第4話 勝利へのStand
「本当にありがとう、八葉君」
「あぁ……気にしないでください。何というか、ほとんど勢いでしたし」
野球部への宣言のあと、僕と先輩は校舎の二階をぶらついていた。日差しは傾きかけていて、オレンジ色の光が窓から廊下に差し込んでいた。
野球部は僕の宣言したギャンブルをそのまま受け入れた。急展開に焦りはしたものの、どんな勝負でも勝てるという思い込みは揺らがなかったようで阿部は「じゃあ準備もそっちがしとけよ。場所はここでいいな」と言うだけ言って帰っていった。一方の今日子は平坦な口調で「ウケルー」と笑いながら去っていった。あの場では彼女がある意味一番豪胆だったのかもしれない。
「ところで先輩。僕も一つ確認したいことがあるんですけど」
「なぁに?」
「先輩がギャンブルに一度も勝ったことがないのは本当なんですよね?」
「うん、そうだけど」
「それって、イカサマされてませんか?」
二人の足が止まった。きょとんとした顔で先輩が僕を見てくる。
僕が気になっていたのは、どうして先輩が疫病神と言われるほど勝負に勝てないかということだ。さっきも軽く計算したように、二年間の高校生活で相当数のギャンブルをしてきて、それでも一度も勝てないというのは確率的にありえない。であれば、その原因は一つしか考えられなかった。
「私がイカサマのカモにされてるってこと?」
「まぁ、可能性としてはありうるのかなと」
先輩は難しい顔をして唸った。そしてすぐに顔を横に振る。
「いや、それはないんじゃないかなぁ……普通ギャンブルには公平な立会人がいて見張っているし。それにイカサマのしようがないゲームでも勝ったことないよ私。自分が振ったコインの裏表を当てるやつとか」
「そう……ですか」
立会人は買収され得るし、イカサマの出来ないゲームはないのかもしれない。けれど疑い出したらキリがないか。それにもしイカサマのカモになっているのであれば、むしろ疑われないようにある程度負けを装うこともあるだろう。
「そういえば先輩。この学校ってイカサマした奴はどうなるんですかね」
「うーん、ルール上はそのゲームに負けて……それくらいだったかなぁ」
「案外甘い裁定なんですね」
「そうだね。でも一回イカサマしちゃうと他の人にも疑われて、それ以降勝負が成立しにくくなるからあんまりやる人はいないかなぁ」
「なるほど、そうですか」
つまりこの学校の生徒は、ギャンブルが出来なくなって勝利で利益を得られなくなる状況に立たされるリスクを負うことはあまりしないのか。それよりは潔く敗北のリスクを受け入れた方がいいと。
「はぁ……本当に大丈夫なのかな……」
先輩がふとため息を漏らして、窓の外を見た。ここからは広い陸上トラックが一望できる。視界の端には、生物部の部室になっている倉庫の屋根もわずかに見えた。
「先輩と一緒にギャンブルした人も勝てなくなる、というのも本当なんですか?」
「うん、不思議とね。だからみんないなくなっちゃった」
先輩がしんみりと言った。この人は落ち込んでいると、本当に小さく見える。僕は明るい声になるように努めて「じゃあ僕が初めての人ですね。先輩と一緒にギャンブルに勝つ」と言った。
「ところでハッチー、聞きたいことが……」
「ハッチー!?」
突然先輩に聞き慣れないあだ名で呼ばれて、さっきまでの落ち込んだ雰囲気はどこへやらで僕は面食らってしまった。ハッチーなんて名前で呼ばれたことなんて今までなかった。
「うん、八葉だからハッチー」
「ああ、そういう発想ですか……」
「ずっと名字で呼ぶのも他人行儀かなって思って。だめかな……」
先輩は少し不安そうな顔で聞いてきた。もちろん断る理由はなかった。ちょっと気恥ずかしいけど。
「ええ、いいですよ。ハッチーで」
「よかった!ありがとうハッチー!」
先輩は嬉しそうに言うと、一人でハッチーハッチーと口に出して笑った。自分でつけたあだ名が気に入ったらしい。
「あの先輩、僕に聞きたいことがあったんじゃ」
「ああそうだった、あのねハッチー、ふふっ」
僕をあだ名で呼んで、もう一度先輩は嬉しそうに笑う。
「なんで野球部とのギャンブルを一週間後にしたのかなって思って。ルーレットだったらすぐに出来たでしょ?」
実は僕の考えている「作戦」に準備期間が必要だというだけの話だったけど、いまここで先輩にその内容を言うことはしたくなかった。止められるかもしれないし、仮にオーケーが出ても、何か仕掛けていると先輩の反応から相手に見破られる可能性があった。㐂島先輩は嘘をうまくつける人間ではないことは、部室でのやりとりでわかっていた。
「そのことですか。あれはとりあえず時間を稼ごうかなと思って言っただけですよ。ほら、僕ってまだ入学二日目でギャンブルも先輩と一回しただけじゃないですか。だから他の人とも適当に勝負して、高校でのギャンブルの雰囲気を掴む時間が欲しいなって」
「へぇ、ちゃんと考えてたんだね。すごい!」
なので適当な話を先輩にはしておくことにした。僕の場当たり的な発言を考え抜かれたものとして受け取ったようで、先輩はシンプルな賞賛の言葉を僕に送った。適当な思いつきでも褒められる分には悪い気はしない。
「で、今はその相手を探してるところなんだ」
「ええ、でも案外見つからないものですね。方々でギャンブルが勃発しているもんだと思いましたけど」
「小さなギャンブルなら探せばすぐ見つかると思うよ。流石に部室を賭けるレベルのギャンブルは滅多にないけど」
僕たちはそのまま歩いて、校舎の吹き抜けにまでたどり着いた。裏口の真上に当たる部分だ。すぐ下の階には人だかりができていて、喧騒が聞こえてくる。僕たちのいる二階にもそれを見物する生徒がちらほら見受けられた。
「なにかやってるのかなぁ」
先輩が背伸びして手すりから顔を出して下を覗いた。僕もそれに続いて下を伺う。中心にはどこかの教室から拝借してきたらしい机がいくつか並び、そばには上級生らしい生徒が数人立っていた。周りの人のざわめきで声がはっきり聞こえないけど、その手振り身振りから察するに集まっている他の生徒に何かを説明しているようだった。
「あ、弥生ちゃんだ」
つま先立ちの足をぷるぷると震えさせながら、下を見ていた先輩が指をさした。その先、人だかりの中心には背の高い、バサバサした短髪の女子生徒が腕組みしながら立っていた。
「知り合いですか?」
「うん、同じクラスの山笠弥生ちゃんだよ。風紀委員会の委員長なんだ」
「へぇ。言われてみればそんな感じしますね」
山笠と呼ばれた先輩の目つきは遠くからでもわかるくらい鋭く、ルールや規則に厳しい人間であることを想像させた。風紀委員長という肩書がこの上なくしっくりくる。
「風紀委員長がなにやってるんですかね」
「きっと一年生にギャンブルのこと説明してるんだよ。ほら、細かいルールとかって生徒手帳には書いてないでしょう?」
確かに見出しだけで終わっている第十五章では、この学校でギャンブルをするには説明が不足している。僕だって先輩に説明してもらわなければわからなかっただろう。じゃあこの集まりは新入生向けのガイダンスみたいなものだったのか。
「みんな、ルールはわかったかな。じゃあ次は実際にやってみようか。誰か私とギャンブルする奴はいないか?」
説明をしていた上級生が下がり、交代で前に出てきた山笠先輩が明朗な声で呼びかけた。低く落ち着いていて、二階までよく通る声だ。
「あ、じゃあ私やります!」
山笠先輩の呼びかけに答えるように、聞き覚えのある声が返ってきた。手を挙げて人をかき分け出てきたのは、かんなだった。
「あ、かんな」
「誰? 知り合い?」
「はい、幼馴染で同じクラスの……なんでこんなところに」
中央に現れたかんなは、腕をぐるぐると回しながら机を挟んで山笠先輩に対峙した。山笠先輩はそんなかんなの様子を見て笑うと
「ゲームはブラックジャックでいいな?ルールは知ってるか?」
と尋ねた。
「二十一にすればいいんですよね。わかりますよ」
「ああ。今回は一回で勝負を決めよう。Aは十一として数えるルールを使う。練習だからなにも賭けなくていいが……そうだな、私に勝ったらジュースでも奢ってやろう」
「わーい、ジュースだ!」
かんなが子供っぽくはしゃいで周りの笑いを誘った。
「元気な子だね」
「まぁ、そうですね。本当にブラックジャックのルールを知ってるのか怪しいですけど」
先輩の好意的な評価に、僕は苦笑して答えた。この距離ではトランプは見えないかなと思っていると、後ろからさっき説明をしていた上級生が現れて顔ほどの大きさのあるトランプを山笠先輩に差し出した。遠くの人や二階からも見えるようにという配慮だろう。山笠先輩は箱からトランプを取り出し、両手を使って器用に混ぜていった。
「さぁ、まずは二枚どうぞ」
山笠先輩は混ぜた山札を机の上に置くと、かんなにカードを引くように促した。周りの観衆は二人のやり取りを息を潜めて見つめていた。かんながまずカードを引き、ちらりと数字を確認して伏せた。ここからでは完全にカードを表にするまで数字を見ることは出来なさそうだった。
山笠先輩も二枚引き、数字を見た後にカードを裏返して机に置いた。かんなが追加で一枚引き、先輩がそれに続く。
「どうかな。かんなちゃん勝てるかな」
「ここからでは数字が見えないので何とも……表情もはっきりとはわかりませんし」
僕たちはそう言い合いながら、ゲームの行方を見守った。かんなはどうやらもう一枚引こうか迷っているようで、山札の上で手を行ったり来たりさせていた。やがて決心したらしく、勢いよく山札からカードを引いた。
「じゃあカードをオープンしようか」
山笠先輩が大きな声でそう言うと、周りの観客がじりじりと中心によっていった。二階の見物人も身を乗り出して机の上のカードに注目した。先輩は「まず私から」と言って左から順番にカードを開いていった。
山笠先輩のカードの数字は三、四、そしてQだ。絵札は十として数えるのがブラックジャックのルールだから、山笠先輩の数字は十七。あまりいい数字ではないが、一年生相手に手加減でもしたのだろうか。
「じゃあ今度は君の番だ」
山笠先輩に促されて、かんなもカードを開いていった。その数字は左から順番に五、二、K、そして最後もKだった。合計二十四で、バースト。
「あぁ、残念」
㐂島先輩が自分のことのように残念がって言った。かんなは手札が十七だったからもう一枚引くのを悩んでいたのか。しかし二回連続でKが手元に来るというのは運が悪かった。
「残念だったな。でもいい勝負だったぞ。次は誰かいないか?」
山笠先輩はかんなと握手をしながら、周りを見渡して言った。観衆は自分の近くの人と相談しながら、次は誰が行くんだと言い合っている。ギャンブルしてみたいけれど、みんなの前でするのは恥ずかしいといった様子だ。
「二階の人でもいいぞ。誰かいないか?」
「あ、チャンスだよハッチー。行こう行こう」
山笠先輩が上を見上げて声をかけるのを聞いて、㐂島先輩が僕をせっついた。二階から声をあげるのも恥ずかしかったが、絶好の機会であることもまた確かだ。
「あ、あの。僕やります」
手をあげて声を張ると、大勢の視線が僕に向けられた。下にいるかんなが僕に気がついて手を振ってきた。
僕はすぐ側にあった階段を降りて、興味深そうにのぞき込んでくる人込みをかき分け机へたどり着き、山笠先輩の目の前に立った。こうして眼前に出てみると、山笠先輩は遠くから見るよりも大柄だった。単に背が高いというだけでなく、肩幅が広くスカートから伸びる足も引き締まっていて、筋肉質だ。
遅れて㐂島先輩が人込みから出てきた。山笠先輩とは対照的に小柄で華奢な先輩は人の群れにもみくちゃにされたと見えて、髪や服の裾がすっかり乱れてしまっていた。
㐂島先輩が姿を見せるのと同時に、山笠先輩の眉がほんの少しだけだが、驚いたように吊り上がった。この人は僕が㐂島先輩と同じ部活に入ったことをまだ知らないから、先輩が僕と一緒に出てきた理由がわからないのだろう。
「じゃあ……次の挑戦者は君だな。ゲームとルールはさっきと同じにするが、聞こえてたな?」
山笠先輩は突然現れたクラスメイトのことを一旦気にしないことにしたのか、進行役に徹して僕に聞いてきた。
「はい、大丈夫ですよ。やりましょう」
僕はざわめきの中でもはっきりと聞こえるように返事をして、目の前の山札から一枚カードを引いた。続いて山笠先輩が一枚引く。僕が二枚目を引いて先輩も引いた。僕は大きなカードの扱いに難儀しながら手元に揃った二枚のカードをちらりと覗き、ため息を吐いた。
「どうだ? いい手が揃ったか?」
山笠先輩が自分のカードを見ながら聞いてきた。
「あの、先輩。一つ質問してもいいですか?」
「うん? 何かな」
「初めにAを二枚引いた場合はどういう扱いになるんですかね?」
「……バーストだな」
「ほら、オレンジでよかったかな?」
「ありがとうございます。すいません……負けたのに奢ってもらっちゃって」
山笠先輩は紙パックのオレンジジュースを僕に渡すと、ベンチに隣り合って腰かけた。風紀委員会主催のギャンブルが終わり、校舎の裏口には人の影はすっかり消え失せているが足元に人々の熱気がわずかに残っている。少し離れた所のベンチには㐂島先輩とかんなが座っていて談笑していた。漏れ聞こえる言葉から察するに、僕のことを話しているのだろう。
「しかし驚いたな。あの奈々がいる部活に新入生が入るとは」
山笠先輩が自分の紙パックにストローを突き刺した。先輩はストローに口をつけてジュースを一口飲むと「奈々の運の悪さは知っているのか?」と続けた。
「ええ。出会って十分でいきなりルーレットをやらされて、思い切り見せつけられましたよ」
僕はそう答えると、ここに至るまでの経緯を簡単に先輩に話した。野球部とのギャンブルを受けた話になると、山笠先輩の顔が険しくなる。
「そうか、ギャンブルをなぁ……野球部め、去年地区大会を突破してから随分と増長しているからな。よりにもよって奈々を狙うとは。しかし八葉、これはまずいぞ」
「まずい?」
僕が聞き返すと、先輩が唸るような声を上げて頷いた。
「もう知っているかもしれないが、奈々と一緒にギャンブルをする人間も勝てなくなるんだ。私は去年一昨年と二年間奈々と同じクラスだったから一緒にゲームをする機会もあったが、奈々と組むと途端に勝てなくなる」
おかげで随分苦汁を飲んだよ、と先輩が頭を振った。
「さっきのブラックジャックみたいに、ですか」
「そうだな。最初に引いた二枚が両方ともAなんてとんでもなく低い確率だ」
「だいたい〇・五パーセントくらいですよね。ジョーカーが入っていなければですけど」
「そうなのか? まぁともかく、そういうとてつもなく低い確率を引き当て続けるのが㐂島奈々という人間なんだ。しかも自分にとって悪いものを引き当てる」
「そうですか……」
僕は横目で㐂島先輩を伺った。先輩はまだかんなとおしゃべりして、笑いあっていた。どんな話題で意気投合しているかはわからないけど、心底楽しそうだ。
「そうだ八葉。野球部とのギャンブルだけど、私が立会人になってもいいかな?」
「立会人ですか?」
「ああ。必須ではないが、トラブルを避けるために大きなギャンブルでは中立な立会人を置くことを風紀委員会は推奨している。よほど大丈夫だとは思うが、野球部がイカサマをしたりしないように私が見張っていよう」
「ありがたいですけど……随分協力的なんですね」
僕がそう言うと、山笠先輩は顔を僕から背けてしまう。その視線の先には㐂島先輩がいた。
「私も、奈々のことは何とかしたいと思ってはいるんだ。クラスメイトだし、彼女が負け続けて落ち込んでいく姿は見たくない。だけど人知を逸した不運に私も巻き込まれてしまってうまくいかなかったんだ。でも八葉なら、それを乗り越えられるかもな」
「……買いかぶりですよ。第一、さっきギャンブルに負けたばかりなのに。一体どういう根拠で僕のことをそんなに重要視するんですか?」
僕が尋ねると、先輩はもう一度こちらに顔を向けてニッコリと笑った。どこか安心したような、懸案事項が一つ片付いたかのような笑みだった。
「根拠はないな。しいて言うなら、奈々の元に八葉が現れたことに意味があるような気がしたんだ」
「非合理的ですね……どう受け取っていいか……」
「意味という言葉が気に入らなければ、運命とか縁と言い換えようか?」
「そっちの方が気に入らないですよ。意味……があるとも思えませんが」
「なんにせよ」
先輩は立ち上がって伸びをする。先輩の重たい体が離れたことでベンチが軋んだ。
「何か困ったことがあったら言えよ。奈々のことを抜きにしても私は風紀委員長で、八葉は新入生だ。後進を助けるのが上級生の義務だからな」
「じゃあ、頼りついでに一つお願い、というか聞きたいことがあるんですけど」
僕も先輩に続いて立ち上がる。それに気がついたのか、㐂島先輩とかんなも会話を止めて立ち上がり始めた。
「なんだ?」
「野球部の部長の背番号、知ってますか?」
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