金髪褐色マッチョの幸福な日々

南波九

第1話 序章 正常


 これは小説である。

 主人公は俺。本来なら「俺の名は☓☓」とか書いて自己紹介した方が良いのだろう

が、何しろこの小説は俺しか出て来ないので俺でいいのだ。


 そもそも小説というものは複数の人物が出てきて、恋愛やら事件やら葛藤やらが起

こるわけなのだが、俺しか出て来ないこの小説には何も起こらない。起こるはずがな

い。どうして、そのような俺しか出てこなくて、何も起こらない小説を書こうと思っ

たかと言うと、多分俺と同じような奴らは、それなりの数存在すると思ったからだ。


 そんな「俺たち」の話を書くのも悪くない。

 ただそれだけ。追加で理由付けするなら恐ろしく「暇」だから、だ。


 少し訂正。ひとりだけ登場する。いや、書き始めたばかりのこの時点で小説に出て

来るかどうかは、わからないけれど宅配業者だ。それも厳密に言うと「ひとりだけ」

じゃないかもしれない。日によって配達しに来る人間は違う。最近は女も多い。しか

も近頃は、ご丁寧に配達前の確認電話を入れて来る。面倒だが話をしなければならな

い。メールにしてくれれば良いのにと常々思っている。



 俺は三十五歳。大学を出た当時は就職が大変厳しい頃だった。特に就きたい仕事も

なかったし、やりたいことが見つかるまでは「ひたすら金を貯めよう」と思い、自動

車工場の期間工になった。やりたいことが出来た時、金があるとないでは大違いなの

だ。


 友人とか恋人とかいう、人づき合いもまったくない俺にとって、寮と工場を送迎バ

スで往復するだけの暮らしで、寮費、光熱費が無料で、社食も安い期間工は「金を貯

める」という意味でベストな選択だった。


 しかも俺は酒はほとんど飲まないし、特に趣味もなく休日は寮でネット動画を見る

ぐらいで外出などせず、残業もガンガンやったので金はどんどん貯まる。気がつくと

預金残高は四千万円近かった。月に二十ニ万円の貯金。さらに半期ごとの報奨金は全

額貯金。年間三百万円ぐらい貯金していた勘定で、自分でも驚いた。


 そして今年の初め、唯一連絡を取って楽しく会話していた両親が相次いで死んでし

まった。保険金が一億ニ千万円ほど入り、築年数は古いが3LDKの広いマンション

も相続した。


 それを期に俺は期間工を辞めた。



 当初は、何か事業でも始めようかとも考えたが、俺に出来るのは車を組み立てるこ

とだけで、どうにも良いアイデアが浮かばない。ならば店でもをやろうかとも思って

みたが、ファッションにも喰い物にも興味がないので考えるのをやめた。結果、俺は

ニートというか、まったく部屋から出ないひきこもり生活を始めたのだ。


 そんな俺の生活を支えてくれているのが、さっき書いた宅配業者。そう、俺は食料

品、生活雑貨の全てをネットで購入している。水からトイレットペーパーまでだ。つ

まり部屋から一歩も出ることなく生きてゆけるのである。便利な世の中だ。


 話を少し戻そう。両親が死んで多額の保険金を手にした時、どこから嗅ぎつけて来

るのかわからないが、投資会社やら慈善団体――と称する奴ら――が、ひっきりなし

に訪問して来たり、電話をかけて来た。それも、俺が今の生活を始めた大きな理

由のひとつである。人と会って話をするということが本当に面倒になったのだ。


 あと、冒頭に俺のような人間はある程度存在すると書いた。

「そんなにいねえよ」と論破にかかる奴もいるだろう。億以上の金を持って、優雅に

ニート暮らししてる奴なんて! という貧乏人の嫉妬混じりの発言だと思う。

 それに関しては「いるんだよ」としか言いようがない。


 仕事の選り好みをせずガンガン働いて、何の遊びもせずカップ麺すすって暮らして

れば金なんてドバドバ貯まる。一千万や二千万なんてすぐに貯まるはずだ。また、俺

のように保険金が転がり込んで来る奴や、幸運にも宝くじに当たる奴だっている。世

の中の底辺連中は、自分基準で物事を考えがちなので直した方が良いと常々思う。


    ◇


 以上が俺のこれまでの物語だ。


 そして今、俺は少し考えている。現在の預金残高一億四千万円。

 マンションの相続税を支払い、リフォーム、家具の購入などをした結果だ。


 相変わらず贅沢などはしないものの、毎月の食費、光熱費、通信費。それにプラス

して、マンションの管理費、積立金、火災保険。国民健康保険にも加入しているし、

無駄とは思いつつ、ぎゃーぎゃーうるさく言って来るのが嫌なので、年金とNHK受

信料もちゃんと払っている。


 受け取る人間がいないので生命保険は入っていないし、出かけないので車も持って

いないのだが、この毎月の支出を考えると老後の不安というものが、真綿で首を締め

るようにジワジワと襲って来るのだ。


 仮に俺が八十歳まで生きると考え、年間支出を百五十万円に切り詰めて、十年で千

五百万円。八十歳までの四十五年で六千七百五十万円。間違って百歳まで生きても九

千七百五十万円。充分に生きていける預金額ではあるが、人生何が起こるかわからな

い……と、考えれば結構ギリギリのラインなのだと思う。


 そもそも年金制度も医療保険制度もどうなるかもわからないし、齢を取れば医療費

も大きくなるだろう。積立金こそしているが、このマンションがあと六十五年も存在

するとは思えない。超インフレが発生するかもしれない。


 この小説を読んでいる方々は、一億円以上持ってる男が何を言ってる? と思うか

もしれない。しかしこれは現実だ。やはり、何らかの労働をして毎月のサラリーを得

なければならない。貯蓄はその上にあってこそなのだ。


 そう。俺は今、毎月の収入を得ようと考えているのである。


 まず考えたのは、このマンションを賃貸に出し、再び期間工に戻ることだ。家賃収

入にプラスして期間工の収入。これは金が貯まる。だが、半年ほどだらだらとした生

活をした俺が、再びあの仕事に戻れるかということだ。体力の問題ではない。精神的

に耐えられるかどうか? ナマった心ではちょっと無理かもしれない。


 次に考えたのは、ネットを使って稼げないかということだ。もちろんIT企業で大

成功してブイブイ言わせている社長たちを目指すわけではない。ひきこもり生活の中

でささやかにアフィリエイトやオークションで、月に十万円ぐらい儲けられないかと

考えたのである。


 アフィリエイトは、恥ずかしながら俺も世話になっている、エロ動画やエロ画像をリンクして紹介するサイトを立ち上げてはどうか? オークションは海外サイトで落札したものを日本のサイトで出品すればどうか? などと考えてみたが、そんなことはみんなやってるし、何だかんだで大変そうで自動車にタイヤを取り付けてる方が楽だなあ……と、思ってしまった。



 結論はつまらないものだった。

 株式投資だ。


 両親が死んだ時、しつこく勧誘して来た怪しい投資会社には辟易へきえきしたが、自分の判

断で投資するならば良いではないか。ましてや俺の場合は、月に十万円ぐらい稼げれ

ばいいのであって、無謀な投資をする必要もない。初期投資で失敗したら諦めてさっ

さと撤収すれば良い。


 思い立ったが吉日。俺はすぐさまネットで証券会社に口座を開いた。


 買った株はトーヨー自動車。日本を代表する自動車会社で、俺が期間工として働い

ていた会社なので、その素晴らしさは良くわかっている。株価は約五千円。百株単元たんげん

なので最低投資額五十万円だ。


 そして俺は二千株買った。投資額約一千万円だ。

 株式の配当は中間で百円、期末で百十円。最低投資額で年間約二万円の配当。俺の

投資額なら年間四十万円の配当だ。


 月収十万円には届かないが、大企業であるトーヨーの株価がそうそう下がることも

ないだろうし、株価が上がれば売ればいいという算段だ。


    ◇


 ――それからの俺は、日々株価をチェックして笑ったり、時に眉間に皺を寄せたり

して過ごしている。


 大型株なのでそれほど大きな値動きはないし、目の前のパソコン画面に映るのは単

なる数字に過ぎないのだが、なんとなく面白くてエロ動画、ツイッター、株価チャー

トをぐるぐると巡回して眺めた。



「不幸は突然訪れるところに魅力がある」



 高校時代、柔道部の男が卒業文集にそんな言葉を書いていて、ゲラゲラ笑ったのを

思い出したのは火曜日の朝。

 いつものように起きてパソコンを立ち上げた俺は、飛び込んで来たニュースに頬が

ひくついた。ひくひくひくひく!



 トーヨー自動車粉飾ふんしょく決算! 二兆円の損失隠し!



 俺は超絶に慌ててトーヨーの株を売りに出した。市場しじょうが開く前に出したからなんと

かなるだろうと思ったのだが――売れない。売りが殺到し、寄らずのストップやす貼り

付き。いわゆる「貼り付けの刑」という奴で、売りたくても買い手がいないという状

況だ。


 そしてそれは連日続き、やっとトーヨー株が寄り付いた時には株価は、たったの百

円になってしまった……。

 俺が一千万円で買った株は、損切そんぎりすることも出来ないまま二十万円の価値になっ

てしまったのだ……。



 俺は熱くなった。初期投資で失敗したら諦めればいいという、最初の考えはブッ飛

んでいた。一千万円という金は俺が三年と少し、あの辛い期間工をして貯めた額と同

じだからだ……!


 ファックだファックだ糞ファックだ!


 俺は証券口座に新たにニ千万円を入金し、トーヨーの株を買えるだけ買った。ナン

ピンという奴だ。簡単に説明すると一株五千円で買った株を一株百円で買い増す。す

ると持ち株は二株。買値の単価は一株二千五百五十円になる。俺はとにかく買いまく

って、買値の単価を三百五十円まで下げた。


 もしもトーヨーが立ち直って……いや、日本一の自動車メーカーだ。銀行や政府が

支援するに違いない。株価が元の五千円に戻れば超絶大儲けだ! そう信じてナンピ

ン買い増しをしたのだ。実際、株式関連の掲示板にも俺と同様の考えが連呼されてい

た。


「今買わなくてどうすんの?」

「銀行がトーヨー潰すわけねえじゃん。黙って買いだ」

「あら、お安い」

「買い買い買い買い買い買い買い!」



 トーヨー自動車会社更生法申請。上場じょうじょう廃止決定!



 不幸で絶望的な、地獄の釜に叩き落とされる如きニュースがまたやって来た。

 俺が買った三千万円分のトーヨー株は紙屑になってしまった。トーヨーの工場で汗

水垂らして貯金した金の四分の三が泡のように溶けてしまった……。


 死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい……!


 破滅という名の十字架を背負い、不条理という名の曲がりくねった坂道を、期間工

がタイヤのナットを締め忘れたトーヨーの車に引きられ、貧乏農場に向かう気分に

なっている……。宅配便が何かを届けに来ても部屋を出たくない……。


 こんな、どん低に叩き落されグチャグチャに踏まれている気持ちを癒やしてくれる

のは何だ? エロ動画か? そうだ! エロだよエロ! 何も考えずオナニーして忘

れるんだ!



 俺は株取引ソフトを立ち上げることもなく、ひたすらエロ動画を見た。

 大好きな桃川チチ子の動画を見て懸命にちんこをシゴいた。ああ……だが! 軽く

勃起はするもののそれだけだ……。


 糞! 糞! 糞! 三千万円返せ! 馬鹿野郎! オナニーなんかしてる場合じゃ

ねえよ! オナニーなんかじゃ立ち直れない! そうだ! セックスしよう! それ

も最高にいい女とセックスしよう! そうだそうだ! 俺は三千万失っても、まだ一

億以上持っているんだ! 金持ちじゃねえか! 余裕じゃねえかよ、あはははは! 

最高にいい女とセックスしよう!


 よし! 手っ取り早いのは風俗だ。超高級風俗にはアイドルの卵やら現役モデルと

かがいるって話をネットで読んだことがあるぞ!


 ――カタカタカタカタ。俺は怒涛の勢いで検索する。


 あったあった! おお、これは俺が何度もお世話になった爆乳AV女優のエマニエ

ル満子じゃないか! 凄っげえ激しくてエロいセックスするんだよな! エマニエル

満子と本当にやれるのか! 二十万払えばオールナイトで過ごせるのか! ああ、た

まらん!


 俺はとてもとても興奮した。

 だが! だが! それと同時にとてもとても重大なことに気がついた。


 俺は童貞だ……三十五歳童貞だ。しかも、ほんの少しだが頭が後退している。ここ

半年の不摂生で腹もポッコリしている。童貞だというだけで気後れしてしまうのに、

この頭と体型では話にならないんじゃないか? ハゲでデブの童貞なんて嫌過ぎるだ

ろ?


 童貞なら童貞で……せめて格好良く爽やかな童貞でないと……いけないのではない

か? もし風俗に行ったとして、相手の女にほんの少し、チラリとでも嫌な目で見ら

れるのは耐えられない。心がガラガラと砕けて爆死してしまう。爆死すると死ぬ。童

貞なら童貞で格好良い童貞でなければ風俗に行く資格はない!


 ふうううううう……。


 深呼吸をして冷静さを取り戻した俺は、風俗サイトを離れダイエット食品多数、各

種ダイエット及び筋トレ器具、ついでに養毛剤、制汗剤、男性化粧品などなどを大量

にクリックして購入した。


 総額約五十万円。株の損失に比べれば大した額じゃない。

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