第14話 確定少年のStreet Bet

 かくして、僕たちの極めて地味な反逆作戦が粛々と開始された。やることはただ一つ。ルーレットを回し、結果を記録する。ルーレットの回転はなかなか止まらず、一回ごとに時間がかかってしまう。それでも昼休みや放課後に回し続け、本番直前までに二千回以上の試行を重ねることが出来た。

「こんなものかな……」

 タブレットにはその記録が全て入っている。ルーレット台は出来がいいのか、確率の偏りはごくわずかしかなかった。それでも、確かに存在する。偶然では片づけられない差異がこの台にはあった。

「ハッチーは……もうどの数字に賭けるか決めた?」

 隣に立つ㐂島先輩が不安そうな声で尋ねてきた。およそ二週間ぶりに見る先輩の制服姿だ。今は遊戯室に揃って、理事長の到着を待っているところだ。遊戯室はどこから噂を聞きつけたのか、僕たちのギャンブルを見届けようという物好きな生徒たちが大挙して押し寄せていた。

「ええ、決まりました。先輩はどうですか?」

「うん、一応考えてる数字はあるんだけど……どうかな?ハッチーにはなにか考えがある?」

 先輩は僕の顔を見上げた。僕は先輩に今回の作戦を伝えてはいなかった。イカサマではないとはいえ、あまり公言するようなものではないし、奥の手があんなあやふやな作戦では先輩を心配させるだけじゃないかと思ったからだ。それと、スー先輩が「勝ってから種明かしするほうがカッコイイだろう?」と言ったのもある。

 僕はタブレットをちらりと見た。二番目に確率が偏る数字もある。それに賭けてもらう方が、当然盤石だ。僕はそう思って口を開きかけ、やっぱりやめた。

「いいんじゃないですか? 先輩が思った数字を賭けてくださいよ。それで勝ちましょう」

「うん……そうするね」

 なんとなく、こうした方がいい気がした。理由はない。これもつい最近の僕ではありえないと、かんなに呆れられるだろうか。

「……奈々、八葉。来たみたいだぞ」

 人混みをかき分けて現れた山笠先輩が僕たちに声をかけた。この部屋のどこかにかんなや石崎、スー先輩もいるはずだけど、人が多すぎて姿は見えなかった。

「あ、理事長が来たよハッチー」

 㐂島先輩に袖を引っ張られ、僕は入り口の方を見た。人の海が割れて、その中央を理事長が歩いてくる。相変わらずどこから湧いて出るのかわからない自信を携えて、堂々として歩みぶりだ。

「こんにちは㐂島奈々君、八葉永人君。ちゃんと来たようだね」

「そちらこそ、到着が遅いんで理事長がちゃんと来るか㐂島先輩と賭けようとしていたところですよ」

「え?」

 僕の冗談に、理事長は余裕たっぷりの笑みを浮かべる。㐂島先輩は僕の言葉がジョークだと気がつかなかったのか、きょとんとした顔をした。

「さて、始めようかな……生徒諸君、こんにちは」

 理事長は後ろに立つ生徒たちに呼びかけた。何人かが挨拶につられて頭を下げる。人の塊が動いたことで、一瞬だけ九杭先輩の顔が見えた。

「知っている人も多いだろうが改めて説明させていただこう。今から私と、ここにいる二人がギャンブルをする。勝てば㐂島君は退学しなくてよくなるという取り決めだ」

 理事長が手を広げて㐂島先輩を指した。人々の目線が一斉に先輩へ注がれる。

「ルールは簡単。ルーレットでの勝負だ。お互いの数字を二つ選び、私が選んだ二つが両方とも出るまでの間に、彼らが選んだ数字が一つでも出れば彼らの勝ちだ。私の選んだ数字が先に二つとも出れば私の勝ちになる。いいかな?」

 明らかに理事長に不利なルールに、観衆は驚き半分、納得半分といった反応だった。理事長が相手にハンデを与えることが常態化しているのだろう。上級生たちには特段驚いた様子はない。

「では数字を選ぼうか。先に選んでいいよ」

 理事長がそう言って僕らに促してくる。まずは第一関門突破というべきだろうか。一番恐れていたのは、理事長から先に数字を選び、僕が選ぼうと思っていた数字を取られることだった。理事長のことだから余裕ぶって僕らに先を譲るだろうと思ってはいたけど、やはり不安点には違いなかった。

 しかしそこは乗り越えた。理事長の驕りのおかげでだ。

「じゃあ、僕はここにしますね」

 僕は赤いチップを手に取り、八の上へ置いた。ここが一番ボールが偏って入る場所だった。㐂島先輩と初めてルーレットを回したときにも賭けた場所。二千回もルーレットを回した結果を見たとき、生まれてはじめて運命を信じる人の気持ちが少しわかった気がした。

「私は……ここね」

 㐂島先輩はチップを七の上に置いた。ここも、覚えのある場所だ。

「先輩、ここって……」

「うん。ハッチーと初めてルーレットをやったときに私が賭けた場所。覚えててくれたんだ」

「言ったでしょう。忘れられるわけないって」

「ダメかな?」

「いいと思いますよ。わかりやすいですし」

「では私の番だな」

 理事長が僕たちの会話に割り込んで話しかけてきた。理事長がチップを置いたのは、ゼロと三十六の上だった。最大の数字と最小の数字。常人にはなかなか賭けられない組み合わせだ。

「私の数字にはあまり意味がないよ。なにせ私が……」

「賭けた数字にはどうせ当たるから?」

「わかってきたじゃないか」

 理事長は決め台詞を取られても動じなかった。あとはルーレットを回すだけなのだから、こんな心理的な揺さぶりも全く意味が無いんだけど、口を突いて出てしまう。

「ルーレットは君が回してくれないかな? 賭けの当事者が回すと公平性に欠けるかもしれないからね」

「……わかりました」

 理事長は側にいた山笠先輩に言う。山笠先輩は小さく頷いて、ルーレットに手をかけた。

「それでは運命の第一投だ」

 理事長の宣言と共に、山笠先輩がルーレットを回しボールを投げた。遠心力に振り回されるボールがぐるぐるとルーレットの縁を回る。それを僕と㐂島先輩が、そして遊戯室にいた全員が無言で見つめた。

 ボールの回転が遅くなり、ポケットにはまって動かなくなった。あとはルーレットの回転が止まって数字が読めるようになるのを待つだけだ。

「なっ……」

 ルーレットをじっと見つめている山笠先輩が最初に声をあげた。目を見開いて、唖然としたような表情をしている。ルーレットが次第にゆっくりになって。僕にも数字が読めるようになった。

「嘘だろ……」

 ボールが入っていたのは三十六のポケットだった。理事長は満足げに笑うと、チップを取り去った。


 四投目。ボールは十一に。

「……っ」

 七投目。四だった。

「はぁ……」

 十二投目。二十四。隣はゼロだ。危なかった。

「あっ、あぁっ……」

 十七投目。また十一に。

「うぅっ……」

「大丈夫? ハッチー」

 㐂島先輩に背中をさすられて、僕は我に返った。㐂島先輩の方を見ると、先輩を青ざめた顔をしている。嫌な汗が額を覆い、滴って全身を濡らしているのに寒気すらする。一投一投がずっしりとのしかかり、体を押しつぶそうとしてくる。この一投で全てが終わるかもしれない。先輩を失うかもしれないというプレッシャーが肺を締め付け、息をうまく出来ないでいた。僕はルーレット台にほとんどしがみつくように立つのが精いっぱいだった。

「奈々、少し休んだ方が……」

「大丈夫。私は大丈夫だから……」

 ディーラーとして中立に徹していた山笠先輩が、㐂島先輩に思わず声をかけた。㐂島先輩は言葉とは裏腹に、足が震えていて立つこともままならないような状態になっていた。僕の腕に縋って、ようやくその場にいるような状況。当たり前だ。㐂島先輩は他でもない自分自身のことがかかっている。感じる圧力は僕の比にはならないはずだ。

「さぁ、十八投目だ。そろそろケリをつけたいな」

 一方の理事長は汗一つかいていない。かかっているものの重大さが違うとか、そういう問題ではない。恐らく六発中五発が実弾のロシアンルーレットをやらされても、この人は動揺することなく引き金を引いてしまうだろう。そう確信させるだけの凄みが伝わってくる。改めて対峙してみて、とんでもない人を相手にしてしまったという後悔が僕を襲った。

 山笠先輩が心配そうな顔をしながら、ルーレットを回した。回転と同時に僕の心拍数が跳ね上がる。僕の拍動はルーレットの速度が遅くなるのに合わせて逆に早くなり、数字が読める速度に達すると最高潮になった。

 ボールは三十一のポケットに。

「……はっ! はぁ……」

 いつの間にか息が止まっていた。短く吸って吐いてを繰り返して、よどんだ空気を肺に満たした。めまいがしてきた。頭もガンガンする。

「私はこの前も言ったかな。勝利には何が必要か」

 十九投目。ルーレットが回る。

「勝利を求める意志……」

 理事長の質問には㐂島先輩が答えた。声が震えていて、今にも泣きそうだった。

「そうだ。私にはその意志がある」

「……わ、私にもあります……今は……今までにないくらい」

「そうだろうね」

 ルーレットの回転が緩やかになる。

「でも、まだだ。私には届かない」

「…………」

「私には勝利を求める意志がある。誰にも負けないくらい大きな意志がね。いつも本心では負けたがっていた君が、つい最近考えを改めたくらいでは追いつけない」

「そんな……」

 ボールは三に入っていた。山笠先輩がまたボールを手に取る。

「それにしてはしぶといがね。でもそろそろ終わりにしよう」

 ルーレットが二十回目の回転を始め、ボールが山笠先輩の手から離れた。僕の腕にしがみついていた先輩の手が、痛いほど握りしめられた。僕は先輩の手に自分の手を重ね合わせて、そしてあることに気がついた。

「……違う」

「うん?」

「違います理事長。確かに㐂島先輩一人の意志ではあなたには届かないかもしれません。でも、㐂島先輩は一人じゃない。一人でこのギャンブルを戦っているわけじゃない……」

「ハッチー……」

「ほう、面白い意見だ。その通りかもしれない。でも㐂島君に君の意志が加わったところで、私には届かないだろう。二人で越えられるほど小さな意志である気はないからな」

「それも違いますよ、理事長」

 いつもの余裕たっぷりな笑みをたたえる理事長に、僕はさらに反論した。

「㐂島先輩と僕と、二人だけじゃない。もっといます」

「……そうだ」

 山笠先輩がぽつりと呟いた。理事長が初めて驚いたような顔をして、山笠先輩の方を向く。

「あんな地味な作業を延々とさせられたんだ。勝ちを求める意志なんていやってほど高まっている。負けたら承知しないからな」

「㐂島先輩! 永人!」

 今度は観衆の真っ只中から大きな声が上がった。かんなだ。

「永人は馬鹿にするだろうけど、勝手に応援するから! 頑張れ!」

「が、頑張ってください二人とも!」

 かんなの声援に続いて、石崎の声も聞こえてきた。応援されたところで勝率は上がらない、とは言わないでおこう。

「五人人なら、ということかな?」

「それだけじゃないさ!」

 理事長の言葉を遮って、スー先輩が人混みから踊り出していた。先輩は体を観衆へ向けると、手を広げて語りかける。

「みんなも見たくないか? 理事長がギャンブルで負けて吠え面かくところをさ! いつも余裕綽々で、ギャンブルすれば必ず自分が勝つと思い込んでる勘違い野郎の鼻を明かすところを見たくないか?」

「見たい!」

 スー先輩の呼びかけに真っ先に応じたのは、九杭先輩だった。ここからだと姿が見えないが、確かにそこにいる。九杭先輩の返事が引き金になって、そこから波が生まれていた。はっきりとした言葉にならなくても、どよめきの色でわかる。みんなが、㐂島先輩が理事長に勝つところを見たいと思い始めている。

 不定形の思いは、すぐに形になった。「勝て」と誰かが言った。それを引き継ぐように、別の誰かが「理事長を倒せ」と言った。伝言ゲームのように思いが繋がっていき、遊戯室を埋めていく。

「ここにいるみんなが奈々の勝利を期待している。いや確信していると言ってもいい。奈々の勝利を確信している。今まで㐂島奈々はギャンブルに必ず負けると、そう思っていたのと同じくらいね」

 スー先輩が綺麗にまとめて、理事長を挑発した。流石の理事長も笑顔が引きつりつつある。

「一人でダメなら二人。それでダメなら全員か……面白い。しかし勝てなければ意味がないぞ」

「勝ちます……絶対に」

「ええ、この勝負負ける気がしません」

 いつの間にか、めまいも頭痛もどこかへ飛んでいた。足はしっかりと床を踏みしめている。㐂島先輩も僕にしがみつくのを止めて、自分の足で隣に立っている。

 ルーレットの回転が遅くなる。既にボールはポケットに収まっている。ゼロの描かれた緑色の下ではない。少なくともこの結果で負けが決まることはない。けれど、僕にはそれ以上の確信があった。

「……っ」

 最初に反応したのは、やはり山笠先輩だった。小さく目を見開いて、ルーレットを見つめている。

 ルーレットが遅くなった。もう、数字が読める。


 ボールが収まっていたのは、七の真下だった。

「……勝った?」

 㐂島先輩が確信の持てない声で言った。

「……勝ちましたよね?」

「勝った……勝ったよハッチー」

 数拍おいて、ようやく勝利を確信できた。喜び飛び跳ねる㐂島先輩に抱きつかれた途端、足に力が入らなくなってその場に崩れ落ちた。

「あっ、ごめんハッチー」

「大丈夫か八葉?」

 山笠先輩が慌てて駆け寄ってくる。先輩の目には薄っすらと涙が溜まっていた。バックではスー先輩たちが勝った勝ったと騒ぎ、後ろにいる生徒たちに状況を教えている。

「……あぁ、勝ったんですね。よかった……」

「うん。本当によかった。ありがとうハッチー」

 㐂島先輩と山笠先輩の手を借りて、僕は立ち上がった。再び理事長に対峙する。理事長は停止したルーレットをじっと見つめていた。

「理事長。これで約束通り、㐂島先輩の退学はなしです。学費免除の件、忘れないでくださいよ」

「……あぁ、もちろんだ。しかし驚いたな……私が負けるとは」

「どんだけ自分の自信があったんですか、理事長は」

 理事長は僕の呆れた声を聞くと笑った。いつもの余裕ぶった笑顔ではなく、子供の成長を喜ぶような優しい笑みだった。

「私がこの学校を作ってから、ギャンブルで負けたのはこれが五回目だ」

「本気で言ってるんですか?それ」

「間違いないよ。九十九先生に聞いてごらん。……ともかく、おめでとう」

 理事長はそれだけ言うと、方向転換してそそくさと遊戯室を後にした。理事長と入れ替わりにかんなや石崎、スー先輩が来る。

「よかった……よかったです㐂島先輩ぃ!」

「なんでお前が一番泣いてるんだよ石崎……」

「だってぇ……」

「ふふ、ありがとう一香ちゃん。かんなちゃんも」

「いやぁ、永人の策を信じれば絶対うまくいくと思ってましたよ」

「嘘つけ! お前が一番難色示してただろ!」

「しょうがないじゃん!あんなへぼい作戦をどや顔で言われたこっちの身にもなってよ!」

「なんだよ! どや顔はしてない!」

「はいはい。勝てたからよかったってことでひとつ」

「スーは最後にいいところをとってったな。抜け目のない」

「いいじゃないか。私はそういうキャラなんだし……ほら九杭ちゃん。あなたもおいでよ」

「え? ちょっ……」

 山笠先輩に咎められて、スー先輩がするっと輪を抜ける。そして身代わりとばかりに、自分がいた位置へ九杭先輩を引っ張って押し込めてしまった。

「あぁ、マジで気まずいのに……」

「えっと、九杭先輩?」

「ああもう、言わないで!私が悪かったから。その……いろいろと!」

「うん? 何のことハッチー?」

 ある意味「いろいろ」の元凶は、未だに自分の招いたことを理解していなかった。㐂島先輩らしいともいえるけど。

「なんでもないですよ㐂島先輩。それより、ありがとうございました九杭先輩。野球部をよこしてくれて」

「あれ? よかったでしょ。あいつ馬鹿だからより戻すってそそのかしたら一発だったわ」

 九杭先輩は得意そうな顔で言った。なんとか、仲直りできたみたいでよかった。

「みんな……本当にありがとう」

 㐂島先輩はみんなを見渡して、もう一度お礼を言った。理事長との熾烈なギャンブルが、終わった。

 僕はルーレット台の上に放置されていたタブレットを見た。ギャンブルの直前まで回し続けていた、ルーレットの記録がリストになって表示されている。八が一番多く出た数字。その上にある七は、三十七個の数字の中で一番出た回数が少ない数字だった。

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