じゅうに

 鳶の後に付いて人通りの減った夜の街を進み、さらに人のいない路地裏へどんどん入り込んでいく。

 そうして周囲に猫の子一匹いなくなったところで辿り着いた“目的地”を見て、僕は言葉を失った。


 さびれた路地裏の一角。

 外からは大きめの倉庫にしか見えないその建物の分厚い扉の向こうに、昼はむせかえるような熱狂が広がっていたことを、僕は知っている。


「……賭博場?」

「そ! オイラ達の出逢いの場所だね!

 あのときは受け取ったお金を届けに来てたんだけどさー、帰りにちょっと賭場のほう覗いたらすごい愉快なことになってて」


 いやー面白かった、としみじみ語る鳶に、僕は胃がキリキリしたよ、と昼間のことを思い出して遠い目になった。

 あんな恐ろしさと居た堪れなさと申し訳なさを漏れなく混ぜてぶちまけたようなシチュエーションは二度とご免である。


「さーて。それでここからは独り言なんだけど……あっ、ていうか今までも独り言だったんだけどー」


 鳶が今更のように“後をつけられていることに気付かない運送屋”の設定を持ち出して僕から顔を背けるが、ここまで雑談しながら一緒に歩いてきた時点で本当に今更である。

 僕も最初はその設定に準じようとだいぶ離れて歩いていたのだが、当の本人から「もっと近く歩けばいーじゃん」なんてけろりと言われてしまった。


 依頼人のことは徹底して話さなかったり、かと思えばこんなふうにいい加減だったり、鳶の基準がいまいちよく分からない。


「こっちから条件出しといてなんだけど、ホントに行くの? 一人で?」

「うん、まぁ」

「えー何そのヌルッとした言い方。ホント大丈夫?」

「大丈夫」


 自分に言い聞かせるように今度はハッキリと口にして、ついでに無理やり笑みを浮かべた。


「……んー、とにかく行くんだね。分かったよ」


 鳶はひとつ溜息を零すと、こっち、と言って倉庫の壁沿いに、隣の建物との間にある細い路地へ入っていく。

 積み上がった酒の空き瓶のケースやら、山積みのゴミ袋やらの隙間を縫うようにして進んでいくと、やがて薄汚れた扉の前に辿り着いた。


 この倉庫の裏口らしいその扉のノブを、鳶が迷いなく回すと、何の抵抗も無くあっさりと開いた。

 不用心……ではなく、まだ鍵をかける必要がないのだろう。中には少なくとも“依頼人”がいるはずだ。もしかすると他にも共犯者がいるかもしれない。


 ちなみに自慢じゃないが、僕は喧嘩はからきしである。

 かろうじて運動音痴ではない程度の身体能力しか備わっていないため、万が一そういう事態になったらとにかく逃げるしかない。

 ちゃんと退路を覚えておこう、と中に入ってすぐ振り返り、扉をよく確認してから前を向く。


 そこはまさにバックヤードといった様子の通路だった。あちこちにダンボールやら何やらが無造作に積み上げられていて、元々あまり広くない通路をさらに狭いものへと変えている。二人並んで歩けるかどうか、といった感じだ。体が大きかったら一人で限界かもしれない。


 向かって右側には両開きの大きな扉がひとつ。おそらく賭博場に繋がっているものだろう。

 左側には普通の扉がふたつ、少し距離を開けて並んでいた。どちらにも四角い覗き窓がついている。


 そこまで観察してから、ふと視界の広さに違和感を覚えた。いや、通路自体は先ほど述べた通り荷物だらけで見通しは悪い。


 そうではなく、もっと近くに先ほどまであったはずの何かが無くなっていた。

 具体的に言うと、僕より頭一つ分くらい低い、誰かの背中とか。


「……鳶?」


 呼びかけた声に返事はない。気付けば僕は、通路に一人取り残されていた。

 少年の姿を探して周囲を見回すが、先ほど確認した以上のものは無い。僕は思わずひくりと口元を引きつらせた。


 これはつまり、『後は自分で何とかしてね!』ということだろうか。

 確かにこんな狭い通路では“つけられてる事に気付かない”設定は無理があるから、別行動も仕方ないとは思うが、それなら色々と今更なんだしせめて一声かけて行って欲しかった。


 突然の独りぼっちに弾み出した心臓を宥めるように深呼吸する。そうして改めて通路の先を見た。


 一番近いところにあるのは、左側の手前にある扉だ。

 足元の荷物を蹴飛ばさないように気をつけながら扉へ近寄り、覗き窓からそっと中を覗く。

 室内は暗く、覗き窓から差し込む通路側の明かりが、手前のほうを僅かに照らすのみだった。どうやら人はいなさそうだ。


 ノブに手を掛けてそろりと手をひねれば、扉はあっさり開いた。通路の左右を伺ってからその部屋へと体を滑り込ませる。


 後ろ手に扉を閉めたところで、ふへぇと情けない息を吐いた。


「なんか、泥棒みたいな気分だなぁ……」


 まぁ勝手に入っている以上似たようなものだが、何とも心臓に悪い。

 暗がりに目を凝らして室内の様子を見ると、どうやらここは備品置き場であるようだった。昼間使ったカードやすごろく、オセロなどの遊び道具がいくつも積まれている。


「…………賭場とは……?」


 足元に置いてある立派な将棋盤の上に、他にも福笑いやらだるま落としやらが乗っているのを確認して遠い目になる。

 昔、父に付いて別の領地にある賭博場に行ったことがあるが、ここやっぱり僕の知ってる賭場となんか違う。


「あ、そういえば違法賭場なんだっけ」


 内容的にはコレだが本人達が賭場と言っているし、僕らのときはアレだったが他のテーブルではお金を賭けている様子もあったし、後でちゃんと登録してもらわなくては。


 芋づる式にやるべき執務をいくつか思い出してしまい、明日はアレやって近々コレの届けを出して、と別のところへ意識を飛ばしながら近場に置いてあったデンデン太鼓を手慰みにデンデンしていた僕は、隣室のほうから響いてきたガタリという物音にハッとして動きを止めた。


「……隣に誰かいる」


 僕が泥棒ならこのまま息を潜めるか逃げるかという所だが、そうはいかない。

 ここにいるはずの人物に会うためにやってきたのだ。ちゃんと確認しに行かなければ。


 備品置き場の扉を開けて、少しだけ顔を出す。通路に人影はないが、ガタゴトという物音は続いている。やはり隣の部屋にいるようだ。


 通路に出て、忍び足で音がする部屋まで近づく。

 中にいるのが元コックの彼じゃなかったら逃げよう、と泥棒みたいな事を考えながら、覗き窓から室内の様子を見た。


 どうやらそこは給湯室のようで、シンプルな造りの流し台とコンロ、古びた小さな冷蔵庫などが設置されている。

 他にも細々とした荷物は置いてあるが、通路や備品置き場と比べるといくらか整えられている印象を受けた。


 物音の発信源は、部屋の隅。


 縦長のロッカーからバケツやモップを取り出しながら、ブツブツと何かを呟いている中年男性の後ろ姿があった。

 頼りなげに丸まった中肉中背の背中が、かつて屋敷で見ていたそれと重なる。


 彼だ、と思った瞬間、僕は給湯室の扉を開けてそちらに歩み寄っていた。


「あの、」

「ぅひえ!!?」


 背後から声を掛けると、彼はびくりと身を震わせて振り返り、僕の顔を見てさらにガタガタと震え出した。


「ジャジャジャジャック様ぁぁあお久しぶりで相変わらずオッカネェいえ威厳溢れるお顔で!!」

「ああそうだった! すみません顔怖くて! 驚かせてすみません!」


 そういえば料理の説明のために食卓のほうへ出てくるたび、父と僕を見ていつも涙目になっていたっけ。

 鳶がずっと普通に接してくれていたから忘れていた。僕の顔は怖いんだった。いや泣いてないですけど。


「と、とにかく落ち着いて下さい。僕は貴方と話がしたくて来たんです」


 両手で顔を覆いながら話しかけると、元コックの彼はようやく少し落ち着きを取り戻し、恐る恐るこちらを見た。


「話……ですかい?」


 僕は右手で顔を隠したまま、左手で鞄の中を探り、一枚の紙を引っ張り出してみせる。


「この通達書を作ったのは貴方ですよね?」

「な、何を根拠に」

「これは貴方の字だ。へ……いえ、とても特徴があるから、分かります」


 屋敷にあったメモと筆跡が同じだったことも伝えると、彼はゆっくりと俯いた。

 かと思えばふるふると肩を震わせ始めたので、声を掛けようとした瞬間。


「どうかあっしを助けてくだせぇ! ジャック様!!」


 勢いよく顔を上げた彼が口にした言葉に、僕はぱちりと大きく目を瞬かせた。

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