第14話
順二は、帰り支度か洋服を着ながら、
「ごめん」と、我に返ったように、言った。
「こんな僕でよかったのかなあ」と、また謝るように言った。
「どうして?」と、スミレは甘えた声で聞いた。
「スミレは、再婚する身だのに」
「ううん」と、スミレは子供のように首を振って答えた。
「あたし、順二さんならいいの。結婚できなくても…」
「申し訳ない」と言って、順二のトーンは段々下がって行った。
「あたし、紅葉の桜の木の下のあなたが、好きだったの」
「ああ」と言って、順二はパンツをはきながら、下を向いたままだった。
「嫌、そんなに元気のない順二さんは、嫌」と言って、スミレは起き上がり、順二を抱きしめた。
「ねぇ、ワインを飲み直しましょうよ」と言って、スミレはワインをグラスに注いだ。
「ねえ、順二さん、今日は泊っていらっしゃいよ。明日朝早く帰れば会社には間に合うわ」
そう言ってスミレは、ジャンパーを着こんだ順二に甘えたしぐさで、ジャンパーを脱がせた。
「そんな顔しないで。ねえ踊りましょう」と言って酔っぱらったスミレは、順二の手を取って、ソファーから立ち上がらせた。
スミレはピタッと体をくっつけ、チークダンスをした。すると順二の心はほどけて、スミレと抱き合ったまま、ベッドに倒れこんだ。スミレは順二の頬に頬を寄せて、
「ねえいいでしょ。泊って行ってね」とささやいた。
すると、順二はしっかりとスミレを抱きしめ、眠ってしまった。
翌朝、順二は寝ぼけた目であたりを見回し、
「しまった。会社に遅れる」と、慌てだした。
「大丈夫よ、まだ間に合うわ」
順二はちらと時計を見て、
「七時か。急いで帰らなくっちゃ」と言って、洋服を着だした。
「ねえ、パンとコーヒー食べていきます」
「いやあ、時間が」
そう言って、洋服を着終えた順二は、スミレに深々と頭を下げて出て行こうとする。
スミレは順二の手を取って、下からじっと順二の顔を見上げた。
「今夜も来て下さる?」
「うん」
「約束よ。げんまんして」
順二は照れたように小指を出してげんまんした。
「私、あなたが好き!」と言って、スミレは順二に抱きついた。
順二は軽くスミレにキスをした。スミレはたまらなく順二がいとおしくなり、深いキスを求めた。しばらく二人は陶酔していたが、はっと気づいて順二がスミレを放した。
「今夜も待ってるわ」とスミレは言い、
「うん」と順二は言って、出て行った。
スミレは、昨夜のワイングラスを片付け、ロールパンと紅茶でそそくさと朝食をすませ、会社に出かけた。
会社でもふっと昨夜のことが頭に浮かび、仕事の手を止めている。
すると、すかさず隣のデスクの圭子が、
「今日のあなたは、ふわふわしているね。何かいいことあったの?」
と、女社長に聞こえないように耳元で囁くのだった。
スミレは、メモ用紙に、
「何もないわ」と書いて見せる。
「でも、あなたから男性の整髪料の香りがするわ」
と、圭子はにやりと笑いながら言う。
スミレは、しまった!と思った。朝寝坊したせいで、シャワーを浴びる暇がなかった。鼻の利く圭子を誤魔化すことが出来ないと思ったスミレは、「また、ゆっくり話すわ」とメモ用紙に書いた。
圭子は下卑た笑いをして頷き、何もなかったように仕事を始めた。
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