5/7 狂刃

「……いえ──やっぱり」

 閃光から一拍おいて、連雀れんじゃくはふらりと立ち上がった。

 その手には、濡れたような紫に輝く刀が握られている。本来ならあるはずの飾りも、柄に巻く布や革すらない直刀は当然、昨日老人の躰を斬りいていたものだった。

 男の瞳には先ほどまでの怯えた色はない。ただひたすらに悪意の籠もった視線で、怜乱のことを睨みつけている。

「画師様に用なんてありませんから。お引き取り頂けますか」

 威嚇めいた声を上げる男の様子に、怜乱は僅かに目を細めた。

 武器の『鬼』はその性質上、使用者の躰を操る能力を付与されている。しかしそれは、使用者の許諾があってこそのことだ。

 少年に脅されながらも頑強に抵抗していた男が、躰の主導権を安易に譲るはずもない。

「刀。ということは涼清刀で間違いないね。君、使用者を無理矢理操っているのか」

「あくまでもこれはぼくの意思──ってことにはしてくれないみたいだね」

 怜乱の確認にも、男はやれやれとばかりに肩を竦め、首を横に振るばかりだ。話を聞く気すらないらしい。

「君の使用者は、君のことを手放したがっているようだったからね」

「──厭だ。僕は御主人様と離れるつもりなんてない」

 わざと少し意地の悪い言い方をしてやると、涼清刀は敵意のこもった唸り声を上げた。


 『鬼』は画師に創出され、人に使役されるための道具である。そのため、本来ならば何よりも、現在の使用者の意思を優先するように創られている。

 ゆえに、正常稼働している『鬼』であれば、使用者の意思を伝えられれば、彼らは本能的にその言葉の是非を検討する。しかし、刀の言葉には一切の迷いがなかった。


 刀自身の意思しか感じ取れない言葉に、怜乱は視線を険しくする。

 そんな相手に苛立ったのか、男は刀の柄を握り直した。

「どうしても引き離そうって言うんなら、僕にだって考えがある」

 言葉と同時、横一文字に閃く斬撃を、怜乱は溜息をつきながら一歩下がって避けた。

 使用者の意思を無視して勝手な行動を取る『鬼』の矯正は、画師の役目に他ならない。

 切り払った勢いを反転させて足元を狙う刀に身を引き、切り上げてくる斬撃は身を反らし、上段から刺突してくるきっさきを半歩横に躱していく。そのたびに、刃の軌跡には薄黒いもやのような邪気がたなびいた。

 斬撃は達人のそれではあるものの、刀を握る連雀自身はそう動ける方ではないらしい。

 意識の有無は不明だったが、傍目からでも息が上がっているのがわかる。それに時折無茶な動きに体がついていかないのだろう、ぴくりと表情が引き攣る瞬間がある。

 反射からくる痛みの表出は、涼清刀が連雀の体の都合を無視している証拠だった。

 『鬼』の中には使用者の体力を補助するものも存在するが、涼清刀にそういった機能はなさそうだと、怜乱は推測する。

 もっと広い場所か屋外であれば、追わせるだけで動けなくなるだろう相手だ。しかし、ここは大して広くもない室内である。相手の体力切れを待つにはいささか分が悪い。何度か斬撃を躱すうち、怜乱は室の隅に追い込まれていった。


 白い画師の背が壁に触れるのを目にして、刀は腕を振り上げた。

 斬撃を遮るように左の腕を挙げる画師の仕草に、涼清刀は勝ち誇ったような笑みを浮かべる。

 涼清刀の刃は鋼鉄ですら容易に斬り割く。木材と泥で組まれた建物も人間の骨も、それに比べれば豆腐のようなものだ。建物ごと首を打ち落とすつもりで、涼清刀は自身を振り抜く。


 ぎん、と。金属で金属を殴ったような音が、狭い室内に響いた。

 真っ赤な液体が天井まで散り、狭い室内に酒精の香りが立ちこめる。


 ばたばたっと音を立てて降りかかる血液に、怜乱はわずかに目を見開いた。

 金属の塊で殴りつけられるのだからある程度の衝撃は予想していたが、これはその範囲外だ。

 怜乱の着物は一見絹か何かのように見えるが、実際の構成物は画師の使う金属紙である。何千枚もの紙を高密度に圧し固めて構成されたそれは、妖の爪や牙を弾く強度と、『鬼』の攻撃をある程度まで無効化する術式が付与されている。

 涼清刀は、盾の代わりにかざされたそれを、ただの布のように切り裂いてみせたのだ。

 だがその刃も、怜乱の骨までは切り裂けない。

 強度を確かめるように引かれる刃が、着物よりもさらに密度の高い骨を削ろうと軋んだ音を立てる。しかしその音よりも刃から漏れ出す邪気が酷い。

「……あんまり乱暴なのは好きじゃないんだけど、向かってくる相手に容赦するほどお人好しでもないんだよね」

 じわりと侵蝕するような感覚にほんの少し眉を寄せ、怜乱は右の手で男の胸を突き飛ばす。

 掌底にみしっという鈍い響きを残して、男の躰は部屋の中央部に並べられた長椅子に突っ込んだ。ぐぅ、と押しつぶしたようなうめきが聞こえた。


(……涼清、何、してるの)

 驚愕したような意識が向けられて、起き上がった涼清刀は内心で舌打ちをした。

 行動の邪魔になると思って無理矢理眠らせていたというのに、さっきの衝撃で目を覚ましてしまったらしい。

 彼が眠っている間に、便ことを済ませようと目論んでいたのだが、思い通りにはいかないものだ。

 しかも、近寄ってくる怜乱の惨状にを目にした彼は、必死に涼清刀を押しとどめようとしてくる。

 声を黙殺するのは簡単だが、神経の伝達を阻害されるのは多少なりとも面倒なのだ。黙っていろとはねつけて、涼清刀は怜乱を睨みつけた。


 悲鳴を上げる連雀の視界には、着物の左側を真っ赤に染めた怜乱の姿が映っている。

 斬り割かれて血を吸い、重そうに垂れ下がった着物の間からは割られた前腕部が覗いていた。

 血糊に濡れた涼清刀と真っ赤な液体が止めどなく流れ出す傷口、肉の間から露出した銀色の骨を目にすれば、刀が何をしでかしたかは想像に難くない。

「君の刃で僕が斬れないのは分かっただろう?」

 だというのに連雀に掛けられる声は全くの平静で、視界に映る惨状さえなければ何事もないのかと錯覚してしまいそうだった。

 それが多少恐ろしいと思ったのは間違いないが、それでも連雀の思いは変わらなかった。

 涼清刀を説得して、画師に彼を修理してもらわないと現状は何も変わらないのだ。

 これ以上画師に攻撃を仕掛けないようにと、彼は必死になって刀に語りかける。しかし、涼清刀は反応を返さない。連雀の言葉は黙殺されるばかりだった。

「悪いようにはしないから、大人しく従いなよ」

「厭だね。お前に従うくらいなら、へし折られた方がましだ」

 敵意ある表情で睨みつけてきた男の瞳孔が開くのを認めて、怜乱はそれが連雀の反応だと見当をつける。

 武器の『鬼』の身体制御は全身に及ぶものの、反射にまで関与することはできない。

 連雀の説得を少しは待つべきかを頭の隅で検討しながら、怜乱は刀に呼びかける。

 しかし、返ってきたのは吐き捨てるような言葉だった。

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