第3話 まだなんとかギリギリ正常


 さあ、いよいよ恋人を作りに行く時が来た。


 人と話すのが面倒、家を出たくないなど言ってる場合ではない。俺は最後のアイテ

ムとして、自分が着てゆく服を探しすことにした。もちろん、この素晴らしいマッチ

ョボディを見せつけるような服が望ましく、かつ、女に好感を持たれる服が必要だ。

 そんなわけで恋愛関係のサイトを巡回する。時は来たのだ!


 あ…………。

 記事を読んでいて、俺は根本的欠落に気がついてしまった……。


 ずっとセックスのことばかり考えアミとアキを相手にトレーニングしていたが、そもそもセックスに持ち込むまでの方が重要……ということ。

 何とも当たり前のことだった……。


 まずは、女と話をしなければいけない。基本中の基本だ。楽しい話題、興味を

話題が出来なければならない。俺に出来るのは、車の組み立ての話や、寮に居たダメ

な連中の話、ネットで拾ったヨタ話とゲームやアニメの話ぐらいしかない。


 続いて、女と話をしてセックスに持ち込む為には、酒が強くなければいけない。酔

わせて襲うなんていうケチ臭くて酷いことじゃない。女の緊張感を解くには少しばか

りのアルコールが必要だ。


 期間工時代、休日に缶ビール一本飲んでぶっ倒れていた俺では、まるで話にならな

い。軽くアルコールを楽しみながら愉快にお喋り。これが出来なければ、恋人作りな

んて夢の夢というものだ。



 ――というわけで、まず話題について考えた。


 野球の話、サッカーの話などというのは、ほとんどの女が興味ないだろう。漫画や

アニメ、ゲームの話も多少は良いが、度が過ぎるとキモイと思われるに違いない。政

治や株の話も退屈極まりないはずだ。

 何を話せばいのだ? 世間の恋人たちは何を話しているのだ?


 考えて出た結論は音楽の話。ただ、俺は三十六歳。ガキが聴いてるようなチャラい

音楽の話はダメだ。アホっぽいし軽薄に思われてしまうだろう。

 そうだ! ジャズやクラシックがいい。金髪褐色マッチョというワイルドな俺が、

ジャズやクラシックの話をする。そのギャップがたまらないじゃないか! これは良

い考えだ。


 そして、同じようにギャップということを考えると、文学の話も悪くない。しかも

ワイルドな俺に似合わない純文学の話だ。これも良い考えだ。

 ああ、そうだ。ついでに映画もギャップを入れよう。俺が大好きな寅さんとか釣り

バカじゃダメだ。フランス映画の話とかが良いかもしれない。うむ、これも良い考え

だ。


 勤勉な俺は、さらに話題について考える。

「趣味は何ですか?」と聞かれたらどう答える? 自慢じゃないが俺には趣味などな

い。音楽鑑賞(ジャズとクラシック)、読書(純文学)、映画鑑賞(主にフランス映

画)、これだけでは弱くないか? どれもこれも受け身でインドアな趣味ばかりじゃ

ないか?


 そう。何か「うわー、凄いですね!」と言わせる趣味が必要だ。

 いや、そこまでではなくても「へーっ!」と言わせる趣味が必要だ。そして、もち

ろんの当然でアウトドアな趣味が良い。しかしそれは、間違っても釣りではない。釣

りに興味のある女なんて、ほとんどいないだろう。


 テニスか? 確かにスポーツ系趣味の中では格好良い。少なくとも草野球の数倍は

格好良いはずだ。でもでもでも! 女が「今度一緒にテニスをやりましょう」とか言

ったらいったいどうするんだ?


 俺はテニスなんてやったことがない。今からテニススクールなんか通っても、上達

するのに何年かかるかわからない。というか、スクールの若くて爽やかなコーチにダ

メ出しをくらう金髪褐色マッチョな格好良い俺を、スクールに通うおばちゃん連中が

笑うことを想像するだけで死にたくなってしまう。


 困った。大変とてもいっぱい困った。

 女が好みそうなアウトドアな趣味で練習が大して必要がなく、ひとりで出来るもの

という答えは出たのだが、それが何なのか思いつかない。


 だが考えねばならない。諦めたら試合終了だ。

 スケボー? 練習中にタトゥーを入れた頭の悪そうなガキに絡まれそうで嫌だ。

 サイクリング? うむ、これは悪くない。ただ、自転車なんて誰でも乗れるんじゃ

ないのか? 「うわー、凄いですね!」には、ならないような気がする。


 ――ダメだ。嫌だ。困る。無理だ。


 そんな言葉ばかりが頭の中で渦を巻いて、とうとう俺はアウトドアスポーツを趣味

にすることは諦めた。そもそもが外に出たくないのだから仕方がない。

 俺はインドアでひとりで出来て「きゃー! 凄い!」と言われそうで、尚かつ簡単

そうな趣味を考えた。


 答えはすぐに出た。いや、閃いた。音楽鑑賞だけじゃなくて、楽器が出来ればいい

のだ。しかも女が「ねえ、今度聴かせてー!」なんて言ったら、それはつまり俺の部

屋に来るということだ。その時聴かせる一曲だけ出来るようになればいい。これなら

簡単だ!


    ◇


 ピアノが良い!


 ワイングラスを傾ける女の傍らでショパンを甘く弾くなんて最高じゃないか? 窓

の外の夜空に淡く輝く三日月を眺めながらの夜想曲ノクターンだ。

 そして、ワインで頬をピンク色に染めショパンにうっとりした女を、マッチョな両

腕で抱きかかえる。女はマッチョな胸板に顔を埋め、さらにうっとりする。俺は白い

歯を少し見せて微笑みそのままベッドへ突入だ。


 完璧過ぎる! 金髪褐色マッチョでショパンを奏でる男――これしかない!


 素晴らしいイメージトレーニングが出来た俺は、すぐさまピアノの購入を決め、楽

器屋のサイトを開いた。もちろん女が部屋に来ることが前提だ。安っぽいものは買え

ない。最高級のグランドピアノを買う!


 高い……。俺は悶絶しそうになった。


 スタインウェイのグランドピアノ二千三百万円……。

 売れ筋一位の国産グランドピアノでも百三十万円。んんん……ここは百三十万の方

にしておくのが正しい選択だろう。しかし、それでいいのか? いいのか、俺?


 ノー! ダメだ! ネガティブ反対!


 俺の頭の中には、ソファーに座って高級ワインを傾け、金髪褐色マッチョの俺が奏

でるショパンの甘い調べに、うっとりと頬を染める女のイメージが出来上がっている

のだ。


 この呪縛からは、もう絶対に逃れられない!

 しかし二千三百万円……。



 ……いや、いいじゃないか! 問題ないだろう?


 そもそもあの時、トーヨー自動車の民事再生法申請が数日遅かったら、俺はさらに

株を買い増して、損失は六千万になっていたかもしれない。きっとそうだ。そう考え

ればいいのだ。なかったものと考えればいいのだ。そうだ。絶対そうだ。絶対絶対絶

対に!


 しかし二千三百万円……。


 迷うな! 長年車を組み立てていた俺にはわかるだろ? 安いピアノは所詮、安い

音しか出ないはずだ。高級車と大衆車ではドアの開閉の音ですら違う。


 だが、二千三百万円……。


    ◇


 ――気がつくと俺は、スタインウェイのグランドピアノを購入していた。

 お会計二千三百万円+消費税+送料。だ。


 趣味の問題を、強い心と勇気のマネーで解決した俺は、残った課題である酒につい

て考えた。これはそんなに悩む必要はない。ともかく酒に強くなればいいだけのこと

だ。酒に弱い金髪褐色マッチョなどあり得ないし、女に甘いショパンを聴かせる前に

は高級ワインで乾杯しなければならない。いや、女が部屋に来る前段階で、どんな店

でデートするかも今はまだわからない。バー、居酒屋、高級レストラン、寿司屋など

などあらゆる可能性を考えると、場面場面に似合った酒を飲めるように鍛えておくべ

きなのだ。


 そして俺は片っ端から酒を購入する。基本であるビール、ワイン、日本酒、焼酎、

ウイスキー。それからシャンパンにウォッカにジン、テキーラも買っておこう。これ

らに関しては、酒に慣れる修行用だからそれほど高級なものでなくてもいい。

 しかしそれでも、総額約二十万円になってしまった……。まあ、ピアノに比べたら

安いものだ。



 ――俺の毎日は俄然忙しくなった。


 今までやっていた筋トレのルーティーン、アミとアキとのセックス練習に加え、シ

ョパンの夜想曲ノクターン第一番の練習、そしてそれらの合間に、読書と音楽鑑賞と映画鑑賞を

しながら、ひたすら酒を飲む。


 ショパンは難しい。


 嘘を書いてしまった……。ピアノ自体が難しくて、まだショパンに至らない。右手

と左手で同時にドレミファソラシドを弾くことを練習したりしている。

 だけど大丈夫。俺はこの褐色マッチョボディを数ヶ月で手に入れた出来る男だ。僅

か一ヶ月で最強のセックスマシーンになった偉大な男だ。控えめに言って、あと三ヶ

月もあれば充分にショパンを弾きこなせるはずだ。


 読書は少々頭の悪い女でも知っているであろう、有名どころから読み始めた。

 太宰治、芥川龍之介、川端康成。正直、何が面白いのかさっぱりわからない。単に

当時の軽薄な流行作家じゃないのか? とか思う。いや、わかるはずだ。それなりの

大学を出ている賢い俺に純文学がわからないはずがない。長い期間工暮らしで少し脳

みそが筋肉化しているだけなのだろう。


 フランス映画も有名どころから観る。ゴダールやトリュフォー。

 面白くないとは言わないが、観ていて陰鬱いんうつな気持ちになるものが多い。ゆえに酒が

すすむ。これは酒修行として悪くないが、やっぱり映画はゲラゲラ笑ったり、しくし

く泣いたり、手に汗握ったりしながらも、最後はハッピーエンドってのががいいなあ

――とか思うのだが、ギャップのある褐色マッチョになる為には、こういう映画を優

雅に哲学的に楽しめなければいけない。


 ジャズとクラシックの鑑賞。これも同じく有名どころからガンガン聴く。

 最初は筋トレをしながら聴いていたが、はなはだしく合わない曲が多々あるし、やはりこういう音楽は耳をぎ澄まし、楽器の音ひとつひとつに神経を集中して、演奏者の心の動きまでを感じながら聴くものだと思い、じっくりと聴くように変えた。問題は飲みながら聴いているとやたらと眠くなることだ。


 酒。これはハマってしまった。

 味とか香りとかウンチクは語れないが、酔っ払うことの気持ちよさに三十六歳にし

て目覚めた。どうして今まで、こんな楽しいものを飲まなかったのだろう? 人生を

無為むいに過ごして来たんじゃないかとさえ思う。酒はいい。

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