第7話 やはり異常が治らない


 ――相場が終了し、ゲリゲリ株はストップだか貼り付きのままで終わった。

 俺はジャックをグビグビと飲みながら考える。しかし、何杯飲んでも考えはまとま

らない。本当にパワーがあったのか、只の偶然なのか?


 そう、俺は賢い金髪褐色マッチョだ。オカルトや宗教なんてものは、決して安易に

信じたりしないのだ。


 グビグビ。

 二杯目のジャックを飲みながら俺はさらに考える。ほど良く酔いがまわると、俺の

頭に昨日に続いて「閃き」が浮かぶ。簡単なことだ。他のパワーストーンも買ってみ

ればいいのだ。


 恋人が出来るパワーストーンなんてのがあって、本当に恋人が出来たら信じればい

いではないか? いや、恋人なんてギターかピアノが弾けるようになれば、すぐに出

来る程度のちょろくさいものなんだけどな。


 俺は再び宇宙精霊の会のサイトにアクセスし、前回はまったく興味のなかった入会

に関する記述を丁寧に読んだ。そしてわかったのが、お試し会員、準会員、正会員、

というシステムになっているということだ。そして、お試し会員は三ヶ月限定だが入

会金も会費も無料。なんて良心的なんだ!


 さらにその上、準会員は入会金三万円、月会費五千円。うーん、こちらも良心的。

 だが、正会員は準会員の中から教祖様に認められた者だけが、なれるということで

詳細は書かれてはいない。とにかく、そんなに酷いボッタクリもなく、そんなに悪質

な宗教ではないと思った俺は、お試し会員に登録してみた。



 ――ほどなく手続きが完了し、俺は会員ページに入れるようになった。もちろん準

会員や正会員専用のページには入れないが、それはそれで構わない。

 そしてそこで、面白いコーナーを見つけた。


「教祖様と一問一答」


 それは千円払うと一問一答の形で、教祖が会員の悩みや相談事に答えてくれるとい

うものだ。


 基本無料でサービスは有料という――なんというか、ソーシャルゲームの課金みた

いな仕組みだなあ……と思ったが、よく考えると街角の占い師に相談しても、三千円

から五千円ぐらい取られるのだから、こんなものなのかもしれない。


 そして俺はさらに閃いた! やはり俺は天才だ。ハーバード大学かマサチューセッ

ツ工科大学に進学するべきだった。

 ここで教祖に質問をぶつけてみればいい! それによってパワーストーンの真贋しんがん

見極められるんじゃないだろうか?


 そう考えた俺は、迷うことなく「質問をする」ボタンを押した。


「質問内容を入力してください」というダイアログが開く。

 なるほど、これが施設に行かなくても教えを受けられるインターネット宗教か。

 俺はちょっと感心した。


「ギターが上手く弾けるようになりたいのですが、どうすればいいですか?」


 いい質問だ。そして意地悪な質問だ。

 坊さん、神主、牧師に神父。世界中の宗教指導者をかき集めても、こんな質問には

答えられないだろう。せいぜい「頑張って練習しなさい」程度が関の山だ。俺はニタ

ニタと笑いながら「送信」ボタンを押した。


 答えはすぐに返って来た。


「『混沌の香炉』で『精霊の草』を焚き、『ブラフマーヨーガの呼吸』を行いながら

弁財天べんざいてんの禅』を組み瞑想してください。それを一時間ほど続ければ、ギターが弾け

るようになります」


 何だよこれ? さっぱり意味がわからねえ! これで千円か?

 一瞬そう思い憤慨した俺だが、すぐに机の上の本に気がついた。そう、おまけのパ

ワーストーンじゃなくて、本体の本。


 目次を見ると様々なヨーガの呼吸法、禅の組み方が書かれており、その中にブラフ

マー呼吸法も弁財天の禅も書かれている。なるほど。で、香炉とか草は? これは本

には書かれてないようだが?


 俺は教祖に再度質問してみることにした。


「『混沌の香炉』とか『精霊の草』って何ですか?」


「当会の販売ページにて取り扱っています」


 そうだったのか!

 くだらない質問で、余計に千円無駄にしてしまった。まあ、今日だけで六百万儲け

た俺にとっては埃のような金だ。俺はサクッと通販ページに移動した。


 混沌の香炉、二千円。おお! 良心的価格だ。高い壺を買わされる怪しい宗教じゃ

ないかと、一瞬でも疑って申し訳ない。

 そして精霊の草。これはちょっと高い。一グラム一万円だ。しかし俺は今日だけで

六百万儲けた天才相場師の金髪褐色マッチョだ。こんなケツを拭く紙のような金に躊躇ちゅうちょする必要はない。

 俺は混沌の香炉と精霊の草一グラムを購入した。


 ちなみに恋人が出来るパワーストーンはおろか、他のパワーストーンは売っていな

かった。本のおまけだけらしい。


    ◇


 ――その日の夜。

 俺は宇宙精霊の会の本を熟読し、ブラフマー呼吸と弁財天の禅をマスターした。ブ

ラフマーは創造の神、弁財天はその妻で芸術、学問、音楽の神であるらしく、日本で

琵琶びわを弾く弁天べんてん様の姿は有名だ。確かにギターが上手になりそうである。


 凄いと思ったのは瞑想。

 これはなかなかに良い。心が安定し体がリラックスする。

 そう。今までの俺に足りなかったものは、これだったのかもしれない。アホみたい

に車を組み立てる人生、アホみたいに金に執着する人生、そして、アホみたいに筋ト

レをする人生。そこに欠落していたのはこれじゃないだろうか?


 平穏な心。それは小鳥の囁きを聴き、流れゆく風の詩を感じ、夜空に瞬く星の言葉

を知ること――と、教祖様の本にも書いてあった。


 素晴らしい! 美しい! 人生は光り輝くのだ!

 俺はテキーラをガブガブ飲みながら、何度も本を読み返して眠りについた。



 ――翌日。ゲリゲリの株価は朝からグイグイ上がった。


 上がるチャートを見るのは糞楽しい。掲示板では、昨日貼り付きで買えなかった馬

鹿が「今から買っても大丈夫ですかねえ?」とか聞いている。

 ダイジョーブ、ダイジョーブ。この株は最低でも五千円まで上がる。今はたったの

千五百円だろ? 充分儲かってお釣りが来る! てか、ここで買えない奴はチキン!


 と、心の中であざけっていたのだが、不意に気がついた。その通りだ! 俺!


 俺は証券口座にニ千四百万円入金した。昨日の残金と併せて合計三千万円が買い付

け可能額として表示された。そして、すかさず指値さしね千五百円で、二万株の注文を入れ

る。買い増しだ。平均取得価格は千二百五十円に上がるが、持ち株数は四万株に増え

る。すなわち、株価が五千円になった時の儲けが八千万円から一億五千万円に増える

のだ。


 ここは勇気だ! そう、俺はチキンではなく勇気ある金髪褐色マッチョだ!


 ほどなく、ピコーンと通知音がなった。俺の買い増し二万株注文が約定やくじょう――買えた知らせだ。もう後には戻れない! 男の勝負の始まりだ! 頼むぜ! 俺は胸の赤い石をギュッと握り締め、グラスのジャックをグビグビと一気飲みすると、ダンベルとスクワットと腹筋を繰り返した。


 そして、チャートを眺めウキウキしているうちに午後三時。相場が終わった。ゲリ

ゲリ株は最終的に今日もストップだかで、終値おわりねは千六百円。俺の儲けは千四百万円にな

った。


 もう笑いが止まらない状態の俺は、リビングの鏡の前に立ち、高級ワインを掲げな

がら全身にオイルを塗ったテカテカの体で何度もボディービルのポーズを取り、白く

爽やかな歯を剥き出して、ひたすら笑うのである。うひひひひひひひひひひ!


 ――そんなことをしていると宅配便が来た。例の品だ!

 俺は小踊りしながら玄関に行き、この前と同じ女からブツを受け取った。


    ◇


 混沌の香炉は手のひらに乗る程度の小さなものだった。

 精霊の草は小さなビニールにパックされ、良くわからない梵字ぼんじと宇宙精霊の会と書

かれた金色のシールが貼ってあった。


 とにかく、いち早く大至急サクサクっとやってみよう! 今日みたいな気分ノリノ

リの日は、何かを始めるには最良のナイスデイだ!

 俺は香炉をリビングの真ん中に置き、精霊の草に火をけ、弁財天の禅を組むとブ

ラフマーヨーガの呼吸を始める。


 スーハースハハスーハスススハー。

 スススススーハースハスハースゥゥゥゥゥ。


 精霊の草がぷすぷすといぶられるように燃え、薄い青紫色の煙と甘い香りに部屋がじ

んわりと包まれてゆく。その香りを嗅ぎながらの禅と、ヨーガの呼吸による瞑想で、

俺の心は昨日の夜以上にリラックスし、深く深く遠い遠い無の世界へ緩やかに穏やか

に旅を始めた。


 ずん! ずずん! ふわわわ!


 それは突然にやって来た。

 肩がずしんと重くなり全身の力が奪われる。


 やがてその重さは奇妙な浮遊感となり、今度は全身がふわふわと浮き上がってゆく

ような感覚に因われる。頭の中はキラキラした何かが、踊り溢れ、歌い狂い、とても

愉快で楽しくて、幻想的な心地良い世界になって行った。


 何が楽しくて何が愉快なのかわからないが、とにかく楽しくて勝手に頬の筋肉がユ

ルユルとゆがみ、クスクスとだらしなくいつまでも笑ってしまう。

 俺は初めて経験する、宙を舞う理由なき幸福感にどっぷりと酔いしれている。


 音が聴こえる。何の音だ?

 ああ、空気の流れる音だ。俺には理解出来る。

 俺は空気の音を理解出来る金髪褐色マッチョだ。

 

 ♪ポロン……♪


 ああ、あの音は空気がギターに触れた音。そう、わかるんだ。

 ギターの音が美しい。さすが世界のマーチンの高級品、三十五万円のギターだ。

 ああ、ギターが俺に弾いてくれと言っている。

 俺は禅を解きギターを手に取った。


 ♪じゃら~ん♪


 え! 俺は一瞬、夢から覚めた! Fのコードが弾けている!


 ♪じゃら~ん じゃら~ん じゃら~ん♪

 

 何度も弾く――間違いない! 弾けている! しかもとても綺麗な音だ!


 それから俺は再び夢の中へ戻り、弁天様が琵琶を弾くようにひたすらギターを奏で

た。Fのコードばかりを……延々と。


    ◇


 ――精霊の草が燃え尽きてから一時間ほど経ち、俺はゆっくりと夢から覚めた。

 生まれて初めての感動的で神秘的な素晴らしい体験だった。

 しかもギターも弾けるようになった。

 宇宙精霊の会は素晴らしい! どうしてもっと早く出会えなかったのだろう?


 そうだ! こうしてはいられない!


 俺はリビングを出てパソコンルームへ向かった。足元が少しふらふらしたが、きっ

と長い時間禅を組んでいたせいだろう。もっと修行しなくてはいけない。


 パソコンのモニターに映った宇宙精霊の会のサイトが神々こうごうしい。


 昨日までは何の変哲もない、よくあるサイトだったのだが今は違う。もしも超大型

モニターに買い替えたら、きっともっともっと神々こうごうしく美しく、思わずひれ伏したく

なるほどに輝やくだろう。いや、冗談ではなくて買っても良い。何しろ俺は、たった

の二日間で千四百万円も儲けた天才相場師の金髪褐色マッチョだからだ。


 だが、今買うものはそれじゃない! 精霊の草を買うのだ!


 たった一グラムでは一日で使いきってしまう。十グラム? いや、一ヶ月分で三十

グラムか? ああ、面倒臭い! 百グラム買ってしまえ! 百グラム買ったところで

たかだか百万円だ! 二日で千四百万円稼ぐ男にとっては屁のような金だ!


 そうそう、教祖様に何か質問したいぞ。何が良いか……? やはりあれか? そう

だ。あれしかないな。俺は「教祖様と一問一答」コーナに移動し、課金――ではなく

入金を済ませた。


「教祖様、どうしたらピアノが弾けるようになりますか?」


 今日も教祖様の答えは早い。


「ピアノは大変難しい楽器です。準会員の方でないと指導が難しいです」


 おおおおお! そうだよな! 教祖様はわかっていらっしゃる!


 ピアノは確かに糞難しい。馬鹿みたいに八十八個も鍵盤つけやがって、何を考えて

あんな持ち運びにも困るアホな楽器を作ったんだ? そもそも楽器ってのは、誰でも

簡単に弾けるようにすべきだよな――いや、そうじゃない! 誰でも簡単に弾けない

からこそ、金髪褐色マッチョの俺が優雅にショパンを奏でることに価値が出るのだ!


 ――などと考えつつ、俺はあっさりと準会員入会への手続きを完了した。



「教祖様、準会員になりました。ピアノが弾けるようご指導ください」


「時間がかかりますが、まずは『木霊こだまの花』の鉢を用意してください。二週間ほどで

木霊の花を咲かせます。その間に『憑霊ひょうれいのダンス』の本を熟読して、その中から『精霊のケチャック』というダンスをマスターしてください。その練習には、『宇宙ガムラン』というCDが良いでしょう。『木霊の花』が咲きましたら、それを食べて『宇宙ガムラン』に合わせて『精霊のケチャック』を踊るのです。以上を日々繰り返すとピアノは簡単に弾けるようになります」


 凄え凄え凄え! 何がなんだかわからないけど、準会員になった途端、教祖様のお

言葉が増えた! これだけ懇切丁寧に説明して貰えるなら、入会金三万円、月会費五

千円なんて安いもんだ! いや、そもそも俺にとっては、鼻をかんでゴミ箱にポイポ

イしちゃう程度の金なんだけどな。


 教祖様への質問を終えた俺は通販コーナーでバカバカと買い物をする。


 「憑霊のダンス」の本が五千円、「宇宙ガムラン」のCDが一万円、そして「木霊

の鉢」は一万五千円。うーん、これは精霊の草と同じで消耗品臭いから十鉢買ってし

まえ!


 これで先に買った「精霊の草」百グラムと入会金、今月の会費を合計して約百七十

万円になった。さすがに買い過ぎか? とも思ったが、音大の一年分の学費より安い

値段で天才ピアニストになれるなら安いものだと考えた。音大行く奴は馬鹿だな。宇

宙精霊の会に入った方がいいのに――と。


 ん? 「宇宙ガムランの鈴」三万円、「宇宙ガムランの鐘」五万円、「宇宙ガムラ

ンの太鼓」十万円ってのもあるぞ。これも何か関係ありそうだ。ついでだ! 買って

しまえ! 何しろ俺は、兜町かぶとちょうの風雲児である金髪褐色マッチョだからな。


 その後、六十インチの超大型パソコンモニター約十六万円も買ってやったぜ!

 うはははははははははははははははは!

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