はち
宵闇に包まれた室内を照らすのは、机の上に置かれた一対の燭台。
圧迫感すら感じさせるほど重厚な執務机に肘をついて、僕はぎゅうと眉間にしわを寄せた。
「あの……明かりつけてもらってもいいかな」
「はぁ? 何言ってんだ、今こそ特訓の成果を見せるときだろ。泣く子もひきつけ起こす暴君領主っぷり見せてやれよ」
「いや、うん、また今度やるんで……ルイーゼ電気お願い」
ぱちり、と音がして部屋が明るくなる。演出の一環だったらしい燭台の火を消してから、改めて机の向こう側に目をやった。
そこには上半身を縄でぐるぐる巻きにされ、むすくれた顔で床に座り込んでいる少年の姿。
あれから僕達は鳶を引きつれて、というか強制連行して領主屋敷に帰宅した。
そして僕の執務室にて、今まさに取り調べを始めたところなのだが。
「ねー、この縄ぜんぜん解けないんだけど」
「あぁ? 何なら暴れるほど締め上がる縛り方に変えてやろうか?」
「……けっこうですー」
「柴、あんまり虐めないであげてよ」
「うっせ。こいつ詐欺師だぞ、甘やかしてんじゃねぇ」
柴の言葉に、うぅん、とひとつ唸ってから、縄の結び目を矯めつ眇めつしている少年に向き直った。
「ねぇ詐欺くん」
「サギじゃなくてトンビ! ていうか詐欺師でもないし!」
先ほどからこのように、容疑者は犯行を否認している、という状態だった。
とりあえずシスターによって盛大に名前をバラされてしまった以上、もはや通りすがりの名無し少年を貫くつもりはないようだが、少年――鳶は心外そうに頬を膨らませた。
「詐欺師じゃねぇなら何であのとき逃げたんだよ」
「そりゃあね~、あんな野犬みたいに追ってこられたら? いたいけな子供は普通逃げるよねー」
袋小路での死闘(?)が後を引いているのか、柴と鳶は何ともギスギスした雰囲気である。
「オイラしがない運送屋さ。詐欺なんてとんでもないね」
「お、何運んでんだ。ヤクか、武器か、人か」
「だからどーして犯罪方面に持ってこうとすんだよ! 普通の運送屋だってば!」
伝書鳩便や郵便組合を頼るほどでもない日常のちょっとした届け物を代行することで、彼は日銭を稼いでいるのだという。一件あたりの料金は子供の小遣い程度だが、数をこなせばそれなりに儲かるらしい。
「今なら初回割ついてお得だよ、どう?」
セールストークまで始まってしまった。
「ふむ。ではおぬしが懐に忍ばせていた、この虚偽の通達書を何とする?」
ルイーゼがおもむろに何かの紙をひらりと揺らしてみせると、それまで余裕だった鳶の表情が変わる。
「えっ、ちょっ、いつの間に盗ったんだよ返せよー!?」
「ぴーひょろぴーひょろ煩い奴じゃのぉ。しかしまぁ酷い出来じゃ」
ほれジャック、と手渡された紙を受け取って、僕は目を疑った。
「手書き!?」
「しかもだいぶ下手な字じゃ」
納税方法の変更を伝える“通達書”は、なんとしたことか手書きであった。
いや、書類によっては手書きで済ませることも無くはないが、この手書き具合はもはやそういうレベルでは無い。
「字ぃナナメってるやがるし、誤字塗りつぶしてるし……チラシの裏のメモかよ。領主印だけ立派なのがいっそ滑稽だな」
横からその通達書もどきを覗き込んだ柴が、呆れたように吐き捨てる。
僕としてもこれを文書偽造と呼んでいいものか悩んでいると、ルイーゼが男らしい仁王立ちのまま、ちらりと鳶を見下ろした。
「これはおぬしが書いたものか?」
「冗っ談!!! オイラもっと字上手いし!」
「では、これをしたためた共犯者が居るということじゃな」
「あっ」
反射的に否定してしまった様子の鳶が、しまったというように口元を引きつらせる。そこまで自分の字だと思われるのが嫌だったのか。さもありなん。
僕は床に座り込んでいる鳶と視線を合わせるように、彼の前で膝をついた。
「これを書いたのは誰? この領主印はどうしたの?」
「さー、どうだか」
「鳶。とても大切なことなんだ。……君は、本当に詐欺師なのかな」
目を見つめて、ゆっくりと真剣に問いかける。
何がしかの関わりがあるだろうことは確信しつつも、心のどこかではそうであってくれるなと思う。
ままならない感情に眉尻を下げた僕を見て、鳶がぐっと言葉に詰まった。そして、あー、うー、と不明瞭な唸りを上げ始める。
何事かと見守っていると、鳶はやがてひとつ溜息をついて僕を見た。
「…………にーちゃん」
「うん?」
「商売は信用第一だからさー、オイラも“依頼人”の個人情報はそうそう漏らせないんだよね」
軽い調子で言った鳶が、ひょいと肩をすくめる。
「あぁ? この詐欺ガキが、いい加減に――」
「……ちょっと待って、柴」
身を乗り出しかけた柴を押しとどめて、僕は改めて鳶に向き直った。こちらを見る栗色の瞳をまっすぐに見返す。
「依頼人、って言った。ということは君は今回も“仕事”をしたってこと? 何かを“運んだ”ってことだよね」
「さーて、どうかなー」
はぐらかすような事を言いつつも、鳶はぱちりと片目をつむった。
おおそういうことか、と呟いたルイーゼが拳を解いたのが視界の端に見える。どうやら間一髪だったらしい。鳶が。
「“領主の使者”がコイツなのは確定だろ? 依頼されて金をどっかに運んだってことか?」
「回覧板のお届けから町内会費の回収まで、どーぞ運送屋の鳶にお任せあれ~。
何かをどこかからどこかへ運ぶならみーんなオイラの管轄だよ~。安心! 安全! 信頼!のトンビ便だよ~」
「営業トークうぜぇ」
運送屋と一口に言っても、鳶が引き受ける仕事の幅は随分広いようだ。もはや何でも屋と呼んだ方がいいのではないかというほど、細かく融通を利かせて依頼を受けているらしい。
というかそれくらい手広くやらないと、彼くらいの年齢で顧客を獲得するのは難しいのだという。
「ねぇ鳶、町内会費の回収も仕事のうちなんだよね。それって手ぶらで行くのかな」
「まさか! ちゃーんと依頼主からサイン付きの委任状もらってくよ。じゃなきゃこんな子供にお金預けないじゃん?」
その答えを聞いて、じゃあ、と彼の前にあの通達書を掲げる。
「例えば。僕がこの通達書を渡して、『この紙を見せて、相手から渡されたものを自分のところまで運んでくれ』って言ったら……それは運送屋さんの仕事になるかな」
「……お引き受けいたしまーす!」
すると鳶は自分が出したなぞなぞの答え合わせをするように、得意げな様子でニヤリと笑った。
「ふむ。つまり、詐欺を企てたのはその依頼人というわけじゃな」
「コイツの言う事そのまま信じるってか? 全部フカシかもしれねぇだろ」
「僕は嘘じゃないと思うけどなぁ。それに他の手がかりもないし、一度その線で調べてみようよ、柴」
「それにしたって、コイツが依頼人のこと喋る気ねぇんじゃ振り出しじゃねえか」
柴はひとつ舌打ちを零して、鳶を鋭く見下ろした。
「うーん……」
確かに鳶からこれ以上のことを聞き出せないとなると、また一から探し直しである。
新たな手掛かりになりそうなものといえば、この通達書もどきくらいだ。
筆跡から何か読み取れないかとまじまじ眺めてみるが、やはりお世辞にも上手とは言えない字であることくらいしか……。
「ん?」
ミミズがブレイクダンスしたようなその書き文字に、ふと既視感を覚えた。
何だかどこかで見たことがある気がして、しかし「気がする」以上の記憶を引き出すことが出来ずに首をかしげる。
「やっぱコイツ締め上げて吐かせたほうが早いだろ」
「む、軽率な暴力はならぬぞ。ジャックが哀しむゆえな。やはりここは精神面から攻めて自供を促すがよかろう」
「いや余計ブッソウだし!! ねーこの二人怖いんですけど!? 助けてにーちゃん!」
「見たことある字のような……無いような……んー……?」
「聞いてないし!!」
如何にして情報を吐かせるかと相談するルイーゼと柴。全力で助けを求める鳶。そして考え事に熱中していてその惨状に気付かない僕。
すっかり収拾のつかなくなった執務室の大騒ぎは、ニシキさんが僕らを夕飯に呼びに来るまで続いたのだった。
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