日より表情が軽い。

「ほらスー先輩、今日の新聞の」

「ああ、はちなな騒動か」

「その言い方だと八月七日に起こった事件みたいですけどね」

「いいんじゃないか、私も応援しているぞ」

「だから、違うんですって」

 案の定、スー先輩はこのゴシップに乗っかって僕をからかってきた。それを少し離れたところから眺めていた山笠先輩が、僕に声をかけてくる。

「八葉、今回は本当に感謝している。感謝してもしきれないくらいだ」

「いえ、僕が勢いでやったことですから」

「それでも、それでも奈々は救われたと思う。だから、私たちは全力で八葉を手助けする。出来ることがあれば何でも言ってくれ」

「ありがとうございます、山笠先輩」

「ただ……」

「ただ?」

「その、奈々とそういう関係になるのはまだ早いんじゃないかと……まだ出会ってひと月くらいだろう?」

「山笠先輩まで! 違うんですって!」

 僕の叫びに合わせて、みんなが笑う。これで呼んだ人は揃った。一人を除いてだけど。

「で、永人が私たちを呼んだのはどういう目的? あの理事長に勝つ秘策でもあるの?」

「秘策ってほど上等な作戦じゃないけど、あるよ。それを実行するためにみんなの力を借りたい」

 僕はルーレット台に再び向き直る。とっくの昔に止まっていたルーレットは、ボールを20のところで止めていた。それをタブレットに入力し、また回す。

「ゲームは例のルーレットなんだろう? イカサマでもしなければ確実に勝てるゲームじゃない……しかも相手はあの理事長だぞ、並大抵のイカサマならすぐに見抜かれるだろう」

「大丈夫ですよ、山笠先輩。今回の作戦はイカサマにはならないものです。洞察力が未知数の理事長にイカサマを仕掛けるのは危険ですし、あとで物言いがついてややこしい話になっても嫌ですから」

「じゃあどうやって勝つの?運に頼るならあの理事長には勝てないよ」

 石崎は首をかしげて言った。一年生は体育館で見せられた六のゾロ目の印象が強すぎて、まともな勝負で理事長に勝てないように感じるのだ。

「ああ、だからこっちも策を弄する……ところでかんな」

「え、なに?」

「このルーレット、一つの数字のところにボールが入る確率はどのくらいだと思う?」

「えー何よ急に。永人じゃないんだからそんなすぐに計算できないよ」

「分数でいいから」

「えっと、数字が三十六までだから……あ、違う。ゼロがあるから三十五個で、だから一つの数字に当たるのは三十七分の一だよね」

 かんなは台に描かれたゼロの部分を指さした。このルーレット台はヨーロピアンルーレットというタイプのものらしく、数字はゼロから三十六までの計三十七個だ。

「そう、パーセントに直すとおよそ二・七パーセント。基本的にはそれで合っている」

「基本的には、ということは実は違うということかな?」

 僕の説明にスー先輩が口を挟んできた、流石鳥羽高校で二年もやってきた猛者だ。話が早い。

「そうです。極めて厳密に言えば一つの数字が当たる確率は二・七パーセントなんかじゃないはずです」

「え、どういう……」

 石崎がますますわからないといった表情でさらに首を傾げた。

「普通確率の問題には一つの前提があるんだ。例えばルーレットなら、全ての数字が出る確率は『同様に確からしい』。つまり全ての数字で確率は同じという前提だ。でも厳密に言えば、現実はそうはなっていない。このルーレットがいかに丁寧に作られていても、歪みやずれというのを全くのゼロに出来ない以上、何らかの形で確率がずれることがあるはずだ」

「要するに、溝の大きさがごくわずかに違ったり、台が傾いたりルーレットが歪んでいたりして、出やすい数字と出にくい数字が出てくるということか」

「そうです」

 山笠先輩が僕の説明に捕捉してくれた。自分でわかっていることは結構口では説明しにくいから、ありがたい。

「え、でもだよ、仮に確率が歪んだとしてもそんなの微々たるものじゃない? そんなわずかな違いで勝てるの? っていうかどうやってその数字を見つけるの?」

「ほんの少しの違いでいいんだよ。イカサマにならない範囲で、かつ理事長を出し抜くにはこれしか手がない。その少しの差異をものにするしかないんだ。……その数字を見つける方法はそんなに難しくない。要は何百回何千回とルーレットを回して、一番多くボールが入った数字がそれだ」

「でも……」

「よし、やろう」

 かんなの懸念を正面から遮り、山笠先輩がルーレットに歩み寄る。黙ってボールを手に取ると、ルーレットを回し始めた。

「山笠先輩……でも本当にこんな方法で」

「確かに心許ない作戦だ。秘策があるからと聞いてみればこんなもので、もう少し方法がなかったのかと文句の一つも言いたくなる」

「うぅ、そう言われると……」

「それでもだ」

 山笠先輩はじっとルーレットを見続けながら言う。

「少しでも勝率が上がるなら私はその方法をとりたい。少しでも、奈々がこの学校に残れる確率が上がるならどんなことだってする」

「そうだねぇ。もっといい方法が思いついたらそのときに八葉君の策を捨てればいいわけだし」

 スー先輩も冗談めかして言うと、山笠先輩の隣に立った。ルーレットが止まり、数字がわかると先輩はそれをタブレットに打ち込んでいく。

「わ、私もやります!」

 石崎も近づいて行って、ルーレットに手をかけた。それを見ていたかんながため息を吐く。

「永人らしくないよね、ほんと」

「え?」

「今までの永人ならもっとはっきり勝てる方法が思いつくまで動かなかったでしょ。それがこんな方法で、大事なことを決めるなんて」

「そうかもな……でも、不確かなことに身を任せるのもちょっとはいいかなって思い始めたんだよ。それが前向きな意味を持つなら、なおさら」

「……そう」

「手伝ってくれるか?」

「わかったわよ」

 少し呆れた響きを含んだ声で返事をすると、かんなもルーレット台の側についた。その直後、遊戯室の扉が開いてどやどやと男子生徒たちが入ってきた。見覚えのある坊主頭。

「……阿部か? どうしてここに?」

「……俺だって来たくて来たわけじゃねぇよ」

 山笠先輩が驚きと警戒を顔に出して言った。野球部の先頭に立つ阿部は明らかに不満そうな顔だ。

「なんですか? 部室の恨みを晴らそうと邪魔しに来たんですか?」

「ちげぇって! むしろ逆だ、手伝いに来たんだよ」

「手伝い?」

 阿部から飛び出した予想外の言葉に、僕は首を傾げた。かんなや石崎も不思議そうな顔をしている。生物部ひいては㐂島先輩に恨みすらある野球部が、なぜ僕たちの手伝いをしに来たのだろう。

「わかった。今日子ちゃんだろう? あの例のマネージャー。多分よりを戻すことを条件にギャンブルを仕掛けられて見事に負けたと見える。それで、罰ゲーム代わりに私たちの手伝いをさせられると」

 一人だけ、奇妙な出来事に平然としていたスー先輩がしたり顔で解説する。それを聞いていた阿部が今度は驚く番だった。

「お前どこかで見てたのかよ」

「いいや。でもわかるでしょこれくらい。ねぇ」

「ねぇって言われても……」

 スー先輩に話を振られて、僕は返す言葉が見つからなかった。九杭先輩、何を考えてる?

「罪な男だねぇ八葉君は」

「だから何の話ですか?」

「後できちんとお礼を言っておかないとねぇ」

「わかってますよ……ともかく、人手が増えるのは歓迎すべきでしょうね。試行回数が増えれば増えるほどいい。やることは説明しますから、こっちへ来てください」

「覚えてろよ八葉永人……」

 なんだかただでさえ巨大な恨みが、今回の件によってさらなる膨張を遂げている気がしたけど、僕は無視することにした。今はそんなことを気にしている場合ではない。

 全ては理事長を倒すため、㐂島先輩を学校に復帰させるためだ。

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