じゅうさん

 彼がこの賭場にたどり着いたのは、屋敷を辞めて間もなくの頃だったという。


「街の酒場にやたら羽振りの良い御仁がいたんですがね、それが金持ちとかじゃなくどう見てもゴロツキなもんで、気になって訊いてみたんでさぁ」


 酒の勢いもあり、その人はたいそう上機嫌に大盤振る舞いの理由を教えてくれたらしい。

 いわく、賭場で大勝ちした、と。


「ただのコックとはいえ領主様のところで働いてやしたから、情報が伝わってくるのはそれなりに早いほうでやしたが、賭場が出来ただなんて話ぁ聞いたことが無かったんで。こりゃ何かあるぞと思いましてね」


 彼はそれから三日に渡って、その人を尾行したそうだ。


「金のニオイがプンプンしたもんで、根性入れて後つけさして頂きやした」

「それは、えーと……お疲れ様です……?」

「いえいえ何の」


 なぜか誇らしげに首を横に振った元コックの彼は、尾行を初めて三日目の昼に、傍目には大きな倉庫にしか見えない建物へその人物が入っていく姿を目撃した。そしてここの存在を知ったのだ。


「賭場と言いつつやってるのはガキの遊びみてぇな事ばかりでやんしたが、はした金が瞬く間に大金に化けるその光景は、いやはや全く夢のようで」


 中央にも賭博場はあったが、そこは貴族や金持ち専用で、しがないコックが入れる店ではなかったし、そもそも遊べるような金も無かった。

 しかしここは誰でも入れる。そして屋敷から持ち出した品々を売り払ったばかりの彼の懐は、それなりの額で潤っていた。


「となりゃもう、夢掴まなきゃ男じゃねぇでしょう」

「つまり」

「毎日入り浸りました」

「うわぁ……」


 退職金をどう使うも本人の自由ではあるんだけど、うちの(元)資産が早々にギャンブルに突っ込まれてしまったのかと思うと少しばかり切ない。


「でも、そっからが奴らの罠だったんですよ」

「奴ら?」

「ここの元締めどもでやんす。ジャック様の顔にゃ及びませんが、そりゃぁおっかねぇ奴らで」

「僕の顔 引き合いに出す必要ありました?」

「きたねぇ手を使って、あっしの有り金を全部巻きあげたんでさ!!」


 当時を思い出してか、彼は悔しげに拳を握った。ちなみに僕の細やかな疑問は語りに熱中し過ぎていて耳に入らなかったらしい。

 微妙に心にダメージを追いつつ、「汚い手とは?」と尋ねる。声に力が入ってないのは許してほしい。


「イカサマ! 奴らイカサマしやがったんで!! じゃなきゃあんな負け続けるわけねぇでしょう!!」

「うーん」


 昼間ここで賭けをした三人組や大男の腕前を思うと、完全に実力で勝てないという哀しい可能性も捨てきれない気がしたが、彼は入り浸っている間に結局一度も勝てなかったというから、そこまで行くならさすがにイカサマだったのかもしれない。


「でもあっしは諦めずに、賭けて、賭けて、賭け続け、気付けば財布はすっからかん……どころか、多額の借金まで負わされてしまいやした」


 分かっていても止められないのがギャンブルの怖さなのだろう。

 しかし神経衰弱だの双六だのという彼自身が“ガキの遊び”と称したラインナップで、よくぞそこまでハマりこめたものだ。何か逆に感心してきた。


「返済の当てが無かったあっしは、代わりにこの賭場でこき使われる羽目になりやした。それからはもう寝ても覚めても雑用雑用! もう最悪でさぁ」


 脱走を考えたこともあったが、ここを出たところで一文無しではどうしようもない。

 なら寝床があって、まずくても食事が出るだけここのほうがマシだと、自分を慰めながら日々を送ってきたのだとか。


「そんなわけでウッハウハの退職金生活を送るはずが一気にドン底まで落ちたあっしでやしたが、まだひとつだけ手元に残っているものがありやした。……それが、例の旧印でして」

「旧印! 売らないで持っていてくれたんですか?」

「質屋で引き取って貰えなかったもんで荷物に入れっぱなしたまま忘れてやした」

「換金は試みたんですね……うん、まぁ、いいですけど……旧印は今どこに?」


 今回のような騒動を繰り返さないためにも、ちゃんと回収して、今度こそ厳重に管理しなくてはならない。


「……大変申し上げにくいんですがね。その件が、あっしのお願い事に繋がってくるわけでやして」


 彼は所在なさげにぽりぽりと頬をかいた後、肩を落として俯いた。


「……実は、旧印のことが元締め共にバレちまったんでさぁ。そしたら奴ら、旧印を利用して金を集めろってんですよ」


 出来ないと断ったら、借金を盾に脅されたという。

 彼自身は完済するまで基本的に賭場を出られぬことになっているため、仕方なく間接的に金集めをする方法を考えた結果が、あの通達書だったらしい。そしてここに来ていた客のツテを当たって、鳶に依頼をした。


 それが彼の語った事の顛末だった。


「あっしはケチな元コックですがね。いくらメシと寝床があったって、こないだまで世話になってた領主家の旧印を、悪用させるような奴らのとこに居るのはご免でさぁ!

 ……とはいえ、もし逃げるのに失敗したら、次はどんなことさせられんのかと思うと……」

「それで助けてくれ、ですか」


 先ほど彼が口にした“お願い事”を思い出しながら言うと、「そういうわけでやんす」と情けない声が返ってくる。


 要するに、ここから逃げ出したいが元締め達が怖くて出来ないから何とかしてほしい、という話だった。

 彼の希望を叶えるならば、この違法賭場を摘発して元締め達を捕まえた上で領外追放にするか、拘留している間に彼に領外まで逃げてもらうか、という形になる、のだろうが。


「うん……事情は分かりました。貴方の身柄はとりあえず領主屋敷で保護しますから、詳しい話はまた後で聞かせてください。

 ところでもう一度お尋ねしますが、旧印は今どこに?」

「偽の通達書に使ったあと、奴らに取り上げられちまったんで……たぶん事務室のどっかにあるとは思うんですが」

「事務室?」


 通路から見たかぎりだと、ここには賭博場と備品置き場、僕達がいる給湯室以外の部屋はなかった。

 この倉庫ではなく別の場所にあるのだろうか、と首を傾げていると、元コックの彼は手にしていたモップとバケツをその場に置き、ちょいちょいと僕を手招きした。


 そうして先ほど掃除道具を出していたロッカーのほうへ行くと、ロッカーと壁の間に空いた、人ひとり分くらいのスペースを指さす。


「床んとこ見てくだせえ」


 言われて目を凝らすと、床が一部分だけ窪んでいるのが分かった。


 元コックの彼がその窪みに指を掛けて上に引く。

 すると、そこがまるで蓋のように開いて、地下へと延びる一本の縦穴が姿を現す。手前には鉄の梯子が掛かっていた。


「下は奴らの簡易的な居住スペースみてぇになってやして、金庫だの何だの、大事そうなもんは全部そっちに置いてありやす。事務室もこの下に」


 僕は薄暗い地下の入り口を眺めて、ひとつ息を吐いた。これぞ虎穴に入らずんば虎子を得ず、というやつだろうか。

 不安は山ほどある。けれど僕だってそれなりの覚悟を持って、柴と喧嘩してまでここへ来たのだ。

 目的を果たさないまま帰るわけにはいかない。ぐっと拳を握って、隣の彼を見据えた。


「……旧印のところまで案内してもらっていいですか? 万が一、元締めの人達に見つかったときは、僕に脅されたことにして構いませんから」


 哀しいことにその手の説得力は腐るほどある顔面だ。疑われはしないだろう。


「それくらいならお安い御用で!」


 猫背気味な背中をめいっぱい反らして、彼はドンと自分の胸を叩いた。


 下りてすぐのところに元締め達の部屋があるので、良いと言うまで喋らないようにと注意を受けてから、元コックの彼に続いて地下への入り口に身を滑り込ませる。

 あまり長くない梯子を慎重に下って僕達が降り立ったのは、細長い通路の端だった。上階と似た造りの通路で、こちらも所狭しと荷物が積み上げてある。


 違うのは片側に両開きの扉がない代わりに、反対側に扉が三つあることだろうか。

 一番近い扉は、梯子の斜向かいにある。あそこが元締め達の部屋なのだろう。中からは、話し声が聞こえた。


 元コックの彼は口の前に指を立ててシィとやってから、もうひとつ奥にある扉を指さした。そっちが事務室のようだ。


 足音を潜めて一つ目の部屋を通り過ぎ、二つ目の部屋に入る。


「もう喋って平気でさぁ。で、ここが事務室でございやす」

「うわぁ……ひときわ積み上がってますね」


 事務室というか、事務関係のものをまとめて放り込んだだけみたいな部屋だ。

 僕の執務机もこの二ヶ月でかなりの惨状になったと思っていたが、あんなものはまだまだ序の口だったらしいと、書類やら領収書に埋もれて白い山脈みたいになった机を見て知る。


「これって本人は何がどこにあるか、ちゃんと分かるものなんでしょうか」

「まさか。適当にぶち込んでるだけでやすよ。あの野蛮人どもに覚えとく脳があるわけ、」

「オイこらオケラぁ!!!」

「ひぇはいぃいい!!!?」


 そのとき部屋の外から突如として響いてきた盛大な怒声に、元コックの彼が悲鳴のような返事をする。


「おうテメェ酒置いとけっつっただろうが! おうおうオケラよぉ!!」

「ただ今! お持ち致しやす!!」


 相手の姿は見えていないにも関わらずその場で九十度のお辞儀をすると、彼はそのまま一目散に部屋を飛び出して行ってしまった。僕を残して。いや、まぁそれはいいとしても。


「……オケラ?」


 彼はそんな名前では無かった気がするけど。

 首を傾げていると、誰もいないと思っていた室内から小さな笑い声が聞こえた。


 驚いて振り返ると、白い山脈と化した机の向こうから、ひょいと顔を覗かせた小柄な影。


「オケラってのは賭場で負けちゃって一文無しになった人のことだよ、にーちゃん。オケラになるー!ってね」


 そう言って現れた影――鳶は、僕を見上げてにかりと笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る