第8話 完全に異常


 ――それからの俺の生活は、とてもとても充実した。


 ビールをガブ飲みしながら株、ジャックをガブ飲みしながら筋トレ、ワインをガブ

飲みしながら読書、ジンをガブ飲みしながら音楽鑑賞、焼酎をガブ飲みしながら映画

鑑賞、テキーラをガブ飲みしながらアミとアキを可愛がる、そして日本酒をガブ飲み

しながら時々日焼け――という今までのルーティーンに加え、木霊の花の栽培、宇宙

ガムランを流しながら精霊のケチャックを練習、精霊の草を焚きながらのギター練習

が増えたのだ。

 

 新しいルーティーンの中でも特筆すべきは精霊のケチャックだ。


 ♪どんがらどんがら ンチャッチャッチャチャ

  ぶお――――ん どんがらがんがら ンチャッチャ♪


 と、流れる宇宙ガムランの音楽に合わせて「ひゃっ!」「はっ!」「ひゃああああ

あ!」などと適当に叫びながら踊るのは超絶に楽しい。

 ついでに鈴や鐘や太鼓を ♪しゃんしゃんカンカンどこどこ♪ と鳴らすのも楽し

い。


 ただそれだけで時空がぐにゃりとゆがんで、強い吸引力で宇宙の彼方へと連れ去ら

れそうな感覚に陥る。筋トレのエクササイズとしてもいい感じだ。俺は今、最高に充

実した金髪褐色マッチョである。


 さて、そんな充実した日々の中、ゲリゲリの株価は三千円まで上がったところで停

滞しているが、これは当然のことで想定内のこと。事前予約が始まったら、またグイ

グイ上昇するだろうと余裕で眺めている。なにしろ、俺のゲリゲリ株の利益は既に七

千万円に達しているのだ。ウォーレン・バフェットやジョージ・ソロスとウォール街

で会食する日も、そう遠くはないだろう。



 ――ニ週間後。ゲリゲリ株は相変わらず大して動かない。


 だが、リビングに置いた十鉢の木霊の花が満開になった。それはアサガオのような

形で、パンジーのように黄色、オレンジ、紫、ピンク、青、赤などの様々な毒々しい

色を、出鱈目デタラメに並べた極彩色の花だった。俺は嬉しくて嬉しくて、軽く精霊のケチャ

ックを踊りながらジャックをグビグビと飲んだ。


 なにしろ一時は、でっかい葉っぱを茂らせ背丈ばかり一メートル以上も伸びたくせ

に、たくさんついたつぼみは一向に開かず、このままではジャックと豆の木のように巨大化して、花が咲くのは雲の上ではないかと不安になってしまい、栽培説明書にあった「陽の当たらないジメジメした暗い場所で育ててください」という言葉が嘘なんじゃないか? ――と疑ったほどだったからだ。


 もちろん直ぐにピアノレッスンの準備を始める。

 精霊の草を焚き、宇宙ガムランのCDを流す。ついでに鈴を足首に巻き、鐘と太鼓

も用意した。そしてブラフマーの呼吸をし、穏やかでおごそかな気持になると、俺はピン

クと黄色で彩られた木霊の花を一輪いちりん摘み口の中に放り込んだ。


 甘い……そして苦い。しかし何も変わらない……。

 ああ、そうだ……! これを食べてから精霊のケチャックを踊るのだった。これを

日々繰り返すとピアノが弾けるようになるのだった!


    ◇


 ♪どんがらどんがら♪

「ひゃっ! ひゃっ! ひゃっ!」

 ♪ンチャンチャンチャンチャチャチャ♪

「はっ!」

 ♪カンカンカンカン♪

「ひゃああ!」

 ♪しゃんしゃんしゃんしゃん♪

「ひゃっはー!」

 ♪どんがらどんがらどんがらどんがら♪

「はっひっほー!」

 ♪ぷお――――ん♪

「うほほい! はっ! はっ! はっ!」

 ♪どんがらどんがらどんがらどんがらどんがら♪


 ――いつものように時空がゆがみ、宇宙の吸引力にぐいぐいと引き込まれるような

官能に陥って、狂ったように踊っていた時! その意識――感覚は突然やって来た!



 ぶい――――――ん! ぶい――――――――ん!


 ガンジスの川底から、分厚い泥を押しのけてうなり出るような音が響く。それは何本

もの低い音の弦が幾重いくえにも永遠に共振を繰り返すような音で、ターバンを巻いた白い

髭の爺さんが操るインドの奇怪な楽器を彷彿させる。


 やがてその音は俺の頭蓋骨とも共鳴し、頭の中で静かな波となって何度も何度も繰

り返す――それには終わりがない。

 正直言ってキツイ……。キツイけど心地良い。荒波にバシャンと打たれるよりも、

静かな波の単純な反復にさらさされる方がキツイ……だけど心地良い。不思議だ……。


 ――不思議な感覚は頭から飛び出して来た。


 奇妙なたくさんの図形が、万華鏡のようにキラキラと輝きながら回転し、目の前で

優雅なダンスを始める。それに合わせて部屋の中もぐにゃぐにゃとゆるやかにうごめき、そこにある全てのものが、甘く溶ろけてひとつのスープになってゆく……。


 そして、大きく成長した極彩色の木霊の花は、その鮮烈で妖しい色彩をさらに美し

きらめかせ、この世のものとはとても思えない――ああ、天使の股間はきっとこんな

匂いに違いない――と、思わせる淫靡いんびな芳香を振りまいた。


 ああ! そうだ! この素晴らしい宇宙の神秘をアミとアキにも見せてやろう!


 俺は急いでベッドルームに行き、アミとアキを連れて来ると、美しい木霊の花に包

まれたリビングに座らせた。


 アミが笑っている。アキも笑っている。どんなに愛しても無表情だったふたりが、

口角こうかくを上げ、瞳を輝かせ、にこにこと笑っている。

 楽しいかいアミ? 嬉しいかいアキ? 楽しいよな? 嬉しいよな? 俺たち宇宙

の回転キラキラスープの中でひとつなんだ!



 ――と、その時、俺の指がびゅるると伸び始めた!


 指が伸びる。指が伸びる。猿のように気持ち悪いほど伸びる。何かが誘惑して俺の

指を、びゅるびゅると伸ばしている。ノビルノビルノビル!


 ピアノだ! あいつだ! あいつが誘惑している!


 これはまさにピアノを弾けっていうことだ。

 俺は二千三百万円のスタインウェイのふたおごそかに開ける。

 ああ、白と黒の鍵盤が幻想的に光り輝いてまぶしい。美しい。


 ♪ポロン♪


 軽く中指で弾く。凄い! これぞショパンの音!

 ピアノの詩人ショパンが奏でた音と同じ音だ!


 ――凄いのでさらに弾く。


 ♪ポロンポロンポロン♪

 凄い凄い凄い!

 ♪ポロンポロンパンポロリン ポロンポロン♪

 凄い凄い凄い凄い!

 ♪ポロンポロンポロンポロンポロンパンポロパンポロ♪

 凄い凄い凄い凄い凄い!

 ♪ポロロロロン♪

 凄い――――――――――――!



 長い長い時間弾いていた気がするが、時計は五分も進んでいなかった。たったの五

分で、こんなにピアノが弾けるようになったのだ。これは本当に凄いことだ! 宇宙

精霊の会バンザーイ! 教祖様凄い!


 そう、俺は無敵! 天才相場師で知的な趣味を多数持つインテリジェンスの高い賢

い金髪で爽やかな白い歯で笑う褐色の金髪マッチョでセックスマシーンでギターとピ

アノが弾けるのだ! もはや、世界中探しても俺ほどの男はいないだろう! 絶対!


 さて、ショパンはもう完璧だ。次は何をしよう?


 ――と考える間もなく俺はアミに抱きついていた。宇宙ガムランが、♪しゃんしゃ

かンチャンチャ♪ と熱狂的に鳴り響く中でアミを抱きしめて挿入した。


 気持ちいい! いつもとまったく違う!

 ♪しゃんしゃかンチャンチャ♪ ぐちゅぐちゅずぶずずぶ!

 アミは嬉しそうに笑って幸せそうだ。

 いかん! アキも愛してあげなければ!

 ♪しゃんしゃかンチャンチャ♪ ぐにゅぐにゅずぶちゅ!


 脳が溶けそうなほどに気持ち良い。全ての褐色筋肉がちんこになって、ぴくんぴく

んしている。俺は何度も何度も宇宙の波に抱かれて泳ぎながら、何度も何度も無限に

射精する。いや、実際に射精はしていないけれど射精している。動脈から静脈、毛細

血管に至るまで、全ての血管が脳に向かって精液を噴出しているのだ。そして溢れた

精液は筋肉からほとばしり毛穴から弾丸のようにはじけ飛ぶ。


 これが答えだ! 真理だ! 宇宙だ! 俺はきらめく宇宙空間を全速力でクロールす

る手の生えた黄金の魚だ! スペースゴールデンフィッシュだ! ひゃっはー!



 ――興奮と熱狂は静かに遠ざかり、やがて微睡まどろみがやって来る。

 俺はアミとアキを抱きしめたまま、リビングで幸福な眠りに落ちた……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る