1章_1



 アレクシス・ラウドルはこの国の第一王子であり、そして一年前までは誰もがうらやむようなじゆんぷうまんぱんな人生を送っていた。

 親ゆずりの深い茶色のひとみかみは落ち着いた印象をあたえ、高い身長としなやかな手足が所作の一つ一つをゆうに見せる。女性であれば誰でも熱い吐息をらす見目の良さ。王族としての才も申し分なく、国をぐための勉学にも積極的にはげみ常に努力をしまずにいた。

 で努力家でいて気さく。王族の気品をまといながら、それでいて分けへだてなく誠意をもって接する親しみやすさもある。

 たみに愛され、臣下にしたわれる理想の王子。誰もが彼が王位を継ぐ姿を思いえがき、この国はあんたいだと語り合っていた。

 ……一年前までは。



 ならば今はどうかといえば、いったいどういうわけか順調だった彼の人生は一転して不幸にわれていた。いや、『不幸に見舞われていた』等という表現は甘く、『不幸に見舞われ過ぎていた』というべきか。なにせそれほどまでの有り様なのだ。

 原因不明の発熱やは日常はんようにもことごとじやが入りろくに体も休まらない。生きているだけでまんしんそう。そんな状態ではいくら才知にあふれているとはいえ、集中力を欠いてミスを招く。いな、集中力を欠かずともじんなミスが舞い込んでくる。

 そのうえ、やれ国財を使ってごとをしているだの、わいを受け取って部下をしようしんさせているだのとおんうわさがたち始め、国民や臣下がてのひら返しをし始めた。鹿な話だといつしゆうされそうな根も葉もない噂だというのに、これがどうしてみな一様に信じてしまうのだ。

 果てには、行きずりの女をはらませて隠し子がいるだの、こんやくしやに暴力を振るい権力でくちふうじしているだのとまで言われてしまう。

 噂話にヒレどころか背ビレむなビレまでついて、不運の海をふわふわ泳いで仲間を連れてきたかのようではないか。

 話の一つや二つならば「ざまぁみろ」とでも言ってやったモアネットだが、さすがにこれはあんまりすぎるとかぶとの中でまゆひそめた。

「噂のどころに思い当たる節はないんですか?」

「無い、全く無い」

「隠し子の件とか、たとえば夜のお店に通ってたとか、過去の火遊びとか」

「全く無い、これっぽっちも無い。僕が目を合わせただけで女性をごもらせることが出来るなら別だけど、ほかの要因はいつさい無い」

「清らかなんですね」

 どうていの単語をオブラートに包んで返す。次いで他に何か考えられることはないかと問おうとし、「それで」と割って入ってきた声に意識を向けた。

 アレクシスと共に来た男だ。たけはアレクシスよりも高く、体格もしっかりとしている。

 厳しげな顔つきに金の髪がえ、するどあお色の瞳があつかんを与える。ラフな服装ながらこしからけんを下げているあたり、きっとアレクシスの護衛だろう。

 そんな男に対して、モアネットはジッと見つめたのちに「どなた様ですか」とつっけんどんにたずねた。

 ほんのちょっとばかし口調が荒くなるのは仕方あるまい。押し入られた現状、彼らに気をつかってやる義理はない。しつけなのはお互いさまだ。

「パーシヴァルだ。パーシヴァル・ガレット。王子の護衛を務めている」

「パーシヴァルさんですね。はい、分かりました。では続きをどうぞ」

「いちいちかんさわる言い方だな」

「そりゃすみませんでした。なにぶん不躾な訪問者の応対をなくされて気が立っているんです」

「このてつかいが」

 鋭くにらみ付けてくるパーシヴァルに、モアネットもまた睨んで返す。

 もっとも、モアネットの顔は兜でおおわれ、目元だってこちらからはのぞけるが向こうからは見えないように作られている。睨んだところで全くもって意味はない。そして彼の言う通り鉄塊でもある。


 そんなくつきような男と鉄塊が睨み合うことしばらく、しびれを切らしたと言わんばかりにアレクシスがためいきをつき、「いい加減に……」と二人を制止しようとし……、

 ごとくずれ落ちた。

 それはもう派手に、ドグシャァ! とごうかいな音をたてて。

「アレクシス様!?」

「王子、ご無事ですか!」

 あわてて二人がけ寄れば、崩れた椅子の上でしりもちをつくアレクシスの姿。片手を軽くっているのはだいじようだという事なのだろう。……その直後、今のしようげきかたむいたテーブルからすべり落ちた紅茶を頭からかぶったあたり、大丈夫とは思えないが。

 ぽたぽたと彼の茶色い髪から水がしたたる。なんとも見事でありあわれな姿ではないか。思わずモアネットが兜の中で「不運だ」とつぶやき、アレクシスを浴室へと案内した。





「一事がばんこの調子だ」

 とは、深い溜息をつくパーシヴァル。彼のとなりでは入浴を終えたアレクシスがタオルで髪をぬぐいながら「一応、紅茶ごそう様と言っておくべきかな」と明後日あさつてな事を言ってす。

 そんな二人に対して、モアネットはアレクシスへの返事は後回しにし、浴室とパーシヴァルをこうに見やった。

「そんなことより浴室直してくれません? アレクシス様が使ってからお湯が出なくなっちゃったんですけど」

「安心しろ、王子がこの古城をはなれれば直るだろう」

「出ていけやくびようがみ共! お湯を返して!」

 そうモアネットがえるも、パーシヴァルはまるで聞こえなかったと言わんばかりの態度で他所よそを向き、それどころかアレクシスと話し出してしまう。

 そのあまりの態度にモアネットもる気ががれ、最後に一度「呪われてるんじゃないですか?」と皮肉交じりに告げて本題にもどろうとし……兜の中でキョトンと目を丸くした。

 なにせアレクシスとパーシヴァルがジッとこちらを見ているのだ。

 鉄の鎧を身に着けているとはいえ注目されるのは心地ごこちが悪く、兜の中でモアネットの額にあせかぶ。い茶色の瞳と、碧色の瞳。真っすぐに向けられるとまるで鎧の中をかされている気分におちいり、心臓がめ付けられるかのように痛む。

「な、なんですか」

 そう尋ねたモアネットの声はうわってふるえている。

 だがどうせ声など鎧の中ではんきようしてまっとうに届いていないのだから気付かれまい。

「モアネットじよう、今アレクシス王子に対し『呪われている』と言ったな」

「え、えぇ、言いましたけど」

だれに呪われていると?」

「さぁ、そこまでは」

 分かりません、と言いかけてモアネットが言葉を飲み込んだ。

 アレクシスがガタと勢いよく立ち上がり、その勢いのままに手を──正確に言うのであれば鎧の手っこうを──つかんできたからだ。

 強い……かどうかはあいにくと鉄越しなので分からないが、それでも真剣みを帯びた表情を見るに相当に力が込められているだろう。

「モアネット、やっぱり僕をうらんでいたんだね……!」

「アレクシス様?」

「あの時のこと本当に悪かった。つぐなえるならなんでもする。だから……」

「だから?」

「だからこの呪いを解いてくれ!」

 悲鳴とさえいえるアレクシスのこんがんに、モアネットがギコッと音をたてて首をかしげた。



 アレクシス・ラウドルの言い分はこうである。

『かつて自分はモアネットを傷つけた。彼女は古城に籠り、昔アイディラ家が使っていたという魔術を研究していると聞く。きっと彼女は自分を恨み続け、そして時はきたと呪いをけたにちがいない! その結果がこのざまだ!』



 パーシヴァル・ガレットの言い分はこうである。

『あいにくとその場に居合わせなかったが、王子の暴言は確かにひどい。ゆえにモアネット嬢は王子を恨み、じゆつを使ってのろったに違いない。王子の評価は地に落ち、今や残った臣下は自分だけ。事態が悪化する前にモアネット嬢を止めなければ!』



 モアネット・アイディラの言い分はこうである。

『まったくてんで見当違いなのでさっさと帰りやがってください』



 まさに三者三様。こんな状態なのだから、まともに話し合えるわけがない。

「呪った」「呪ってません」「許してくれ」「やめて椅子こわさないで」

 と言い合い続け、気付けば日も暮れていた。

 そうしてモアネットがせいだいに溜息をついたのは、買い込んだばかりの一週間分の食料の半分を彼らの夕食として消費する羽目になったからだ。





 モアネットが居住地としているこの古城は、アイディラ家が所有している建物である。

 といっても貴族のべつそうのようなはなやかさはなく、うつそうとした森の中にポツンと建つ姿はまるで忘れ去られたかのようなそう感をあたえる。現にアイディラ家の誰もがこの古城のことを気に掛けずにおり、モアネットが移り住んで初めて思い出したほどであった。

 おかげで経年れつは見られたが、それでも造り自体はしっかりとしている。

 広く使い勝手も良く、そして古城ゆえの古めかしさが独特なふんただよわす。夜はバルコニーから満天の星も見え、朝は森からさわやかな風が木々のかおりをともなってける。ここまでの道をきちんとそうし中も整えれば、きっと洒落しやれた宿になるに違いない。

 そんな古城の一室、大広間にあたる部屋でモアネットはアレクシスとパーシヴァルと共に夕食をとっていた。

 もちろんよろいを身に着けたままで。当然だが顔もかぶとで覆っている。

 口元もしっかりと鉄でかくされているのだが、それでもたんたんと食事を進めるモアネットにパーシヴァルがげんそうにその名を呼んだ。

「……モアネット嬢、貴女あなたはどうなっているんだ?」

「どうなっている、とは?」

「貴女の体だ」

「性的な質問にはいつさいお答えしませんよ」

「なんの話だ」

 モアネットの返事にパーシヴァルのけんしわが寄る。明らかな不快を示す表情だが、モアネットもまた何をたずねられているのか分からずギギと音をたてて首を傾げた。

 それでも銀の手っ甲でフォークをあやつり、一口サイズに切った肉にたっぷりとソースをからめて口に運ぶ。ムグとほおれば、パーシヴァルとアレクシスがなおの事怪訝そうな色を強めてこちらを見つめているではないか。

 さっぱり意味が分からない。見つめられるのは気分が悪い。自然と手が震え、それが手っ甲を通じてフォークが細かにれてカチカチと皿にぶつかる。

「ひとが食事をしているところをぎようするなんて失礼ですよ」

「それは申し訳なかった。俺には鉄塊が食べ物を吸収してる不思議な光景にしか見えないんだがな」

 きっぱりと言い切るパーシヴァルに、隣で食事をしていたアレクシスが溜息をついた。

 そうして、おのれの部下と己を恨んでいる令嬢のあいしようの悪さを心の中でなげきつつ、まるでちゆうかいするようにモアネットを呼ぶ。

「モアネット、君の食事の仕組みがどうなっているのか聞きたいんだ」

「食事の仕組みですか?」

「そう。僕達からは君の口元がまったく見えない、なのに君はつうに食事をしている」

 だから不思議なんだと説明するアレクシスに、なるほどそういうことかとモアネットがうなずいた。

 確かに、口元を見せていないのに食べ物が消えてしまっては彼等が不思議に思うのも仕方あるまい。人前で物を口にすることなどめつにどころか数年単位でなかったので、自分の食事風景がはたにはかいであることを忘れていた。

「周りから見えないようにとくしゆな造りをしているんです。それに魔術も掛けてあります」

てつていしてるんだね」

 そう返すアレクシスのこわいろはどことなくしずんでおり、申し訳なさそうな色さえ感じさせる。ここまでモアネットを追い込んだ責任が自分にあると考え、だからこそこの徹底した隠しようを前に罪悪感をいだいているのだろう。

 それに対してモアネットはフォローをしてやる気にもならず、さっさと食事に戻ってしまった。「気になさらないでください」なんて言う気にもならない。ましてや「アレクシス様のせいではありません」なんてうそになる。

 現に彼のせいだ。彼の言葉のせいで鉄の鎧をまとうことになった。……いや、それだけでは無いけれど、それでもすべてのほつたんは幼い日の彼の一言だ。

 だからこそモアネットが気落ちするアレクシスをほうって食事をしていると、彼をづかってかパーシヴァルが「この城には」と話題を変えてきた。

「この城にはメイドもいないのか」

「えぇ、メイドも庭師もいません。もちろん護衛も」

「本当にモアネット嬢しかいないんだな」

「そうです。私一人、たまに森で迷った人がまりに来るけど、それだって月に一度あるかないかぐらいです」

「そうか」

「あ、でも友達はひんぱんに遊びに来ます」

 はたと思い出してモアネットが顔を上げれば、意外だったのかパーシヴァルとアレクシスが「友達」と声をそろえた。

 どうやら古城にこもる重装れいじように友達がいるという事がおどろきらしい。その反応はおおいに失礼で腹が立つものなのだが、モアネットは文句を言うまいと自分を落ち着かせ……そして聞こえてきたカサというかすかな音にてんじように視線をやった。

 うわさをすればなんとやら、どうやら友達が来たようだ。

「せっかくだからしようかいしますね」

 そう告げてモアネットが宙に手を差し出す。手の平を上に、まるで誰かがそこにいて「こちら……」と紹介するかのようではないか。

 もっとも、モアネットがいくら紹介の前口上を述べてもそこには誰もおらず、パーシヴァルとアレクシスの頭上にもんかぶ。だが次のしゆんかん、まるでモアネットの言葉を合図にしたかのように、ツツ……と天井からいつぴき蜘蛛くもが下りてきた。

「友達のロバートソンです」

 そう紹介した瞬間、耳をつんざくような悲鳴が大広間にひびいた。アレクシスである。

 そのうえ彼は顔色を青ざめさせてねるように立ち上がり、となりに座っていたパーシヴァルもせいよく立ち上がるやこしから下げていたけんを抜く。

 一瞬にしてけいかい態勢に入った二人に、モアネットがギコギコと音をたてながら二人とロバートソンに視線をやった。鉄の兜が一定のテンポで左右する様はずいぶんとシュールだろうが、あいにくと今それをてきする者はいない。

「なんですか、蜘蛛はおきらいですか?」

「く、蜘蛛が……毒蜘蛛がっ……!」

「失礼ですね、ロバートソンは毒の無い蜘蛛ですよ。ねぇ?」

 そうモアネットがロバートソンに話しければ、彼は手ごろな高さで宙にたいざいしながらフラと微かに揺れた。ふっくらとした体に長い八本の足、まさに蜘蛛だ。

 頭の部分にはハートマークのような模様があしらわれ、落ち着いた色合いの中でそのワンポイントがよくえている。にも地味にもならない、さり気無いお洒落である。

 確かに見た目はインパクトがあるが、毒は無い。だから安全だとモアネットが二人に告げようとした瞬間、ツツ……と天井からもう一匹蜘蛛が下りてきた。

「ロバートソン、お友達? 黄色にピンクのストライプなんて、随分とファッショナブルな友達だね」

「明らかに毒のある配色!」

「失礼ですよ、アレクシス様。いくらファッショナブルな色合いだからって、毒があるとは……え、ある? あるの? あるみたいですね」

「モアネット嬢、その蜘蛛をどこかにやってくれ! 王子がまれる!」

「パーシヴァルさんも失礼ですよ。いくらファッショナブルな色合いで毒があるからって、嚙むとは……え、嚙む? 嚙むんだ」

 そうなんだ、とモアネットがロバートソンと彼のファッショナブルな友達に話し掛ける。

 それを聞いたアレクシスが再び悲鳴をあげ、パーシヴァルがより一層表情を険しくして剣を構え直した。さきほどまでの夕食の空気もどこへやらである。

だいじようですよ。今はべつに嚙む気はないみたいですし」

 そうモアネットが二人を落ち着かせようとするも、テーブルの上になんしたアレクシスが顔色を青ざめさせたままフルフルと首を横にった。

「モアネット、僕の不運はじんじようじゃないんだ……」

「そうなんですか」

「この一年、量に至らない毒を持つ生き物には、三日に一回の頻度で嚙まれてる!」

「よく生きてますね」

 不運の割にはがんじようではないか。

 そうモアネットが感心しつつ、それでもチラとロバートソンと彼のファッショナブルな友達に視線をやった。天井から糸で下りてきた彼等はいまだ宙に滞在している。

 普段であればロバートソンをかたわらに夕食を過ごすのだ。さすがに彼の食事風景を隣にするとモアネットの食欲も激減してしまうので共にとはいかないが、それでも一人でたんたんと進める食事より彼がいつしよにいてくれた方が楽しいと思える。

 だが今日に限っては別だ。いまだアレクシスは青ざめてふるえ、パーシヴァルは剣を構えている。このままでは夕食が再開できそうにない。

「ごめんねロバートソン、今日はお友達と地下で過ごしてくれないかな」

 申し訳ないとモアネットが頭を下げれば、ロバートソンとファッショナブルな友達がススと糸を辿たどって天井にもどっていく。

 そうしてカサカサと天井とかべって大広間を出て行ってしまった。きっと地下に向かったのだろう。せっかく来てくれたのにとモアネットが心の中でびれば、危機は去ったと考えたのかアレクシスとパーシヴァルのあんした声が聞こえてきた。

「アレクシス様とパーシヴァルさんが地下に行けばいいのに」

 思わずかぶとの中でつぶやけば「聞こえてるぞてつかい」といまいましげな声が返ってきた。





 そうして夕食を再開したのだが、デザートまで食べられてモアネットはうんざりしていた。

 なにせ食事の最中にロバートソンと何かを嚙みたくなったファッショナブルな友達が大広間に顔をのぞかせ、アレクシスが悲鳴をあげて彼が立ち上がった瞬間にこわれて……と、にぎやかを通りした散々な食事だったのだ。

 ちなみにモアネットは堂々と「嚙んじゃえロバートソンのファッショナブルな友達!」とあおったのだが、残念なことにロバートソンのファッショナブルな友達は飛んでいる虫をつかまえることで満足してしまった。

 その派手な色合いに反して、なんともおだやかな蜘蛛ではないか。ものすごい眼光でにらみ付けてくるパーシヴァルにつめあかせんじて飲ませたいくらいである。……爪の垢にも毒があるのならなおの事。

 そんな夕食を済ませて一息ついたころいに、モアネットがコップを一つテーブルに置いた。

 ごくごくへいぼんなコップだ。中身はとうめいの水が半分ほど注がれている。

「モアネット嬢、これはなんだ?」

「アレクシス様が本当にのろわれているのか、それともたんに不運ろうなのか、調べようと思いまして」

「モアネット、椅子をにしたのは悪かったから、もうちょっとオブラートに包んでくれないかな」

 切なげな声を出すアレクシスのうつたえを無視し、モアネットが一枚の紙とペンを取り出した。

 手の平サイズに切られた羊皮紙。ペンも特殊な加工をほどこしてある。太めのじくには細かな文字が刻まれ、ペン先も黒一色の特殊な素材で作られている。見るからにつうのペンとはちがい、その異質さからアレクシスとパーシヴァルが覗き込んできた。

 とりわけパーシヴァルは警戒の色を見せており、羊皮紙とペンをこうに見やったのち、モアネットに視線を戻してきた。あお色のひとみが、いったいこれで何をするのかとたずねてくる。

「今からじゆを作ります」

「呪符?」

「こうやって私の血を混ぜたインクでこの紙に術式をくんです」

 そう話しながらモアネットが紙にペンを走らせれば、血と混ぜ合わせたインクが羊皮紙にみ込んでいく。黒でありながら光の加減では血の赤を見せる。人によってはまがまがしいとさえ感じる色だ。

 そんなインクをまるですべらすようにしてえがけば、パーシヴァルがげんそうに首をかしげた。

「俺にはぶっさいくな生き物の絵にしか見えないが、何かとくしゆな文字なのか?」

素人しろうとにはこの可愛かわいらしいにゃんこのりよくは分かりませんよ」

「……モアネット嬢、画力がかいになる呪いをけられているんじゃないか?」

「……そう言うパーシヴァルさんは呪いでれいを失ったんですかね」

「二人共、たのむからけんしないで」

 喧嘩ぼつぱつの直前でアレクシスに止められ、モアネットが兜の中で舌打ちをしてパーシヴァルを睨み付けた。もちろん兜越しなので彼には届かないのだが、なんともぐうなことに彼もまた碧色の瞳をするどくさせながらこちらを睨んでいる。

 なんて腹の立つ男だろうか。いっそ二人セットで呪われていればいいのに……と、思わずそんなことを考えつつも、モアネットが再び羊皮紙にペンを走らせた。

 そうして可愛らしいねこの絵を完成させる。きっとここに第三者が居れば、なんて可愛らしい愛らしいまるで生きているようだとめてくれるだろう。もしくは、うでの良い眼科を紹介してくれるか。

 とにかく、そんな呪符をコップの上に置き、モアネットが兜の中で一度深く息を吸った。

 アイディラ家はとっくの昔にじよしようごうを手放した家系。現状存命の親族の内に魔術を使える者はらず、だれもが魔女と自分達は無関係だと考えていた。

 ゆえにモアネットは誰をたよることも出来ず、アイディラ家に残されたぶんけんを古城に持ち込んでさぐり状態で魔術を学んできた。素質があったかどうかはさだかではないが、幸い時間はたくさんあり、ほかの事から目をそらすようにぼつとうして魔術を使えるようになって今に至る。

 そんな日々と学んだことを思い出し、肺の中の空気を細くき出す……。

「探れ」

 ポツリと呟いたのは魔術発動の呪文。

 そのしゆんかん、まるでその命令を聞いたかのように、コップの上に掛かっていた羊皮紙がポンと音をたてて燃えあがった。

 はじけるようにまばゆく、そして一瞬にして消えてしまう。残ったのはぜんとして透明な水の入ったコップ。そこに灰の欠片かけらもなければけむりもあがらず、それどころか水面もれてすらいない。まるで羊皮紙だけがサッと引きかれてしまったかのようではないか。

 まばたきの合間に終わってしまいそうな一瞬の出来事に、まず声をあげたのはパーシヴァル。

「なっ、なんだ今の……!」

 とおどろきをあらわにコップを覗き込み、次いで消えた羊皮紙を探すように周囲をうかがう。

 そんな彼に対し、モアネットは「探したところで見つかりませんよ」と一言告げ、コップを持ち上げた。チャプンと水音をたてて水面が揺れるが、やはり灰の欠片も見られない。

「今のが魔術です。それじゃアレクシス様、これを飲んでください」

「……ごめんよモアネット、さすがにちょっとこわいかな」

「王子、あんな呪われた生き物の絵の入った水を飲むと画力が失われますよ」

「可愛いにゃんこ! いいですよ、それならまずは私が飲みます」

 見ててください、と二人に告げて、モアネットがコップを手に取る。

 そうして迷うことなく水を口にふくんだ。当然だが味もにおいも何もない。ただの水だ。飲み込んだところでかんもない。なにせ先程モアネット自身でんできたのだ。

 それを証明するようにもう一口飲み、コップをテーブルに戻すと「ほらね」と言わんばかりにかたすくめて見せた。……ギッとよろいが動くだけなので肩を竦めるジェスチャーが上手うまく伝わったか定かではないが。

「なんの害もない、しようしんしようめいただの水です」

「……それなら、まずは俺が飲もう」

 毒見役なのだろう、パーシヴァルがコップに手をばした。

 妙な味はしないかと探っているのか、しんけんな表情で水を口に含み、次いでコクリと飲み込む。となりでその一部始終を見守るアレクシスはずいぶんと心配そうだが、水の中身も仕掛けも知っているモアネットは彼等のうたぐり深さをあきれつつながめていた。

「……確かに、ただの水だな」

「だから水ですって。はいどうぞ、アレクシス様の番ですよ」

「う、うん……」

 モアネットとパーシヴァルが飲んだことで多少なり安心したのか、アレクシスがコップを受け取る。

 そうして先の二人を真似まねるように口に含み、「ぐっ」とうなるや次いで激しく咳き込みだした。

「ぐっ、うぅ、なにこれっ……!」

「王子、どうなさいました!?」

「にがっ、よく二人共こんなの飲めたね……」

 口直しのためかあわてて紅茶を飲むアレクシスは随分と苦し気で、話す表情もけんと苦痛を露わにしている。一言話しては紅茶を一口飲み、再び一言話しては飲み……とり返すその落ち着きのない仕草から見るに、よっぽど苦かったのだろう。

 それに対して疑問をいだくのは、さきほど同じように水を飲み「ただの水だ」と判断したパーシヴァルだ。うめくアレクシスをづかいつつ、不思議でたまらないと言いたげに彼とコップの交互に視線をやる。

「苦い? しかし俺が飲んだ時はただの水でしたよ」

「水? あれが? ……うぇ、だめだ、まだ口の中に味が残ってる。モアネット、何か味の強いものは無いかな? ワインとかチーズとか、出来れば質の良い年代物のワインとチーズをのせたクラッカーが良いんだけど」

「なにさり気無く食後のひと時をたんのうしようとしてるんですか」

 このおよんで注文してくるアレクシスを一刀両断し、モアネットが用意しておいた箱を手に取った。れいな石がかざられている可愛らしい宝石箱。その中には一つ一つていねいに包装されたチョコレートが入っている。

 それを見せればアレクシスが礼を告げて一つ取り、すぐさま口の中にほうり込んだ。そうしてようやくあんの一息をつくのだから相当だ。

 そんな彼と、そしておそる恐る再び水を飲み込んで首を傾げるパーシヴァルをいちべつし、モアネットがギシと音をたてて肩を竦めた。



 案の定と言うかなんと言うか、やはりアレクシスは呪われている。



「どういうことだモアネットじよう、どうしてアレクシス王子だけこの水が苦いと言うんだ?」

「そりゃ呪われてるからです」

 自分も一つチョコレートを口に放り込んでモアネットが答えれば、アレクシスとパーシヴァルがそろえたように顔を見合わせた。

 どういうことだ? と口にこそしないが表情が疑問を訴えている。それを見て、残っていた水をグイとごうかいに飲み干してモアネットが話しだした。もちろん水だ。苦くも無ければ甘くも無い。

「さっきのじゆかした水はのろいにだけ反応するんです。呪いが掛かっていない人にはただの水ですが、呪いを掛けられた人が飲めばひどく苦く感じる」

「あのぶっさいくな生き物の紙にそんな力が……」

「可愛いにゃんこ! とにかくですね、アレクシス様があの水を苦く感じたってことは、まぎれもなく誰かに呪われてるってことです」

「……そうか、やっぱり僕は呪われてるんだ」

 モアネットの結論に、アレクシスが息を小さく吐くとゆっくりとうつむいた。

 その表情はろうと共に悲痛な色を帯びており、あの日の言葉や今の彼の評価を知らなければ誰しもが胸を痛めていただろう。元のうるわしさも合わさってか見ているだけで痛々しい。

 茶色のひとみうれいを宿し、俯くことで同色のかみがはらりと落ちて彼の目元にかぶさる。それもまた彼の悲痛ないきはくしやを掛け、モアネットがかぶとの中で目を細めた。

 自分が呪われていると、誰かに不幸を願われているのだと知れば、誰だって落ち込むというもの。まどい、きようしようそうかん……様々なかつとうが彼の胸中にうずいているのだろう。

 何と声を掛けて良いのか分からずモアネットが見つめていると、アレクシスはしばらく俯き、そして力なく顔を上げた。表情には疲労がかび、深い茶色の瞳は切なげ。そんな瞳でジッとモアネットを見つめてくる。

 それを受け、モアネットが兜の中で小さくなまつばを飲んだ。

 他者から目を見られないように兜を加工してある。ゆえに彼からこちらをのぞかれることはないが、それでも真っすぐに向けられる瞳に身構えてしまう。のないやつれの色を見せる瞳だというのに、それでも見つめられていると思えば冷やあせが伝う。

「モアネット……」

「は、はい。何でしょうか……」

「君にうらまれているのは分かっている。あんなことを言ったんだから当然だ。どんなことをしてもつぐなうから、どうかこの呪いを」

「だから私は呪いをけてません!」

 再びいたちごっこの気配を感じ、モアネットが声をあららげた。

「モアネット! 君以外に誰がいるんだ!」

「知りませんよ! そこらへんで魔女の恨みを買ったんじゃないですか!?」

「僕は君への仕打ちに気付いてから、良き王族になれるようにと務めてきた。人間関係は良好だったはずだ!」

 そうアレクシスがうつたえるも、だいに彼は視線を泳がせ、ついには再び俯いてしまった。

 人間関係は良好だと言い切ったものの、今まさにおのれが呪われていることを証明されたのだ。最後に一度「良好だったはずなんだ……」とつぶやくものの、は消えかけてためいきに近い。俯く動作ではらりと髪が揺れるも、その髪もいたんでおり、彼の一年がどれだけつらかったかが分かる。

 そんなアレクシスの姿に、モアネットがギシと音を鳴らして肩を竦めた。それと同時に思うのは、彼の「人間関係は良好だったはず」という言葉への同意……。

 彼が良い王子だったことは知っている。

 いくらモアネットが古城にこももっているとはいえ、週に一度は市街地へ買い出しに行く。そういう時、世間話程度だがアレクシスの話は聞いていた。

 階級問わず親切に接し、温和で、なにより国民の事を考えてくれている。彼が王座にけばこの国はより良くなるだろう……と、だれもが好意的に笑いながら話してくれたのだ。盛り上がっているところにあえて水を差す気にはならず、モアネットも大人しく話を聞いて時にはギシと音をたててうなずいたりもしていた。

 そういえば、いつのころからかそんな話を聞かなくなった。

 代わりに彼の弟にあたる第二王子の話を聞くようになったが、思えばあれが呪いの始まりだったのだろうか。

 第二王子にはいつさいの興味もなく話を聞く気にもならないとすべて聞き流していたが、思い返せば第二王子をめる話の中にはアレクシスに対する良からぬ言葉も交じっていた気がする。

「アレクシス様があれこれ言われ始めたの、確かに一年前ぐらいですね」

「あれこれ、か……。モアネット、僕はどんな風に言われてたんだ?」

「聞きますか?」

 傷つきません? とモアネットが案じてやるも、アレクシスが痛々しい表情でそれでも首を縦にった。

 聞くにえないうわさが広まり、彼の評価は地に落ちた。事実モアネットも市街地ではなかなか厳しい評価を耳にし、今までだまされていたとふんする国民の姿を見たこともある。

 きっとアレクシスはその現実を受け止める気なのだろう。だからこそモアネットもまた全てを話そうと考え、かつて市街地で聞いたおくさかのぼった。

 確か……、

「女にだらしないとか、化けの皮ががれたとか、弟のローデル様に比べておろかな男だとか」

「そ、そうか……」

「王位けいしようを辞退しろとも言ってましたね。今まで騙されたとか、顔だけとか……」

「アレクシス王子、だいじようですか? モアネット嬢そこらへんで」

「あとはこわしの不運ろうとか」

「それを言ったのは貴女あなただろう」

 さり気無く交ぜたつもりの悪口をパーシヴァルにとがめられ、モアネットが兜の中で小さく舌打ちをした。

 そうして一通りの暴言を告げたことでスッキリしていると、アレクシスが深い溜息をついた。「教えてくれてありがとう」と感謝してくる声は、とうてい言葉の通りの感情が込められているとは思えない。今すぐに泣きそうな、それどころかたおれてしまいそうな弱々しさだ。

 現に今のアレクシスはより一層青ざめ、げ場を求めるように視線を彷徨さまよわせている。そこにかつて幼い頃に見た彼の姿は無く、当然だが国民にしたわれる良き王子の姿も無い。あわれな青年、ゆいいつの味方であるパーシヴァルに支えられてかろうじて立っていられるのだろう。



 それを見て、モアネットが「呪いだ」と呟いた。

 だけどはたして、誰からの呪いなのか。



 モアネット自身、アレクシスが他者から恨みを買うとは思えなかった。

 一転する前に聞いた彼への慕いの言葉と高評価と、そしてなにより彼からのびの品が定期的に送られてきていたからだ。

 一切読まずにいたが最初は手紙もえられていた。きっと謝罪の言葉がつづられていたのだろう。返事を書かずにいると、負担になると感じたのか手紙も無くなり詫びの品だけが送られてくるようになった。

 見るのもいやだと届くやかたぱしから金にえてしまったが、きっとそれすらも彼は承知だったのだろう、売れば高値になるものばかり送られてきていた。

 誰からも慕われる良き王子は、過去のことも誠心誠意謝罪している。

 だからこそ、アレクシスは己を呪っているのがモアネットだと考えているのだ。いくと謝罪の品を送ったがモアネットの恨みは晴れず、じゆつをもって呪いとなった……と。

 そうしてこの古城をおとずれたわけだ。もしかしたら、呪っているのがモアネットであってくれと願っている、と言った方が正しいかもしれない。

 それを考え、モアネットが仕方ないと頭をいた。手っこうおおわれた指で兜を搔けば、鉄がこすれる豪快な音がひびく。

「分かりました。仕方ないから呪いを解く手助けをしてあげます」

「……モアネット?」

「犯人あつかいは気分が悪いですからね。呪符で出来ることは限られているけど私も魔女です、多少は役に立てると思いますよ」

 そうモアネットが答えれば、アレクシスの表情がパッと明るくなった。

 呪いとなれば魔術を扱えぬ彼等に太刀たち打ちできるすべはない。モアネットのこの言葉は絶望の中に差し込んだ一筋の光にすら感じられたのだろう。

 現にアレクシスは心からと言わんばかりに深いこわいろで感謝を告げ、それだけでは足りないのかあくしゆをしようとおもむろに立ち上がり……そして、

 ドグシャァ!

 とかい音と共にゆかいて地下へと落っこちていった。

 そのしゆんかん、ブワッとほこりと木くずがい上がる。

「アレクシス王子!」

 パーシヴァルがあわてて穴を覗き込む。

「だ、大丈夫だパーシヴァル。ちょっと落ちただけ……ロバートソンちょっと待って! 友達も待っ……!」

 ぁー!! となんとも言えないアレクシスの悲鳴が響く。

 次いでワインが数本落下したであろうごうかいな破壊音を聞き、モアネットはこの古城がほうかいするのが先か、アレクシスののろいを解くのが先か、もしくはアレクシスが呪いに負けて死ぬのが先か、そんなことを考えて溜息をついた。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る