6/7 追撃

 「そういうの、嫌いなんだよね」

 壊れたほうがましだと声を上げる涼清刀りょうせいとうに首を振り、怜乱れいらん連雀れんじゃくを取り押さえる算段をする。

 最善は穏便に話し合いで済ませることだったが、連雀の意志を無視した刀相手では望むべくもない。次善は押さえ込んでしまうことだが、達人の技術で振るわれる刀相手ではそれも難しい。

 荒事と言えばあやかし相手、というのが画師えしの常だ。

 大抵の画師が対人戦に向けて武芸の修練に励まないように、怜乱もまた対人戦の技術はそう高くない。持ち前の視力と反射で攻撃を避け、あるいは着物の耐久性に物を言わせて近寄り、手足を砕く。暴漢相手であればそれで良いのだが、ただ振り回されているだけの連雀にそこまでの仕打ちを加える訳にもいかない。

 六鹿りっかからの願いや連雀の反応を見る限り、涼清刀の破壊も選択肢には入れない方が良いはずだ。

 少し考えて、怜乱は足を踏み出した。


(涼清、お願いだからやめてよ。ねぇ、今からでも遅くないよ、きっと話せばわかってもらえるから──)

 殺意に燃える涼清刀に、連雀は必死で呼びかけていた。

 涼清刀が画師の排除に躍起やっきになる理由を、連雀は分かっていない。ただ、涼清刀との長いつきあいから、ようやく見つけた自分しゅじんと引き離されることが厭なのだと、そう理解している。

 それならば画師と交渉すれば良い。そう思っている連雀は、どうにかして涼清刀の行動を押しとどめようと声をかけ続ける。

 ──そう。連雀自身、刀の様子がおかしいのは重々承知の上だった。

 じわじわと機能に異常を来していく涼清刀の所行は、連雀が負荷に耐えきれずに暴れるたびに、刀の手によって消されている。

 しかし、記憶を消せばその分の時間は空白となって残る。所々抜ける記憶を数えるたびに、何かよくないことが進行しつつあるという感覚だけが強くなっていった。

 だからこそ、名も知らぬ画師が目の前に現れたとき、とっさにすがろうと思ったのだ。

 画師も涼清刀のような『鬼』も、封妖譚おとぎばなしの中の住人と言う意味で同じものだったから。

 だというのに。

 長椅子を押しけながら近寄ってくる怜乱の着物は、すでに半身が赤く染まっている。

 人は失血で容易に死ぬと理解している連雀は、範囲を広げていく赤に危機感を募らせていた。

 涼清刀から伝わる知覚で彼が人の身でないことは理解していたが、それでも血が流れている以上は止血が必要なはずだ。

 そう考えて、連雀は涼清刀を押しとどめようと必死になる。

(涼清、力づくなんておかしいよ、お願いやめて──)

 どれだけ止めてと言い募っても、涼清刀は連雀の言葉に耳を貸そうとはしない。

 それどころか、手を放すこともできない金属の柄から伝わってくる殺意は、言葉を重ねるたびに濃くなっていくようだった。

「──うるさい、煩い黙れ黙れ!」

 連雀の説得に我慢できなくなった涼清刀は、苛立ちに怒声を上げた。

 己が主人は、画師の手元に帰った『鬼』がどうなるか知らない。調度品のように、古道具屋の店先に並ぶ訳ではないのだ。

 『鬼』は金銀を始めとした希少金属を主として構成される。その調達の困難さから、必要とされなくなった『鬼』は解体されて再利用される運命にある。

 正常稼働している『鬼』なら修繕してもらえることもあるだろう。しかし、涼清刀とて自己の機能が万全でないことくらいは自覚している。おまけに、創られた時代が時代だ。修理の腕や知識がないという理由で、解体されない保証はない。

 怜乱がそうするとは限らないのだが、涼清刀はただ一つの事例しか知らなかった。

 解体されたくない一心で怜乱に殺意を向け、彼の進行方向に向かって目の前の長椅子を蹴り込む。

 飛び上がって避けようとする怜乱目がけて、刃を突き込んだ。


 怜乱の予想通り、涼清刀は胴体の中央を狙って刺突してきた。構わずその手首に手を伸ばすが、相手の方が大柄だ。逆に伸ばした手を掴まれて強く引かれる。

 流れた視界に、光の具合で刀に穿たれた銘が見える。ふるい字体は、それが神代の作であることを示していた。

 とは『鬼』に与えられた使命であり、存在理由でもある。大抵の『鬼』には四字か八字の銘が刻まれ、彼らはそれに従って機能を発揮する。

 涼清刀に与えられたは、万病万傷不余祓除まんびょうばんしょうふよふつじょ──傷も病も余さず祓え。

 なるほどと納得したのと、背中が長椅子に叩きつけられるのはほぼ同時。もんどり打って床に落下した怜乱の背を、涼清刀の刃が追う。

 かつんと金属音がしたのは、肋骨に当たった刃が滑ったためだ。骨と骨の間に落ちた刀身は人の身なら致命傷だが、怜乱にとってはちょっとした損傷に過ぎない。刀身を背骨側に巻き込むように身をひねる。上手く骨が刃を噛めば、刀を巻き込んで使用者の手から引き離せる。

 しかし刀もその思惑に気付いたのだろう、肋骨の間に噛んだ刃が慌てたように引き抜かれる。

 微かにがりっと音がしたのは、怜乱の骨からではなく刀を握る男の腕からだ。無理な角度で腕を引いたせいで、どこかを捻ったのだろう。

 使用者が負傷しているだろうにもかかわらず、涼清刀は転がり身を起こそうとする怜乱を追撃する。

「くそっ、ちょろちょろ逃げ回るんじゃない」

 頭の中で止めて止めてと繰り返す連雀の声をまるで無視して、涼清刀は逃げる怜乱にいきどおる。

 涼清刀の人型は、人間の内部構造を模して創られている。心臓を破壊されたり首を切断されたりすれば、人と同じく死に至こわれる。故に、怜乱も同じような作りをしているのだという推測の元に攻撃を仕掛けていたのだが、どうやらそれは間違いのようだった。

 腕を斬り付けたときにはわからなかった。

 『鬼』は金銀銅に鉄、そして水銀を主体に創られている。金は永続性、銀は機能、鉄は制作者の意図をそれぞれ保証し、水銀と銅が媒介と同調を担う。その割合は制作者によって様々だが、普通は鉄が大半を占める。

 金銀を主体とする怜乱の構成は、どちらかというと妖を封じる紙のそれに近い。

 だが、構成は異なるものの、肉と骨があるところは人体と変わらない。故に内部構造も大差ないだろうと考えて、心臓とその付け根の大きな血管を狙って刺したのだ。

 しかし、予想に反して彼の身の内には何もなかった──いや、涼清刀の知識では理解できなかったといった方が正しいだろう。

 身体を動かすための骨や肉は同じ構造をしているが、それ以外は涼清刀の知識にはないが詰まっている。

 ならばとばかりに首や胴よりも筋や関節を狙う斬撃には、とにかく相手を動けないようにしてやるという強い意図が込められている。

 無理な動きをさせられている筋や関節からは酷い違和感がしていたが、そんなものは後で治せば良いと涼清刀は考えていた。

(涼清、涼清。やっぱり君はおかしいよ、画師様を殺してどうなるっていうんだ。お願いだからもうやめて。ね、ちゃんと話せば画師様だって分かってくれるはずだよ、一緒に謝って、悪いところを直してもらえるように交渉しよう?)

 そんな涼清刀に、連雀は必死に声をかけ続けていた。

 彼が自分の話に全く耳を貸さないことなどはわかっている。今までもそうだった。

 だが、画師に出会えるなどという奇跡は、これが最初で最後かもしれないのだ。説得をやめるわけにはいかない。

「君は、使用者の躰を使い潰すつもりなのか。言ってることとやってることが矛盾しているのに気付いてる?」

「うるさい。お前さえここに来なければ、僕だってこんなことをせずに済んだんだ!」

 怜乱の問いかけに語気荒く言い返して、涼清刀はその刀身を振り上げた。憎々しげな形相と怒りに燃えた口調とは裏腹に、男の目にはいっぱいに涙が溜まっている。

 その涙を説得の失敗と見て取って、怜乱はわずかに首を振った。

「……何を誤解しているかは知らないけれど、聞く耳はなさそうだね。君の使用者が君を説得してくれればと思ったけれど、無理そうだな」

 首を狙って打ち下ろされる刀の間合いから、一歩距離を詰めて手を伸ばす。目を見張る男の胸元を捕らえてぐいと強く引き寄せ、ふらついた足を払う。

 悪意のある相手であればそのまま床に叩きつけるところだが、ただの使用者を痛めつける気はない。平衡を失って宙に浮いた躰を、胸元を軽く引きながら床に置く。

 ただし、刀を振り回されては厄介だ。手を離しざまに鎖骨の上を撫でて折っておく。怜乱は人の傷を治すすべを持たないが、涼清刀の銘から考えれば骨折くらいは治せるはずだ。怪我は涼清刀を取り上げた後で治してやればいいし、万が一上手くいかなくても綺麗につながるように配慮はしてある。

「……これでもう、刀も振り回せないでしょ」

 そう言って手を離す怜乱の脇腹に、涼清刀は最後のあがきで刀身を突き込んだ。

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