54回目
「おい、大丈夫か」
大量のコードが腕に繋がれ、口には酸素マスク。誰が見ても異常事態だと言い当てられる私に、ソラは現れた途端に答えの決まり切った質問をしてきた。これで大丈夫に見えるのかと嫌みを言ってやりたい。
周りでは沢山のお医者様や看護師さんたちが動き回っている。『標的以外には見えないし存在も感じ取れない』というのは本当だったらしい。ジャケット姿の男が浮いている光景はとてもシュールだ。下に白衣の集団がいると特に。
手足を伸ばして天井にへばりつく姿は情けない忍者を連想させた。思わず吹き出しそうになり、必死で堪える。ここで笑い出したら病院の方々にとても失礼だ。
「俺と話せる訳ないか。応答なんてしたら幻覚を見ていると思われるからな」
ぼそぼそとソラが呟いている。なんだか怒りがこみ上げてきた。励ましの言葉ぐらいかけてくれてもいいはずだ。いや、彼にとっては私の魂を狙って来ているのだから、寧ろ死んでくれた方が都合がいいのだろうか。
「昨日俺が訪ねた時は冗談を飛ばす余裕もあっただろ。あんなに元気そうだったのに、どうして物々しい看護なんて受けてるんだ」
青年が分かりやすく狼狽えているのは、意外であるのと同時に嬉しくもあった。酷い話だけれど、こうして悩んでくれる程大事に思ってくれてるんだって分かるから。
昨日の展開は完全に予想外だった。何時倒れてもおかしくないのは頭では理解していたけれど、まさか一切予兆がないとは思ってなかった。これまでは眩暈や頭痛などで、事前に心の準備をしてお医者様を呼べたのに。
私はソラが帰ってから最近ますます上がらなくなってきた腕を少しでも鍛えようとして、自分なりに運動をしていた。とは言っても、出来る限り高く持ち上げてから力を抜くだけなんていう、やらないよりはマシ、という程度のものだけど。
確か7回ぐらいそれを繰り返した直後、視界が完全に闇に染まった。
これは私が意識を失う直前にみる幻で、これまで何度も経験してきた。それでもこの感じを受け入れることは出来そうもない。どんどん呼吸が苦しくなり、手足はずっしりと重くなる。あの抗えない絶望感を言葉で完全に表すのは不可能だ。
復活して最初に目にしたのは、深刻そうに私の顔を覗き込む眼鏡をかけたお医者様だった。残念ながら、ここから先のことはあまり覚えていない。
彼が説明してくれた内容が、思ってもみない衝撃的なものだったから。
これまで私に行われてきた手術は、どれも病気の進行を遅らせる為の物だった。根本的な病気の完治にまでは至れずに、死へのカウントダウンを延長するだけ。
ところが今度のは新しい方法だとかで『上手くいけば病気が完治するが、人間に試すのは初めてで、失敗したら最悪死に至る可能性もある』って来たからもう…。
『お父さんやお母さんは了承したよ』とか『僕を信じてくれ』なんて言われたって、そんな決意をすぐに下せるわけがない。お陰で今に至るまでずっと悩みっぱなしだ。
『ねぇ、私どうしたらいいのかしら』
なんて死神に聞くなんて、悪い冗談にもならないけど。
「俺が動揺しても仕方ないよな。うん、悩むなよ。たとえ死んでしまっても俺が責任を持ってお前の魂を運んでやるから」
ソラが真面目な顔でとんでもないことを口走る。やめてよ、縁起でもない。
私と彼だけだったら気が済むまで叱ってやれるのに、あぁ、この体がもどかしい。
「向こう、つまり冥界は恐らく悪いところじゃない。俺たちは入り口までしか行ったことがないが、天使だの女神だのがいるんだろ? きっと気の合う奴もいるさ」
その話題は続けなくていいという意思を視線に込める。暫く睨みつけると、ソラはふにゃふにゃした曖昧な笑みを浮かべた。伝わってるといいんだけど。
「前に教えてやった話の種は覚えているな。あれを最初に披露するといい。きっと喜んでもらえるから。ひょっとしたら待遇がよくなるかもしれない」
駄目だ。私は自分の無力さを思い知らされた。あの惨い話まだ覚えてたんだ。
そうして彼の行動に反応する内に、私は違和感を覚えた。
最後に命を奪い取ってしまうのは彼の筈だ。どうしてこんな所で心配なんてしているのだろう。彼が首筋にあの鎌を当てて『お前の命運はここで尽きる』と格好つけて宣言していてもおかしくないのに。
深く考えようとしても病院の喧騒で上手くいかない。相変わらず聞こえるソラの声も鬱陶しいし、体も酷く怠い。視界も涙で微妙にぼやけている。
私はボロボロな自分をいやいや受け入れつつ、天井を見上げ続けた。ひょっとしたらソラがもう少しまともなことを言ってくれるかもしれなかったから。
「恐らく世界中の人間が天国には居るだろうから、英語の勉強をするべきだな」
正直かなり望み薄なのはよく分かっていたけれど。
「部屋を移動しますよ」
お医者様の指示により私が乗った寝台が、ゆっくりと部屋から廊下に出される。
もう限界だ。深く息を吸い、叫びだしそうになる心を辛くも落ち着かせる。
これから死んでしまうかもしれないという現実から無理矢理目を背けようとしていたけれど、実際にはますます意識してしまうだけだった。
自分では死ぬのは怖くないと思ってた。実際ソラが最初に訪れた時には落ち着いて対応出来たし、何年もこの恐怖と付き合って来たから、流石に慣れただろうと。
でも今明確に分かった。どうやら私はまだそこまで悟れてはいないらしい。
「さて、俺は帰るか。お前が手術を受ける様子を見守っていても何の意味もない」
エレベーターに向かう最中で、ソラは気取った仕草で右手を振った。彼なりに私を心配してくれているのは分かっている。でも、最後まで付き合ってくれてもいいのではないかという疑念が沸き上がるのを抑え切れなかった。
「じゃ、さよならだ。また会う時まで、ってやつだな」
そう言い捨てて、死神は消えてしまった。
はぁ、結局一度もまともに励ましてくれなかったな。最低だ。
思わず口に出しそうになった私の意識も、麻酔で薄れていく。
暗転する中で最後に視界に映り込んだのは、能天気に輝く蛍光灯だった。
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