第3話

 実家を出てマンションで一人暮らしを始めた当座は、寂しさを感じていた。会社から帰って来ても、ものを言う相手がいなかった。黙って食事をし、後片付けをし、テレビを見て、お風呂に入って寝るだけだった。夕食後、ソファーに座って、皆で話をする一家団欒というものを、懐かしく思っていた。しかしその寂しさには段々と慣れて来た。しかし、伴侶のいない寂しさが頭をもたげて来たのだった。

 ある夜、アメリカ映画のビデオを借りて来て見ているときだった。映画の中で、ヒロインの夫が会社からロンドンに派遣され、ひと月を仕事で費やして帰って来た時、夫に再会した妻は夫を抱きしめ、ベッドに導き、激しく夫と交わるのだった。そのシーンを見た時、スミレは子宮がキュッと痙攣して痛むのを感じた。それまで、淡々としていたスミレだったが、その時から、空閨を守る淋しさを、ひしひしと感じるようになっていた。

 それでもスミレは、自分から相手を探す行動力がなかった。この状態から、誰かが自分を引っ張り出してくれないかと待っているばかりだった。 会社に、チラシの印刷を頼みに来るドラッグストアの店長が、外見もよく頭もよく切れる人だったので、スミレは密かに好意を持っていた。しかしその人はすでに結婚しているという噂だった。

 兄が一度だけ、自分が勤めている会社の同僚で、妻と死別した人がいるから、その人の後妻にどうかと言ってくれたが、三歳の女の子がいると聞いたので断った。

 今目の前に可愛い子供がいて、若い母が一生懸命子供の面倒をみている姿を見て、スミレは自分も優しく助け合って生きていける伴侶が欲しい、ちゃんと結婚して子供を産み、静かに年取るまで仲良く暮らせる家庭を持ちたいと思うのだった。

 だが、もう遅いのじゃないか、子供を産める限界の年に近いのではないかと、子供たちの姿を前にして、初めて思った。何故もっと早く気づかなかったのだろう。自分はいつまでも若いと思っていた。この数年を、うかうかと過ごした自分が情けない。若い母親がもうこんなに出てきているのだ。いつまでも、亡くなった夫に縛られていないで、子供を産むために積極的に男性を探さなければならないと思うのだった。

 秋の日はつるべ落としというけれど、あっという間に夕闇が迫っていた。気が付くと、殆どの親子は帰っていなくなり、一組の親子が急いで砂場でおもちゃを片付けていた。

 我に返って周りを見渡すと、桜の木が真っ赤に紅葉していた。向かい側の一際大きい桜の木の下に、携帯用の灰皿を左手に持って、煙草をふかしている男の人がいた。背筋を伸ばして、左足をちょっと前に出した、端正な顔をしたサラリーマン風の男の人だった。物思いにふけっていたスミレは今までその人に気付かなかった。気づいた瞬間、スミレは、素敵な人だとびくっとなった。

 すぐに、あのお方は今砂場に残っている子の母親の夫であろうと思った。あんな素晴らしい感じの男性を夫に持っている目の前の女の人はいいなあと羨ましくなり、それに比較して独り身の自分が哀れになり、落ち込んでいくのだった。

 スミレは、妬ましさを振り切るように立ち上がって、家に帰った。コーヒーミルでコナコーヒーの豆を挽き、US製のコーヒーカップにたっぷりとコーヒーを注いで飲んだ。真っ赤に紅葉した桜の木の下で、煙草をくゆらせていた男性の姿が、コーヒーを飲むスミレの目の前にちらちらして離れなかった。

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