第10話 確定計算のSurrender
「うっそだろう!」
「はぁ?」
「悪いな、スー」
突然の行動に、その場にいた全員が驚き狼狽えていた。いかにも優等生らしいプレーをしそうな山笠先輩が、二回目という早い段階で手持ちのチップ全てを投げ出すという蛮行に打って出たのだ、驚きもする。九杭先輩ですら不機嫌な表情が吹き飛んで素に戻っていた。その中で唯一、㐂島先輩だけが「すごい! やっぱり流石弥生ちゃんだ!」と、手を叩いて喜んでいた。山笠先輩をよく知る人にとっては、既に見知ったプレースタイルなのかもしれない。
ともかく、スー先輩の手持ちのチップは十一枚。最低一枚は誰かに賭けなければいけないから、もしスー先輩の手札が二十一に一番近いのであれば、わずか二回目にして手持ちが残り一枚ということになる。この後のスー先輩の予想が外れる限りにおいてだけど。
「お前は人の嫌がることをしたがるからな。かえってわかりやすいんだよ……お前なら二十一に手札が揃ったら危険でも絶対にもう一枚引くなんてことはしない。きちんと揃った手札を見せつけて笑いたいんだろう?」
「いやまだだ……まだ負けが決まったわけじゃない……」
スー先輩は案外突発的な状況変化に弱いのか、わなわなと震えながらチップをつまんでいた。ざっと周りのプレイヤーを見渡したあと、二枚を九杭先輩に賭けた。
「え? いいの?」
すっかり不機嫌が鳴りをひそめた九杭先輩が驚いた声で言った。この賭け方で外せば、スー先輩の手持ちはゼロになり脱落するからだ。九杭先輩の言葉にスー先輩は大きく頷いた。
「いいんだよ。一枚だけ残ってもじり貧だからね。だったら思いっきり二枚賭けるべきだよ」
「そう……えっと……じゃあ……」
スー先輩の答えに納得したのか、九杭先輩はテーブルに向き直り大きな目を泳がせながら思案を始めた。そして山笠先輩へ二枚チップを賭ける。
そうか、あの大胆な行動そのものがブラフの一環だと九杭先輩は思ったのかもしれない。あれだけ自信満々なら疑いはスー先輩へ否応なく向くが、十二プラスアルファの山笠先輩も決して安全圏ではないのだ。やっぱり九杭先輩、キャラのわりに手堅いプレーをする。
「え、私?そうだな……」
周りの状況に一番影響されそうな石崎は山笠先輩の行動に一応驚いているものの、あまり狼狽えている様子はなかった。自分が安全圏にいるという確信があるせいだろうか。あるいは自分の手札ばかり見ているのか。
石崎は少しだけ悩んだあと、チップを一枚だけ僕の前に置いた。それを見た㐂島先輩がオープンのコールをかけた。
山笠先輩のカードはダイヤのAで合計二十三だった。スー先輩はクラブのAで合計二十一、山笠先輩の予想した通りドンピシャだった。九杭先輩がハートの五、石崎がスペードの七でそれぞれの合計は十五と十三だった。
「くっそぉ……もう少し一年生をおちょくって楽しむつもりだったのに……」
「去り際になんてことを」
スー先輩は悔しそうに顔を歪めながら、手持ちのチップ全てを山笠先輩へ差し出した。これで山笠先輩の手持ちは、スー先輩と九杭先輩から賭けられた計三枚を加えて二十一枚になりトップに躍り出る。僕は変動なしの十四枚、九杭先輩も変動なしで九枚。石崎は一枚減って六枚になった。
「さて、あとは一枚ずつでも賭けていけばいいかな。そして確実に仕留められるときに沢山賭けよう。なにせ私のチップは二十一枚もあるんだからな」
「ひぃ、サディストだ……」
まるで敗北したスー先輩が乗り移ったような、意地の悪い笑みを浮かべて山笠先輩が宣言した。王者の貫禄か。石崎が慄いて体を震わせている。
「も、もう無理……かんな代わって……」
「い、嫌だよあんな魔王みたいな人相手するの!」
「誰が魔王だ」
「ひぃ!」
応援団であったはずのかんなは石崎とプレイヤーの役割を押し付け合うような始末だった。少なくともこのゲームを見ている生徒は全員、風紀委員長に逆らうべきではないことを魂のレベルで学ぶことになっただろう。
「えっと、じゃあ三回目だけどいい?」
「ああ、どーんと配ってくれ!」
「スー先輩は脱落したでしょう」
小ボケを挟むことのできる機会を寸分逃さず捕えるスー先輩には、僕が対処した。一方でラスボス戦が繰り広げられ、もう一方で漫才が行われる混沌としたテーブルになってきてしまった。
「えっと、配るよ?」
「ああ、頼む」
もう一度㐂島先輩が尋ねて、今度は山笠先輩が応じた。先輩はこのカオスを取り仕切ろうという意気込みを新たにしたのか、小さく「よし」と気合を入れてからカードを配り始めた。
一枚目。僕の手元のカードはスペードのKだ。それを確認しているとすぐに二枚目が来た。スー先輩が抜けた分テンポがちょっと早い。僕がハートの二、山笠先輩がクラブの六、九杭先輩がスペードのA、石崎がスペードの四だった。僕の手札の合計は十二。このままスタンドして安全圏にいることをアピールしてもいいし、一番枚数が多かったときはそうすべきだった。しかし今は七枚も僕より多くチップを持つ山笠先輩に勝たなければならない。あの人みたいに大量にチップを賭けるのが手っ取り早いけど、外したときのリスクが大きすぎる。二十一に近いことを匂わせてチップを自分の元に集めるのが安全だ。
「先輩、ヒットで」
「うん。どうぞ」
先輩からカードを一枚貰う。ハートの九だ。本当にジャスト二十一になってしまった。
「ヒットだ」
「ヒット」
「ヒ、ヒット」
今回は他のプレイヤーも次々とカードを引いた。山笠先輩はダイヤのA、九杭先輩がクラブの三で石崎がハートの八だ。山笠先輩と石崎はさて置くとして、やはり九杭先輩の挙動が気になる。Aが表になっているなら引くことなく二十一に近いと装えるけど、そうしなかったのは実は一枚目も十とかで、二十一ちょうどになってしまったからだろうか。それともそういうふりをしていて、引いてみたら本当に二十一になってしまったという可能性もある。
「決まった、ハッチー?」
「ちょっと、待ってくださいね……」
山笠先輩は既に合計が十七。石崎は十二だ。九杭先輩は十四。山笠先輩はありなさそうに見えるが、確率にそこまでの差があるというわけでもない。というよりも、僕の手札が二十一になってしまっていることの方を心配したほうがいいかもしれない。ここは……。
「石崎に、四枚だ」
「ええ、だからなんで私なの?」
目の前に置かれた多量のチップを見つめながら、石崎がこの世の終わりを目の当たりにしたかのような声をあげた。かんなが背後でブーブーとわかりやすいブーイングをしていてうるさい。
「僕にはお前が二十一に近い手札を持っていることがわかっている。じゃなきゃ四枚も賭けたりしないだろ?」
「一体どうしてわかるの……」
「それは自分で考えたらいいだろ。自分の手の内を晒す気はないからな」
僕は努めて自信満々に聞こえる声で喋った。無論わかるわけがない。僕の目には透視機能なんてないのだから。だけど自分から目をそらさせ、石崎に注目させる必要がある。自分が二十一を持っていることがばれてはいけない。
「じゃあ私も、それにのろうかな」
「えぇ!」
山笠先輩がさらに一枚チップを追加するのを見て、石崎が悲痛な叫びをあげた。これで石崎に賭けられたチップは五枚になり、自分の予想を外せば三回目で脱落が確定する。僕が二十一だからこのシナリオはまずありえないけど、ここまで早いペースでゲームが展開するなら十回とか必要なかっただろう。
「じゃあ私は、ここ」
九杭先輩の番だ。先輩は迷うそぶりを見せずに、チップを握り込んだ拳を僕の目の前に突き出して、手を開いた。手から零れ落ちたチップの枚数は、五枚。
「え?」
「やっぱり。不確実なあんたが急にチップを大量に賭けたから疑ってたけど、何かあるんでしょ、目的が」
僕は先輩の追及に窮した。見抜かれている。やっぱりこの人、強いぞ。人数が減って的中確率が当たる、しかし減り過ぎて高額賭けが乱発される前の今の状況を待って勝負を仕掛けてきたのか? しかも決して多すぎない枚数を投げてきた。
「あ、じゃあ私も」
「おい!」
九杭先輩の自信ありげな様子に勇気をもらったのか、石崎も一枚だけ僕へ賭けた。これで僕へ賭けられたチップは六枚になってしまう。陽動作戦は大失敗だ。
「それじゃ、オープン」
㐂島先輩の号令でカードを表返す。山笠先輩のカードはスペードの十で合計二十七。九杭先輩はクラブのQで合計二十三、石崎はハートの三で合計十五。当然二十一ちょうどの手札を持っている僕に賭けた九杭先輩と石崎が的中ということになった。
「やった!」
「ナイス一香!」
ようやく運が巡ってきたことを確信したのか、石崎が無邪気に喜んだ。僕は彼女にチップを一枚押しやると、九杭先輩にも五枚渡した。これで僕の手持ちはたったの四枚だ。山笠先輩は二十枚、石崎は八枚。九杭先輩が一気に増やして十三枚になった。
「あぁ、ハッチー……」
「あ、あんなにあったのに……」
「これが『他力本願』の恐ろしいところだな。自分がどう賭けようが、他のプレイヤーに狙われたら一気に身ぐるみはがされる可能性がある」
実際に山笠先輩に身ぐるみを剥がされたスー先輩がしたり顔で頷いていた。
「さて、この勝負に勝ったら八葉に何をさせようかな」
「まだ勝ち誇るには早いんじゃないですか?山笠先輩だって、一気にチップを減らす可能性は残ってるんですから」
㐂島先輩が四回目のカードを配り始めた。山笠先輩はもう勝利を確信しているのか、実にリラックスしている。自信満々だな。
「いいじゃないか。勝負に勝ったときのことを考えるのも、こういう勝負でツキを呼ぶのに重要だぞ。理事長がいつも言っているだろう、運は勝ちを求めるものにまわってくると」
「あ、じゃあ私が勝ったら八葉君に独占インタビューするね。タイトルはずばり『八葉永人はいかにして勝利を呼び込んだのか』」
「負けてるけどな。そのインタビューが実現した場合」
「私はハッチーに答えをはっきりさせてもらおっと」
「……九杭先輩もしぶといですね」
「まぁこれは八葉君が悪い。勝っても負けてもそこははっきりさせた方がいいよ」
九杭先輩との話がここまでこじれた一因であるスー先輩が、適当な口調で言った。もう一つの原因であるところの㐂島先輩も、スー先輩に同意するように頷いている。誰のせいだ。
「……山笠先輩は僕に何させたいんですか?勝ったらの話ですけど」
「そうだな……通学路のゴミ拾いと草むしりなんてどうだ? ちょうど風紀委員は毎年この時期にやるんだが、人手は多い方がいい。四人も増えたらだいぶ違うぞ」
「……なるほど」
山笠先輩の野望が明らかになっているところに、二枚目のカードが配られた。僕の一枚目はダイヤの八、二枚目がハートの七だ。合計は十五か。山笠先輩はスペードのQ、九杭先輩がクラブの三、石崎がハートのA。
「スタンドで」
これ以上チップを巻き上げられるわけにはいかない。ここはブラフを張るよりも安全性を重視してプレーすべきだ。そう判断した僕は㐂島先輩へスタンドを宣言した。
「私もスタンドだ」
山笠先輩もこれに続いた。この人の手札では二十一に近いのか遠いのか全く判断がつかない。
「私はヒット」
九杭先輩は一枚引いた。手元へ行ったのはスペードの三だった。先輩の目元が少し歪んだように見えた。あまりいい手札ではなかったのか?
「私は……ヒット!」
石崎も一枚追加で引く。ダイヤのJだ。表情なんて読まなくても手札の惨状はわかるが、石崎はショックを受けたような顔をしていた。表になっている二枚で既に二十一になっているのだから、石崎が二十一に一番近いということはなさそうだ。
「それじゃあ、賭ける相手を選んでね」
この場合、山笠先輩と九杭先輩の二択と考えていいだろう。問題は、どっちがより二十一に近いかだ。一枚追加で引いて六プラスアルファの九杭先輩より、初めから十プラスアルファの山笠先輩の方が近いような気がするけど……いや、二十一に近かったら山笠先輩も追加で引くんじゃないか?逆に九杭先輩は自分が二十一に近いと見せかけるために追加で引いて、本当に二十一に近くなってしまったのではないか?
「……いや、考えても埒が明かないな……」
「うん?」
僕の独り言に山笠先輩が反応した。このゲーム、さっきからいろいろ考えてきてはいたけど、あまり意味がある行為ではなかったんじゃないかと僕は思い始めていた。結局、手の内を知っているのは自分自身だけだ。ここでいくら考えても、可能性が文字通り無数である以上一つに答えを絞ることは出来ない。ルーレットみたいに余計な溝を埋めてしまうことは出来ないのだ。不確定要素がどうしても残るのであれば、必死に頭を使って出した答えと当てずっぽうで選んだ答え、その二つに違いなんてあるのだろうか。
だったら一発、でかい勝負に出てみるか。考えるのはやめてしまって。
「これで」
僕は残っていた四枚のチップ全てを、九杭先輩に賭けた。すると頭を支配していたもやもやが、急に引いていくような感覚に囚われた。視界がはっきりとするような、けれどもしっくりこない感覚だ。なんでだろうか。
「ふぅん。らしくない手じゃん」
「そうかもしれませんね……でももう、慎重に手を打っていてもじり貧ですから。一発逆転を狙うほうがいいかなと」
「……そう」
山笠先輩が僕らのやり取りを眺めながら、同じく九杭先輩へ一枚賭けた。
「いいんじゃないか。考えても仕方がないときっていうのはある」
「そうですか? 自分で賭けておいてなんですけど、妙な気分なんですよね。もっと考えて打てる手があったんじゃないかって気もしていて……」
「いや、別に考えなくてもいいんだぞ。考えずとも前向きに勝利を信じることは出来る」
「そりゃあ、スー先輩はそうかもしれないですけど」
「あーいま先輩を馬鹿にしたな?」
「普段の行いのせいでしょう?」
「でもハッチーはあれこれ考えないと気が済まないっていうか、そうやって勝ちを掴みに行くタイプなんでしょ?」
九杭先輩が僕とスー先輩の応酬に口を挟んだ。先輩はチップを手に取ってからさほど思案する様子もなく、二枚を山笠先輩へ賭けた。
「九杭先輩にはそういう風に見えてたんですか?僕のこと」
「まぁね。だから意外っていうか」
「でもいいもんだろう? 無責任にばーんと大金賭けるのも」
スー先輩がギャンブル中毒患者みたいなことを放言した。僕は不確定に身を任せて快楽を感じるなんてぞっとしないように思っていた。
「まぁ、そうかもしれないですね」
「ふぅん……」
でもいまの僕が、全財産を九杭先輩にぶん投げたことを心地よく思っているのも事実だった。思考を手放して、どちらに倒れるかわからない天秤に乗っている。そのことが、少しだけど楽しい。
「なるほど、考えるのが八葉君の勝利の秘訣か。これはいい記事なりそう」
「そういう石崎はどうなんだ?ちゃんと考えてやってるのか?」
「全然!」
「……羨ましいよ」
石崎は全く自慢できないことを堂々と言ってのける。考えていないという意味では彼女は極めつきだが、勝負を諦めていない雰囲気があった。
「お前勝つ気あるのか?」
「うん、もちろん!」
「羨ましい……」
この呟きは㐂島先輩だ。今まで一度も勝っていない身の上からしても、石崎の適当さ加減は賞賛に値するらしい。
「で、勝つ気満々の石崎一香はどこに賭けるんだ?」
「ここだぁ!」
大仰な宣言のわりに、石崎が賭けたのは一枚だけだった。そのチップは九杭先輩の前へ置かれた。
「運命の一戦だな。八葉君にとっては」
「それじゃ、いくよ?」
㐂島先輩がコールをかける前に、それぞれのプレイヤーに目配せした。全員がそれに答えて、小さく頷く。
カードに手をかけ、開く準備をする。肌がひりひりと焼けつくような錯覚を覚えた。心臓が高鳴る。普通なら不快なはずの心拍数の上昇が、僕を興奮させていることがはっきりと分かった。
このギャンブルで考え過ぎて、頭がどうかしてしまったのだろうか。
「よし、オープン!」
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