第2話 少しおかしいが正常の範疇


 ――それから一週間。


 ボコッとしていただらしない腹は、みるみる引っ込んだ。あたりまえだ。俺は元々

期間工でガンガン肉体労働していた男だ。半年ぐらいの喰っちゃ寝生活で付いた肉な

んてのはすぐに落ちる。当然といえば当然のことだ。


 よし! そろそろ風俗に突撃するか? と、にやにやしながら風呂上がりの体を鏡

に映していて、ふと思った。


 ……腹がへこんだだけだな。

 全身の筋肉ももっと付いた方がいい。エマニエル満子に「凄い腹筋ねえ」と言われ

たい。俺はさらにハードな筋トレ器具をクリックし、購入した。


 ――俺の日々は一変した。


 半年間のダラダラとした暮らしに飽きていたのかしれないが、とにかく俺は筋トレ

にハマった。


 日毎ひごと、自分の体が変わってゆく。どんどんマッチョになってゆく。あー楽しい!

そして楽しさのあまり、鏡の前でボディービルダーのようなポーズを取っては悦に入

る。人間、何か目標ができると人生がガラッと変わるものだなあと痛感した。期間工

の頃の金を貯めるだけが目標――いや惰性で貯めてた気がする――の人生より遥かに

楽しい。鏡の前で様々なポーズを繰り返す俺の頭の中からは、風俗のことなどすっか

り消え去っていた。


 ――さらにそれから僅か三ヶ月後。


 俺の体はムキムキのマッチョになった。筋トレの天才なんじゃないかと思った。あ

と一年ぐらい続けたらボディビルの世界大会で優勝出来るんじゃないか? と、浮か

れ気分で舞い上がった。


 だが、何かが足りない……。そう、肌が白い! だ!

 やはりマッチョは褐色の肌でないといけない。生っちろい体じゃダメなのだ。


 俺に迷いなど一ミリもなく、すぐさま日焼けマシンの購入を決めた。そして、どう

せ買うなら日焼けサロンに置いてある業務用の奴がいい。家庭用のショボイ奴など論

外だ。そう考えた俺は早速ネットで調べた。安いのは八十万、最新の高い奴だと二百

万を超える。この金額に、一ミリもなかったはずの迷いが十ミリぐらいになってしま

った。


 日焼けサロンに通った方が安いんじゃないか……?


 だが……! だが! よくよく考えると、株で失った三千万に比べると屁のような

金だ。日焼けサロンに行って、ギャル店員やら爽やかイケメン店員と話をするのも、

話しかけられるのも超絶に苦痛だ。


 俺は思い切って最新のマシーンを買うことにした。約二百万円。


 そして、もうついでだから! と、歯のセルホワイトニングマシンも買う。これは

エステサロンなどで使う無資格でもOKな業務用。約六十五万円。マッチョで褐色の

灼けた肌には、爽やかでキラッと光る白い歯が重要であることは言うまでもないから

だ。


 さらについでに髪の毛のブリーチ剤。約千円。安い。

 マッチョで灼けた褐色の肌で、白く爽やかな歯には金髪が似合う。絶対だ。

 さらにさらについでにボディーに塗るオイル。これも約千円。安い安い。

 マッチョで褐色の肌で白く爽やかな歯で金髪になったら、体をテカテカに光らせて

ポーズを決めたいじゃないか? 黒光りしたセクシーな肌だ。


    ◇


 ――そして一ヶ月後。


 俺は別人のようになった。

 昔の期間工仲間に会っても、誰もわからないんじゃないかと思うほどにだ。しつこ

く書くが、俺はマッチョで灼けた褐色の肌で爽やか白い歯の金髪男になったのだ。


 しかし、そんな俺に新たな重要問題が発生した。


 人生の目標を達成した俺には、やる事がなくなったのだ。いや、このボディーを維

持する為のルーティーンはやるのだが、ボディービルの大会に出るなんていう面倒な

ことをする気はない。他人と競い合うことなど子供の頃から大嫌いなのだ。

 俺の毎日は現状の筋肉が落ちない程度に筋トレをし、時々肌を灼くという感じで圧

倒的に暇になってしまった。暇だ……。


 そこで俺は考えた。これだけ魅力的な男になったのだ。家にひきこもってて良いの

だろうか? 良いわけがない。何かをしないと何かをしないと何かをしないと! ア

ホみたいに考え過ぎた俺が思い出したのは風俗だった。そう。そもそも全ては風俗に

行ってエマニエル満子とやることが目的だっただろう? 今なら格好良い童貞を超え

て格好良過ぎる童貞になっている。風俗に行って心が砕けることもないはずだ。


 が、が、が! 俺はさらにアホみたいに考える。


 格好良い童貞になって風俗に行こうと思ったが、格好良過ぎる童貞が風俗で童貞を

捨てて良いのか? ダメだろう?

 格好良過ぎる童貞は、美しくて可愛くて素晴らしい恋人を作って、その恋人と初め

てのセックスをするべきだ。格好良過ぎるから当然だ。


 なんて! なんて前向き! なんてスーパーポジティブなんだろう!


 三十六歳――になったぜ――童貞の俺。友人さえ作れなかった俺が、生まれて初め

て恋人を作ろうという気になったのだ。これも金髪褐色マッチョになったおかげだ。

人生はいくつになっても変えられると証明するのだ。


 そもそもよく考えると俺は株で損したり、ここのところの無駄遣いはあるが、それ

でも一億円以上の現金を持っており3LDKのマンションも所有している。

 おまけに、爽やかな白い歯で笑う褐色のマッチョだ。恋人が出来ないはずがない。

しかも、そこらの安っぽい女じゃない。最高の女を恋人にすることが相応ふさわしい男なの

だ。間違いない! 絶対だ!


 ウキウキでスーパーポジティブになったのはその日限り……。

 翌朝俺は、自らのテンションを大きく下げることに気がついてしまった……。

 恋人を作るのはいい。俺ほどの金持ち金髪褐色マッチョなら簡単だろう。


 だが、俺は童貞だった……三十六歳の童貞。女の手すら握ったことがない純度の高

い童貞だ。風俗で童貞を捨てるのはダメで恋人を作ろうと決意したのだが、果たして

恋人を相手に上手くセックス出来るのか? それ以前にキスは上手く出来るのか? 

愛撫は?


 ああ、下手糞だとか早いだとか思われたら死にたくなるだろう。ましてや口に出し

て言われたら、その場で恋人と無理心中してしまうかもしれない……。


 ……どうしてか? それは俺が金髪褐色マッチョだからだ。


 金髪褐色マッチョなのにセックスが下手糞。誰もそんなイメージはないだろ? ヤ

リチンでウェイウェイのイメージだろ? 金髪褐色マッチョは、激しく情熱的でハー

ドに腰を動かすってイメージだろ? 挿入場所に戸惑ったり、腰の振り方がぎこちな

い。そんな金髪褐色マッチョはおかしいだろ? これは大いなる矛盾ではないか?


 俺はどんどん落ち込んでいった。


 筋肉を落として肌を元に戻して髪を黒くして風俗に行こうか……と、ここ数ヶ月の

偉大なファイトを無駄にすることまで考えてしまった……。


    ◇


 これだ! これしかない!


 やる気をなくし、エロサイトをだらだら見ていた俺の目に飛び込んで来たのは、ラ

ブドールとセックスしている馬鹿な男の動画だった。

 ラブドール。それは日本の最高技術を駆使して作られた、超精緻せいちなシリコン製等身

大のお人形様のことで、またの名をリアルドール。何故、ラブドールと呼ばれるかと

いうと、それはもうラブの為に存在するからにほかならない。


 これで練習すれば! これでセックスの練習をすればいいのだ! 俺はためらうこ

となくラブドールの販売サイトを開いた。


 素晴らしい! どのドールも素晴らし過ぎる! 可愛くて可愛くて美しい!


 価格は平均七十万円ぐらいと高額だが、今までの金髪褐色マッチョな肉体への投資

を無駄にして、元の姿に戻ることを思うと安いものだ。俺は隅々までサイトを眺め、

お気に入りの一体を決めた。


 そのドールは、身長一五七センチ、バストは八四のEカップの色白美人。そして、

髪の毛は黒髪のロングを選んだ。褐色の肌に抱かれる色白女、金髪男に抱かれる黒髪

女、いいじゃないか! ――というわけでもなく、単なる好みなのだがナイスな選択

だ。


 しかし、いざ購入と思ったところで、俺にはさらなる不安が頭の片隅にぼんやり

と浮かんでしまった……。


 もし恋人になる女がEカップじゃなかったらどうするんだ? もっと小さい胸の女

だったら? 大きい胸の女と小さい胸の女では揉み方が絶対違うはずだ。そんなこと

は童貞でもわかる常識ではないか。


 それに、俺は巨乳AV女優の桃川チチ子や爆乳のエマニエル満子が好きだが、おっ

ぱい絶対主義ではない。小さい胸も好きだ。低身長の女も好きだ。だが、それを公言

すると世間の目が厳しいから言わないだけで、恋人にはロリだってウェルカムだ。


 ……いや、そもそも俺は趣味でドールを買うわけではない。あくまでも恋人とのめ

くるめく甘いセックスの練習用! 練習用に買うのである。本当だ。


 悩みはすぐに解決させた。


 悩んでいる場合ではないだろう。日焼けマシン、ホワイトニングマシン、その他も

ろもろで、この金髪褐色マッチョな体には、三百五十万円ほどの投資がされている。


 二体買うしかない! 俺は身長一四八センチ、バスト七六でBカップのドールも同

時に買うことを決めた。こっちの髪の毛は黒髪のショートボブにした。合計で約百四

十万だ。

 後悔などない! 重ねて言うが、後悔などない!



 ――本当に後悔はなかった。


 ラブドールが届いてからは、ピンク色の雲が輝く夕暮れの街に、大きな虹が弧を描

くような素晴らしい日々が始まったのだ。

 Eカップはアミ、Bカップはアキと名前をつけ毎日のように愛してやった。


 そして、下着や服もどんどん買ってやった。服をスムーズに脱がせる練習も必要だ

と思ったからだ。合計約四十万円。ちなみに服は、実際に恋人が着るとは思えなく練

習には役立たないだろうな……と、思うセーラー服とかチャイナドレスまで買ってし

まった。びっくりしたのは、女性の下着が驚くほど高かったことだが、まあいい。全

てOK。幸せだ。



 ――それから一ヶ月。

 俺のセックステクニックは爆発的に上達した。


 前から後ろから横から下からあっちからこっちから、金髪褐色マッチョに相応ふさわしい

ハードなピストンを習得した。その鮮やかで華麗な動きは、スマホで撮影した動画を

自分で見ても惚れ惚れしてしまうほどで、どんなAV男優にも引けを取らないエッジ

の効いたホットな腰使いになっている。


 もはや俺は、どんな女でもイカせることが出来る! ――という自信が、心の奥底

から熱くみなぎりご機嫌な気分でポーズを決める。俺は爽やかな白い歯で笑う、金髪

褐色のスーパーセックスマシーンマッチョになったのだ!

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