第12話 All-In Hold’emの決断

「な、なにを言っているんだね君は?」

 僕の言葉に最初に反応したのは、周りにいた大人だった。

「理事長とギャンブル? 一体何を考えているのだね?」

 大人たちの慌てふためきように、僕の心には一筋の不安がよぎった。もしかしたらこの人たちは鳥羽高校の暗黙の了解を知らないんじゃないだろうか。ギャンブルで揉め事を解決するというのは、常識的に考えればとても学校教育にそぐうものではない。この高校を普通の高校だと思っている人が聞いたら、ひっくり返るだろう。高校の部外者に知られるのは当然まずい。

 九十九先生はただ会議があるといっただけで、相手が誰かとは言わなかった。もしかしたら勢いでまずい相手がいるときに話をしてしまったのだろうか。

「ほう、私とギャンブルか」

「どうなっているのですか全く……生徒同士ならまだしも生徒が理事長に挑むなど……」

 しかし理事長の反応と他の大人の言葉で、僕の不安は払しょくされた。少なくとも、ギャンブルの話をしてはまずい相手ではなさそうだ。

「まあ、まずは話を聞こうじゃないか? どうして私とギャンブルを?」

「三年七組の㐂島奈々が退学になろうとしていることはご存知だと思います」

「ああ、知っているよ。学費が払えないんだったね。極めて残念な話だが」

「あの人の、㐂島先輩の退学の取り消しを、学費の全額免除を賭けて僕とギャンブルをしてほしいんです」

「ほう、学費をねぇ」

「理事長、まさか受ける気ではないでしょうね? こんな戯言を……」

「戯言じゃない!」

 割り込んできた大人に声を荒げてしまい、しまったと思ったが今更この勢いを止めることは僕にもできなかった。悪い性格だとは思うけど、今はどうでもいい。

「理事長、この学校での揉め事はギャンブルで解決するんでしょう? それは生徒同士に限った話じゃないはずです。現にあなたは体育館で二人の生徒と退学を賭けてギャンブルをしたじゃないですか! 僕ともしましたよね、この部屋で! あれが出来るならこの賭けだって成立するはずです」

「そうだな。で、君は何を賭けるのだね? 君が勝てば㐂島君の退学を取り消すとして、私が勝ったら何かメリットがあるのかな?退学そのものは学校運営のルール上当然の措置だからね。予定通り実行されてもメリットにはならない」

「それももう考えてあります。……僕の学費を二倍払いましょう。そうすればメリットとして十分でしょう? そちらが勝てば学費を納めない不良債権を片付けながら、一人の生徒から倍の収益を得られる」

「ほう、また生々しい提案だな」

「学費云々の話は理事長が先に提案したんですよ。この部屋でギャンブルをやったときに」

「そうだったかな。まあいい。受けよう」

「理事長!」

 周りにいた大人が、理事長の決定を口々に諫めた。僕は喉元まで言葉が出かけたが、またぞろ余計なことを口走りそうだったのでそれを飲み込んだ。

「いいじゃないか、理事諸君。聞いたね? 八葉永人君の宣言を。それで、ゲームの内容はどうしようか。君が選んでいいぞ。私はどうせ勝つから」

 言うと思った。別にどんなゲームが来ても引く気はないが、どうせなら自分に有利なゲームがいい。その選択権を理事長はあっさり手放した。その驕りにつけこんでやる。

「ルーレット・サドンデスを。二枚チップを置いて、その数字が出るまで回し続けるゲームです」

「二枚?」

「一枚は僕の分、もう一枚は㐂島先輩の分です。あの人不在でやるわけにはいかないでしょう?」

「いいだろう。ではルーレット台は遊戯室のものを使うとしよう。そっちの方がみんな見やすい」

「いいですよ。僕もそういうつもりでした」

 遊戯室に置かれているルーレット台は重厚で、本場のカジノで使われていてもおかしくないほど立派なものだ。野球部とのギャンブルで使ったようなちゃちなイカサマは出来ないが、これも想定通りの展開だ。

「ギャンブルの実施は一週間後でいいですか? 㐂島先輩に事情を話す必要がありますし、あの人水曜日以外はバイトがあるみたいで」

「いいだろう。それと一つ提案なんだが、勝利条件に関してね」

「提案、ですか?」

「ああ。このゲームでは二枚のチップを賭けるのだろう? だったら君たちはそのうち一枚でも的中すればそれで勝ちということにしよう」

「ハンデですか?」

「ああそうだ」

「言っておきますけど、そのハンデをはねのけるほど僕はカッコよくないですよ?」

「構わないさ。どうせ勝つのは私だ」

 またも過大な自信を示しながら、理事長は言った。この展開は予想していなかったが、都合がいい。最大限利用させてもらおう。

「では一週間後、楽しみにしているよ」

「ええ、楽しみにしています」


 とりあえずこれで、ギャンブルの約束は取り付けた。あとは㐂島先輩にこのことを話すだけだ。問題は、どうやって話すかだった。僕は㐂島先輩の携帯電話の番号とかメールアドレスとか、その他連絡の取れそうな情報を一切持っていなかった。それは山笠先輩やスー先輩にしても同じらしい。だから僕は、極めて原始的な方法をとることにした。つまり、直接会いに行くという方法だ。

 高校から僕の家とは真逆の方向に行ったところに、先輩の家がある。住所は九十九先生に教えてもらった。古めかしい民家が立ち並ぶ田舎で、風に吹かれた草と稲の音しかしない、静かな場所だった。

「確か、このあたりなんだけど……」

 スマホで開いた地図では、いま僕がいるあたりに先輩の家があるらしい。しかし、一軒一軒表札を確かめても「㐂島」という苗字は見つからなかった。この辺に表札の出ていない家はないから、違う苗字のかけられた家のどれかが㐂島先輩の家のはずだが、見当もつかない。

 僕がしばらくうろうろとしていると、民家の一つから老婆が出てきて路地に置かれた鉢植えに水をやり始めた。丁度いい、この人に尋ねようと決めて僕は声をかけた。

「すいません。ちょっと聞きたいことがあるんですけど」

「はい? 何か?」

 老婆は皺だらけの顔をこちらに向けて、怪訝そうに聞き返した。僕のことを珍獣でも見るかのような目で見つめてくる。

「あの、このあたりに㐂島というお宅はありませんか?」

「㐂島? さぁ? 聞いたことないね」

 僕の質問に、老婆はぶっきらぼうに答えた。年を取って狭量になったタイプの人か。折角一時間も電車に揺られてここまで来たんだ。成果なしでは帰れない。

「じゃあ、この辺に女子高生が住んでいるお宅はありませんか」

「あぁ、そういえばあっちにある家に……」

 僕が食い下がると、老婆は猜疑心のこもった表情に変わりながら、向かいに建っている民家を指さした。このあたりの民家の中でもひときわ古い、大地震でも来たら潰れてしまいそうな平屋だ。

 僕は老婆に型通りの礼を言うと、その家へ向かった。ここに住んでいる女子高生が㐂島先輩かはわからないが、とりあえず尋ねてみよう。間違いならまた探し直せばいい。

 僕は家の玄関に立ち、チャイムのボタンを押した。何も聞こえない。何回か押して、壊れているのかもしれないという考えにいたった僕は、扉をノックしてみた。すると中からバタバタと足音が聞こえてきた。

「はい、どちら様ですか?」

 なんとなく聞き覚えのある声である気がした。でもまだ確証はない。

「すいません。道を尋ねたくて……」

「あぁ、じゃあ開けますね。ちょっと待ってください」

 立てつけの悪い引き戸ががたがたと大きな音を立てて開いた。扉の向こうに立っていたのは、初めて見る私服姿の㐂島先輩だった。ジーパンによれたパーカーという地味な格好だ。

「え、ハッチー……?」

「先輩……あ、あの……」

 僕が話し出そうとすると、先輩が慌てて扉に手をかけて閉めようとした。けれど扉はスムーズに動かなかったので、僕はその隙に体を捻って家の中に滑り込んだ。

「なんで……ハッチーがここに……」

「住所は九十九先生から聞きました。驚かせてすいません。でも、話さなきゃいけないことがあって……」

 無理やり中に入ったせいで、扉を閉めようとしていた先輩との距離が異様に近くなってしまった。お互いの息がかかりそうなほど近い。そのことに気がついて、先輩が僕から距離をとった。

「あ、えっと……じゃあ、とりあえず上がって? こんなところじゃ、その、なんだから」

「あっ……すいません。お邪魔します……」

 ぎくしゃくしたやり取りを経て、僕は先輩の家に上がった。外見から予想した通り、中も相当古ぼけていた。いや、壊れかけていてボロボロといった方がいいだろう。床もところどころへこんで歪んでいるし、天井には雨漏りしたようなシミがいたることろにある。

 僕は先輩の誘導で、居間に入った。六畳くらいの空間に、ちゃぶ台が置かれている以外はほとんどものらしいものがない。身も蓋もない言い方をすれば、殺風景の一言に尽きた。

「あの、本当だったらお茶とか出すべきなんだろうけど、そういうの用意がないから……ごめんね?」

「いえ、こっちこそ急に押しかけてすいません……」

 揃って居間に座ると、先輩が口を開いた。さっきから謝罪の応酬になってしまっている。学校にいたときは勢いで突き進んでいたけど、いざ素面に戻るといろいろととんでもないことをしているような気がする。先輩の家を尋ねるのも、せめて電話でアポをとるとかすべきだったと今更思った。先生に聞けば固定電話の番号くらいわかっただろうに。

「その、先輩……」

「あのねハッチー……」

 今度は二人で同時に口を開いてしまう。しばらく気まずい沈黙が流れて、先輩が再び話し始めた。

「あの、ハッチーが来た用件は大体わかるよ……私が学校辞めることでしょ?」

「はい、そのことで……」

「ごめん。ごめんなさい……あなたにはせめて言うべきだった」

「それは、その……先輩、責めるわけじゃないんですけど、えっと……なんで僕に言ってくれなかったんですか?」

 口に出してから、しまったと思った。責めるわけではないとは言ったものの、どうしても問い詰めるような口調になってしまっていた。だったら言わない方がよかったのだが、先輩の退学のことを聞いてからずっと胸の中を渦巻いていたものが口をついて出てしまった。

 先輩は、ずっと俯いてこちらを見なかった。髪が垂れて顔を隠し、表情も読み取れない。

「ごめんなさい、その……言えなくて。どう言っていいかわからなくて。ハッチーが怒るのも当然だよね。勝手に部活に引き込んでおいて、今度は急にいなくなるなんて」

「怒ってるわけじゃ……ただ、びっくりして……突然だったので」

 僕は否定したけど、先輩はそうは思わなかったらしい。首を振って言葉を続けた。

「ううん、いいの……ただ、悪気があったわけじゃないってことはわかって欲しくて」

「ええ、それはわかります……あの……」

「なに?」

「どうしてこんなことに……いや、話したくないならいいんですけど」

 話を変えようと一生懸命話題を頭からひねり出して、結局もっと言いにくいだろうところへ行きついてしまった。かんなとかを連れてきた方がスムーズにいったのかもしれない。

「学費のこと? そうね……うちってほら、見ての通り貧乏じゃない。だから、学費とか払う余裕がなくなっちゃって」

「ご両親は、どちらに?」

「今はいないの。お母さんは昔に死んじゃって、お父さんも三年前だったかな? 高校入学直前くらいに出てっちゃったから」

「あの、すいません本当に」

「いいの、ハッチー。話させて」

 話せば話すほど深みにはまっていくように思えた。僕はここに来たことを後悔し始めていた。先輩の家に押しかけて、挙句話しにくい個人的なことを喋らせている。最低だ。カッとなって動くのではなく、もう少し立ち止まって考えればよかった。

「それでね、バイトして、生活は何とか出来るかなって感じなんだけど……やっぱり学費までは無理だった」

「その、親戚の人とかもいないんですか?」

「うん。私は知らないかな」

「そう、ですか……」

 沈黙。何を言えばいいわからない。気持ちはわかりますとか? 両親健在で悠々と私立高校に通える僕に何がわかる。

「あのね、ハッチー……最後にお願いがあるの」

「……お願い?」

「うん。私のことは、もう忘れて」

「え?」

 先輩は、意を決したように僕の顔を見つめると、そう宣言した。僕は予想していなかった言葉に、口が塞がらなくなる。

「ハッチーは高校に入ってまだひと月経つかどうかでしょう? ダメだよ、こんなこと引きずって残りの三年間過ごすなんて……もう生物部も廃部でいい。別のところへ行って、私のことはすぱっと忘れて、高校生活を楽しんで」

「でも」

「お願い」

 先輩の言葉には、有無を言わせない強い決意が込められていた。先輩にここまではっきりと何かを要求されるのは、初めてだった。

「私なんかのせいで、ハッチーが悩むなんて嫌だよ……だから忘れて。私のことはなかったことにして。お願いだから」

「……無理ですよ」

「……お願いよ……」

 先輩の目に涙が溜まっている。膝の上で拳を握りしめている。こんな状況におかれた先輩の気持ちなんて、境遇の全く違う僕にはこれっぽちもわからないけど、でも、一つだけわかることもあった。

「先輩、本当に思ってます? 僕に忘れて欲しいだなんて」

「……それは……」

「先輩はいつも、言葉と本心がちょっとずれるんでしょう。他人を傷つけない方へ、自分が傷つく方へ。先輩、だから今回も……」

「だったら、どうしろっていうの……」

 先輩が振り絞るように呟いた。涙が瞳から零れ落ちてちゃぶ台の上を濡らしていく。

「私だって、本当は……本当は嫌だよ……学校も辞めたくないし、ハッチーに忘れてほしくもないよ……でも、ダメなの。どうしようもないの。学校には居られないし、ハッチーに覚えてもらっていても、あなたを悩ませるだけだから……」

「だから、忘れろなんて言ったんですね」

 先輩は無言でうなずく。僕は小さくため息をついてから、言葉を続けた。

「無茶言わないでくださいよ。先輩のこと忘れろなんて、出来るわけないでしょう。生物部の部室が倉庫で、その扉と四苦八苦している人が部長で、しかも部員が二人しかいないって。かと思ったらいきなりギャンブルが始まって、一回で負けちゃうし。聞けば先輩は今まで一回も勝ったことないっていうじゃないですか。そしてその直後に野球部が来てギャンブルする羽目になるし!」

「……」

 話し始めてみると、堰を切ったように言葉があふれ出した。たったひと月、しかも毎日会っていたわけじゃない。そんな短い交流だったけど、先輩の存在は確実に僕の心に根付いていた。下手すると、幼馴染で長い間一緒にいたはずのかんなよりもだ。

 先輩は僕の言葉を黙って聞いている。

「そんな無茶苦茶、忘れようと思っても無理ですよ」

「……」

「先輩、そういえば覚えていますか? 初めて先輩とやったギャンブル。勝ったら負けた方が一つ言うことを聞くって、そういうルールでしたよね」

「うん、そう言えばそうだったね……ごめんね、それも守れなくて」

「いま、そのルールを使ってもいいですか?」

「……うん、なぁに?」

「諦めないでください」

「……え?」

 今度は先輩が驚く番だった。赤くなった眼で、僕をキョトンと見つめてくる。

「理事長にギャンブルを申し込みました。勝てば先輩は退学する必要がなくなります。学費が免除されるので」

「え、えっと……それって……」

「先輩、だからせめて、そのギャンブルが終わるまでは諦めないでください。僕に自分のことを忘れろとか言うのもなしです。まだ先輩の退学は確定したわけじゃないんですから」

「じゃ、じゃあ……」

 先輩が震えた声をあげる。信じられないと、顔に書いてあった。

「私、また学校に戻れるの? 辞めなくていいの?」

「ええ、理事長に勝てばですけど」

「あ、あぁ……」

 先輩は顔を手で覆って、肩を震わせて泣き出してしまった。うまく声が言葉にならないようで、呻き声を手の間から漏らしている。僕は先輩の側まで移動して、肩を抱く。

「あ、ありがとうハッチー。私、嬉しくて……」

「じゃあこのギャンブル、受けてくれますね? 僕と一緒に」

「うん、やるよ。私、今度は勝つから。だからっ……」

「ええ、戦いましょう。理事長に勝つんです」

「わかった。一緒に」


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