第9話 もはや救えない異常


 ――時は流れた。俺は幸福過ぎる毎日をおくっている。


 十鉢の木霊の花は、大きく成長して天井まで届いていており、黒で統一されたハイ

センスなリビングに、毒々しい極彩色の花を群生させている。うむ、これはこれで美

しくてハイセンスだ。部屋に来た女も、思わず股間を濡らしてしまうだろう。そう考

えると……ああ、浮かれずにはいられない。


 一方、ゲリゲリ株は事前予約が始まってからグイグイと伸び、俺が目標としていた

五千円を軽く突破し六千円に達した。俺の儲けは一億九千万。もちろん、まだまだ売

れない。こうなったら株価一万円を目指すのだ。すると儲けは三億五千万だ。もう何

と言うか……ああ、浮かれずにはいられない。


 全てが完璧だ。俺なら出来る。俺は世界中のハッピーとラッキーを手に入れたファ

ビュラスグレイト金髪褐色マッチョだ。これというのも宇宙精霊の会と出会ったおか

げ――いや、その出会いそのものも俺が持っていたマジカルワンダーマッチョパワー

なのかもしれない。とにかくとにかく……ああ、ああ、ああ、浮かれずにはいられな

い。


 もちろん、そんなことで浮かれているだけじゃない。


 俺は期間工を十年以上勤めた真面目な努力家だ。筋トレを始めとしたルーティーン

は、日々サボることなくやっている。まあ、すっかりヨーガと宇宙ケチャックにハマ

ってしまい、ギターをじゃら~んと爪弾つまびいたり、ピアノをポロンポロン弾く時間が多

くなっているのだが、楽しくてしょうがないから仕方がない。


 そんな不幸のかけらもない俺の唯一の問題は、俺をここまで導いてくれた素晴らし

い教祖様に対する質問が皆無ということだ。

「恋人を作るにはどうしたらいいですか?」――とか聞きたいとも思ったが、それは

愚問であるとすぐに気がついた。


 恋人を作る為にマッチョになり、歯を白くし、褐色の肌に灼き、金髪にし、様々な

教養を磨いた上、ギターとピアノも弾けるようになったのだ。おまけに、間もなくア

ラブの石油王! ――と、呼ばれるかもしれないほどの大金が手に入る予定なのだ。

恋人なんてものは、ペロペロキャンディーに群がるアリの如く湧いて出るだろう。


 ああ……本当に何も相談することがなくて困ってしまう。


    ◇


 ――いよいよその日がやって来た。


 待ちに待っていた「アンジーの冒険2 ぱぱいやコネクション」の配信開始日。ゲ

リゲリ株の今日の終値おわりねは七千五百円。前日より三百円の微上げだ。

「配信開始で材料出尽くし、あとは下るだけ」と笑う掲示板の声もあるが、そんなも

のは、すっかり「値がさ株」になってしまったゲリゲリ株を買えない貧乏人の嫉妬に

過ぎない。


 あれだけの大ヒットを記録したゲームの続編だ。配信後も評判が評判を呼び、株価

上場来高値じょうじょうらいたかねの一万円を軽く突破するのは間違いない。

 何しろ俺は金髪褐色マッチョラッキーマン。そのバックには宇宙精霊の会が控えているのだ。


 ――そして午後五時、配信開始!

 俺は誰よりも早く、電光石火の如くダウンロードをしてプレイを始めた!



「な・ん・だ・こ・り・ゃ」



「く・そ・お・も・し・ろ・く・な・い」



 頭の中に鉛のように重たそうな暗雲が漂う……。

 これは何かの間違いだ……。ここから先が必ず面白くなるはずだ……。

 何しろあの名作の続編が糞ゲーのはずがない……。


 俺はひたすらにプレイを続けた。



「ダ・ン・ジ・ョ・ン・か・ら・出・ら・れ・な・い」



「こ・れ・っ・て・バ・グ・?」


 そんなことあるはずがない……これは……うん、仕様に違いない。ダンジョン内に

中ボスかなんかが潜んでのだ……きっと。で、で、で、そいつを倒さないと出られな

い仕様なのだ……絶対。何しろあの名作の続編に……こんな初歩的な……バグがある

はずないじゃないか……。俺が四万株も買っている会社のゲームが……クソゲーでバ

グだらけのはずがない……。仕様だ……仕様だ……仕様だ。



「と・ま・っ・た」


 ゲームはフリーズしたかと思うと勝手にホーム画面に戻った……。

 何のエラーメッセージも出ない……。

 スマホを再起動してもウンともスンともいわない……。

 頭の中の暗雲は晴れた……。

 その代わり、巨大な火山が熱いマグマを噴出し黒煙を上げて大爆発した!


 ざけんなよ! なんだこれ! ゲームになってねえじゃねえか? もしかして馬鹿

なのか? てか俺の金! 俺の金! 俺の金どうなんだよ? よくまあこんな糞ゲー

平気な顔して出すよな! 糞! 死ね! てか金! 株! 金! 損失補填しろ! 

俺の株! 訴訟だ! 訴訟してやる! 金! 金返せ! 死ね! 糞! ファック!

うんこ! 金えええ! うわああああああああああああああああああ!



 大噴火中の火山に、ガソリンを大型タンカーで注ぐようなメールが来た。


――アンジーの大冒険2 ぱぱいやコネクション運営です。

  皆様にご好評をいただいているアンジーの冒険2でございますが、

  只今、サーバー運営会社様に異常な負荷ふか甚大じんだいな通信障害が発生しております。

  検討の結果、原因究明の為、緊急メンテナンスを行うことになりました。

  配信の再開につきましては、逐次ちくじご連絡致しますので何卒ご容赦ください。

  

  尚、配信再開時には、詫び石五個をプレゼントさせていただきます。


 何言ってんだこの馬鹿? サーバー会社のせい? アホか! 原因究明? 頭おか

しいですか? バグだろバグ! 詫び石プレゼント? は? 言葉知ってんのかよ、

この低脳運営! プレゼントってそういうもんじゃねえだろ! しかもたったの五個

だと? なめてんのか? 五百円ぽっちで手打ちにしろって? てか、おまえらにと

っちゃゼロ円だろ! ただのデータ配るだけじゃねえかよ! 糞会社! 死ね! 馬

鹿! アホ! ファック! ファック! ファック! うわああああ!


    ◇


 ――翌朝。

 ウォッカとジンとテキーラでガンガングラグラする頭と、波のように押し寄せる吐

き気と、全身を包む嫌な脂汗あぶらあせの中で目が覚めた。


 昨夜ゆうべはいつ寝たのかまったくわからない。ひたすら酒を浴び、糞運営からの奇跡の

メールを待ちつつ、「欲豚脂肪」「これは当分寄らないね」「ゲリゲリに期待した馬

鹿」などと罵詈雑言と嘲笑でいっぱいの糞掲示板を――見ずにはいられず見ていたの

だ。素晴らしい六十インチの巨大モニターで……。


 そして「絶対無理」という圧倒的な絶望感を抱えながらも、ガンガンする頭とふら

ふらの足でパソコンルームに向かい「冷静に冷静に」と、自分に何度も何度もしつこ

く言い聞かせる。


 そう……仮に通信障害が本当で、配信が再開されていても、あの糞ゲーっぷりでは

確実にゲリゲリの株価は下がるだろう……。


 だから今すぐ売らなければいけない。逃げなければいけない。今なら二億五千万儲

かっている。充分だ。天才相場師は逃げ足も早いのだ。俺は気持ちを奮い立たせて株

価の気配を見る。勇気を出して……!


 絶望的予感は見事に当たった……。


 物凄い量の売り注文。ほとんどない買い注文。

 ストップやす貼り付き確定の判決文を、最高裁判所長官と日銀総裁からダブルで貰っ

たような気分だ。だが、それでも俺は四万株全てを売りに出す。出すしかない。アラ

ブの石油王が間違って買ってくれることを期待して、だ……。



 ――翌日も、その翌日もストップやす貼り付き……。


 これで三日連続のストップやす貼り付き……。

 配信開始日に七千五百円だった株価は四千三百円まで落ちた…。

 当たり前のことだ。ゲリゲリから何の公式発表も出ないまま、ゲームの配信がずっ

と止まっているのだ。


 それでも俺は、なんとかギリギリの冷静さを保ち、ウォッカをガブ飲みしながら、

日々のルーティーンを続けていた。大丈夫……元々五千円が目標だったのだ。それに

買値は千二百五十円だ。充分儲けているじゃないか? さすがに四日連続のストップ

やす貼り付きは有り得ないだろう。糞空売からうりファンドもそろそろ買い戻し頃と考えるは

ずだ……。


 だが……だが! だが! 翌日に四日連続のストップやす貼り付けの刑を喰らい、株

価はとうとう三千六百円になってしまった……。

「だめか……」とうなだれ、ジャックを口にしようとした時、地獄の閻魔大王の判決

文のようなゲリゲリからの公式発表――IRアイアール――が出た。出やがった!

 だらだらと長ったらしいビジネス文書だったので意訳要約する。してやる!



――すまんな。

  調べたら開発した下請け会社が、どアホやった。

  ソーシャルゲーム開発したことないっちゅうのはワイらも知ってたけど、マサチ

  ューセッツ工科大学(以下MITエムアイティーな)出身の天才プログラマーがおるっちゅう  話で、あらイイですねえ! と思うて頼んだわけや。仕方ないやろ? な?


  ところがびっくりやで、ほんま。

  そいつサーバーのシステムわかってない、うんこプログラマーやったで。

  天下のMITやで。ワイらが信じるんもしょーがないやろ? わかるやろ?


  まあ、今回の件でMITとかハーバードとか名門大学にもアホはおるんやなあい

  うことを学習したわ。これは大収穫や。未来に繋がるで。


  そないなわけで根本的なプログラムを、別の会社でゼロから作り直すわ。

  ここは、江戸川コンピューター学院ちゅうチンケな専門学校出身の奴が、メイン

  プログラマーなんやけど、過去にソーシャルゲーム二本も作ったことがあるっち

  ゅう、実績ある会社や。ええやろ? 信頼出来るやろ?


  まあ、ほんますまんな。

  悪いんは九割が下請けのどアホ会社なんやけど、ワイらも一割分ほんまに反省し

  とるから許して欲しいで。


  とにかく頑張ってやらせて半年後の再開目指すわ。

  それまで楽しみに待っててーや。


  おまけ。

  ワイらも被害者やで。下請けのどアホ会社を訴訟するわ。



 ふざけるな! なめんな! ファッキンな馬鹿会社! と、叫ぶ前に猛烈な吐き気

が襲って来た。


 うぇぇぇ……酒も飲んでないのに吐き気に襲われるのは初めてだ。うぷぷぷぷ!

俺は口を押さえながらトイレに駆け込むと、便器にしがみつきゲロゲロと激しく嘔吐おうと

した。


 うぇええ! これで明日もストップやす貼り付けだ……。


 そう思うとまた吐いた。うぇっぷ! ああ、明日だけじゃない。明後日もだ。うぇ

えええ! またまた吐いた。いや半年先まで株価の上昇はないだろう。ゲロゲロゲロ

ゲロ。いや、その先だってわからない……うぇぇええ! ゲロゲロゲロゲロ。


 ああもう! 馬鹿野郎! そもそもが糞ゲーじゃねえか? うぇっぷ! ゲロゲロ

ゲロゲロゲロ。ふひひ……だんだん吐くのが楽しくなって来たじゃないか?


 もはや吐けるものなんて胃液以外ないはずなのに吐いた。うぇえええええ! ちく

しょう! 胃液の中に血が混じって来たぞ! うんこ会社め! 死ね死ね死ね!

 俺は呪いの言葉を吐きながらゲロを吐き続けた。ゲロゲロゲロゲロゲロ……。


「ふぅ…………」


 ゲロで満杯の便器に抱きついた俺は、深い溜息ためいきをつく。そして、吐き過ぎたせいか

妙に腹が減ってきた。そうだ! あれを喰おう!


 俺はスタインウェイのグランドピアノ、マーシャルの三段積みアンプ、ギブソンと

フェンダーのエレキギター、マーチンのアコースティックギター、宇宙ガムランの太

鼓、宇宙ガムランの鈴、宇宙ガムランの鐘、各種筋トレ器具、日焼けマシーン、セル

フホワイトニングマシーンが並べられ、天井まで伸びた木霊の花が毒々しく咲き誇る

ハイセンスなリビングへ向かった。

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