おじいちゃんが死んだ

 七月十四日。

 学校が終わった私は、古風なローテーブルの上で宿題をしていた。

 おじいちゃんのお見舞いには、まだ行ってない。

 開いたノートに写した計算式が、なかなか解けずに、私は口元にシワをよせている。

 お母さんとおばあちゃんは、七日の晩から様子が変になった。

 二人ともたまに、おじいちゃんが怒ってる時みたいな、まゆが近づいた顔をする。

 私が声をかけると、なんでもないよ、って言ってくれるんだけど・・・・・・。

 そんな風に、時間をかけてちょっとずつ宿題を終わらせていった。

 でもけっきょく、全部終わる前に晩ごはんの時間になって。

 地図の名前をうめるプリントがまだ残ってたけど、後回しになった。

 アスファルトの道でカゲロウを見かけていたのは、ついこの前の話なのに、最近は雨の日が続く。

 改めて、今はまだ梅雨なんだなぁと思いながら、窓の向こうのシトシト雨を、私は見ていた。

 青から桃色に変わったあじさいは、夜の雨をかぶって、なんだか悲しい紫色に戻ったみたい。

 今日の晩ごはんは、ショウガのスープと根野菜たっぷり鶏肉の煮物だ。

 おばあちゃんの料理。

 とっても美味しい。

 おはしで、のんびりつついて食べていると、残ってる宿題もがんばろうと思う。

 お母さんが、最近学校でどんな授業をしてるか、って聞いてきたから、難しいよ、って答えた。

 プルルルル━━。

 と、家の電話がとつぜん鳴る。

 お母さんは、私の話を聞いているのを途中でやめて、電話に出た。

「はい、もしもし・・・・・・」

 お母さんは電話に出て、少したってから、顔色が悪くなっていく。

 はい、はい、としか電話の人に言ってない。

 お母さんは、おばあちゃんに電話を代わる。

 おばあちゃんも、すぐに顔色が悪くなった。

 カチャリ、と置かれた電話の音が、とても大きく聞こえて。

「これから、おじいちゃんに会いに行こっか」

 お母さんが私に言うと、おばあちゃんは急いで自分の部屋に戻って行った。

 きっと色々と、にもつを用意するんだろう。

 私は、お母さんが言った言葉の裏にある本当の意味が、すごくよく分かってて。

 それが自分で、いや、になった。

 信じない、なんて思い込む気持ちも起こらない。

 とても静かに、私もお母さんと一緒に、家を出る用意を始める。

 地図のプリントをちゃっかり持って行く自分を、私は少し許していた。

 許している自分が、いやだ。


 病院には、七夕の日とは比べ物にならないような息苦しい部屋に移った、土気色のおじいちゃんが居た。

 目が開いたまま、まばたき一つしない。

 たくさんのチューブと音の鳴る機械につながれてるおじいちゃんは、とうぜんだけど、私の知ってるおじいちゃんじゃなかった。

 そんなおじいちゃんが私は怖くて、すぐに病室を出てしまう。

 お母さんとおばあちゃんは、おじいちゃんのそばに残った。

 私は一人、ひじかけも背もたれも無い固いイスで、まぶしすぎる照明の下、宿題をする。

 地図の穴埋めが全部終わって、ふうと息を吐いたら。

 病院に着いてから、時計の長針が大体、三回まわっていた。

 日付はとっくに変わっているのに、あくびが一度も出ていない。

 おじいちゃんのところに戻るのも怖くて、ここで一人きり待っているのも怖くて。

 けっきょく私は、おじいちゃんの病室の前のろうかで、プリントの入った手さげカバンを持って立っていた。

 しばらくして、看護婦さんがおじいちゃんの病室から出てくる。

 看護婦さんは私に、病室の中へ入るように言った。

 おじいちゃんは、チューブと機械の中で、目を閉じている。

 私が持ってきた笹は、そこで居場所をなくしたみたいに、ちょこんとコップの中に入れられていた。

 もう、かれちゃったのか。

 ピーッピーッと聞こえる音は、何を表しているのか分からないけれど。

 来たばっかりの時よりは、怖くなかった。

 おばあちゃんは私の肩をそっと押して、おじいちゃんのとなりに私を近づけてくれる。

「おじいちゃん?」

 おそるおそる話しかけると、おじいちゃんは目をゆっくり開けて、私の方を見た。

 つまらない昔話も、よく分からないうんちくも、おじいちゃんの口からは聞こえない。

 ただ、息をしているだけで、なんにもしゃべらない。

 おじいちゃんは、私の目をじっと見ているけれど、まゆの間にシワもできないし、なんだか、目が合ってるような気もしない。

「おじいちゃん」

 もう一度よぶ。

 おじいちゃんは私を見てるだけ。

 お母さんが泣いている声が、私の後ろから聞こえた。

 私の肩を持つおばあちゃんの手も、震えている。

「おじいちゃん・・・・・・」

 私は、これ以上に無いってくらい、怖い気持ちになった。

 おじいちゃんが、いってしまう。

 遠いところへ、いってしまう。

 もう会えなくなってしまう。

 話せなくなってしまう。

 嫌だ。

 嫌だ。

 嫌だ。

 嫌だ。

 嫌だ。

 嫌だ。

 ━━団欒、だぞ。

 最期に、おじいちゃんは何かを私たちに言って。

 旅立ってしまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る