7/7 回収

 涼清刀の刃が脇腹に突き立てられる。

 痛みのないはずのからだに痛みのような衝撃が走ったのは、おそらく刀の纏う邪気のせいだ。

 胴を串刺しにしたまま、涼清刀は人型に戻ろうとする。その気配を感じた怜乱は、連雀の手から強引に刀の柄をもぎ取った。

 武器の『鬼』は柄を握る者の命令を聞くようにできている。意志と行動に制限を掛けられて、涼清刀は悔しげに沈黙した。

「画師様──」

 自分を呼ぶ声に、怜乱は足元の連雀に目を向ける。しかし、何か言おうとしていた彼は、続く言葉を発することなく意識を落とした。

 連雀の口元に滴った赤い液体を見て、怜乱は僅かに肩を竦める。

 怜乱の血は限界以上に圧縮された酒精だ。おそらく急性の中毒でも起こしたのだろう。

 蒼白な顔でぐったりした男が窒息しないように動かしてから、怜乱は脇腹に刺さった涼清刀を注意深く引き抜いた。栓を失って吹き出す血と共に、涼清刀の纏っていた邪気が墨色の糸を引く。粘りつくような不快感に鼻を鳴らして、懐から取り出した紙で荒く刀を封印する。

 それを長椅子の上に放り投げると、怜乱は頭頂部で纏めている髪を解いた。髪飾りにしている小刀を調整して、首の後ろで掴んだ髪をざっくりと切り落とす。

 たっぷり二尺はある白銀の束を無造作にばらまくと、髪は端からほどけて白銀の紙となった。

 意思あるもののように舞い散った紙が血液と酒精で赤く染まるのを見ながら、怜乱は傷付けられたからだや着物の手入れを始める。


             *  *  *


 躯と着物の手入れをし、涼清刀に鞘をこしらえる。力の源である血液を回収して戻ってきた紙を、髪に戻して結い直す。ついでに滅茶苦茶になった室内を整えてやっていると、へやの隅から連雀のうめき声が聞こえた。

「……う……」

「目が覚めたかい」

 身動きをする気配に声を掛けながら歩み寄る。

 近寄ってくる怜乱を、連雀はまじまじと見つめていた。何度も怜乱の頭から爪先までを見返す表情は、まるで恐ろしいものを見るようだ。

「だいぶ手荒になったけれど、大事ないかな。もう少し寝ていると思ったものだから、治療はまだなんだ」

 軽く問いかけるが返事はない。

 まだ朦朧もうろうとしているのだろうかと考えて、上半身を起こした連雀の隣に膝をつく。

「ちょっと失礼」

 軽く声を掛けて目の奥を覗き込む。まぶたに伸ばされた手を怖れるように、連雀はびくりと身を強張らせた。

 怜乱を見返す瞳孔は、恐怖を示すようにめいっぱい広がっている。

「──あ、」

 連雀の口から怯えた声が漏れる理由を、怜乱は何となく察していた。

 おそらく彼は、涼清刀の機能で自分のからだの組成や中身を見たのだろう。

 彼は医者だ。そう剛胆な人間でもないようだし、知らない仕組みで動く人と似たようなは、さぞかし恐ろしいことだろう。それとも、あれだけつけられた傷が跡形もないことに驚いているのだろうか。

「僕の構造は見ただろう。まぁ、人と違うものだから、人と違う原理で動いてるんだって納得してよ」

 言葉への反応から神経に異常はなさそうだと判断し、怜乱は長椅子の涼清刀に手を伸ばした。

 不満げに震える涼清刀の、その鞘は早くも薄墨に染まっている。それを目にして、怜乱は眉を寄せた。

 連雀の治療に使う算段で、鞘にはかなり強めの吸収と浄化の呪を掛けてある。触れた邪気の濃さから、ある程度容量のある鞘を用意した。ちょっとやそっとでは染まらないはずの鞘を薄黒く染める邪気は、通常の『鬼』ならすでに十度は壊れていてもおかしくないほどの量だった。

「涼清──」

 鞘を落としながら立ち上がる怜乱を目で追い、連雀が苦しげに刀の名を呼ぶ。

 斬り付けられる一瞬後を予想してのことなのか、それともまた別の感情があるのか。怜乱にはわからないし理解する気もない。

「君の傷を治すなら、これが一番早そうだからね。取り急ぎ処置はしたから、あんなことにはならないと思うけど」

 淡々と言って、連雀に刀を振り下ろす。

 涼清刀に躰の主導権を渡すつもりはないから、太刀筋は適当だ。気脈に沿って刃を通せばいい程度の認識で、無造作に斬る。

 怯えたように閉じられる連雀の目は、涼清刀の不幸を物語っていた。

 先程まで彼の持ち主だったこの男は、刀の機能のことなど百も承知の筈だ。その彼でも、刃を向けられる恐怖を押さえることができないのだ。

 固く目を閉じた男の治療を終えると、怜乱は鞘を拾い上げて涼清刀を収めた。

「じゃ、この刀は預かるよ。下紫16日まではこの町から一番近い宿に泊まってるから、気が向いたら迎えにおいで」

 声を掛けても、男の反応はない。

 ただ、ぽたぽたと涙を流すばかりの彼をしばらく見つめてから、背を向ける。

「──ごめんよ……」

 診療所の扉を押す背中を小さな声が追ってきて、その違和感に怜乱は眉をひそめた。



「──おまえ。使用者に何かしただろう」

 街道を歩きながら、怜乱は涼清刀に話し掛けた。

「うるさい。お前には関係ないじゃないか」

 しかし、刀は不機嫌そうにそう返すだけで、自分がしたことを答えようとはしない。

 その態度に、怜乱は喉の奥で笑い声をあげた。

 理由もなく、その抵抗をわらいたい気分だったのだ──もしかすると、邪気の影響を受けているのかもしれない。

 これは自分にも調整が必要かと考えながら、怜乱は刀に喋らせようと挑発する。

「へぇ、『鬼』のくせに画師ぼくに歯向かうんだ」

「おまえだって『鬼』じゃないか」

 不満げな涼清刀に再び笑い声をあげて、怜乱は答えない刀にあれこれと話しかけた。


             *  *  *


「疲れた。ちょっと寝る」

 帰ってくるなり寝台に倒れこんだ怜乱に、狼は驚きの目を向けた。

「珍しいな、いったいどうしたんだ。何かあったのか?」

「いや、いつもどおりだよ。『鬼』の持ち主から、あれを回収してきた」

 寝台に立て掛けた涼清刀を頭に挿した筆で指して、怜乱は枕に顔を埋めた。

 つられて涼清刀を見た狼の目が丸くなる。

「おいおい、なんなんだ、あれは」

「……六鹿さんが言ってた涼清刀。信じられないでしょ、あれで稼働してたんだよ」

「あれでか? まるきり邪気の塊じゃないか。あれを相手にするなら、俺の炎の方が手っ取り早かったんじゃないか?」

「……いや、老狼はここにいて良かったと思うよ。やっぱり」

 鼻面に皺を寄せる狼に答えながら、怜乱はもそもそと髪を解く。

 ざらりと髪らしからぬ音を立てて流れ落ちた銀の流れの中、一筋の黒いものに目を留めて、狼はそれをつまみ上げた。

「? 怜乱、お前いつの間に黒髪なんか生やしたんだ?」

「あぁ、それを探そうと思ってたんだ。ついでだから抜いてくれない」

 狼は言われるまま、金属のような感触のする髪を引いた。

 ぷつりと軽い抵抗を残して引き抜かれたそれは、一拍の間を置いて髪ははらりと解けて広がる。

 掌の中、漆で塗り込めたような紙からひしりと伝わる気配に、狼はたてがみを逆立てる。

「何だ、これは」

「涼清刀から移された邪気をに固めたもの。浄化に時間が掛かりそうだったから、老狼に頼もうと思って」

 短く答えて、老狼の手元を見上げた怜乱は眉間に皺を寄せた。

 一尺四方の紙片は隅から隅まで黒く染まっている。

 涼清刀に斬り付けられ、しばらく串刺しになっていただけであれだ。これからの作業を思うと頭が痛い。

「確かに、これはいかんな。小さいむらならこれ一枚で残らず発狂させられるぞ。ついでに強烈な疫病のおまけ付きだ」

「ほんとにね。外からならどうとでもなるけど、さすがに内側から侵蝕されるのは堪らないよ」

 狼が概念の炎で跡形もなく紙を焼き尽くすのを確認して、怜乱は枕に頭を埋めた。

 とりあえずは一寝入りして、躯の修復を完全にしてしまいたい。

「ありがとう。じゃあ、僕はしばらく寝るから」

「応よ」

 彫像のように動かなくなった怜乱をひとしきり眺めて、狼はふいと息を吐いた。

 怜乱がそういった話題を嫌うから口には出さなかったが、灼き切った邪気のほとんどは邪淫の類だ。あの刀がどれだけ長い間それを溜め込んでいたのかは知らないが、尋常でない量を溜め込んでいるのは間違いない。

 ほんの少し涼清刀の過去に思いを馳せて、狼は緩く首を横に振った。

「ご苦労なことだな」

 長い尻尾で少年の上を払って、僅かに残っていた邪気を祓っておく。

 そして自分の寝台に長々と寝転ぶと、うとうとと目を閉じて眠りだした。



  ──────【使命果たすに過ぎたる刃・了】

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る