第2話

 スミレの夫は、スミレが三十三歳の時、胃癌で亡くなってしまった。三十七歳の若い死だった。それから六年、スミレは小さい印刷屋に雇われて働いていた。社長さんは年取った女性だし、前からいたベテランの従業員の圭子は、ずっと独身を通してきたので、スミレが一人でいるのに何の同情もなかった。山歩きとか、マラソンなんかが出来たら、男性に出会う機会もあっただろうに、スミレは編み物をしたり、刺繍をしたりするのが好きで、女ばかりのサークルで時間を過ごしていた。

 しかし、心の奥底では、いつも、独身の男性と出会ってもう一度結婚したいと、思っていた。が、出会いのチャンスが全然なかった。

 ボールを拾ってあげた男の子は、砂場によちよちと行って、女の子が遊んでいるバケツを取ろうとした。女の子は、自分の方にバケツを引っ張った。男の子はびっくりしたように、呆然と立っている。その姿が可愛かった。母親たちはそれぞれ自分の子供の味方をしているように見えた。

 スミレは自分の年の半分ぐらいの子が、早母親になって子供を育ていると思うと、自分も子供が欲しいと心の奥底から思うのだった。

 もう、自分は三十九歳だ。この十年間何をしていたのだろう。最初の三年間は夫の両親が持っていた離れに、そのまま住んでいたが、義弟が結婚することになって、スミレは義弟に離れを明け渡した。そして実家に身を寄せ、結婚するまで使っていた自分の部屋に住んで、会社に通うかたわら、父の面倒をみていた。父、兄、兄嫁、甥、自分の五人家族だった。最初は、兄も暖かく迎え入れてくれたのだが、次第に兄嫁とぎくしゃくしだした。兄が兄嫁をかばって、兄嫁にご機嫌を取っている様子を見て、自分は邪魔者だと悟った。       

 スミレは、家を出、会社の近くにマンションを借りて、一人で住み始めた。

 夫の実家の離れに住んでいた時は、夫の両親がスミレを気の毒がって、母屋に食事に呼んでくれたり、家族旅行に誘ってくれたり、お正月やクリスマスは必ずみんなで祝って、プレゼントをくれたり、娘のいない両親だったので、実の娘のように可愛がってくれた。だから、孤独感を味わわなくて済んだ。スミレはあとで気づいたのだが、夫の両親は、このままでは、スミレの再婚を妨げると、弟が結婚するのを機に、スミレを外に出したのだと思う。舅は、小さいマンションを買えるだけのお金をくれたが、スミレは実家に帰っていたのであった。

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