第3話 壊死の邪光:硝煙と闖入者
彼女の身体が崩れていく。埃臭い古びた床に鮮血がぶち撒けられる。
死なない怪物。触れたものを腐らせる邪な光。それが人体に触れたのであれば、どうなるかなど明白だ。というよりは、さっきぼくはそれを間近で見ていた。
人間の肉は、ぐしゃぐしゃに腐る。であれば、体に直接叩き込んだのであれば。それも、腹部に叩き込まれたというのであれば。ぞわりと、嫌な想像がぼくの神経を掻き立てる。
「――――藤宮さん!」
思わず駆け出して、彼女とリディアの間に割り入る。
細い身体がビクリビクリと痙攣している。止め処無く、未だ血を吐き出している。際限がないように……否、“無い訳がない”。幾ら藤宮さんが超人だからって、血が無くなったら死んでしまうに決まってる。
ああ、でも、でも、どうしたらいいんだ。ぼくはこんな時の応急処置方法なんて知らない。そもそも――――彼女は助かるのか。これだけ酷く、内臓をやられておいて。
「……何を。早急に、この場からの離脱を。私の、役目には……人民の命を守るためにも、あり……」
「そんなこと言ってる場合じゃない! 今、今貴女が! 藤宮さんが死にそうなんじゃないか! ぼくは、貴女を、助けたい!」
「……な、ぜ」
藤宮さんは、目を丸くしてそう言った。理屈じゃない、ぼくは彼女のことを助けたい。それこそ、今、自分の命を擲ってでも……だから。きっと助かる手段はある。何よりぼくがそう信じたかった。
ポケットの中から、携帯電話を取り出した。今の今まで、それこそ自分がイジメられていた間は思いつきもしなかったのがある意味功を奏した、と言ってもいいかもしれない。
救急車を呼べば。少なくともぼくがよく分からないまま処置を施すよりかは遥かにマシなはずだ。だから、早く呼んで――――。
「あら、そんなの私は赦さないわ?」
嘘みたいな現実が、馬鹿みたいに追い縋る。
当然の話だろう。今の今まで散々藤宮さんを殺そうとしておいて、ぼくに助けを呼ばせる理由なんてない。止めて当然の話だ、だが。
炸裂音が聞こえた。鼓膜を思い切り叩くかのような、網膜を焼き切るかのような、光と音に彩られたぼくの手の中から、携帯電話が零れ落ちた。
振り返ってみれば……あれは、銃、だ。黒々とした銃口がぼくを睨みつけていて、きっとその奥では鉛の牙がぼくを睨みつけている。
ぼくの身体には傷一つ無いけれど、落とした携帯電話には大きな穴が開いている。今更どうなのかという話だが……ああ、多分、アレは本物だ。
「っ……、い……!」
「ええ全く、ただそこに居ただけならば、見逃してあげても良かったけれど。ええ、貴女は干渉してしまったもの。不確定要素は排除しろ、っていうのがローゼンクロイツの命令だわ。つまらない考えだけれども、私はそれに従わないと。だから」
声が出ない。どうすればいいか分からない。今まで散々に非現実的な光景を見せられた直後に、こんなに現実に寄った恐怖を突き付けられるとは思っていなかった。
今度こそ、殺される。
藤宮さんにやったように、自分の身体を吹き飛ばさせて一撃を叩き込む、なんて必要すらない。彼女はあの引き金を引くだけでぼくの一切合財を奪い取ってしまえるんだ。
今度こそ、終わりかな。嗚呼、でも、不謹慎な話ではあるけれど。彼女の隣で死ねるのであれば。死の僅かな間に見る走馬灯のような、美しい彼女の傍で死ねるのであれば。
……いや、彼女を死なせるわけにはいけない。ぼくは彼女に助けられたんだ。だから、次はぼくの番だ。
「……あら、素敵ね」
リディアの、前に立つ。
ぼくは藤宮さんを死なせたくない。ぼくなんかより、彼女こそが生きるべきだ。理屈じゃない。ぼくがそう思うから、そうなんだ、だからぼくは彼女を逃さなければならない。
初めて、目の前の少女と目が合ったかもしれない。麗しい、まるで絵画から飛び出してきたかのような美しい少女のその双眸は、ぼくを見つめてキラキラと輝いている。
面白いものを見たと、からかうように、意地悪そうに、笑っている。左腰のホルスターから、もう一丁の拳銃を取り出して、両手に銃を握ってそれをわざわざぼくに向けた。
「……何を、して」
「わぁあああああああああ!!!!!」
藤宮さんの言葉も待たず、駆け出した。拳を握り締めて、がむしゃらに駆け出して――――それを、思い切り叩きつける。
それはリディアの胸元を殴りつけた。ぼくとしては顔を狙ったつもりだったのだけれど、どうやら狙いは大幅にズレてしまったみたいで……そう言えば。人を殴るのは初めてだった。
拳が痛い。腕が痛い。そもそもぼくは運動が苦手で、筋肉は大してついていない。それに相手は人間じゃないみたいな怪物だ。そもそも最初から、ぼくの攻撃が効くと思っていないけれど。
それでも。
「――――藤宮さん、逃げて!」
それでも、彼女を助けたかった。
藤宮さんはどんな顔をしているだろう。リディアは相変わらず、馬鹿にしたような笑いを浮かべているんだろうか。そんなのを視界に収める余裕はなかった。
何回も何回も、無意味に拳を叩きつけた。銃撃が来ないのは、多分ぼくの行動がおかしくて仕方がないからだろう。良い。ぼくがどれだけ嘲笑われたって良い。
「ああ、滑稽だわ、愉快だわ。哀れだわ、可哀想が過ぎて見ていられないわ。最初は少し面白いと思っていたのだけれど。良いわ、引導を渡してあげる。あの子のように苦しまないように。さぁ、貴女の鎮魂歌の時間だわ」
「お逝きなさい?」
頭に、硬いものが当てられた。――――ああ、今度こそ、これで、終わりだ。
「させるか、させるものかよ、白百合」
――――リディアが、ぼくを投げた。身体が宙に浮いた。鳴り響く幾つもの銃声を眼下に、重力に逆らう感覚に引きずり回される。
爆音のカルテットがまた聴覚を揺さぶって、落下がぼくの正常な視界と感覚を奪っていく。あわや地面に叩きつけられるかと思いきや、ぼくの身体は何かに抱き止められた。
……柔らかい。温かい。思わずそのまま身体を預けて、現実を放り投げて夢の中へと落ちてしまいたくなるような感覚。ほんの一瞬だけそれに呑まれかけて、すぐに正気を取り戻す。
「くっ、う……身体は……動きますか……?」
「……藤宮さん、そんな……怪我は……」
「私の怪我は……大きいですが、この程度であれば……ぁ……!」
ぼくを抱き止めてくれたのは、たった今、致命的な一撃を受けたばかりの彼女だった。
また、助けられてしまった。彼女はこんなにぼろぼろなのに、ぼくは彼女を救うどころか、彼女に負担をまた掛けてしまった。
ぼくを下ろしてすぐに、片膝を付いた藤宮さん。何より彼女が心配だったが……何があったか、まるで把握できていない。
リディアの居た方向へと、視線を向けてみれば。
「ふン、相変わらず遊び過ぎる癖が災いしたな、白百合?」
「ああ、もう、貴女はまだ生きていたのね、恋に敗れたお爺さん。今日も私達の邪魔をしにきたの?」
「邪魔なのは貴様等の方だろうが、何時までガキ臭い頭の中してやがる、糞ガキめ」
白い少女の目の前に、相対する誰か。
探偵小説の登場人物みたいなコートを着て、帽子を被り、右手には大きな銃を握っている……ぼくからしたら、本当にお爺さんと言ってもいいくらいの年齢の男の人だ。
銃本体はライフルみたいな形状で、とてもシンプルだけれど、弾倉部分はよくゲームで見るような箱型じゃなくて、丸くて大きい物が取り付けられている。
連続した銃声の正体は、これだったのだろう。事実として、彼の足元には幾つもの大きな薬莢が転がっている。リディアのそれとは、比べ物にならない程大きなものが。
「……貴方、は」
「話している場合じゃないだろうが。相変わらずのお役所対応だが、今はそんな事をしている暇はない」
藤宮さんがそう問いかける。その問いかけも当然だ――――あの人は、一体何者なんだろうか。
その会話を聞く限りは、どうやらリディアとは顔見知りのようにも見える。とはいっても、恐らく良い方向でのそれではないのだろうが。
その問いかけに対しては、振り返ることもなくそう返した……藤宮さんのことも知っているのだろうか。兎も角、リディアを睨みつけたまま、あの人はそう言った。
まあ、言い分は確かにその通り……だが、そんな言い方もないだろうと。場違いに、ちょっとそう思ったが。
「良いか、そこの小娘。……お前だ、一般人!!」
「えっ……ぼ、ぼくですか?」
「お前以外に何処に一般人がいる、阿呆が!!」
そして、その矛先はぼくにも向けられる。確かに、ぼくは一般人ではあるけれども。
その大きな声に、思わず身体をビクッと竦ませてしまった。
「早くここから逃げろ。外に自動二輪が停めてある。藤宮なら動かせるだろう」
「え、でも、藤宮さんは」
「いい、こいつは、こいつらはそう簡単には死なん! 引き摺ってでもそいつを連れて行け、死にたくなければな!!」
「うぇ……でも」
「早く行け!! さもなくばお前からここで撃ち殺すぞ!!」
凄まじい剣幕に気圧される……そう簡単には死なない、って。あの人は藤宮さんの、謂わば正体というべき何かを知っているのだろうか。
だが、かと言ってこんな状態の藤宮さんを動かしたくはない。今だって、ぼくから見たら生きているのが不思議なくらいだ。こんな状態で、仮にたどり着いても、バイクなんて動かせる筈がない。
藤宮さんの表情を伺った。情けないことに、ぼくは彼女の意見を仰ごうとしていたのだ――――あの人の、その剣幕に押されてしまって。
「……私は、大丈夫です。外に、連れて行って、ください。お願い……します」
息は荒く、絶え絶えにそう彼女は言った。大丈夫なのだろうか。大丈夫な訳がない。大丈夫な訳がないが……。
それでも、ここで動かないで全員殺されるよりはマシだ。そう自分に言い聞かせて、彼女の腕を肩にまわして、腰に手を当てて、ぼくのことを支えにして立ち上がってもらう。
ぼくみたいなひ弱な人間では、これが限度だ。後は、彼女自身に歩いてもらうしか無い。
「……ごめんなさい、行きます!!」
最後に、後方へと振り返って……あの人へと向けて、そう言った。
また、助けられてしまった。あの死なない怪物に対して、彼は何か対抗手段を持っているのだろうか。リディアに相対したまま、こちらへは一瞥も返すこともなかったが。
せめてそうとだけ声をかけて……血塗れの戦場から、二人で、脱出しようと歩き出した。
■
「あらあら。貴方ってば随分と健気な人ね。この期に及んで私達に相対しにくるなんて」
「ほざけ、いい加減その喋り方を止めたらどうだ。何時までガキでいるつもりだ?」
老いた男は、加藤浩康はリディア・リトヴャクの前に立ちはだかった。
歌うように語るリディアに対して、不快感を隠すこと無くそう吐き捨てる――――浩康にとっては、最早何度目になるかもわからない問いかけであった。
自動散弾銃の引き金からは、指を外さない。人間が怪物と対峙するということの意味を、浩康はその身体に叩き込まれている。
言葉を吐きながらも、警戒を決して解く訳にはいかない。ほんの一瞬さえあれば、自分を真っ二つに両断できるほどの力を、相手は持っているが故に。
「何時まで、そんなの、私は永遠に女の子。向日葵畑の中央で、くるりくるりと踊る少女。永久に、永久に、永久に。死も無く、生も無く」
「くだらん。やはり貴様等は死ぬべき時に死ぬべきだったな。今日こそ引導を渡してやる、覚悟しろ」
「あら、貴方にそんなことが出来るのかしら。いいえ、いいえ出来ないわ。何故なら今日から特別な日が始まる」
ゆらり、ゆらりと少女は嗤う。両手に拳銃を握り締めてステップを刻む。それはまるで無邪気な少女のそれのようで、然して其処には何十年を掛けて積層した殺意があった。
楽しげな動きがピタリと止まる。浩康の額に冷や汗が滲み出て――――より一層の笑顔とともに、リディア・リトヴャクは。ぐるりと首を傾けて、双眸の照準を彼に合わせる。
「嗚呼――――全てに、決着を付けても良い日々が始まるのだから!!」
両腕を大きく開きながら、演技がかった動きとともにそう言った。その瞬間に、浩康は散弾銃の引き金を絞る。
装弾数は三十発を超え、フルオートで散弾をばら撒き、人間に撃てばそれこそ一瞬で血煙に変えるほどの攻撃能力を持った、それこそ怪物を相手取るためのような銃撃の雨霰。
更に其処には、怪物を相手取る為の『少々の魔術』が施されている。少なくとも通常の弾丸を使用するよりは遥かに有効な筈である弾丸であり。
そしてそれは、その威力と同様に容赦なく少女の上半身を吹き飛ばした。
「ほざけ。貴様等の思い通りにはさせるものか」
そして、浩康は一気にそこで駆け出した。
当然のごとく――――怪物たる少女の上半身は既に大半の形を取り戻していた。バラバラになった肉片が構築する少女の表情は、正しく狂笑と言うべき形をしていた。
再生仕掛ける身体に、超近距離から銃撃を叩き込む。そしてその弾丸は、やはり期待通りの威力を発揮し、少女の上半身を二丁の銃と共に再度粉々に吹き飛ばしたが。
「可哀想に、聖下のお考えが理解できないだなんて」
――――その瞳は、既に彼を見据えていた。
「ぐっ、貴様!」
先の再生を上回るほどの速度によって再構築を開始した少女の身体がゆらりと揺れた。瞬きの間すらありはしない、それを知覚した瞬間には、既に彼女は動き出していた。
ただ、獣の如く少女はその爪を振るった。然して、それは怪物が振るう一撃である。従って、ただ常識的な暴威を振りまくだけで気が済むようには出来ていないのが常であり。
故に、その一撃は――――邪なる光を纏う。
「がっ、ァアアア!!!!!!」
或いは、それは直撃すれば人間の上半身如き容易に吹き飛ばしかねない一撃であった。そして、浩康は反射的に左腕で自らの腕を庇おうとした。その衝撃を以て、加藤の身体が廃墟の床を跳ね回った。
「やっぱり、人間にしては丈夫にできてるわ。必死に身体を弄り回した甲斐はあったのね」
彼の左腕はひしゃげてへし折れていた。外観からみても分かる通りに、苦痛に顔を歪めるとおりに、それは最早役目を果たさない、その上に。
加藤浩康の左手を、邪光は侵食し腐敗させる。引き起こされるのは無論、激痛であり――――その腕が、ぎちり、ぎちりと音を立て、痛みに耐えるように奥歯が砕けかねないほどに歯を食い縛る。
「私は貴方を嫌いになれないわ。だって貴方はとっても一途で、まるで小説の主人公のよう。その在り方はとっても私好みなの!」
「だから私は遊んであげたわ、だから今まで楽しませてあげてたわ。そうね、もう少しくらい貴方のことを応援しても良かったのだけれど」
「残念、ああ、残念。この世界の主人公は、きっと聖下なのだもの。私達と貴方は分かりあえない。だから私は、貴方に……そろそろ、幕を引かないといけないわ! 」
「だから、そろそろ、遊びは終わりにしましょう?」
正しく、それは狂気の他ならなかった。
それがリディア・リトヴャクの親しみの表現であるというのであれば、刺し殺すかのような殺意を叩きつけられたほうがまだマシだろう。
正しくそれは怪物の精神性。破綻した精神構造。それは……リディアは、彼との殺し合いを、まるで人形遊びでもしているかのように楽しみ、そして彼自身の命を玩具箱にそれを放り込む程度の気軽さで終わらせようとしていた。
浩康の背中に怖気が奔る。手が腐っていく感覚に対してではない。それは、間違いなく。この目の前の少女に対する、戦闘に対する脳内麻薬では誤魔化しきれないほどの圧倒的な『恐怖心』であった。
「ほざくなぁ!!!」
腐敗する浩康の左手が、前腕ごと『切断』された。その断面は――――否、それは接続面という方が正しいだろう。機械的な処理によって、人体と接続される『義腕』。
その切断を以て、邪光による自身の侵食を免れる。
咆哮によって、浩康は自身の中の恐怖心を恐怖で掻き消さんとした。数十年の戦いにおける自身の『切り替え』のスイッチとして身体の中に叩き込まれたそれは、やはり例外無く無理矢理にでも浩康を奮い立たせる。
彼が有する自動散弾銃の反動は、その攻撃能力に反比例して非常に小さい。それなりに扱いを覚えたのであれば片手で撃ち放つことが出来る程であり、そして攻撃手段を持ち、動くことが出来るのであれば。
戦闘は、継続せねばならない。
「――――はっ」
故に、腰溜めに構えた銃の引き金を、ひこうとした彼の左肩に、少女の手が置かれていた。
小さな手である。白く小さく、然して美しい少女の手であった。そして、それにとっては、何よりも。死神がそこに立つよりも遥かに濃厚な死であった。
加藤浩康は、そこでようやく自身の誤算に気づいた。
本来の『怪物』としての性能というものを、彼は侮っていた。彼等は、単身で軍隊を相手取ることすら可能な怪物達である。であれば……自分が今まで、彼女達と渡り合えていたのは何故だ。
「いいえ、これで一息にもう終わり」
その答えが、これだ。
彼女が終わらせると決めたのであれば、自身は即座に殺戮されて当然の存在であったのだという事実を、たった今突き付けられたのだ。
「――――ああ、だが、それが、どうした」
ぐちゅり、という、腐り落ちた肉を掻き分けて、握り締めた銃を捨てて、その身体を縦断せんとする少女の右手首を掴んだ。
無論、その程度で彼女の右腕が止められるわけではない。人体改造と幾つかの魔術で補強した程度では、本当の怪物が振るう力というものを抑えることなど出来ないのだから。
だが、そんなことは問題ではない。
「無駄な足掻きね、お爺さん? まあ良いわ、どうせ最後だもの。もう少し遊びましょう。ねぇ……貴方の心は、何色かしら」
左手の指先が……ずぶり、と浩康の胸に潜り込んでいく。無論、その周辺の肉を溶かしながら。
腐臭、血臭、異臭。然して絶叫を噛み砕き――――そして、その指先が第二関節にまで至った時。
「――――オォオォオオオオオオオ!!!!!!!!!!」
左腕の切断面から、凄まじい炸裂音が響き渡った。その衝撃を以て、左腕は腐りかけた義手ごと千切れ飛ぶ。
その炸裂に寄って射出されたのは、一本の、太く短い杭だった。外観から見られる形状は単純極まりないもの。そしてその勢いは……人体を刺し貫いて余りある。
それは確かにリディアの胸を刺し貫き、そしてその状態で停止した。いくつもの対霊魔術式を組み込んだそれは、彼女のような怪物にも、先に使用された散弾銃と同様十分な物理ダメージを与えるに相応しいようであった……が。
然し、然し。それでは足りない。それでは終わらない。それでは終われない。その程度で、リディア・リトヴャクという不死身の怪物を倒せようはずもない。そうだ。ただの、人間程度が、倒せるはずがない。
口から止め処無く血を吐き出しながら、ぐしゃぐしゃになった身体を悪趣味に再構築しながら。それでも。また楽しそうに、少女は笑い――――その指先が、心臓に触れようとして。
「
「ああ、
バチン、という音が響き渡った。それは銃口からの噴射炎による光にも似て――――周囲を、一瞬大きく照らし出した。
「ギッ、ァ、……アァアア……!!」
瞬間、リディアの身体から力が抜け、がくりとその場に崩れ落ちる。
先の余裕から吐き出される、穏やかで少女的な言葉とは違う。意思が生み出すそれではない、生物が、機能的に吐き出す絶叫の形をしているそれが腹の底から吐き出された。
バチリ、バチリと何度もそれが炸裂して、もがき、立ち上がろうと力を込めようとする度にその度に少女の身体が跳ね上がる。何度も何度も瞳が右を行き、左を行かせながら、その双眸を必死に合わせようと動かす。
「……あ、あな、た、まさか……ぁ、ああ、ぐっ、ぎっ!!」
「ああ、その通りだ。お前のところの『英雄』様を参考にした雷撃術式……とは言え、お前を殺し切ることはできんだろうがなぁ……まあ、それで暫くは動けんだろう。それで十分だ」
その正体は、電流。杭の内部に収められた機構が、定期的にリディアの身体にそれを流し続けていた。
リディア・リトヴャクの不死性は絶対的だ。人間では間違いなく殺しきれないほどに。
そして加藤浩康は人間だ。怪物と真正面から相対すれば一溜まりもない。不死性を覆すなど以ての外だ。ああ、ああ、そんな――――当たり前のことを、忘れていた。
最初から勝ち目のない戦いなのだ。だから、自分の役目は、勝つことではないのだと。
全力、全霊、手を尽くして不意を突き、間隙を突き、ほんの一欠片でも時間を稼ぐことであり。そして、それは今、相成った――――恐怖に食われかけたのは、全く何度目のことだろう。
だが、それでも。今回も、成し遂げてみせた。
「ま、待っ、ちな……くぅ、が!!」
「……それは、聞けん頼み……だな」
確実に杭を叩き込むためには、相手が逃げにくい状態を作り出さなければならなかった。その為に賭した代償は、大きいものであったが。
心臓は死んでいない。血は流れるが、まだ意識はある。老いぼれの身体をその程度に使ってこれだけの戦果を挙げられたなら上等であろう、と。
ふぅ、と短く息を吐いて、放り捨てた銃を肩に担ぎ直して歩き出す。加藤浩康の身体は、リディア・リトヴャクや藤宮一葉のように頑強に出来ているわけではないものなのだから。
先ずは、ここから離脱して。それからズタズタの身体を回復させて、彼女達を追いかけて――――嗚呼、まだやることは……久し振りに、山積みだと。ゆっくりと、然し身体の状態よりも幾分か軽い心持ちで、歩き出した。
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