崩壊

「一体、どこに行かれたのかしら……?」


つい、そんなことを独り呟いてしまう。

いつも子どもたちの笑い声が響くボナパルト様の家とは違って、ロルワーヌ伯爵家の屋敷は静まり返っていた。

そのせいで、思ったよりも私の声は響いていた。


まだ次の習い事が始まるまで時間があるけれども……何かをしていないと、心が落ち着かない。


そんな思いから、私は図書室に向かった。

適当に本を選び、端の方でそれを読む。


静かな空間で独り本を読んでいると、ガラリと扉が開いた。

チラリ音のした方を伺って見てみれば、お父様が入ってくる。

この部屋は入口が一つだから、お父様が出ない限り見つからずに出ることはできない。


嫌なタイミングの重なり方だな……と内心嘆息する。

そんな私の内心を知る由もなく、お父様は一冊の本を手に取ってパラパラめくっていた。


気にしていても仕方がない、とりあえず本を読み進めようと私も本を読む。


……静かだった。


子どもたちの笑い声が絶えないボナパルト様の家に慣れてしまったからか、それが余計に感じられる。


それから暫く経った後、再びガラリと扉の開く音がした。

お父様が退室されたのかと思いきや、お父様の側近にして家令のモヴールが入室している。


瞬間、私はできる限り気配を消した。

モヴールは目端が効くので、もしかしたら私の存在に気づいてしまうかもしれない……と。


「失礼致します、レオリオ様。ご報告させていただきたいことがございまして」


「どうせ、私の他に誰もいない。ここで話せ」


「畏まりました。今回王国より派遣された討伐隊が森に入ったとのことです」


「やっとか。王国に初めて奏上して、どれだけ経ったというのか。……まあ、良い。確か今回の討伐隊は、イエルガー伯爵の次男が率いる騎士団から結成されているのであろう?その力量は、Sランクに対峙できるほどのものなのか?」


「………」


黙るモヴールに、お父様は本から顔を上げて視線を向ける。


「忌憚のない意見を頼む」


「大変恐れながら……その辺りの戦士に依頼した方が余程強いかと」


「……そうか」


「ですが、かの有名なボナパルトを引き入ることができたのことで、討伐隊に加わっています」


まさかのボナパルト様の名前の登場に、ピクリ私は反応した。


「ああ、あの平民上がりの。……大丈夫なのか?」


「腕の方は確かです。高齢ながら、まずあのメンバーの中では最も強いでしょう」


「そうか。まあ……私にとっては、あの森の魔獣達が消えるのであれば、どうでも良いがな。……あの森を開発できれば、一体どれだけの金を生むのやら……」


「……そうでございますね。では、私はこちらで失礼させていただきます」


モヴールが去って、お父様もまた、本を持って退室した。

私はすぐさま図書室から飛び出し、そのまま屋敷も飛び出して森に向かう。


……嫌な予感がしていた。

そしてその予感はどんどん森を進むごとに私の中で大きくなって、まるで心臓が早鐘のように身体の中で鳴り響いていた。


随分森の奥まで来たが、全く魔獣に遭遇することがない。


……おかしい。


いつもなら、数分歩けばすぐに魔獣に遭遇するのに。


気配探知をしつつ、更に奥に進んでいく。

そしてふと、遠く……森の奥深くから人の気配があるのを感じた。それから、強力な魔獣の気配も。

その瞬間、そちらに向かって全力で走り出した。


「………っ!」


そこにいたのは、狼の魔獣だった。


けれども、私が普段討伐しているそれとは全く違う。

大きさは一回り大きくて、放つ存在感も圧倒的だった。


対するは、ボナパルト様一人。

ボナパルト様は既にボロボロで、あちらこちらに大きな怪我を負っていた。

けれどもそれは魔獣も同じで、銀色の美しいであろう毛並みが、今は自身の血で染まっている。


……討伐隊は?と少しだけ辺りを見回すが、誰もいない。

気配を探れば、私が来た方面とは反対方向、それもかなり遠い場所から感じ取れた。

一体、彼らは何をしているの……!という怒りを感じつつ、ボナパルト様の元に走り寄ろうとした……その時。


魔獣とボナパルト様が、交差した。

そして次の瞬間、両者ともに大量の血を流しつつ倒れていった。


「……師匠!」


ボナパルト様が倒れていくその瞬間が、とてもゆっくりに感じられる。



けれども現実は正確に時を刻んでいて、私は僅かに間に合わなかった。

ボナパルト様の身体が地面に沈む。


私はボナパルト様の身体を起こした。

鉄の匂いがツンと鼻につき、ベタリと紅の生温い感触が私の手に伝わる。


「師匠!しっかりしてください!今、医者の元にお連れしますので」


「なんで、おまえ……さんが、ここに……いる?」


「そんなこと、どうでも良いでしょう。黙っていてください」


「……む、り……だ」


焦る私を、ボナパルト様の残酷な言葉が切り裂く。


「何、弱気なこと言っているんですか!良いから……」


泣きそうになりながら、師匠の身体を支える力を強めた。

……重い。

どくどくと流れ出る血が、師匠の命の刻限を告げているかのようだった。


「じぶ、ん……のことは、じぶん……が、よく、わかる……。この、いっしゅん……おまえ、さんに……」


止血の処置をしようとする私の手を、ボナパルト様は震えるその手で止める。


「師匠……!」


「まず……おまえ、さんの……だれの、せいでも、ない。これは……わし、が、じぶん……の、ちから、を……かしんした、せいだ……だ、から……だれも、うらむ、な」


私は、ボナパルト様の手を握り締めながら彼の言葉を真剣に聞く。

涙が溢れて、視界がぼやけていた。


「みな、に……よろしく、な。すま、ないとあやまって、くれ」


「頼みますから、自分で謝ってください。師匠……」


「ああ、くそ。みな、に……あいてえ、な。でも、さいごに……おまえさん、の、かおが、みれた、から……よいか」


そう言って、ボナパルト様は微笑む。


「じぶん、の……ちからを、しんじて、すすめ。おまえ、さん……なら、どんな、こんなんなことが、あろう、とも、だいじょう……ぶだ」


途切れ途切れの、弱々しい声。

けれどもその瞳は、とても力強い。

……それはまさしく私が師匠と呼び、憧れた人物そのものだった。


「師匠……」


「むす……め」


最期の言葉は、言葉になっていなかった。

けれどもボナパルト様は、微笑みを浮かべたまま……眠るように息を引き取った。


「師匠……!師匠……!いやぁぁぁぁ……!」


私の泣き叫ぶ声が、木霊する。

誰かに、嘘だと言って欲しかった。

もしくは、悪い夢だと。


けれどもまだほのかに温かい師匠の身体が、これが現実なのだと残酷な事実を伝えてくる。


何故……!どうして……!?

ボナパルト様が死ななければならなかったのだ!


悲しくて哀しくて、苦しくて。

胸の内に重石がのしかかったようだった。


叫ぶように、もがくように、八つ当たりをするように。私は泣き叫び続けた。


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