第8話

エントランスで挨拶して六階の部屋に着いた。全身が宙に浮いたような感覚だった。コーヒーを入れ、夕食を取り、風呂の湯の中にどっぷりと浸かって目をつぶり、湯の中で彼を抱きしめる夢を見るのだった。

 一度口をきいてから、もう悪びれる風もなく、桜の木の下の彼は、毎日曜日スミレを見つけては、近づいて来た。

 並んで腰かけているスミレが、まだよちよち歩きの赤ちゃんがおもちゃを取り合っているのを見て笑ったりすると、

「子供さんがお好きなのですね」

と彼はスミレの顔を覗き込むようにして言った。

「ええ可愛いですもの」とスミレは答えた。。

「そうですね」

と、彼はにこやかに言い、

「ところで、今度の日曜日、サッカーのすごい試合があるのですけど、

行きますか? チケットはもう2枚手に入れてあります」

と、続けて言った。

「えっ!こんなに早くサッカー行きが実現するのですか?是非是非行きたいですわ」

「FIFA クラブワールドカップと言いましてね、決勝戦なんです」

「まあ、決勝戦ってすごいのでしょう?」

「ええ、それはもう熱狂です。すごいですよ。次の日曜日には、三時にここでお会いしましょう。少し早いですが、早い目に二人で夕食を取ってから観戦しましょう」

「まあ、うれしい。どうぞよろしくお願いいたします。試合はどこであるのですか?」

「横浜国際総合競技場です。日産スタジアムとも言いますが」

「ああ、あそこなんですね。聞いたことはありますが、一度も行ったことがないので、連れて行ってくださいね」

「勿論ですとも。その日は温かくしてらっしゃい、冷えますから」

「はい」

「では、約束成立。握手しましょう!」

 スミレの左側に座っている彼は、目の前に右手を差し伸べた。スミレはちょっと横向きになって、彼の掌をしっかりと握った。

 骨ばった大きな手に握りしめられたスミレは、体の中から熱いものが燃え上がってくるのを感じた。熱いものは頭を麻痺させ、頬を紅潮させた。放心したスミレは、うるんだ目で彼をしっかりと見上げた。目の前には、ビデオのアメリカの男女が激しく体を動かして愛し合う姿が、迫って来るのだった。この人とそうなれたら、どんなに満足だろう、私はこの人とそんな風に愛し合いたいと、半分失神したようになりながら、じっと彼を見つめているのだった。

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