じゅうよん

「やぁにーちゃん。調子はどう?」


 鳶は、道端で友人にばったり会ったみたいな気軽さで片手を上げる。

 入り口で唐突に置き去りにされた件について物申そうかとも思ったが、その悪びれない明るさに毒気を抜かれて苦笑した。


「順調……っていうのかなぁ、これは」


 最短で目的地に向かっている気もするし、てんで見当違いのところを歩いている気もする。

 自分でも判断のつけようがない現状を再確認するように、書類の山脈だらけの事務室をぐるりと見渡した。


「とりあえず今は旧印を探してるんだけど、この中から発掘するのかと思うと気が遠くなるよ」

「ん? んーんんん……」


 何やら言い辛そうにもごもごと言葉を濁した鳶は、しかしちらりと僕を見て、がりがりと頭をかく。そして意を決したように口を開いた。


「オケラのおっちゃんにどんな説明されたか知んないけどさ、やー何となく想像つくけど……この部屋に、旧印なんか無いよ」

「あ、やっぱり?」

「は?」


 一転ぽかんとした顔になった鳶は、そこからたっぷり五秒は黙り込んだ後、自分が聞いた言葉を確認するように「やっぱり?」と聞き返してきた。


「うん。そんな気はね、してたんだけど」

「騙されてるの知っててついてきたワケ?」

「……僕が知ってたのは、彼は嘘をつく前に俯く癖がある、ってことだけだよ」


 屋敷で働いていたころ、ちょっと失敗してしまった料理をそういうアレンジだと言ってごまかす時なんかにいつも俯いていたっけ。

 そして彼はさっきも、僕に助けてくれという前、旧印のことが元締め達にばれたという話をする前にそうしていた。


「はー。よくそんなの知ってたね。別に、なんていうか、ただのコックだったんでしょ?」

「まぁ話す機会はろくに無かったけど……家族だったからね」


 癖のひとつふたつは覚えてるよ、と言うと鳶は何ともいえない表情を浮かべて、眉根を寄せた。


「……じゃあオケラのおっちゃんが戻ってくる前に逃げたら?

 犯人の正体と居場所は分かったんだし、話も出来たみたいだし、もう十分でしょ。旧印のことは自警団に任せてさ」

「でも僕はまだ、あの人の“本当”の話を聞けてないんだ」


 良い予感なんてするわけもないけど、どんな結果でも受け入れると決めた。だからここで逃げるわけにはいかない。

 そう伝えると鳶がまた顔を顰めたのを見て、僕はその肩にぽんと手を置いた。


「むしろ鳶のほうこそ、そろそろ帰らないと本当にシスターに心配かけちゃうよ」


 ね、と安心させるように微笑むと、鳶がなぜか一際渋い顔になり、唸りながら頭を抱えた。そうだ僕の顔面に安心効果なんてなかった。


「ご、ごめんね。とにかく僕は大丈夫だから、鳶は……」

「あーもーぉぉお!! もー分かった! 分かりました!! ちょっとにーちゃんこっち来てっ!!」


 急に声を上げた鳶が、僕の腕を掴む。そしてズンズンと扉の方へ歩いていった。


「ちょっ、そっちはまずいんじゃ」

「いーから!」


 鳶はこちらの制止を跳ね除けると、そのまま扉を開け放って堂々と通路に出る。

 もはや潜むも隠れるもなく、半ば引きずられるようにして僕が連れていかれたのは、三つ目の扉の前だった。


 どこか据わった目をした少年は、その扉も迷いなく開け放って中へ入っていく。腕を掴まれた僕も必然的にその後に続く形となった。

 そうして入室した先で目に飛び込んできた光景に、ぎょっとして思わず足を止める。


「これ、牢屋?」

「そ。まー今はおっちゃんの寝床になってるけど」


 三つ目の部屋は中ほどから半分が座敷牢になっていた。


 何でこんなところに、と呆然と零した僕に鳶が教えてくれたところによると、上で揉め事を起こした客を、頭が冷えるまでの間、店先から隔離するために作ったらしい。

 しかしそう頻繁に騒ぎなど起きないので、最近はもっぱら元コックの彼が部屋代わりに使っているという。鉄格子の向こうを覗けば、ちょっとした生活の跡が伺えた。


「で、奥のとこ見て。毛布が山になってるでしょ」

「うん」

「あそこ見てきて」

「う、うん」


 淡々とした鳶の迫力に押されるようにして牢屋に近づく。


 鉄格子の入り口には南京錠が掛かっていたが、本当にただ引っかかっているだけで、鍵としての役割は果たしていない。それは少し力を入れるだけで軋んだ音を立てて開いた。


 中は座敷になっているため、入り口のところで靴を脱いでからタタミに上がる。

 生まれて初めて入った牢屋の中をおそるおそる奥へと進んでいき、鳶が言っていた毛布の山にたどり着く。

 この牢屋備え付けの備品なのか、元コックの彼の私物なのかは分からないが、そこには数枚の毛布が雑に積み重ねられていた。


 試しに一枚手に取ってみたが、どれも至って普通の毛布である。これの何をどう見ればいいのか。


「ねぇ、この毛布がどう……」


 尋ねようとしたその瞬間、ガチャン、という硬質な音が辺りに響き渡った。

 振り返ればそこには、表から牢屋に南京錠を掛ける鳶の姿。


「鳶?」

「ごめんね、にーちゃん!」


 そう言って舌を出した後、鳶は部屋の扉に駆け寄り、通路のほうに顔を出して誰かを呼んだ。

 少しして外から近づいてきた足音が、ゆっくりと室内に入ってくる。


「――良い仕事をしてくれやしたねぇ、運送屋」


 中肉中背、頼りない背中の、中年男性。

 先ほど事務室で別れた元コックの彼が、にやにやと歪な笑み浮かべていた。


「ご依頼だった“領主様”、無事に配達完了しましたー!」


 ぴしりと敬礼を向けた鳶の横を通り過ぎた彼は、牢屋の前に立って僕を見る。


「旧印をあんな使い方しちゃぁ早晩バレるだろうとは思ってやしたが、想像以上にお早かったですねぇ、ジャック様。

 いやぁ念のため運送屋に依頼しておいて幸いでやんした」


 もしも仕事中に“領主様”に声を掛けられたら、自分のところまで連れてくるように。金銭の回収だけではなく、彼は鳶にそんな依頼もしていたのだと肩をすくめた。


「人も、物も、あんたの屋敷はもう空っぽでございやしょう? そんな中で問題が起きりゃ、自警団を頼る前にまずはご自分で動くだろうと思いやしてねぇ」


 僕は手にしてた毛布を置いて、彼に向き直る。


「あの、オケラさん」

「先手を打たせて頂きやし……誰がオケラでやんすか!! あんたにまでそう呼ばれる筋合いはねぇんで!!」


 しまった、鳶が呼んでたのが頭に残っててつい。

 憤慨する元コックの彼に「す、すみません」と謝ってから、僕はひとつ咳ばらいをした。状況は色々とアレだけど、これでようやく彼の口から本当の話が聞ける。


「貴方はどうしてこんなことを?」


 その問いに彼は小さく鼻で笑うと、ズボンのポケットから手の平サイズの物体を取り出した。それは僕が執務で使っている領主印と、とても良く似ている。


「旧印……」

「そう、お探しの旧印でやんすよ。さっきお話ししたように、換金出来ずに持ったまま忘れてたんでやすが」


 そんなある日、久しぶりに賭場で揉め事があり、当事者たちを隔離するのに使うからと、部屋代わりの牢屋を一時的に追い出されることになった。そのとき慌ててまとめた荷物の中から転がり落ちたのが、この旧印だった。


「そのときピンと閃いたんでさぁ。こいつぁ金になるぞってね」


 金さえあれば、こんな狭くて汚い場所でこき使われることもない。中央に帰って豪勢なベッドと食事にありつける。

 今までゴミ同然だった旧印が、まるで宝のように見えたという。


「後はご存知の通りでございやす。通達書をこしらえて、そこの運送屋に依頼して金を手に入れ、今あんたを捕まえたところで。いやぁまったく! 順調すぎて笑えてきやすよ」


 言葉通り、彼の口元が愉快そうに弧を描く。


「……僕を捕まえても、身代金は出ませんよ」

「ハナからあの空っぽ屋敷にそんな期待していやせんよ。あんたはただ、何日かここに居てくれるだけで良いんで。通達なんか出されちゃ旧印が使えやせんからねぇ」


 なるほど、僕をここに閉じ込めている間に儲け尽くす心づもりであるらしい。

 旧印をポケットにしまい直しながら、彼はこちらを見て皮肉げに目を細めた。


「ポンコツなご子息さま、あっしは初めてあんたに感謝しやしたよ。二、三日行方不明になったって騒ぎにならない、探してくれる使用人も居やしねぇ領主なんて、あんたくらいのもんでしょうからねぇ」

「…………? あの、」

「オケラのおっちゃーん! 元締めさん達のこと呼んできたよー!!」

「だからオケラって呼ぶんじゃねぇって……は!? 呼んできた!!?」


 僕がふと感じた違和感を口にしかけたとき、またいつの間にかどこかへ行っていたらしい鳶が、扉を開けて元気よく入室してきた。


「な、なんで呼んできたんでやんすか!?」

「えー。だって領主様つれてきたら呼んで来いって言ってたじゃん」

「それはあっしらが捕獲できなかったときの最終手段だとも言ったはずで!!」


 元コックの彼が青い顔で鳶に詰め寄っている間にも、近づいてくる複数の気配。

 がちゃり、と扉が開く。そこから現れた人物たちの姿に、僕は目を見開いた。


「おうおうおう、どいつが侵入者だって?」

「アニキの城に忍び込むたぁイイ度胸じゃねぇかアァ!?」

「覚悟しろよオラァ!」

「目に物みせんぞコラァ!」


 一人の大男と、三人のチンピラ。


 ああそういえば事務室で聞いた怒鳴り声、何か覚えがある気がしたんだよなぁと今更のように考える。

 牢屋にいるのが僕だと認識した瞬間、ギシリと動きを止めた彼らを見て、僕もまたギシギシとひきつった愛想笑いを浮かべた。

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