第11話

食事を終えると、順二はタクシーを拾い、サッカーの競技場までスミレを連れて行ってくれた。もう日が暮れてすっかり暗くなっていた。

スポーツ競技場に来たこともないスミレは、順二にはぐれないように付いて行った。やがて選手たちが登場し、観衆が歓声を上げた。スミレも、この目で選手の登場を見て、興奮していた。ルールを知らないスミレは何故ボールが鹿島側の物になったのか、マドリッドの物になるのかわからなかった。順二は丁寧に説明してくれた。ウォー、ウォーと絶えず上がっている歓声に巻き込まれ、スミレも必死で日本の優勝を願った。ところが日本は延長戦まで持ち込んだのに、結果は負けてしまった。

 がっかりして帰る電車の中で、順二が小さい声で言った。

「僕は、ロナウドが好きでね、ちょっと、レアルを応援する気持ちもあって、複雑だった」

 スミレも、確かにロナウドのキックは天才的だと感じていたので、日本を応援しなくちゃいけないわ、と、抗議は出来なかった。

「すごいわね、ロナウドは。何気なく蹴っているように見えるのに、ゴールに入っちゃうんだもの」

「そうだよね」と順二は言った。

 十時過ぎの電車はややすいていて、隣同士で座り合うことが出来た。

スミレはふっと、自分たちのことを他の乗客が見たら、仲のいい夫婦に見えるのじゃないかと思い、顔が上気して来るのを感じた。それから後は、今晩、帰りに順二をマンションに誘うか、それとも誘ってはならないかと自問自答することで、頭の中が一杯になっていた。奥さんのいる彼。それは、結婚して一生連れ添い温かい家庭を築きたいと欲して、シングルの男性の現れるのを待っていたこととの、正反対である。今まで、スミレが素敵だと感じた人は、自分の年齢に見合った人だったから、殆ど全て既婚者で、いい家庭を築いている人だった。だから、すぐにあきらめていた。それが今、単身赴任の既婚者であり、一児の父であると知りながら、まだ、心が動いている。そのことを聞いた数時間前のレストランでは、ガーンと頭を殴られたような、訳の分からない混乱で、かき乱されたような精神状態だったのに、今は、順二をマンションに誘いたいような思いに引きずりこまれている。

 紅葉の桜の木の下の順二を見た時、一目惚れだった。それから、毎週毎週公園に通い、声をかけられないまま帰って来ても、頭はぼぅーとなり、浴槽の湯の中に浸かりながら、あのお方に抱かれたいと夢見ていた。それがもう一月以上にもなっている。夢を夢見ていたスミレは、もう、夢と現実の区別がなくなっていた。理性が働くなくなっていた。ついに、今夜、誘ってみようと、迷いながらも、決めてしまうのだった。

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