あじさいの色

 七月十五日、真夜中十二時の四十一分五秒。

 おじいちゃんがいなくなった時間だった。

 十六日のお通夜も十七日のお葬式も、知らない人は来なかった。

 少ない人に囲まれても、おじいちゃんの写真はまゆ毛がくっついている怖い顔。

 いつも私がよく知るおじいちゃんの姿だった。

 葬式会場の外では、朝から重たい雲が、おおつぶの雨をふらせている。

 そろそろお昼なのに、雨はぜんぜん、やまない。

 そういえば、道に咲いてたあじさいは、珍しい色をしていた。

 私は葬式会場から出る。

 おじいちゃんが死んじゃった事を、どんな風に考えればいいのか、分からなくて。

 お気に入りの黄色いカサ。

 ふちにピンクのレースがついていて、リボンは六つも付けられている。

 カサに雨が当たって、私の頭をたたくように、大きな音が耳元で聞こえた。

 おじいちゃんは、私の事を怒ってるのかな。

 雨の強さが、私をそんな思いにさせる。

 目の前には白いあじさい。

 色のついてない花びらは、雨にぜんぜん負けないで、きれいに咲いている。

 あじさいの花びらは、本当は花びらじゃないんだって教えてくれたのは、おじいちゃんだ。

 花は雨に打たれても平気なのに、私はどうして。

(どうして涙が出ているの?)

 私の涙は、後から後から、流れてくる。

 止まれ止まれと、私は弱くないと、心の中でさけんでも。

 私の涙はあふれ出て。

 声が、のどの奥からもれて出てきた。

「だいじょうぶ。だいじょうぶだよ」

 私の背中をさすって、私をはげましてくれたのはおばあちゃんだった。

 おばあちゃんは、花の中で一番、あじさいの花が好き。

 でも、私がよく知ってるあじさいは、おばあちゃんの一番じゃないんだって。

「ねぇ、おばあちゃんって、どうしてあじさいの花が好きなの?」

 なんで、って思ってた事が、急に聞きたくなった。

 別に意味はないんだけど、なんとなく。

 おばあちゃんは、おじいさんがお前にそう聞かせてるのかもね、と言って、話し始める。

 おばあちゃんのカサは、あじさいのがらの白いカサ。

 クローバーにしか見えないこのカサを、おばあちゃんは、あじさいだ、と言う。

「プロポーズの時に、もらったんだよ」

 誰から、なんて聞くまでもない。

 私は、あじさいの花言葉を思い浮かべた。

 移り気。

 うわきする、って事だ。

 そんな花をプレゼントされて、おばあちゃんは怒らなかったのかな。

 私の気持ちは、おもいっきり顔に出てたらしい。

 おばあちゃんは、少し笑って、おじいさんがくれたのは、ってまた話を続ける。

「おじいさんがくれたのは、ガクアジサイ。お前が知ってるアジサイは、外国から来たものだよ。おばあちゃんの好きなアジサイは、日本の国に元々あった花のほう。そのガクアジサイの花言葉にはね、謙虚けんきょ、っていうのがあるんだよ」

「けんきょ?」

「素直で、人にえらそうにしないような人間のことを、そう言うんだよ」

 素直。

 おじいちゃんに似合わない言葉だ。

 物知りな事をジマンするみたいに、私に色々話すところも、えらそうだし。

「そうだね。おじいさんとは、正反対の言葉だね」

 おばあちゃんも、私と同じ気持ちだったみたい。

 死んじゃったおじいちゃんに、ちょっとだけ、失礼かも、なんて思う。

 でも、おばあちゃんが、人さし指をくちびるの前に当てるから、少し楽しくなってきた。

 ないしょの話、だ。

 私は、ないしょ話が好き。

「いつも謙虚なあなたに惹かれた。私もそうありたいと願う。移り気で辛抱の足りない私を、あなたにどうか支えてほしい。そして願わくば、家族で団結できるような、素晴らしい幸せな家庭を、あなたと作り、あなたと支え、あなたと守ってゆきたい。こんな私だが、どうか、結婚してくれないだろうか」

 おばあちゃんから聞いた、おじいちゃんのプロポーズの言葉。

 おじいちゃんは、自分の事をそんなふうに思ってたんだ、って、私はちょっぴり驚いた。

 それから、想像できない昔のおじいちゃんの、熱い思いも。

「おじいさんはね、お前の事も、お前のお母さんの事も、おばあちゃんの事も、大事に思ってたんだよ。大事に守って、支えて、一家団らんを目指してた」

 おじいちゃんの最期の言葉を思い出す。

 あの時、だんらん、って言ってたんだ。

 聞き取れなかった言葉が、今になって分かる。

 一家団らんの意味くらい、私にも分かる。

 みんなでなかよく、団結して。

 そういう意味だ。

「白いガクアジサイは、特別な日にかざろうって、おばあちゃんは、おじいさんと約束したんだよ」

 白いガクアジサイの花言葉は、一家団らん。

 おじいちゃんが一番大事にしてた、一番守ろうとしてくれてた事。

 おじいちゃんとおばあちゃんが結婚して、二十五年目に、お母さんはお父さんと結婚したんだって。

 その日、おじいちゃんは白いガクアジサイを買ってきて、おばあちゃんはそれを、家の一番真ん中にかざったらしい。

 ステキだな、って、思った。

 自然と、素直に。

 おじいちゃんが守って支えて、そうして育てた家族。

 ・・・・・・その中に、私も居る。

「おばあちゃん、私、買いたい物ができた」

 ぼろぼろ流れてたはずの涙は、 いつの間にか止まってた。

 雨は、ぱらぱらと小さくなってきている。

 私は黄色いカサをくるっと回して、おばあちゃんに買いたい物を話した。

 カサのまわりで、ピンクのリボンがふわりと舞う。

 お母さんからお金を受けとると。

「お母さんとおばあちゃんの分も、買ってきてくれる?」

 泣いてるお母さんから、おつかいを頼まれた。

 私は、おばあちゃんに教えてもらった花屋さんに、走って行った。

 くつも、くつ下も、泥だらけだ。


 白いガクアジサイ。

 その花束を三つ。

 花言葉は、一家団らん、家族団結。

 おじいちゃんの大切にしてきた事。

 私は、また走って、葬式会場へ戻る。

 お葬式は、あとちょっとで終わりだ。

 かんおけの中で寝ているおじいちゃんは、これから骨だけになる。

 火葬場へ移動して、花をおじいちゃんにおくる時、私とお母さんとおばあちゃんは、白いガクアジサイも一緒に、かんおけの中に入れた。

 花の中にうもれて、おじいちゃんの顔は、あの怖い顔。

「最後の最後まで、素直じゃないんだから」

 お母さんが言う。

 おばあちゃんとまわりの人は、小さく笑った。

 うれしい時とか、本音をかくしたい時に、おじいさんのまゆは、つながっちゃうの。

 と、おばあちゃんがこっそり、教えてくれた。

(じゃあ、今、おじいちゃんは・・・・・・)

 おじいちゃんが箱の中に入れられて、もくもく、煙が出ていく。

 おじいちゃんが、灰になっていった。


 人が骨になるまで、時間がかかる。

 私は火葬場から外に出た。

 空はまだぱらぱらと雨が、ふってるけれど。

「あっ! にじだよ! あっちに、にじが見えるよ!」

 幼稚園くらいの子供の声が聞こえる。

 子供は両親に手をつないでもらって、三人でおんなじ方を向いていた。

 少し遠くの空には、きれいな、すごくすごくきれいな、虹がかかっている。

 向こう側の空は晴れていた。

 きっと、こっちの空が晴れるのも、もうちょっとの事なんだろうな。


 おじいちゃんが骨になった頃には、空はすっかり晴れていた。

 虹は、もう見えない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る