1章_1
アレクシス・ラウドルはこの国の第一王子であり、そして一年前までは誰もが
親
……一年前までは。
ならば今はどうかといえば、いったいどういうわけか順調だった彼の人生は一転して不幸に
原因不明の発熱や
そのうえ、やれ国財を使って
果てには、行きずりの女を
噂話に
話の一つや二つならば「ざまぁみろ」とでも言ってやったモアネットだが、さすがにこれはあんまりすぎると
「噂の
「無い、全く無い」
「隠し子の件とか、たとえば夜のお店に通ってたとか、過去の火遊びとか」
「全く無い、これっぽっちも無い。僕が目を合わせただけで女性を
「清らかなんですね」
アレクシスと共に来た男だ。
厳しげな顔つきに金の髪が
そんな男に対して、モアネットはジッと見つめたのちに「どなた様ですか」とつっけんどんに
ほんのちょっとばかし口調が荒くなるのは仕方あるまい。押し入られた現状、彼らに気を
「パーシヴァルだ。パーシヴァル・ガレット。王子の護衛を務めている」
「パーシヴァルさんですね。はい、分かりました。では続きをどうぞ」
「いちいち
「そりゃすみませんでした。なにぶん不躾な訪問者の応対を
「この
鋭く
もっとも、モアネットの顔は兜で
そんな
それはもう派手に、ドグシャァ! と
「アレクシス様!?」
「王子、ご無事ですか!」
ぽたぽたと彼の茶色い髪から水が
「一事が
とは、深い溜息をつくパーシヴァル。彼の
そんな二人に対して、モアネットはアレクシスへの返事は後回しにし、浴室とパーシヴァルを
「そんなことより浴室直してくれません? アレクシス様が使ってからお湯が出なくなっちゃったんですけど」
「安心しろ、王子がこの古城を
「出ていけ
そうモアネットが
そのあまりの態度にモアネットも
なにせアレクシスとパーシヴァルがジッとこちらを見ているのだ。
鉄の鎧を身に着けているとはいえ注目されるのは
「な、なんですか」
そう尋ねたモアネットの声は
だがどうせ声など鎧の中で
「モアネット
「え、えぇ、言いましたけど」
「
「さぁ、そこまでは」
分かりません、と言いかけてモアネットが言葉を飲み込んだ。
アレクシスがガタと勢いよく立ち上がり、その勢いのままに手を──正確に言うのであれば鎧の手っ
強い……かどうかはあいにくと鉄越しなので分からないが、それでも真剣みを帯びた表情を見るに相当に力が込められているだろう。
「モアネット、やっぱり僕を
「アレクシス様?」
「あの時のこと本当に悪かった。
「だから?」
「だからこの呪いを解いてくれ!」
悲鳴とさえいえるアレクシスの
アレクシス・ラウドルの言い分はこうである。
『かつて自分はモアネットを傷つけた。彼女は古城に籠り、昔アイディラ家が使っていたという魔術を研究していると聞く。きっと彼女は自分を恨み続け、そして時はきたと呪いを
パーシヴァル・ガレットの言い分はこうである。
『あいにくとその場に居合わせなかったが、王子の暴言は確かに
モアネット・アイディラの言い分はこうである。
『まったくてんで見当違いなのでさっさと帰りやがってください』
まさに三者三様。こんな状態なのだから、まともに話し合えるわけがない。
「呪った」「呪ってません」「許してくれ」「やめて椅子
と言い合い続け、気付けば日も暮れていた。
そうしてモアネットが
モアネットが居住地としているこの古城は、アイディラ家が所有している建物である。
といっても貴族の
おかげで経年
広く使い勝手も良く、そして古城ゆえの古めかしさが独特な
そんな古城の一室、大広間にあたる部屋でモアネットはアレクシスとパーシヴァルと共に夕食をとっていた。
もちろん
口元もしっかりと鉄で
「……モアネット嬢、
「どうなっている、とは?」
「貴女の体だ」
「性的な質問には
「なんの話だ」
モアネットの返事にパーシヴァルの
それでも銀の手っ甲でフォークを
さっぱり意味が分からない。見つめられるのは気分が悪い。自然と手が震え、それが手っ甲を通じてフォークが細かに
「ひとが食事をしているところを
「それは申し訳なかった。俺には鉄塊が食べ物を吸収してる不思議な光景にしか見えないんだがな」
きっぱりと言い切るパーシヴァルに、隣で食事をしていたアレクシスが溜息をついた。
そうして、
「モアネット、君の食事の仕組みがどうなっているのか聞きたいんだ」
「食事の仕組みですか?」
「そう。僕達からは君の口元がまったく見えない、なのに君は
だから不思議なんだと説明するアレクシスに、なるほどそういうことかとモアネットが
確かに、口元を見せていないのに食べ物が消えてしまっては彼等が不思議に思うのも仕方あるまい。人前で物を口にすることなど
「周りから見えないように
「
そう返すアレクシスの
それに対してモアネットはフォローをしてやる気にもならず、さっさと食事に戻ってしまった。「気になさらないでください」なんて言う気にもならない。ましてや「アレクシス様のせいではありません」なんて
現に彼のせいだ。彼の言葉のせいで鉄の鎧を
だからこそモアネットが気落ちするアレクシスを
「この城にはメイドもいないのか」
「えぇ、メイドも庭師もいません。もちろん護衛も」
「本当にモアネット嬢しかいないんだな」
「そうです。私一人、たまに森で迷った人が
「そうか」
「あ、でも友達は
はたと思い出してモアネットが顔を上げれば、意外だったのかパーシヴァルとアレクシスが「友達」と声を
どうやら古城に
「せっかくだから
そう告げてモアネットが宙に手を差し出す。手の平を上に、まるで誰かがそこにいて「こちら……」と紹介するかのようではないか。
もっとも、モアネットがいくら紹介の前口上を述べてもそこには誰もおらず、パーシヴァルとアレクシスの頭上に
「友達のロバートソンです」
そう紹介した瞬間、耳をつんざくような悲鳴が大広間に
そのうえ彼は顔色を青ざめさせて
一瞬にして
「なんですか、蜘蛛はお
「く、蜘蛛が……毒蜘蛛がっ……!」
「失礼ですね、ロバートソンは毒の無い蜘蛛ですよ。ねぇ?」
そうモアネットがロバートソンに話し
頭の部分にはハートマークのような模様があしらわれ、落ち着いた色合いの中でそのワンポイントがよく
確かに見た目はインパクトがあるが、毒は無い。だから安全だとモアネットが二人に告げようとした瞬間、ツツ……と天井からもう一匹蜘蛛が下りてきた。
「ロバートソン、お友達? 黄色にピンクのストライプなんて、随分とファッショナブルな友達だね」
「明らかに毒のある配色!」
「失礼ですよ、アレクシス様。いくらファッショナブルな色合いだからって、毒があるとは……え、ある? あるの? あるみたいですね」
「モアネット嬢、その蜘蛛をどこかにやってくれ! 王子が
「パーシヴァルさんも失礼ですよ。いくらファッショナブルな色合いで毒があるからって、嚙むとは……え、嚙む? 嚙むんだ」
そうなんだ、とモアネットがロバートソンと彼のファッショナブルな友達に話し掛ける。
それを聞いたアレクシスが再び悲鳴をあげ、パーシヴァルがより一層表情を険しくして剣を構え直した。
「
そうモアネットが二人を落ち着かせようとするも、テーブルの上に
「モアネット、僕の不運は
「そうなんですか」
「この一年、
「よく生きてますね」
不運の割には
そうモアネットが感心しつつ、それでもチラとロバートソンと彼のファッショナブルな友達に視線をやった。天井から糸で下りてきた彼等はいまだ宙に滞在している。
普段であればロバートソンを
だが今日に限っては別だ。いまだアレクシスは青ざめて
「ごめんねロバートソン、今日はお友達と地下で過ごしてくれないかな」
申し訳ないとモアネットが頭を下げれば、ロバートソンとファッショナブルな友達がススと糸を
そうしてカサカサと天井と
「アレクシス様とパーシヴァルさんが地下に行けばいいのに」
思わず
そうして夕食を再開したのだが、デザートまで食べられてモアネットはうんざりしていた。
なにせ食事の最中にロバートソンと何かを嚙みたくなったファッショナブルな友達が大広間に顔を
ちなみにモアネットは堂々と「嚙んじゃえロバートソンのファッショナブルな友達!」と
その派手な色合いに反して、なんとも
そんな夕食を済ませて一息ついた
「モアネット嬢、これはなんだ?」
「アレクシス様が本当に
「モアネット、椅子を
切なげな声を出すアレクシスの
手の平サイズに切られた羊皮紙。ペンも特殊な加工を
とりわけパーシヴァルは警戒の色を見せており、羊皮紙とペンを
「今から
「呪符?」
「こうやって私の血を混ぜたインクでこの紙に術式を
そう話しながらモアネットが紙にペンを走らせれば、血と混ぜ合わせたインクが羊皮紙に
そんなインクをまるで
「俺にはぶっさいくな生き物の絵にしか見えないが、何か
「
「……モアネット嬢、画力が
「……そう言うパーシヴァルさんは呪いで
「二人共、
喧嘩
なんて腹の立つ男だろうか。いっそ二人セットで呪われていればいいのに……と、思わずそんなことを考えつつも、モアネットが再び羊皮紙にペンを走らせた。
そうして可愛らしい
とにかく、そんな呪符をコップの上に置き、モアネットが兜の中で一度深く息を吸った。
アイディラ家はとっくの昔に
ゆえにモアネットは誰を
そんな日々と学んだことを思い出し、肺の中の空気を細く
「探れ」
ポツリと呟いたのは魔術発動の呪文。
その
「なっ、なんだ今の……!」
と
そんな彼に対し、モアネットは「探したところで見つかりませんよ」と一言告げ、コップを持ち上げた。チャプンと水音をたてて水面が揺れるが、やはり灰の欠片も見られない。
「今のが魔術です。それじゃアレクシス様、これを飲んでください」
「……ごめんよモアネット、さすがにちょっと
「王子、あんな呪われた生き物の絵の入った水を飲むと画力が失われますよ」
「可愛いにゃんこ! いいですよ、それならまずは私が飲みます」
見ててください、と二人に告げて、モアネットがコップを手に取る。
そうして迷うことなく水を口に
それを証明するようにもう一口飲み、コップをテーブルに戻すと「ほらね」と言わんばかりに
「なんの害もない、
「……それなら、まずは俺が飲もう」
毒見役なのだろう、パーシヴァルがコップに手を
妙な味はしないかと探っているのか、
「……確かに、ただの水だな」
「だから水ですって。はいどうぞ、アレクシス様の番ですよ」
「う、うん……」
モアネットとパーシヴァルが飲んだことで多少なり安心したのか、アレクシスがコップを受け取る。
そうして先の二人を
「ぐっ、うぅ、なにこれっ……!」
「王子、どうなさいました!?」
「にがっ、よく二人共こんなの飲めたね……」
口直しのためか
それに対して疑問を
「苦い? しかし俺が飲んだ時はただの水でしたよ」
「水? あれが? ……うぇ、だめだ、まだ口の中に味が残ってる。モアネット、何か味の強いものは無いかな? ワインとかチーズとか、出来れば質の良い年代物のワインとチーズをのせたクラッカーが良いんだけど」
「なにさり気無く食後のひと時を
この
それを見せればアレクシスが礼を告げて一つ取り、すぐさま口の中に
そんな彼と、そして
案の定と言うかなんと言うか、やはりアレクシスは呪われている。
「どういうことだモアネット
「そりゃ呪われてるからです」
自分も一つチョコレートを口に放り込んでモアネットが答えれば、アレクシスとパーシヴァルが
どういうことだ? と口にこそしないが表情が疑問を訴えている。それを見て、残っていた水をグイと
「さっきの
「あのぶっさいくな生き物の紙にそんな力が……」
「可愛いにゃんこ! とにかくですね、アレクシス様があの水を苦く感じたってことは、
「……そうか、やっぱり僕は呪われてるんだ」
モアネットの結論に、アレクシスが息を小さく吐くとゆっくりと
その表情は
茶色の
自分が呪われていると、誰かに不幸を願われているのだと知れば、誰だって落ち込むというもの。
何と声を掛けて良いのか分からずモアネットが見つめていると、アレクシスはしばらく俯き、そして力なく顔を上げた。表情には疲労が
それを受け、モアネットが兜の中で小さく
他者から目を見られないように兜を加工してある。ゆえに彼からこちらを
「モアネット……」
「は、はい。何でしょうか……」
「君に
「だから私は呪いを
再びいたちごっこの気配を感じ、モアネットが声を
「モアネット! 君以外に誰がいるんだ!」
「知りませんよ! そこらへんで魔女の恨みを買ったんじゃないですか!?」
「僕は君への仕打ちに気付いてから、良き王族になれるようにと務めてきた。人間関係は良好だったはずだ!」
そうアレクシスが
人間関係は良好だと言い切ったものの、今まさに
そんなアレクシスの姿に、モアネットがギシと音を鳴らして肩を竦めた。それと同時に思うのは、彼の「人間関係は良好だったはず」という言葉への同意……。
彼が良い王子だったことは知っている。
いくらモアネットが古城に
階級問わず親切に接し、温和で、なにより国民の事を考えてくれている。彼が王座に
そういえば、いつの
代わりに彼の弟にあたる第二王子の話を聞くようになったが、思えばあれが呪いの始まりだったのだろうか。
第二王子には
「アレクシス様があれこれ言われ始めたの、確かに一年前ぐらいですね」
「あれこれ、か……。モアネット、僕はどんな風に言われてたんだ?」
「聞きますか?」
傷つきません? とモアネットが案じてやるも、アレクシスが痛々しい表情でそれでも首を縦に
聞くに
きっとアレクシスはその現実を受け止める気なのだろう。だからこそモアネットもまた全てを話そうと考え、かつて市街地で聞いた
確か……、
「女にだらしないとか、化けの皮が
「そ、そうか……」
「王位
「アレクシス王子、
「あとは
「それを言ったのは
さり気無く交ぜたつもりの悪口をパーシヴァルに
そうして一通りの暴言を告げたことでスッキリしていると、アレクシスが深い溜息をついた。「教えてくれてありがとう」と感謝してくる声は、とうてい言葉の通りの感情が込められているとは思えない。今すぐに泣きそうな、それどころか
現に今のアレクシスはより一層青ざめ、
それを見て、モアネットが「呪いだ」と呟いた。
だけどはたして、誰からの呪いなのか。
モアネット自身、アレクシスが他者から恨みを買うとは思えなかった。
一転する前に聞いた彼への慕いの言葉と高評価と、そしてなにより彼からの
一切読まずにいたが最初は手紙も
見るのも
誰からも慕われる良き王子は、過去のことも誠心誠意謝罪している。
だからこそ、アレクシスは己を呪っているのがモアネットだと考えているのだ。
そうしてこの古城を
それを考え、モアネットが仕方ないと頭を
「分かりました。仕方ないから呪いを解く手助けをしてあげます」
「……モアネット?」
「犯人
そうモアネットが答えれば、アレクシスの表情がパッと明るくなった。
呪いとなれば魔術を扱えぬ彼等に
現にアレクシスは心からと言わんばかりに深い
ドグシャァ!
と
その
「アレクシス王子!」
パーシヴァルが
「だ、大丈夫だパーシヴァル。ちょっと落ちただけ……ロバートソンちょっと待って! 友達も待っ……!」
ぁー!! となんとも言えないアレクシスの悲鳴が響く。
次いでワインが数本落下したであろう
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