つい。そう、ついだった。特に意識はせず、ただなんとなく。触れたついでに。

 涙のしずくを


「は?」

「え……と。う、ん?」


 歴戦と言われるような屈強な冒険者や戦士たちがいくら力を込めても。どれだけふんばっても持ち上がらないと言われていたそれを、ひょいと。

 小さな幼い少女の細腕が持ち上げる。軽く。持ち上がるのが当然とでもいうような軽さで持ち上げてしまった咲也子とティオヴァルトの間に不自然な沈黙が流れる。ある意味当然であるともいえるかもしれないが。


「持ち上がった、よ?」

「……持って帰るか?」

「んーん。みんな、見に来るから置いておく、の」

「そうか」


 せっかく持ち合あげたそれを青い目でひっくり返したりと様々な角度で観察すると、あっさりと紅石を元の位置に戻しながら咲也子が言う。

 売るとすごいお金にはなるかもしれないが、現状お金に困っていないし。別に持って帰っても【アイテムボックス】の肥やしになることが確定しているものを持ち去るよりかは、ここで皆に愛でられる方がこの石も幸せだろう。

 ほのほのと空気を和ませている咲也子に、案外こういう性格だから持ちあがったのかもしれないとティオヴァルトは思った。

 実際にそのことを咲也子に聞いてみると。


「呪印がね、きらきらの中に隠されてたけどあった、の」

「なんの呪いだ?」

「『欲望に比例して重くなる呪い』だっ、てー」

「そりゃ……持てねーな」


 冒険者は本来欲望の塊と言ってもいい。一攫千金を狙わない冒険者などいるはずもなく、そんな欲望の権現ともいうべき者たちがどれだけ持ち上げようとしても持ち上がらないはずである。冒険者と思えないほどにお金に執着していない、そもそも紅石も依頼と観光ついでに見て帰ろうくらいの気持ちで触った咲也子に持ち上げられないはずがなかった。

 

「きれいだった、の。」

「よかったな」

「ん、観に来たかいがあった、ね」


 ほわほわと満足気な咲也子とは反対に、身体的ではなく精神的に疲労感を感じたティオヴァルトは思わず大きくため息をついてしまった。そんな迷宮の転移陣に向かう途中。

 ふと咲也子がくんくんとティオヴァルトの黒い服を下からひいた。


「ここね、<虹蛇>が出るんだ、よ」

「そんなボスいたか?」

「隠し通路、に」

「そんなんあるのか」


 強敵の気配とストレスの発散相手発見の予感に舌なめずりをせんばかりに空気を変えたティオヴァルトだった。が、アーシュに突きをとされて攻略した旨を伝えると、微妙な顔つきになった。わずかに持ち上がったティオヴァルトの右手は一体何をしようとしていたのか。


「……大丈夫か」

「平気、よー」


 行ってみたいが小さな主人を危険にさらすわけにも。もしトラウマになっていたらと戸惑っているティオヴァルトに咲也子は雰囲気を緩め、ティオヴァルトの手を取って一緒に行こうと誘った。誘われたのならと、ティオヴァルトは頷いた。

 そうして2階層。あの隠し通路がある壁の前に咲也子たちは立っていた。転移陣で2階まで戻ってきたのだ。

 ひんが寄りかかったところを、‘暴食‘が教えるがままに寸分の狂いもなく押す。と、やはりあの時と同じように床が一切消えて、隠し通路というか隠し穴が姿を現したのとともに。咲也子たちを飲み込んで、また元通りの床に戻った。



「早い、ね」

「そんだけ落ちるスピードが速いんだな」

「楽し、ね」

「……そうだな」


 2回目である今回は真っ逆さまに落ちるような無様をさらすわけもなく、【アイテムボックス】の中に入っていた【空飛ぶ絨毯】に乗りながらの優雅な空中降下である。緊張感は全く感じられなかった。

 ちなみに万が一壊れたらどうするのかとティオヴァルトは咲也子に尋ねたものの、なんてことはないかのように物はいつか壊れるしと返ってきた。


 5分ほど落ちたとき、絨毯の隙間から‘怠惰‘で下を見下げた咲也子に黄色い瞳が見えた。ゆっくりと音もなくとぐろを巻いて獲物が落ちてくるのを待ち構えているその存在について、ティオヴァルトに伝えたところ


「行ってくる」


 あっさり絨毯から身を投げた。

 ぱちくりと目を瞬かせる咲也子と、1つだけ飛び出してきた獲物からまずは丸飲みにしようと口を開けた蛇がティオヴァルトの持った大剣に口端からまっ2つにされたのは暫時の差だった。

 以前、咲也子を弄ぶかのように甚振っていたものと同じ存在があっさりと倒されるのを見て、咲也子は若干納得がいかないような気もしたが、とりあえずはティオヴァルトの勝利に喜んだ。


「すごい、ね!」

「不意打ちだったらやばかったけどな」

「頑張った、ね」

「……最初からどんな敵かはわかってたから。それに、希少種じゃねえし」


 えらいねすごいねと無邪気に褒める咲也子に、照れたようにそっぽを向きながら返事をするティオヴァルトは照れているのを全く隠せていなかった。

 そんなほほえましい空気にさっそく耐えきれなくなったティオヴァルトは自分のマジックバッグから解体道具を出してさっさと解体し始める。

 その間咲也子は水路にひんを出して朝市で購入した毬を使って一緒に遊んでいた。むしろ、咲也子が遊んでもらっていたというべきか。


「お昼は焼、肉?」

「いいと思う」

「ふぃぃぃん!」


 解体が終わり、鱗と肉がドロップしたのを遊びながら見ていた咲也子が昼食の提案をすると満場一致で可決された。内心、1番喜んでいたのは1番反応が薄いように見られたティオヴァルトだった。【アイテムボックス】から取り出した【絶対に狂わない時計】を見ればまだ11時だった。

 

 こうして、咲也子の人生2度目の迷宮探索は終わった。

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